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本編
第十八話 可愛いなんて言わないで
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机に向かって作業をしているクロムの傍で、アリーチェはいつものように読書を楽しんでいた。
ただ、昨日までと違うことが一つだけあって、アリーチェがちらりちらりとクロムの顔を盗み見ていると、それに気づいたクロムが顔を上げ、眼鏡の奥から優しい瞳を返してくれるようになった。
「……!」
特になにかを話すでもない。
ただ数秒視線を交え、クロムの意識はすぐにまた手元の作業に戻っていく。
けれどそれだけのことでアリーチェの顔は仄かに赤くなり、なにやらくすぐったい気持ちにさせられる。
これは一体なんだろうか。
「……なぁ」
と、そこでふいに近くの机で作業をしていた青年が声をかけてきて、アリーチェとクロムはほぼ同時に顔を上げた。
「?」
「なんです?」
なぁに? とでも言いたげに首を傾げたアリーチェと、不思議そうな目をしたクロムはどこか似たような空気感を漂わせていて、青年の表情は怪訝そうに顰められる。
「……お前ら、もしかして……、ヤっちゃった?」
“ヤってしまった”とは。
「――っ!?」
下衆な言い方ではあるものの、言われていることの意味くらいはアリーチェにもわかる。
「な……、ななななな……!?」
全く動じることなくある意味無表情を貫いているクロムの横で、真っ赤になったアリーチェは驚きと動揺で唇を震わせる。
研究施設であるこの建物はかなりしっかりとした作りをしているが、彼らが私室として寝泊まりしている個々の壁などまではそうではない。
そんな部屋で、昨夜、アリーチェはどんな声を上げていただろうか。
周りの部屋の住人たちに丸聞こえだったのかと激しく動揺するアリーチェへ、けれどクロムからは淡々とした声が返ってくる。
「俺の部屋は防音になっているので大丈夫です」
「…………“防音”?」
意味自体はわかるものの、なぜそんなことになっているのかはわからずに、アリーチェはきょとん、と言われた言葉を反芻する。
防音されているということであれば、昨夜アリーチェとクロムの間で起こった出来事は外に洩れたりしていないということだけれど……。
「以前、部屋で解体作業をしていたら煩いと文句を言われたので」
「……なるほど」
私室で大きな音を立てて怒られて以来、壁に防音の魔道具を取り付けてあるのだと説明され、アリーチェは素直に納得した。
だが、その一方で。
「……ふ~ん……?」
「なんですか」
クロムとアリーチェへ交互に意味深な視線を向けてくる青年へ、クロムの静かな瞳が返される。
青年にとって、ここで問題視されるのは、クロムの部屋がいつの間にか防音になっていたことなどではない。
それらの二人の会話から、青年がもっとも気になったことは。
「じゃあやっぱり、外に声が洩れたらまずいようなことを……」
「……っ!?」
外に音が聞こえることを心配するということは、つまりは聞かれてはならないような物音をさせていたということで、じっとりと窺うような視線を向けてくる青年へ、アリーチェは眉を引き上げて咄嗟に口を開く。
「それ以上言ったらもうご飯作りませんよ!?」
「……ぐ……っ」
真っ赤な顔でぴしゃりと言い放てば、それはアリーチェが思う以上の効果をもたらしたらしい。
「それは困る!」
一瞬言葉に詰まった青年はすぐに真剣な顔つきになり、アリーチェは羞恥から少しだけ潤んだ瞳で有無を言わせず睨み付ける。
「だったら黙ってください」
「はい!」
きゅっ、と唇を引き結んだ青年は、これ以上アリーチェの怒りを買ってなるものかとばかりに先ほどまでの作業へ戻っていく。
が、今度は少し離れた位置で三人の遣り取りを黙って眺めていた中年の男性が、そんなアリーチェを見つめてぽつりとした呟きを零していた。
「……お嬢様はなにげに男を尻に敷くタイプか……」
「!」
なぜだかイラッとして鋭い視線を投げれば、それを受けた男性は「やれやれ」と肩を竦めて吐息を零す。
そこへ。
「そうですか? すごく可愛い女性だと思いますけど」
「!」
