余命一ヶ月の公爵令嬢ですが、独占欲が強すぎる天才魔術師が離してくれません!?

姫 沙羅(き さら)

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1巻

1-1

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   プロローグ


「クロム・スピアーズ! 古代魔道具研究家のクロム・スピアーズはどちらに⁉」

 ここは、辺境の地に建てられたとある研究所。一分一秒でも惜しいとばかりに扉を開け放ったアリーチェのほうへ、室内にいた全員の視線が集まった。

「……貴女あなたは……?」

 後方に女性騎士を従えた、左右が黒で後方部分が銀色の長い髪をした二十歳前後の令嬢。瞳の色と同じあおい耳飾りとブローチをしており、シルクを思わせる白銀の美しい装いからも、アリーチェが高貴な身分であることは一目見ただけでわかるだろう。

「先に連絡がいっているはずだけれど⁉」

 焦りもあり、つい気位の高そうな物言いになってしまうが、今のアリーチェにはそこまでの気が回らない。

「私はアリーチェ。マクラーゲン公爵家の一人娘のアリーチェ・マクラーゲンよ!」

 聞いていないのかとり上がる眉に、室内にいた五人のうち、一番位が高いのであろう初老の男性が「あぁ……」というつぶやきをらした。

「聞いております」
「だったら……!」

 ならば早くと促すアリーチェに初老の男性は小さな溜め息を一つこぼし、後方にいる四人の研究員のほうへ振り返る。

「誰かクロムを呼んできてくれ」

 それに「は~い」とどこかやる気のなさそうな返事をしたのは、一番年下に見える青年だ。

「早くしてちょうだい……!」

 かすアリーチェへやれやれという一瞥いちべつを投げ、青年は欠伸あくびでもしそうな緩い足取りで部屋を後にする。
 そうして、時間にしてどれくらいたっただろう。それなりには経過したであろう長い待ち時間に、アリーチェの焦りと苛立いらだちはピークに達し、爆発してしまいそうになった頃。

「所長。呼びました?」

 これまたのんびりと現れた長身の青年に、所長と呼ばれた初老の男性は、肩を落としつつアリーチェを顎で指し示した。

「お客さんだ」
「……俺に、ですか?」

 きょとん、と丸くなる赤い瞳に、所長はやれやれと空を仰ぐ。

「あぁ。先日手紙を見せただろう」
「……そういえば」

 すっかり忘れてました。という言葉でも続きそうな青年に、しばし固まっていたアリーチェはおずおずと口を開く。

「……あ、貴方あなたがあの有名なクロム・スピアーズ?」

 クロム・スピアーズといえば、アリーチェより三歳年上の二十三歳。その界隈かいわいでは知らぬ者などいない、古代魔道具研究の第一人者で〝天才〟と言われている人物だ。

「有名かどうかはわかりませんけど、多分そのクロム・スピアーズです」
貴方あなたが……」

 のんびりとしたしゃべり方は、〝天才〟と同じくらい名高い〝変人〟の名に相応ふさわしいものだったが、想像とあまりにも違う風貌にアリーチェはじろじろとクロムを観察してしまう。
 周りの目を気にしていないことがうかがえる野暮ったい服装と、寝ぐせさえ直されていない金色の髪。だが、顔面偏差値は異様に高く、眼鏡の奥にある赤い瞳は引き込まれそうな妙な妖しさがあった。

