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その二
二の六
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部屋にもどると、茂平はもう帰りたくてそわそわしている様子。
「なんだ、そんなに、加代に会うのが楽しみか」
「ええ、それもありますがね、まあ、たしかにもう帰りたいですなあ」
と茂平は苦い顔をしている。
「なんだ、いやなことでもあったか」
「いえ、そうではないんですが、旅籠に泊ってもなんだか落ち着きませんでな。それに、富田がそこそこ大きな宿場とはいえ、ふつかもぶらぶらしていますと、見物するところもなくなりまして、三日目なんぞは、やることがないもんだから、となりの部屋に泊っていた坊さんと、一日じゅう将棋をさしとりましたよ」
と、茂平は遊山など面白くもないという顔。
「骨休めにはならなんだか」
「いえ、休めはしましたが、長年、下男なんぞをやっとりますと、働いていないと落ちつかないのでしょうな」
茂平は、たった四里むこうの家を、懐かしむような、遠くを見つめるような目をして云ったのだった。
代官所の門をでるときにも、役人たちからの見送りもごくろうさまのひと言もなく、初日にあくびで出むかえた門番だけが、ちょろりと頭をさげてくれたくらいなものだった。
刻限によるものなのか、午前ちゅうの宿場町はまだ閑散としていて、最初遭遇した人ごみがまるで、まぼろしのように思えてくる。
富田をはなれて、しばらくは隣藩の領地で、半時ほどで藩境の関所がみえてくる。関所と云ってもほとんど形だけのもので、よっぽど怪しく見える者でもなければ、通行手形をあらためることさえもしない。
関所をこえて半里ほども歩いたころ、
「ここですよ、旦那様」
と後ろから茂平が呼びとめる。
――云われなくても、わかっている。
気づかないふりをして通りすぎて、しばらく歩いてしまえば、茂平もあきらめるだろうと、もくろんでいたのであるが……。
右手には、往きにその下で休息をとった大ぶりの松の木が街道をおおうように枝を広げていて、左には北に向かう、曲がりくねった道がある。その細道は両脇が小高い岡と雑木林にはさまれているので、半町ほど先は木々にさえぎられて、もう見えない。
まるで三之助の未来を暗示しているかのようで……、ほんの半刻あと、なにが起きるのか彼にもわからない。加代に拒絶されるかもしれない、罵倒されるかもしれない。
三之助は、気が重い。
だが、それでも一度、彼女には会うべきなのだろう、と思った。拒絶されるのも、罵倒されるのも、それは当然のことなのだ。その罰はあまんじて受けなくてはいけないのだ、と。
茂平にうながされるようにして、道をまがり、勝山村へむかう。
その先は小高い丘陵地になっていて、三之助は、はあはあ云って歩く。茂平はとみると、平然と、もはや泰然と云ってもいいほど余裕の顔をしてついてくる。往きの道中で疲れた疲れたと、何度も休息をせがんだ老人とは思えないほどだ。加代に会うという楽しみが、茂平を若返らせているようだった。
――まったく、頑健なじいさんだ。
春原の城は、小高い山のうえにある平山城であるが、毎日のように通う坂道よりも、ちょっと勾配がきつくなるだけで、このていたらくだった。身体がなまっていると思わざるをえない。
坂をのぼりきると、眼下にはいちめん農地が広がっていて、田畑に遠慮するように建てられた家々が、ぽつりぽつりと見える。
三之助は立ちどまり、のどかな村の風景をみわたした。
このなかのどこかに、加代がいるのだろう。
緑と土色の景色のなかに、ちらちらと動くのは人影で、畑の手入れをしているものや、畝にすわって休息しているもの、田おこしを始めているものもいる。
「あの、林のむこうの、ちょっと屋根のみえている家です」
茂平の指さす方向をみると、こちらからでは、木々の間からわずかに建物の一部がすけてみえるだけで、その大半は林にさえぎられていて、家の様子はほとんどわからない。
林の前まで岡を下って、そのわきのくるりと向こう側へまわっているであろう道を、三之助は気おくれするような気持ちで進んだ。
茂平が加代の家と縁故なのは知っていたが、
「このへんには来たことがあるのか」
と三之助がたずねると、
「ええ、何度か。しかし、加代がこちらにもどってからは、まったく来とりませんで。でも、わたしが最後に来た頃と、あまり変わっていないようですな」
と懐かしい風景をみるような表情で茂平が語った。
林を回り込むと、反対側は土手で、――土手のうえは畑で――その土手と林に挟まれた道の行きどまりに、門が見えた。
柴垣のなかほどにたてられた門は、丸太組みの一見粗末にみえる門だが、屋根もついていて、手入れはちゃんいきとどいているらしく、長年の風雪で黒ずんではいたが、小ぎれいなものだった。
その門のむこうに、ひとかげがちらちらと動いている。
三之助たちがたっている道から門までは、ゆるいくだり坂で、門の屋根にさえぎられて、顔まではわからなかったが、道を進むとともに、その人の様子がみえるようになってきた。
髪をてっぺんで櫛巻きにしただけの中年の女が二、三歳の子供を抱いて、あやすように身体を揺すっている。