ふいに横から聞こえた声に、アリーチェの瞳は大きく丸くなった。
その発言をしたのはもちろんクロムだ。
「へ!?」
と、作業に戻ったはずの青年からは素っ頓狂な声が上がり、信じがたいものを見るかのようにクロムを凝視する。
だが、当のクロムは涼しい顔をしたままで、己の発言の異様性を理解してはいないようだった。
「……へいへい。御馳走さま……」
それから、苦虫を嚙み潰したような表情で「胸焼けでも起こしそうだぜ……」と洩らしたのは中年男性だ。
「馬に蹴られるのは御免だから勝手にやっててくれ」
あとにはただ、微妙な空気が流れるだけ。
「……ク、クロム……?」
このむず痒い感じは一体なんだろうか。
じわじわと顔が熱を持ち、なぜかクロムをしっかり見られなくなってしまったアリーチェは、ちらりと盗み見るような視線を投げる。
「なんです?」
表情を一切崩さないクロムが恨めしくなってしまうのはなぜなのだろう。
“可愛い”などと、そんな恥ずかしいことを口にしておきながら。
クロムは決して無表情というわけではないものの、これはこれで一種のポーカーフェイスではないだろうか。
「可愛いですよ? 意外と甘えたで素直で」
「な……っ?」
こちらは意外にもわかりやすい反応をするアリーチェの表情を読み取ったのか、きょとん、と事もなげに告げてくるクロムに、アリーチェはぱくぱくと口を泳がせる。
「ご飯、食べさせてくれますし」
「!」
結局結論はそこなのか。
「いつもありがとうございます」
そこであっさりとお礼を口にされ、どうにも居たたまれなくなったアリーチェは、思わずぷい、と目を逸らす。
「……ど、どういたしまして……っ」
どんな心境の変化だろうか。きょうのクロムはよく喋る。否、よくよく考えてみれば、クロムは無口というわけでもない。
研究に夢中になると少しだけ周りが見えなくなるだけで、机に向かっている時でも話しかければきちんと答えてはくれていた。ただ、アリーチェの方が、邪魔をしたら悪いと距離を取っていただけのこと。
ある意味クロムの方は、最初から無遠慮だった気さえする。
「……あの……、クロム?」
「はい」
今であればずっと聞いてみたかったことを聞ける気がして声をかければ、クロムは案の定あっさり顔を上げてきて、アリーチェはおずおずと口を開く。
「……なにか、好きな食べ物とか……、ある?」
全然大した話ではないが、それでもずっと気になっていたことだ。
暇を持て余していることもあり、最近は割と手の込んだものも作るようになっていた。やってみると案外、料理をすることは嫌いではないらしいことに気づかされた。
だが、その一方で、毎回メニューを考えることに頭を悩まされていたりするのだ。
せっかくならば、クロムの食べたいものをリクエストしてもらえるならば助かるかもしれない。
「……そうですね……。貴女が作るものはなんでも美味しいですけど」
「!」
そこで考える素振りをするクロムに、アリーチェは真っ赤になって言葉を失った。
きちんと考えてくれること自体が驚きだが、それよりもなによりも。
(天然なの!?)
クロムが口にした言葉に驚愕する。
”なんでも美味しい”なんて。
今までなにを口にしても、美味しいとも不味いとも、表情を変えることすらなかったというのに。
魔法石の分析に夢中で、味なんて気にもしていないと思っていたのに。
それが、“アリーチェが作るものはなんでも美味しい”なんて。
(今さら褒めたってなにも出ないわよ……!?)
なんだか身体中がむずむずして、緩みそうになる表情筋を懸命に引き締めていると、ふとなにかを思い立ったらしいクロムがぽつりと口を開く。
「……ミートパイ」
「え?」
「幼い頃に食べて感動した覚えがあって」
過去へ思いを巡らせるように呟いたクロムは、そっとアリーチェへ視線を投げてくる。
「また食べてみたいな、と」
その頃と味覚が同じかどうかはわからないけれど、小さな頃に食べて以来食べた記憶がないのだと言って、クロムの赤い瞳が真っ直ぐアリーチェを見つめた。
「作れます?」
「っ、作ったことはないけど……っ」
この感覚は本当になんだろう。
作ったこともなければレシピも知らないと、そう突っぱねることもできるのに。
「今度、挑戦してみるわ……っ」
つい、そう言ってしまうのは。
(……っだって……!)
