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その命あるかぎり…誓えますか?【真城 side】
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その後の柳の回復は早いもんだった。若いからなのか、表面上の傷は殆ど残らず消えていった。額の傷も深くはあるがある程度は前髪で隠せるし、何より四肢に後遺症が残らなかったことが幸いだった。
どんよりした目も数日経てば明るさが増すようになった。自分と関わる人間に毎度毎度礼を欠かさず、そして早く回復出来るよう積極的にリハビリに取り組んでいた。
だが、記憶の方はおかしい点が増すばかりだった。
柳曰く、事故のことは全く覚えてないらしい。何故、事故に遭ったのか、その前後だけでなくその日丸ごとの記憶を柳は忘れていた。
また、高校の件。これもおかしなもんだ。元々成績は優秀だと聞いていたが、それに傲らず確実に受かるようここいらじゃトップの私学への受験勉強に励んでいたそうだが、事故に遭った後の柳は蒼の家から近い高校一校しか受けていないと言いやがる。滑り止めでもあった方の学校は金で押さえておいたとはいえ、まさかそこへ進学するとは思わなんだ。
それ以上におかしかったのが、自分自身のこと。前々から自分の紫の目の色は好んじゃいなかったそうだが、話に聞いていた以上に柳はそれを嫌っていた。前髪が鬱陶しくなってきたから切ってやろうかと言うと、目の色を見られるのが嫌だからと顔を隠すようになった。
写真で見たときは金髪に長髪ではあったが、前髪はそんなに鬱陶しくなかった。どころか、自身が金髪に染めていたことを忘れている。
あまりにもうざったかったんで、特注品のカラーコンタクトレンズと眼鏡を買い与えてやった。コンタクトレンズは云わずもがな目の色を隠すためのもんだが、眼鏡の方はあれだ。顔を見られたくねえ奴が風邪でもねえのにマスクすんのと同じ感覚だ。そうすることで安心感を与えてやった。額の傷も気にしてたみたいだしな。
服装もそうだな。今までじゃ璃々子から海のお下がりだと洒落たそれらを着ていたというのに、そんな服は覚えがないと拒み、自分で買った覚えのある地味なもんしか着なくなった。
じゃあ自身のことを全部忘れてんのか、といえばそうでもない。忘れてることは全て、ある一点に集中していた……。
三ヶ月が過ぎた頃。
真城の家にも大分慣れてきた柳はやはり地味な見た目のままだったが、元気に学校へ通っていた。しかし成績はといえば、その外見に合わせたかのような平均的なもの。前は優秀だったじゃねえかと突っ込めば、そんなことはないと首を横に振って返した。
時間だけは経ったが、俺は短気だからな。そろそろ何かしら動かんものかと、海を呼んだ。
すっかり本来の赤髪が馴染む色男になってやがったから、これは記憶がどうとかの問題じゃねえんじゃねえかと俺は突っ込みたいのをぐっと堪え、海を引き連れ柳の下へと向かった。
自室にいるかと思いきや、ちょこちょこと廊下を歩いていた。声を掛けると、くるりと振り向き俺の後ろの海へと視線が止まった。
ぼけーっと口を半開きにして海を見つめる柳だったが、何かを思い出すかと淡い期待を持つもそれは泡のように消えてなくなった。
柳は頭を深く下げた。
「初めまして。真藤柳です」
「え……?」
「? 僕、真藤柳って言います」
「やっぱりな……」
海と対面しても、何も思い出さなかった。どころか、海との記憶を綺麗さっぱり忘れちまっていた。
解離性健忘、というらしい。
柳の場合は海との記憶。海に纏わる全てのことを忘れていた。蒼との思い出も希薄なもんになってしまったのは、きっと海の父親だからだろうという結論に至った。実の母のように慕っていた璃々子のことも記憶が曖昧になっていた。
そして自身が紫瞠であったことも、忘れていた。
海は柳の前では俺の仕事の関係者という位置付けになった。紫瞠呼びは慣れねえが、この際仕方ない。海のことは名前ではなく紫瞠と呼ぶことになった。
俺の部屋に呼んで、短く嘆息する海にケッと言い放った。
「この程度でへこたれるようなら、お前も綺麗に忘れちまって新しい嫁さんでも迎えたほうがよっぽど楽だぞ」
「全く……甥には厳しいんですね」
「お前が姪だったら、ちったぁ優しくしてやったよ」
「そうですか。それよりも、柳はこちらで元気に生活を送れていますか?」
俺の嫌味は微塵も効かないらしい。涼しげな顔をしてやがる。此奴の頭はどうなってんだ。あれか? 何にも執着がなかったやつほど一つのもんに夢中になるとそれしか見えないっつうあれか?