「なんですか?」
「い、いえ……。なんでもないわ」

 相手の目を真っぐ見てくるクロムに不覚にもドキリとしてしまい、アリーチェは「オタクのくせに……!」などと偏見も甚だしいことを思いながらわずかに視線をらす。

「で? 公爵家のお嬢様が、こんなところにお忍びでなんの用事です?」
「……そ、それは……っ」

 頭の後ろをきながら面倒くさそうに尋ねられて答えに詰まる。
 公爵家の令嬢であるアリーチェが、自らこんな辺境に足を運んだ理由。それは。

「……人払いをお願いしてもいいかしら?」
「人払いを?」

 少しばかり恥ずかしそうにチラリと視線を投げたアリーチェに、クロムはきょとん、とした反応を返してくる。

「へ、変なことは考えないでよ……⁉」
「……変なこと……」

 年頃の男女が二人きり。アリーチェにとってはありえない状況だが、眉をひそめるクロムは本気で意味がわからないようで、逆に羞恥をあおられる。

「い、いいから……! 早くしてちょうだい……!」

 その場にいる人間を追い払うように室内を見回すアリーチェに、所長たちからは生ぬるい目が向けられる。

「それが人にものを頼む態度かねぇ~」

 ここは、〝変人たちの巣窟″と名高い場所。とても公爵令嬢を相手にする態度とは思えない言動にアリーチェが言葉を失う中、男の一人がやれやれと肩を落とす。

「へいへい。公爵家の御令嬢には逆らいませんよ」

 そうして所長が「ほら、いくぞ」と促せば、彼らは「は~い」と返事をしながらぞろぞろと扉のほうへ向かっていく。
 そんな彼らのあまりの不遜な態度にアリーチェが呆気あっけに取られている間に、唯一の従者だった女性騎士も無言で頭を下げて部屋を後にする。おそらくは扉の外で待機しているつもりなのだろう。

「で?」

 二人きりになったところで不躾ぶしつけに見下ろされ、アリーチェはついきょとんと瞳を瞬かせる。

「俺を訪ねてきたのはそっちのほうでしょう」
「そ、そうね……」

 あまりの驚きの連続でつい本題を忘れかけてしまっていた。そして、往生際が悪いことに、まだ心の準備が追いついていない。アリーチェはコホンと小さく息をついたところで……

「その呪い、どうしたんです?」

 単刀直入、あまりにもあっけらかんと問いかけられ、アリーチェは大きく目を見張った。

「わ、わかるの……⁉」
「……はぁ、まぁ……」

 どうにも緊張感のない返答に、アリーチェはつかみかかる勢いでクロムのほうへ身を乗り出した。

「どうすれば解けるの⁉」
「どうすれば……」
「謝礼は弾むわ……! なにか欲しいものがあるなら、公爵家の名にかけてできるだけのことをするから……!」

 クロムの〝天才〟という評価はたしからしい。一目でアリーチェの事情を見抜いたクロムに、アリーチェは鬼気迫った目を向ける。

「早急に解いてほしいの……!」
「……まぁ、そうですよねぇ……。事態はなかなかに深刻そうですもんね」
「え……?」

 まじまじと見下ろされ、アリーチェの胸には嫌なざわめきが湧いた。
 自分が呪いにかかっていることは知っている。そしてそれが、〝古代魔道具〟によるものだということも。だが、〝深刻〟とはどういうことか。