暇を持て余しているから。
やってみたら、案外料理にはまってしまったから。
どうせなら、“好き”と言ってもらえるものを作りたいから。
言い訳なんて山ほどある。
――“クロムが好きだと言うのなら”なんて。
そんな可愛い理由なんかじゃない。
「ほら、そういうところです」
僅かな苦笑を覗かせたクロムに、アリーチェはきょとん、とした瞳を返す。
“そういうところ”とは。
なんの話だろうと瞳を瞬かせるアリーチェへ、クロムは口元を可笑しそうに緩ませた。
「可愛い」
「っ!」
それは。
――『可愛いですよ? 意外と甘えたで素直で』
先ほどの遣り取りに話が戻ったのだと気づき、アリーチェの顔は一気に沸騰した。
恥ずかし気もなく、というよりも、クロムのこれは空気を読んだり物事をオブラートに包むことができない、変人研究オタク特有の性質から来ているものだろう。
(なによなによなによ……! クロムのくせに……!)
にも関わらず、嬉しいと思ってしまう自分が悔しすぎて、アリーチェは真っ赤になったまま唇を噛み締める。
ありとあらゆる賛辞など言われ慣れているはずなのに、どうしてこれほど恥ずかしいと思うのか。
(変人研究オタクのくせに……!)
わかっている。今まで、“公爵令嬢”で“王太子の婚約者”であるアリーチェに向けられてきた賛辞はみな、表面上のものでしかないからだ。決して本音ではなく、腹の探り合いをするためのもの。
けれど、クロムは違う。
アリーチェに媚びを売る必要などどこにもないクロムがお世辞を言う必要はどこにもない。
つまり、クロムが口にする言葉は紛れもない真実なのだ。
「……か、可愛くなんてないわよ……!」
そう……。こんなふうに素直になれずについ怒ったように顔を背けてしまうアリーチェが可愛いなんてはずがない。
それなのに。
「? そうですか?」
しら、と首を傾げたクロムに不思議そうに尋ねられ、アリーチェはますます赤くなると絶句したのだった。
ただ、昨日までと違うことが一つだけあって、アリーチェがちらりちらりとクロムの顔を盗み見ていると、それに気づいたクロムが顔を上げ、眼鏡の奥から優しい瞳を返してくれるようになった。
「……!」
特になにかを話すでもない。
ただ数秒視線を交え、クロムの意識はすぐにまた手元の作業に戻っていく。
けれどそれだけのことでアリーチェの顔は仄かに赤くなり、なにやらくすぐったい気持ちにさせられる。
これは一体なんだろうか。
「……なぁ」
と、そこでふいに近くの机で作業をしていた青年が声をかけてきて、アリーチェとクロムはほぼ同時に顔を上げた。
「?」
「なんです?」
なぁに? とでも言いたげに首を傾げたアリーチェと、不思議そうな目をしたクロムはどこか似たような空気感を漂わせていて、青年の表情は怪訝そうに顰められる。
「……お前ら、もしかして……、ヤっちゃった?」
“ヤってしまった”とは。
「――っ!?」
下衆な言い方ではあるものの、言われていることの意味くらいはアリーチェにもわかる。
「な……、ななななな……!?」
全く動じることなくある意味無表情を貫いているクロムの横で、真っ赤になったアリーチェは驚きと動揺で唇を震わせる。
研究施設であるこの建物はかなりしっかりとした作りをしているが、彼らが私室として寝泊まりしている個々の壁などまではそうではない。
そんな部屋で、昨夜、アリーチェはどんな声を上げていただろうか。
周りの部屋の住人たちに丸聞こえだったのかと激しく動揺するアリーチェへ、けれどクロムからは淡々とした声が返ってくる。
「俺の部屋は防音になっているので大丈夫です」
「…………“防音”?」
意味自体はわかるものの、なぜそんなことになっているのかはわからずに、アリーチェはきょとん、と言われた言葉を反芻する。
防音されているということであれば、昨夜アリーチェとクロムの間で起こった出来事は外に洩れたりしていないということだけれど……。
「以前、部屋で解体作業をしていたら煩いと文句を言われたので」
「……なるほど」
私室で大きな音を立てて怒られて以来、壁に防音の魔道具を取り付けてあるのだと説明され、アリーチェは素直に納得した。
だが、その一方で。
「……ふ~ん……?」
「なんですか」
クロムとアリーチェへ交互に意味深な視線を向けてくる青年へ、クロムの静かな瞳が返される。
青年にとって、ここで問題視されるのは、クロムの部屋がいつの間にか防音になっていたことなどではない。
