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本編

第十九話 プロポーズ?①

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 研究施設には、長期保存を可能にするための大きな冷凍庫が完備されていた。
 しかも、それを解凍するために使うという特殊な魔道具は、クロムが使用用途を解析した古代魔道具の一つだというのだから驚きを通り越して呆れてしまう。
 使用方法も用途も不明な古代魔道具はある意味ガラクタと同じだが、その希少性と可能性から国宝級の扱いをされているから、本来はこんなところで無造作に使われていていいものではない。
 だが、“研究対象”であることを建前に、名目上は研究施設で“保管”されている状態だ。
 ……現実は、横着をして料理をしない研究員たちが、冷凍しておいた食べ物を解凍して食べるために日々活躍しているけれど。
 そしてアリーチェも、その恩恵を過分に受けながら料理の腕を上げていた。
 本日のメニューはクロム所望のミートパイ。ミートソースはグラタンにもラザニアにも応用が効くため、たっぷり作ってしっかり冷凍保存しておいた。
 味を損なうことなく解凍できるなら、ミートソースはまた後日活躍することになるだろう。
「……クロム。付いてる」
 クロムが自分で食べている姿を見るのは初めて……、かもしれない。
 場所は相変わらず食堂ではなく研究机に向かいながら、ではあるものの、解析を続けつつ片手に持ったミートパイに齧り付いているクロムに、アリーチェは呆れた目を向ける。
「ふぇ?」
 口をもごもごしながら顔を上げるクロムには、子供ではないのだからと溜め息が零れてしまう。研究のこと以外、本当に無頓着で手がかかる。
「そこじゃなくて」
 どうしたらそうことになるのかわからないが、アリーチェは仕方なくハンカチーフを持った手を伸ばす。
 いくら口周りを綺麗にしようと、頬に付いたミートソースは拭えない。
 本当に、なぜ。どうしたらそんなところにミートソースを付けることができるのだろう。
「ありがとうございます」
 大人しく頬を綺麗にされたクロムは、すぐにまた顕微鏡らしきものを覗き込みながらミートパイに齧り付く。
 ミートソースが机に置かれた例の魔法石に零れたら……、今度はクロムまで呪われたりしないだろうか。考えてみれば、どんなに曰くつきの魔法石だろうが、希少で高価な魔法石に対する扱いがぞんざいすぎやしないだろうか。
「……どう?」
 声をかけても邪魔ではないだろうか。
 そんなことを考えながら問いかければ、クロムの瞳がじ、とアリーチェを見つめてくる。
「どう、とは?」
 そのままアリーチェへ留まる視線に、なぜか僅かな動揺が湧いた。
「……初めて作ったから」
 ミートソースを作ったことはあるが、パイ生地は初めてだ。自分でも味見はして、素人にしては上出来だと思っているが、上手く焼けているだろうか。
 研究員たちの誰よりも、クロムの反応が気になって堪らない。アリーチェの作ったミートパイは、幼い頃の記憶のまま、果たしてクロムの口に合っただろうか。
「美味しいです」
「!」
 ドキドキと評価を待つアリーチェへ、相変わらず冷静なクロムの顔が向けられる。
「お料理、上手ですね」
 淡々とした口調からは、それがお世辞なのか本音なのか全く読み取れないにも関わらず、思わずドキリとしてしまうのはどうしてなのだろう。
「……ふ、普通よ……っ」
「そうですか?」
 可愛くない態度でぷい、と視線を逸らすアリーチェへ、クロムはコトリと首を傾けた。
「少なくとも俺は、ここ数年で食べた中で一番美味しいと思いましたけど」
「……っ、それは……」
 素直に褒められていると取ればいいのか困惑する。
 そもそも、今まで食べていた料理のレベルが低すぎる。それと比べて“一番美味しい”などと評価されたとしても……。などと思いかけ、真っ直ぐ向けられるクロムの瞳と目が合って、アリーチェは諦めたように肩を落とす。
「クロムはなにげに人を喜ばせるのが上手いわね」
 なんだかうだうだと考えることが馬鹿らしくなってしまった。
 クロムはきっと、特になにも考えていない。ならばその言葉を素直に受け入れればいいのだ。