「これはまた随分と厄介そうな……」
「見なくてもわかるの⁉」

 王都の高位魔術師たちでさえ、ただアリーチェと対面しただけではわからなかった。
 そんな魔術を、クロムは目にしなくてもわかるというのだろうか。

「……まぁ、なんとなくは。でも、きちんと見てみないことには正確な判断はできません。……どこかに印が浮かんでたりします?」

 覚悟をしていたとはいえ当然すぎる要求に、アリーチェは一瞬息をむ。

「あ、貴方あなた……っ、女性関係は……⁉」
「……は?」

 途端真っ赤になって瞳をうるませるアリーチェに、クロムのいぶかしげな目が向けられる。
 アリーチェのその反応は仕方のないものだ。なぜなら。

「……む、胸元に……っ!」

 ぎゅ、と固く目をつむり、勇気を振り絞って告げたアリーチェへ、けれどクロムは「……あぁ」と納得の声をらしながらも態度はまったく変わらない。

「でも、見てみないことには」

 ――〝天才〟と名高いクロム・スピアーズは、〝変人〟で、古代魔道具以外は人間にさえ興味がない。
 そんな彼のうわさもあながち間違ってはいないらしい。それでも。

「ぜ、絶対に変な気を起こさないでよ⁉」

 アリーチェは、花も恥じらう年頃の乙女。

「……そんなに嫌なら俺はいいんですけど」

 思わず自分の身体からだを抱き締めて羞恥で瞳をうるませるアリーチェにも、変人・クロムは容赦がない。
 早くしなければすぐにでも欠伸あくびをしながら部屋を出て行ってしまいそうなクロムの雰囲気に、アリーチェはこくりと息をむ。
 背に腹は替えられない。王都の高位魔術師は全員さじを投げた。
 もはや頼ることができるのは、〝天才古代魔道具研究者〟のクロムだけ。
 このためにわざわざ選んだ前開きドレスのボタンを震える指で緩慢に外し、アリーチェは顔を真っ赤にしながらそろそろと深い胸の谷間をのぞかせる。と……

「……これはまた随分と根が深いですね……」

 そこに刻まれた赤黒い文様をまじまじと見つめたクロムが神妙な吐息をらした。

「それってどういう……」
「たしかに、早急に呪解しないと」

 不安げに瞳を揺らめかせるアリーチェに、相変わらずの態度でクロムは淡々と口を開く。

「このままだと、一カ月後にはあの世逝きです」
「……っ⁉」

 下されたあまりにも衝撃的な内容に、アリーチェは真っ青になって言葉を失っていた。



   第一話 婚約解消


 すべての出来事は、アリーチェの元に王太子ハインツの名で届けられた首飾りから始まった。

「まぁ……。なんて美しい……」

 その晩開かれる第二王子の誕生日パーティー用にと贈られてきた箱を開けた侍女は、中央で光り輝く装飾品を目にして感嘆の吐息をこぼしていた。

「アリーチェ様っ、見てください……っ」
「本当に。素敵だわ」

 誇らしげな顔で振り返った侍女が掲げて見せた箱の中身に、アリーチェは穏やかに微笑ほほえみながらまぶしげに目を細めた。
 しずくの形をした赤い宝石は光を受けて美しく輝き、シンプルな作りだからこその気品がにじみ出ていた。誰の目から見ても最上の一品だろうことは明らかで、侍女の瞳もキラキラと嬉しそうに輝いた。

「アリーチェ様によくお似合いになりますよ……!」

 箱ごとアリーチェの胸元に首飾りを掲げた侍女は、そのままにこりと顔を向けてくる。

「よろしければお着けしましょうか?」
「そうね。せっかくだから」

 試着を勧めてくる侍女に、王太子からの手紙を眺めながらうなずいた。そこには、今夜一緒に出席するパーティーに是非着けてきてほしいという旨と、プレゼントがぎりぎりになってしまったことへの丁寧な謝罪が書かれていた。右肩上がりの少しだけ癖のある綺麗な文字は、間違いなくハインツの直筆だ。

「失礼します」

 侍女に促され、手紙をサイドテーブルに置いて髪を上げた。
 首の後ろで金具が留められた気配がして、胸元にほんの少しだけ宝石の重みがかかる。

「よくお似合いです……!」
「ありがとう」

 まるで宝石自身が発しているような光でアリーチェの胸元は美しく輝いていて、パーティー用のドレスを着れば、その赤い光がより一層まばゆく光るであろうことが想像できた。

「本当に綺れ……」

 だが、その直後。赤い輝きの中に黒い染みのようなものが浮かび上がり、アリーチェは急に息苦しさを覚えて胸をつかんだ。

「――……っ⁉」

 心臓が鷲掴わしづかみされたような感触を覚え、息の仕方がわからなくなる。

「アリーチェ様……⁉」

 すぐにアリーチェの異変に気づいた侍女が声をかけてくるが、返事をすることもままならない。

「アリーチェ様⁉ アリーチェ様……⁉」

 胸が締め付けられ、あまりの苦しさに口を開けても空気を吸えず、頭まで激しく痛み出す。

「……ぁ……」
「誰か……っ! お嬢様が……っ!」

 どこか遠く侍女の叫びを聞きながら、アリーチェはか細い吐息をらし、意識を手離していた。


 そうしてふと目を覚ました時。そこには、心配そうにアリーチェの顔をのぞき込む王太子の姿があった。

「ハインツ様……⁉」

 アリーチェの婚約者であるハインツ・ローゼンバーグは、少し襟足の長い青い髪に金色の瞳をした美丈夫で、その精悍せいかんな容姿から女性たちの人気が高かった。

「私……⁉」

 見覚えのありすぎる光景は、アリーチェが自室のベッドに寝かされていることを意味していた。
 いくら婚約関係にあるとはいえ、今までハインツがアリーチェの部屋まで来たことはない。