――加代だ。
三之助の鼓動が高鳴りはじめた。
「なんだ、そんなに、加代に会うのが楽しみか」
「ええ、それもありますがね、まあ、たしかにもう帰りたいですなあ」
と茂平は苦い顔をしている。
「なんだ、いやなことでもあったか」
「いえ、そうではないんですが、旅籠に泊ってもなんだか落ち着きませんでな。それに、富田がそこそこ大きな宿場とはいえ、ふつかもぶらぶらしていますと、見物するところもなくなりまして、三日目なんぞは、やることがないもんだから、となりの部屋に泊っていた坊さんと、一日じゅう将棋をさしとりましたよ」
と、茂平は遊山など面白くもないという顔。
「骨休めにはならなんだか」
「いえ、休めはしましたが、長年、下男なんぞをやっとりますと、働いていないと落ちつかないのでしょうな」
茂平は、たった四里むこうの家を、懐かしむような、遠くを見つめるような目をして云ったのだった。
代官所の門をでるときにも、役人たちからの見送りもごくろうさまのひと言もなく、初日にあくびで出むかえた門番だけが、ちょろりと頭をさげてくれたくらいなものだった。
刻限によるものなのか、午前ちゅうの宿場町はまだ閑散としていて、最初遭遇した人ごみがまるで、まぼろしのように思えてくる。
富田をはなれて、しばらくは隣藩の領地で、半時ほどで藩境の関所がみえてくる。関所と云ってもほとんど形だけのもので、よっぽど怪しく見える者でもなければ、通行手形をあらためることさえもしない。
関所をこえて半里ほども歩いたころ、
「ここですよ、旦那様」
と後ろから茂平が呼びとめる。
――云われなくても、わかっている。
気づかないふりをして通りすぎて、しばらく歩いてしまえば、茂平もあきらめるだろうと、もくろんでいたのであるが……。
右手には、往きにその下で休息をとった大ぶりの松の木が街道をおおうように枝を広げていて、左には北に向かう、曲がりくねった道がある。その細道は両脇が小高い岡と雑木林にはさまれているので、半町ほど先は木々にさえぎられて、もう見えない。
まるで三之助の未来を暗示しているかのようで……、ほんの半刻あと、なにが起きるのか彼にもわからない。加代に拒絶されるかもしれない、罵倒されるかもしれない。
三之助は、気が重い。
だが、それでも一度、彼女には会うべきなのだろう、と思った。拒絶されるのも、罵倒されるのも、それは当然のことなのだ。その罰はあまんじて受けなくてはいけないのだ、と。
茂平にうながされるようにして、道をまがり、勝山村へむかう。
その先は小高い丘陵地になっていて、三之助は、はあはあ云って歩く。茂平はとみると、平然と、もはや泰然と云ってもいいほど余裕の顔をしてついてくる。往きの道中で疲れた疲れたと、何度も休息をせがんだ老人とは思えないほどだ。加代に会うという楽しみが、茂平を若返らせているようだった。
――まったく、頑健なじいさんだ。
春原の城は、小高い山のうえにある平山城であるが、毎日のように通う坂道よりも、ちょっと勾配がきつくなるだけで、このていたらくだった。身体がなまっていると思わざるをえない。
坂をのぼりきると、眼下にはいちめん農地が広がっていて、田畑に遠慮するように建てられた家々が、ぽつりぽつりと見える。
三之助は立ちどまり、のどかな村の風景をみわたした。
このなかのどこかに、加代がいるのだろう。
緑と土色の景色のなかに、ちらちらと動くのは人影で、畑の手入れをしているものや、畝にすわって休息しているもの、田おこしを始めているものもいる。
「あの、林のむこうの、ちょっと屋根のみえている家です」
茂平の指さす方向をみると、こちらからでは、木々の間からわずかに建物の一部がすけてみえるだけで、その大半は林にさえぎられていて、家の様子はほとんどわからない。
林の前まで岡を下って、そのわきのくるりと向こう側へまわっているであろう道を、三之助は気おくれするような気持ちで進んだ。
茂平が加代の家と縁故なのは知っていたが、
「このへんには来たことがあるのか」
と三之助がたずねると、
「ええ、何度か。しかし、加代がこちらにもどってからは、まったく来とりませんで。でも、わたしが最後に来た頃と、あまり変わっていないようですな」
と懐かしい風景をみるような表情で茂平が語った。
林を回り込むと、反対側は土手で、――土手のうえは畑で――その土手と林に挟まれた道の行きどまりに、門が見えた。
柴垣のなかほどにたてられた門は、丸太組みの一見粗末にみえる門だが、屋根もついていて、手入れはちゃんいきとどいているらしく、長年の風雪で黒ずんではいたが、小ぎれいなものだった。
その門のむこうに、ひとかげがちらちらと動いている。
三之助たちがたっている道から門までは、ゆるいくだり坂で、門の屋根にさえぎられて、顔まではわからなかったが、道を進むとともに、その人の様子がみえるようになってきた。
髪をてっぺんで櫛巻きにしただけの中年の女が二、三歳の子供を抱いて、あやすように身体を揺すっている。
――加代だ。
三之助の鼓動が高鳴りはじめた。
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