どんだけ柳しか見えてねえんだよ、此奴はよ……。執着と独占欲が全部柳に向いた時が一番こええぞ。
バイセクシャルの俺が今更同性愛を気にするようなもんじゃねえが、仮に両想いだとしても甥と預かってるガキのラブロマンスなんざ見たかねえぞ。
俺は頭を右手で抱えながらぶっきら棒に答えた。
「さっき直で見たろうがよ。身体の方は元気でやってるよ」
すると、海は苦笑を口元に浮かべた。
「改めて初めましての挨拶をされるというのは、予想はしていたもののやはり堪えるものがありますね」
「以前みたく気絶されるよかよっぽど前進だろ」
まだリハビリが始まる前、目が覚めたばかりの柳に海は姿を見せた。柳は海を目にすると、頭を手で押さえながらそのまま気絶した。叫ぶでもなく、パニックを起こすでもなく、静かに崩れ落ちた。
まだ混乱の最中なのかもしれないと、海は柳が心身ともに回復するまで姿を見せるのを止めた。俺もそれに賛成だった。目が覚めたのなら、この状況もいつかは収まるだろう。頭を怪我したんだから、人の記憶が欠けることもあるかもしれない。柳が回復するまで、お前も痩せこけた身体に肉をつけてこい、と。俺は海に言った。
どのみち、二人の距離を開くようにと蒼から言われていたんだ。ちょうどいい機会でもあった。
だがよ、蒼。柳はともかく、お前の息子はもう駄目だわ。これまでの取っ替え引っ替えとは別だ。
それは海の目が物語っていた。
「また様子を見に来ます。あの子のことをくれぐれも頼みます」
「今度は『おたねや』のどら焼き、持ってこい」
自分の記憶が消されても、海は柳を諦めなかった。
どんよりした目も数日経てば明るさが増すようになった。自分と関わる人間に毎度毎度礼を欠かさず、そして早く回復出来るよう積極的にリハビリに取り組んでいた。
だが、記憶の方はおかしい点が増すばかりだった。
柳曰く、事故のことは全く覚えてないらしい。何故、事故に遭ったのか、その前後だけでなくその日丸ごとの記憶を柳は忘れていた。
また、高校の件。これもおかしなもんだ。元々成績は優秀だと聞いていたが、それに傲らず確実に受かるようここいらじゃトップの私学への受験勉強に励んでいたそうだが、事故に遭った後の柳は蒼の家から近い高校一校しか受けていないと言いやがる。滑り止めでもあった方の学校は金で押さえておいたとはいえ、まさかそこへ進学するとは思わなんだ。
それ以上におかしかったのが、自分自身のこと。前々から自分の紫の目の色は好んじゃいなかったそうだが、話に聞いていた以上に柳はそれを嫌っていた。前髪が鬱陶しくなってきたから切ってやろうかと言うと、目の色を見られるのが嫌だからと顔を隠すようになった。
写真で見たときは金髪に長髪ではあったが、前髪はそんなに鬱陶しくなかった。どころか、自身が金髪に染めていたことを忘れている。
あまりにもうざったかったんで、特注品のカラーコンタクトレンズと眼鏡を買い与えてやった。コンタクトレンズは云わずもがな目の色を隠すためのもんだが、眼鏡の方はあれだ。顔を見られたくねえ奴が風邪でもねえのにマスクすんのと同じ感覚だ。そうすることで安心感を与えてやった。額の傷も気にしてたみたいだしな。
服装もそうだな。今までじゃ璃々子から海のお下がりだと洒落たそれらを着ていたというのに、そんな服は覚えがないと拒み、自分で買った覚えのある地味なもんしか着なくなった。
じゃあ自身のことを全部忘れてんのか、といえばそうでもない。忘れてることは全て、ある一点に集中していた……。
三ヶ月が過ぎた頃。
真城の家にも大分慣れてきた柳はやはり地味な見た目のままだったが、元気に学校へ通っていた。しかし成績はといえば、その外見に合わせたかのような平均的なもの。前は優秀だったじゃねえかと突っ込めば、そんなことはないと首を横に振って返した。
