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第1章 本章

第7話 死闘の末、日常は始まらなかった・後編

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 田中さんが家の奥から持ってきたそれは、見た事も無い形をしていた。恐らくは、この世界の物ではないのだろうと思われる。台所から、ピーッというお湯が沸いた音が聞こえた所で、田中さんは、お湯を沸かしていたのを思い出し、一旦、そのモノを置いて、踵を返し台所へ戻っていった。しばしの後、田中さんがお茶を乗せたおぼんを手に戻ってきたので、私は、ちゃぶ台に差し出されたお茶を手に取りながら、質問をしてみた。

「田中さん、それはどんな物なんでしょうか?」

 安心した表情をしている田中さんは、落ち着いた声で話し始めた。

「これは、私と先立った妻がまだ若かった頃、海外旅行に行った時、旅行の記念にしようと買ってきた物でしてな。珍しい形をしていたのが目に留まったのが切っ掛けでの…」

 緩やかな眼差しで、傍にある仏壇を見つめている。

「これは失礼致しました。奥さんとの思いでの品…ですか」

「ええ。最近になって、コレを手に持つと、妻との昔の思い出が鮮明に思い出せるのです。まるで昨日のように…。ははっ。本当は、未練がましいのもイカンと、目のつかぬ所に仕舞おうかと思ったんですがなぁ」

 田中さんは、ソレを手に持つと目を閉じ、何かを考えるような表情をした――。
 その時、見た事も無い、男女の姿が頭の中に思い浮かんだ。
 鮮明な映像とも言える記憶の塊が――。
 私の頭の中に、まるで行き場を失った水があふれ出るかのように、流れ込んできた。
 その2人の男女は、若い頃の田中さんと奥さんのようだ。記憶の中で、2人は海辺で楽しそうに笑っていた。

「今。奥さんとの、旅行の事を考えました?」

「むむ? 確かに、考えましたが」

「海で楽しそうに笑っている2人の記憶…と言うんでしょうか。私の頭の中に流れこんできたんです」

「ほぉ。それまた奇天烈な…。コレのせいですかの…」

 不思議そうな表情をしている田中さんを尻目に、私はソレが異物である事を田中さんに告げるべきか悩んでいた。他人にも自身が体験した事を共有させる…。記憶の共有能力とでもいうべきか。

「ちなみに、田中さん。昨日の晩御飯。何食べました?」

「ん?昨日は確か――」

 焼き鮭と漬物を食べている田中さんの映像が頭に入ってきた。

「焼き鮭と、漬物を食べましたね?」

「お、おお。その通り…。な、なるほど。やはりコレが、記憶を見せているんですな。どおりで、コレを手にしている時は、色んな事を忘れずに済むようになったなぁと」

「ソレは…。記憶を記録し、他人と共有する力を。田中さんに与えているように思えます」

「ふむ」

「あの…。その。それは…」

 異世界の異物であり、田中さんの身に今後、何が起こるか分からないと言いたいが。もしそれを告げたとして、奥さんとの思い出の品を回収させてくださいなんて、口が裂けても言えるはずがない。

「中島君。何かを言いたそうな表情をしているの」

「いえ…」

「言うてみなさい。コレが何か、知っておるんじゃないかの?」

「それは……」

 私はなるべく柔らかい表現で、田中さんに私が知っている事を話した。

「俄かには信じられんが…。そう…、なんじゃろうなぁ。不思議なもんだなぁ…」

 田中さんはお茶を飲みながら、眉が晴れたように話し始めた。

「ふむ、分かった。明日、その村瀬さんという人と一緒にまた、ウチに来なさい」

「田中さん。良いんですか?」

「嗚呼、決めた事じゃ」

 田中さんとのやり取りを終えた後。私は自宅のアパートに帰り、夜遅くに帰ってきた村瀬さんに事のあらましを説明し、後日、田中さんの家にまた来ることにした。

 ―次の日―

 私と村瀬さんは、田中さんの家を訪れ、玄関で軽い自己紹介と挨拶を済ませた後、再び客間に案内されたのだった。ちゃぶ台の上に置かれた異物を前に、向かい合うように座る私達。

 既に経緯を聞いている村瀬さんが、田中さんに確認するように問いかけた。

「宜しいのですね?」

 田中さんは、意を決したような面持ちで答えた。

「うむ。コレが見せてくれる記憶は、ワシだけの思い出なんでな。他の人に見せるには勿体なすぎるわい」

 そう言うと、満足そうに顔をほころばせた。

「では、異世界に送り返します」

 村瀬さんが呪文を唱えると、異物は宙に浮き、異空間のゲートの中に吸い込まれていった。

 田中さんは見るもの全てが初めてかのような新鮮な表情を見せ、逆に私は落ち着きと平静を装うように傍で見ていた。

 異物は異世界に送り返された後、玄関で田中さんと別れの挨拶をした。


 私と村瀬さんが帰路についている途中、ふと、村瀬さんは私を見た後、ぼんやりと呟いた。

「自分だけの思い出か…」

「村瀬さんも、忘れたくない思い出があるんですか?」

「フフッ。さて…。忘れてしまいました」

 横顔で見る彼女の笑顔は、とても素敵だった。
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