それらの二人の会話から、青年がもっとも気になったことは。
「じゃあやっぱり、外に声が洩れたらまずいようなことを……」
「……っ!?」
外に音が聞こえることを心配するということは、つまりは聞かれてはならないような物音をさせていたということで、じっとりと窺うような視線を向けてくる青年へ、アリーチェは眉を引き上げて咄嗟に口を開く。
「それ以上言ったらもうご飯作りませんよ!?」
「……ぐ……っ」
真っ赤な顔でぴしゃりと言い放てば、それはアリーチェが思う以上の効果をもたらしたらしい。
「それは困る!」
一瞬言葉に詰まった青年はすぐに真剣な顔つきになり、アリーチェは羞恥から少しだけ潤んだ瞳で有無を言わせず睨み付ける。
「だったら黙ってください」
「はい!」
きゅっ、と唇を引き結んだ青年は、これ以上アリーチェの怒りを買ってなるものかとばかりに先ほどまでの作業へ戻っていく。
が、今度は少し離れた位置で三人の遣り取りを黙って眺めていた中年の男性が、そんなアリーチェを見つめてぽつりとした呟きを零していた。
「……お嬢様はなにげに男を尻に敷くタイプか……」
「!」
なぜだかイラッとして鋭い視線を投げれば、それを受けた男性は「やれやれ」と肩を竦めて吐息を零す。
そこへ。
「そうですか? すごく可愛い女性だと思いますけど」
「!」
ふいに横から聞こえた声に、アリーチェの瞳は大きく丸くなった。
その発言をしたのはもちろんクロムだ。
「へ!?」
と、作業に戻ったはずの青年からは素っ頓狂な声が上がり、信じがたいものを見るかのようにクロムを凝視する。
だが、当のクロムは涼しい顔をしたままで、己の発言の異様性を理解してはいないようだった。
「……へいへい。御馳走さま……」
それから、苦虫を嚙み潰したような表情で「胸焼けでも起こしそうだぜ……」と洩らしたのは中年男性だ。
「馬に蹴られるのは御免だから勝手にやっててくれ」
あとにはただ、微妙な空気が流れるだけ。
「……ク、クロム……?」
このむず痒い感じは一体なんだろうか。
じわじわと顔が熱を持ち、なぜかクロムをしっかり見られなくなってしまったアリーチェは、ちらりと盗み見るような視線を投げる。
「なんです?」
表情を一切崩さないクロムが恨めしくなってしまうのはなぜなのだろう。
“可愛い”などと、そんな恥ずかしいことを口にしておきながら。
クロムは決して無表情というわけではないものの、これはこれで一種のポーカーフェイスではないだろうか。
「可愛いですよ? 意外と甘えたで素直で」
「な……っ?」
こちらは意外にもわかりやすい反応をするアリーチェの表情を読み取ったのか、きょとん、と事もなげに告げてくるクロムに、アリーチェはぱくぱくと口を泳がせる。
「ご飯、食べさせてくれますし」
「!」
結局結論はそこなのか。
「いつもありがとうございます」
そこであっさりとお礼を口にされ、どうにも居たたまれなくなったアリーチェは、思わずぷい、と目を逸らす。
「……ど、どういたしまして……っ」
どんな心境の変化だろうか。きょうのクロムはよく喋る。否、よくよく考えてみれば、クロムは無口というわけでもない。
研究に夢中になると少しだけ周りが見えなくなるだけで、机に向かっている時でも話しかければきちんと答えてはくれていた。ただ、アリーチェの方が、邪魔をしたら悪いと距離を取っていただけのこと。
ある意味クロムの方は、最初から無遠慮だった気さえする。
「……あの……、クロム?」
「はい」
今であればずっと聞いてみたかったことを聞ける気がして声をかければ、クロムは案の定あっさり顔を上げてきて、アリーチェはおずおずと口を開く。
「……なにか、好きな食べ物とか……、ある?」
全然大した話ではないが、それでもずっと気になっていたことだ。
暇を持て余していることもあり、最近は割と手の込んだものも作るようになっていた。やってみると案外、料理をすることは嫌いではないらしいことに気づかされた。
だが、その一方で、毎回メニューを考えることに頭を悩まされていたりするのだ。
せっかくならば、クロムの食べたいものをリクエストしてもらえるならば助かるかもしれない。
「……そうですね……。貴女が作るものはなんでも美味しいですけど」
「!」
そこで考える素振りをするクロムに、アリーチェは真っ赤になって言葉を失った。
きちんと考えてくれること自体が驚きだが、それよりもなによりも。
(天然なの!?)