時間だけは経ったが、俺は短気だからな。そろそろ何かしら動かんものかと、海を呼んだ。
すっかり本来の赤髪が馴染む色男になってやがったから、これは記憶がどうとかの問題じゃねえんじゃねえかと俺は突っ込みたいのをぐっと堪え、海を引き連れ柳の下へと向かった。
自室にいるかと思いきや、ちょこちょこと廊下を歩いていた。声を掛けると、くるりと振り向き俺の後ろの海へと視線が止まった。
ぼけーっと口を半開きにして海を見つめる柳だったが、何かを思い出すかと淡い期待を持つもそれは泡のように消えてなくなった。
柳は頭を深く下げた。
「初めまして。真藤柳です」
「え……?」
「? 僕、真藤柳って言います」
「やっぱりな……」
海と対面しても、何も思い出さなかった。どころか、海との記憶を綺麗さっぱり忘れちまっていた。
解離性健忘、というらしい。
柳の場合は海との記憶。海に纏わる全てのことを忘れていた。蒼との思い出も希薄なもんになってしまったのは、きっと海の父親だからだろうという結論に至った。実の母のように慕っていた璃々子のことも記憶が曖昧になっていた。
そして自身が紫瞠であったことも、忘れていた。
海は柳の前では俺の仕事の関係者という位置付けになった。紫瞠呼びは慣れねえが、この際仕方ない。海のことは名前ではなく紫瞠と呼ぶことになった。
俺の部屋に呼んで、短く嘆息する海にケッと言い放った。
「この程度でへこたれるようなら、お前も綺麗に忘れちまって新しい嫁さんでも迎えたほうがよっぽど楽だぞ」
「全く……甥には厳しいんですね」
「お前が姪だったら、ちったぁ優しくしてやったよ」
「そうですか。それよりも、柳はこちらで元気に生活を送れていますか?」
俺の嫌味は微塵も効かないらしい。涼しげな顔をしてやがる。此奴の頭はどうなってんだ。あれか? 何にも執着がなかったやつほど一つのもんに夢中になるとそれしか見えないっつうあれか?
どんだけ柳しか見えてねえんだよ、此奴はよ……。執着と独占欲が全部柳に向いた時が一番こええぞ。
バイセクシャルの俺が今更同性愛を気にするようなもんじゃねえが、仮に両想いだとしても甥と預かってるガキのラブロマンスなんざ見たかねえぞ。
俺は頭を右手で抱えながらぶっきら棒に答えた。
「さっき直で見たろうがよ。身体の方は元気でやってるよ」
すると、海は苦笑を口元に浮かべた。
「改めて初めましての挨拶をされるというのは、予想はしていたもののやはり堪えるものがありますね」
「以前みたく気絶されるよかよっぽど前進だろ」
まだリハビリが始まる前、目が覚めたばかりの柳に海は姿を見せた。柳は海を目にすると、頭を手で押さえながらそのまま気絶した。叫ぶでもなく、パニックを起こすでもなく、静かに崩れ落ちた。
まだ混乱の最中なのかもしれないと、海は柳が心身ともに回復するまで姿を見せるのを止めた。俺もそれに賛成だった。目が覚めたのなら、この状況もいつかは収まるだろう。頭を怪我したんだから、人の記憶が欠けることもあるかもしれない。柳が回復するまで、お前も痩せこけた身体に肉をつけてこい、と。俺は海に言った。
どのみち、二人の距離を開くようにと蒼から言われていたんだ。ちょうどいい機会でもあった。
だがよ、蒼。柳はともかく、お前の息子はもう駄目だわ。これまでの取っ替え引っ替えとは別だ。
それは海の目が物語っていた。
「また様子を見に来ます。あの子のことをくれぐれも頼みます」
「今度は『おたねや』のどら焼き、持ってこい」
自分の記憶が消されても、海は柳を諦めなかった。
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