 そう思い直して苦笑いを返せば、クロムの目が不思議そうに丸くなる。
「……嬉しい……、んですか?」
「!」
 クロムに“美味しい”と言われて喜んでしまったことをうっかり指摘され、一瞬赤くなって言葉に詰まったアリーチェは、次にツン、とした態度で開き直る。
「手料理を褒められて嬉しくない人なんていないと思うわ……っ」
 これはアリーチェに限ったことではなく、ただの事実で一般論。
「そうですか」
 可愛くない態度を返すアリーチェの耳は赤く染まっていて、いつもの淡々とした独特な雰囲気で頷いたクロムは、にこりともせずに先を続ける。
「本当に、美味しいです」
「!」
 とても感情がこもっているとは思えない声色だというにも関わらず、それが本心からきていると感じられるのはなぜなのだろう。
「これからも食べさせてください」
 クロムはお世辞も嘘も口にしない。
 だからその想いは本物だ。
「……っ、仕方ないわね……!」
 なんだか胸の中があたたかくてむず痒くて。つい尊大な態度で承諾してしまったアリーチェだが、その瞬間、室内の空気が一変した。
「え。まじで!?」
「これからもずっと!?」
 驚きと喜びの混じった声を次々と上げるのは、同室で作業をしていた研究員たちだ。
「なになに!? 今のプロポーズ!?」
「結婚!? 結婚するの!?」
 わくわくと向けられる期待の声に、わけがわからず困惑する。
 今のクロムの発言の、どこをどうしたらそういうことになるのだろう。
「な……っ? なに、を、言って……?」
 だが、絶句するアリーチェと相変わらず反応の薄いクロムを無視して、周りはどんどん盛り上がっていく。
「飯!」
「これからも!」
「美味い飯が食える……!」
 結局のところ、彼らの望みはその一点に尽きるらしい。
 以前から、彼らはアリーチェをここへ留めておくためにクロムと結婚してしまえばいいと言っていた。
「クロム! よくやった!」
「ちょ、ちょっとなに言ってるのよ……!?」
 大袈裟にも泣いて喜ぶ研究員たちへ慌てて否定の声を上げるものの、数の勢いには敵わない。
「祝いだ祝いだ!」
「これからも! 美味い飯が食える……!」
 今夜は祝い酒だと騒ぎ出す研究員たちへ、アリーチェの突っ込みが飛ぶ。
「だからそこなの……!?」
 確かに、変わり者の母親からは、男を堕としたければ胃袋を掴めと言われていた。
 けれど、いくらなんでも彼らのこの反応はどうなのか。
「……みなさんの“お母さん”じゃないんですから……」
 そこでさすがに可哀想に思ってくれたのか、珍しくクロムから申し訳程度の咎めの声が上がったものの、それもすぐに研究員たちの熱に呑まれてしまう。
「なに言ってんだお前!」
「そうだそうだ! 自分さえよければいいのか!」
 とうとう「独り占めする気か!」という批難の声まで聞こえてきて、なにをどこから突っ込んだらいいのかわからなくなってくる。
 話がどんどん脱線していっている気がするのはアリーチェの思い違いだろうか。
 とりあえず落ち着こうと、アリーチェは冷めかけたティーカップを傾けた。
 作りたての時にはふわりとした甘いミルクの乗った、アリーチェお手製のミルクティーだ。
 ……と。
「……アリーチェさん」
 じ、とクロムに見つめられ、アリーチェはドキリと胸を高鳴らせる。
 もしかしてもしかしなくとも、クロムに名前を呼ばれるのはこれが初めてではないだろうか。
「な、なに?」
 妙にドギマギしながら返事をすれば、真面目な顔をしたクロムが口を開く。
「付いてます」
「?」
「今飲んだ紅茶のクリームが」
 唇に。と、己の唇を示してみせるクロムに、アリーチェの視線はハンカチーフを求めて彷徨った。
 舌で舐め取ってしまえばそれまでだが、仮にも“公爵令嬢”として育てられた作法がそれを許さない。
 そうしてアリーチェがハンカチーフに手を伸ばした時。
「あ」
「え?」
 ふいに上がったクロムの声に振り向けば、驚くほどの至近距離に迫ったクロムの顔があり、アリーチェの瞳は驚愕で大きく見開いた。
 しかも。
「――っ!?」
 その直後、ぺろり、と唇に触れた感覚に、アリーチェの大きな瞳はさらに限界まで見張られた。
「相変わらず甘いですね」
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