クロムが口にした言葉に驚愕する。
”なんでも美味しい”なんて。
今までなにを口にしても、美味しいとも不味いとも、表情を変えることすらなかったというのに。
魔法石の分析に夢中で、味なんて気にもしていないと思っていたのに。
それが、“アリーチェが作るものはなんでも美味しい”なんて。
(今さら褒めたってなにも出ないわよ……!?)
なんだか身体中がむずむずして、緩みそうになる表情筋を懸命に引き締めていると、ふとなにかを思い立ったらしいクロムがぽつりと口を開く。
「……ミートパイ」
「え?」
「幼い頃に食べて感動した覚えがあって」
過去へ思いを巡らせるように呟いたクロムは、そっとアリーチェへ視線を投げてくる。
「また食べてみたいな、と」
その頃と味覚が同じかどうかはわからないけれど、小さな頃に食べて以来食べた記憶がないのだと言って、クロムの赤い瞳が真っ直ぐアリーチェを見つめた。
「作れます?」
「っ、作ったことはないけど……っ」
この感覚は本当になんだろう。
作ったこともなければレシピも知らないと、そう突っぱねることもできるのに。
「今度、挑戦してみるわ……っ」
つい、そう言ってしまうのは。
(……っだって……!)
暇を持て余しているから。
やってみたら、案外料理にはまってしまったから。
どうせなら、“好き”と言ってもらえるものを作りたいから。
言い訳なんて山ほどある。
――“クロムが好きだと言うのなら”なんて。
そんな可愛い理由なんかじゃない。
「ほら、そういうところです」
僅かな苦笑を覗かせたクロムに、アリーチェはきょとん、とした瞳を返す。
“そういうところ”とは。
なんの話だろうと瞳を瞬かせるアリーチェへ、クロムは口元を可笑しそうに緩ませた。
「可愛い」
「っ!」
それは。
――『可愛いですよ? 意外と甘えたで素直で』
先ほどの遣り取りに話が戻ったのだと気づき、アリーチェの顔は一気に沸騰した。
恥ずかし気もなく、というよりも、クロムのこれは空気を読んだり物事をオブラートに包むことができない、変人研究オタク特有の性質から来ているものだろう。
(なによなによなによ……! クロムのくせに……!)
にも関わらず、嬉しいと思ってしまう自分が悔しすぎて、アリーチェは真っ赤になったまま唇を噛み締める。
ありとあらゆる賛辞など言われ慣れているはずなのに、どうしてこれほど恥ずかしいと思うのか。
(変人研究オタクのくせに……!)
わかっている。今まで、“公爵令嬢”で“王太子の婚約者”であるアリーチェに向けられてきた賛辞はみな、表面上のものでしかないからだ。決して本音ではなく、腹の探り合いをするためのもの。
けれど、クロムは違う。
アリーチェに媚びを売る必要などどこにもないクロムがお世辞を言う必要はどこにもない。
つまり、クロムが口にする言葉は紛れもない真実なのだ。
「……か、可愛くなんてないわよ……!」
そう……。こんなふうに素直になれずについ怒ったように顔を背けてしまうアリーチェが可愛いなんてはずがない。
それなのに。
「? そうですか?」
しら、と首を傾げたクロムに不思議そうに尋ねられ、アリーチェはますます赤くなると絶句したのだった。
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