「いいからアリーチェ……!」

 自分の身になにが起こったのかはわからないが、とにかく慌てて起き上がろうとするアリーチェを、こちらも慌てた様子のハインツがベッドへ押し戻してくる。

「君は倒れて……、丸一日意識がなかったんだ」
「え……?」

 アリーチェを気遣ってか、言いにくそうに口を開いたハインツの状況説明に、アリーチェの瞳は呆然ぼうぜんと見開いた。

「そう……、なのですか……」

 病み上がりのような倦怠けんたい感は少しあるけれど、身体からだのどこかに異常を感じたりはしていない。だが、さすがに丸一日意識を失っていたという事実は衝撃で、アリーチェは緩慢な動きでベッドサイドの椅子に座ったハインツの顔を見上げた。

「……どうしてこちらへ……」

 いくら婚約者だからとはいえ、ハインツは王太子。そう簡単に自由はきかない。昨日も今日も、分刻みのスケジュールが組まれているはずで……、などと考えて、アリーチェはハッとなる。
 ハインツは、アリーチェの意識が丸一日なかったと言っていた。つまりは。

「パーティーは……っ⁉」
「そんなことはいいから」

 真っ青になって身体からだを起こそうとするアリーチェを、困ったように微笑ほほえんだハインツが再びベッドへ押し戻してくる。

「まさか、欠席されたのですか……⁉」
「アリーチェ。今はいいから」

 事態が事態だ。婚約者パートナーがいなくともパーティーに参加することはできるだろうが、まさかと愕然がくぜんとするアリーチェに、ハインツは心配そうに眉を下げた。

「……それよりも、身体からだは大丈夫かい? 突然倒れた、って聞いたけれど……」
「……あ……、はい……。とりあえず今はなんとも……」
「……そうか」

 どことなく歯切れ悪く声をかけてきたかと思えば、気まずそうに顔を背けられ、アリーチェの胸には妙な不安感が湧き上がる。

「ハインツ様……?」

 なにか……? とおずおずとうかがえば、ハインツはきゅ、と唇をみ締めた。

「……私が贈った首飾りを着けた直後に倒れたと聞いて」
「それは……」

 そんなことで責任を感じているのだろうか。
 まさかそのせいで忙しい公務の合間を縫ってアリーチェの元へ顔を出したのかと思えば、申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。そして、それと同時に首飾りのお礼をしなければと口を開きかけた時。

「……私は、君になにも贈っていないんだ」
「……え?」

 ハインツから告げられた言葉に、アリーチェは一瞬固まった。

「君が眠っている間にマクラーゲン公に許可を得て、私が送ったという手紙を見せてもらった」

 理解が追いつかずに二、三度瞳を瞬かせたアリーチェに、ハインツが静かな口調で説明を始める。

「たしかにアレは私の字だ」

 アリーチェもたしかにハインツの直筆だと認識した、少しだけ癖のある綺麗な字。

「だが」

 そこで苦々しげに表情かおゆがめ、アリーチェに向かってハインツははっきりと断言した。

「私には書いた覚えがない」

 その言葉は静かな室内に妙に響き、アリーチェはやはり固まった。

「とりあえずあの手紙は預かって、鑑定に回してもいいかな?」
「は、はい……」

 動揺のあまりなにかを考える余裕もなく、アリーチェはただうなずいた。

「で、では、あの首飾りは……」

 あの手紙は、王太子であるハインツの名で届けられた首飾りに添えられていたものだ。つまり、手紙が偽物であるというのなら、首飾りの贈り主もハインツではないということになるが……

「……私の名前をかたって君に害をなそうとする者がいた、ということだ」

 ゆっくりと。だが、はっきりと告げられた言葉に、アリーチェの顔からは血の気が引いていく。

(……だ、から……)

 そこでアリーチェは、あの首飾りがパーティー当日に贈られてきたことの意味を理解した。
 ドレス選びのことを考えれば、普通は当日に身に着ける装飾品をその日に送ってくるなどありえない。だが、誰かが故意に送ってきたものだというのならば説明がつく。
 時間的猶予がある場合、アリーチェがハインツへお礼の手紙でもしたためようものならば、贈り主が別人だということが露見してしまうからだろう。

「……まさか、そんなことが……」

 呆然ぼうぜんつぶやくアリーチェにハインツは無言になり、そのなんとも奇妙な横顔に、心臓がドクドクと冷たく鳴り響く。

「……どうか……、したのですか?」
「それから……君の、胸元に……」
「……胸元……?」

 顔を合わせることもなくぽつりと返されたハインツの言葉に、アリーチェは自分の胸元へ目を落とす。
 侍女が着替えさせてくれたのだろう。ゆったりとしたナイトドレスの胸元からは当然例の装飾品は消えていて、だからといって特に違和感のようなものもない。だが。

「ごめん。医師と一緒にそこだけ確認してしまった」

 ぐ、と息をんだハインツは、申し訳なさそうに謝罪してから、言いにくそうに口を開く。

「……なにかの文様が浮かんでいるんだ」
「……文、様……?」

 アリーチェは愕然がくぜんとハインツの言葉を反芻はんすうした。
 一体自分の身になにが起こり、なにを言われているのか理解できなかった。

「今、秘密裏に国中の高位魔術師を集めさせている」

 なぜ、魔術師を――、しかも高位の者を呼び寄せる必要があるというのだろう。
 もはやハインツの言葉はアリーチェの頭に入らず、呆然ぼうぜんと先の話を耳にする。

「まだ、これは憶測の段階でしかないけれど……」

 ドクドクと嫌な音が鼓動を刻み、指先が冷たくなった。

「宮廷魔術師の話によると……、その……」
「……なんですか?」

 先を促すアリーチェが緩慢な動作で顔を上げたのは、もはや反射によるものだ。

「……それは、〝呪い〟の類だろうと……」
「……〝呪、い〟……?」

 一瞬その言葉の意味が理解できず、けれど脳のどこかはその意味を理解しているのか、アリーチェはただただ呆然ぼうぜんと青白い顔をしたハインツの横顔を見つめた。
 アリーチェの胸元に刻まれた印は、毒々しい華模様の呪い。
 なんの呪いかもわからないそれに、アリーチェは再び意識を失いそうになっていた。


 アリーチェは、一風変わった伯爵家出身の母親と、そんな母親を溺愛する、現マクラーゲン公爵家当主である父親の元に生まれた。仲のいい両親から充分な愛情を注がれて、これまた充分すぎる教育を受けてすくすく育ったアリーチェが王太子の婚約者に選ばれたのは、今から五年前の十五の時。
 恋愛結婚をした両親は――特に母親のほうは――渋い顔をしたものの、アリーチェはなんの不満もなく王太子の婚約者という立場を受け入れた。
 なぜなら、アリーチェほど王太子妃に、そして未来の王妃として相応ふさわしい令嬢はいないという自負があったから。
 愛し合って結婚をした両親を見ていると、王太子と自分がそんなふうになれるとはとても思えなかったが、それでもそれなりに仲は良かった。恋人同士というよりは仕事上のよきパートナーであり理解者、というような関係に近かったが、特に不満を感じたこともない。アリーチェの両親が少し変わっているだけで、本来高位貴族の婚姻など、政略的な意味合いが強い、当人同士の意思など関係ないものだ。
 だから、このまま順調に王太子妃となり、ゆくゆくは王妃となって共に国を導いていくのだと信じて疑っていなかった。
 ――そう。この事件が起こるまでは。


「婚約を、解消……?」
「……そうは言っていない」

 ここは、国王との謁見室。アリーチェが呆然ぼうぜんらしたつぶやきに、ハインツの父である国王は、額に気難しげなしわを寄せていた。

「ですが、つまりはそういうことでしょう?」
「……アリーチェ」

〝婚約解消〟という言葉をオブラートに包んだ遠回しな言い方ではあったものの、結論はそう言っているようなものだとはっきり告げたアリーチェに、隣に立ったハインツは苦虫をみ潰したような表情かおになる。

「私も、こんな形での婚約解消は望んでいない。だから、できることなら君を待ちたいと……」
「ハインツ」

 きゅ、と眉を寄せたハインツの言葉を遮ったのは、彼の父親である国王だ。

「父上……っ! 今まで私の婚約者として懸命に仕えてくれたアリーチェに対してのこの仕打ち……っ、あんまりです!」

 将来の王太子妃として、婚約が決まった時から、アリーチェは日々王宮に通い、ハインツの補佐的役目を担って今日まで過ごしてきた。そんなアリーチェをこんなふうに簡単に切って捨てるのかと訴えるハインツに、国王の苦々しげな顔が向けられる。

「ハインツ。気持ちはわかる。だが」
「父上っ」

 鋭く自分を射貫いぬく息子の視線にますます苦渋の表情を浮かばせて、それでも国王は言い切った。

「だが、呪い持ちの娘をこのままお前のきさきにすることはかなわん」

 そう――、アリーチェの身体からだの中には今、〝呪い〟が巣食っている。
 このせいで今、アリーチェは国王から婚約者の立場を辞退してほしいと遠回しに告げられていたのだ。

「ですから、解呪を待つと……!」
「魔術師全員がさじを投げた、どんなものかもわからない呪いが解けるのを、か?」

 国王に食ってかかりかけたハインツは、まず無理だろうという厳しい瞳を前にして言葉をみ込んだ。
 アリーチェにかけられた呪いを解くために呼ばれた高位魔術師たちは何人いただろうか。王家お抱えの魔術師から名の知れた魔術師まで、その全員が呪いの種類すらわからず降参した。
 そんな未知の呪いをどうやったら解けるというのだろう。そして、呪いの中身がわかったとしても、果たしてそれを解ける者がいるだろうか。

「……で、すが……」
「ハインツ様。私は大丈夫ですからお気になさらず」
「っ、アリーチェ……!」

 悔しげに唇をみ締めたハインツに、アリーチェが背筋を伸ばして気丈にも微笑ほほえんでみせれば、その顔は苦しげにゆがんだ。

「陛下の言う通りです。解呪できるかできないかの問題の前に、どんな呪いをかけられているかわからない者を王太子である貴方あなたそばに置いておくことはできないでしょう」

 アリーチェが呪われていることがわかっても、その呪いの中身がわからない。呪いの対象がアリーチェ一人であればいいが、もし、万が一にも周りを巻き込むようなものであったなら。
 アリーチェが王太子の婚約者であることは誰もが知っている。もしかしたら、アリーチェを使って王太子や国王に害をなそうと考えている者の仕業であるかもしれないのだ。そんな人間を、王族のそばに置いておくわけにはいかないだろう。

「……アリーチェ殿……。すまない」
「いえ……」

 理解に感謝する、とでも言いたげな国王に、アリーチェは小さくかぶりを振った。
 誰からも見えない位置でぎゅっと拳を作って一度唇を引き締める。
 これは、アリーチェの本意ではない。本当は悔しくて悔しくてたまらない。
 だが、ここで大騒ぎすることはアリーチェの矜持きょうじが許さない。だから。

「今までお世話になりました。荷物をまとめて実家に下がらせていただきます」

 筆頭公爵家の令嬢として相応ふさわしい美しい礼を執り、アリーチェは颯爽さっそうと部屋を出たのだった。

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