11 / 34
幼少期の章
奇跡が起きたクソゲー
しおりを挟む
20日目の朝。
隣で兄上が寝ていた。
「は?」
「……んん……おはようQ」
「おはようございます? 兄上?」
おはようじゃないです。
もう少しで悲鳴を上げるところだった。
危ない危ない。
まだ眠いのか今にも落ちそうな瞼をなんとか持ち上げて、珍しいふにゃりとした微笑みを向けて来られたけれど。なんと言えばいいのか。
兄上のそんな顔見せられても何も言えない。
このクソゲーは乙ゲーだけども向けられているのはヒロインや画面の向こうの俺たちじゃなく、実の弟なのだから「えっちですねぇ」とはならない。
「Q、早く目を覚ましてくれない? ちょっと発想が気持ち悪くなってるから、お兄ちゃんはそろそろ起きて欲しいかな」
「いつの間にかベットに忍び込んで弟を腕枕している兄上に比べたら俺なんてまだまだですよ」
屋敷では兄上がいつの間にかベットに潜り込んでることはよくあったけども。
流石に王城でもそんなことされるとは思わなかったからビックリし…………王城じゃん。
なんでいるのこの人。
「あ、兄上、いつの間に」
恐怖に震えながら兄上を見ると、
先ほどと同じようにふにゃりとした微笑みを向けられた。
こっわ。
逆に怖い。めちゃくちゃ怖い。
どういう感情の笑顔なんですかそれ。
「此処に着いたのは早朝だよ」
いやそうじゃなくて。
いつの間に気付いたのかを知りたいわけでして。
まさか昨日気付いて今日来たわけではないでしょうし。
「それなら、最初からだよ」
「ひぇ」
にっこり。
濃い二つの紫に視線を射止められてしまい、震えるしかできない弱者はとりあえずベットの上で土下座をした。
「ごめんなさい」
兄上の顔は笑顔のまま、ピクリとも動かなかった。
うん。もうそれが一番怖い。
それから昨日のうちに今日の為にと選んでおいたドレスを着て朝食をとった。
それを見て兄上はいつものように「Qちゃん可愛いね」と言ってきたので軽く流した。
本日は徘徊は無い。
まあ、ちょっと理由があるのだけれど。理由というか用事があるのだけれども。
でも、兄上が来てしまった以上、無理な気がする。
いやしかし避暑はまだあと10日もあるから、ワンチャン顔見に来ただけだとかないかな。すぐ帰ったりしないかな。
……なさそうだな。起こってほしかったな。そんな奇跡。
味の分からなかった朝食を終えると、何も言われずに小脇に抱えられた。
俺が令嬢らしく振舞っていた20日間がこの脳筋兄上から小脇に抱えられたことでパァになった気がする。
というか2歳しか違わないのに。
身長もそんなに違うわけでもないのに。膝の上に乗せられるのはまだ慣れてるからいいが、小脇に抱えられるのはちょっとショックが強い。
そうして俺が1歩も歩くこと無く勉強部屋に到着すると、いつも通りのキーンがこちらを凝視しーー壁の方を向いた。
おい。
そしてコーヒーを飲み干して新聞をたたんでもう一度こっちを見てそっと視線を逸らした。
見てはいけないものを見てしまったみたいなリアクションやめろ。
兄上は幻覚じゃないんだぞ。
落ち着けば消える幻覚とかじゃないから。現実だから。
眉間の皺をほぐしても消えないから。
寝不足による幻覚じゃないから。
「おはよう、キーン」
その言葉に観念したのか深くため息をつき、ゆっくりこちらを向いてから口を開いた。
「……はよ、ジュタ」
そして視線を俺の方にずらして兄上を指さして一言。
「生霊か?」
「なまものです」
残念ながら。
にこにこと笑顔を絶やさない兄上と、顔が青いキーンと恐らく同じくらい顔が青い俺。
誰も口を開かないし、誰も動かないので俺は小脇に抱えられたまま。
せめて座って話をしませんかね。
一旦コーヒーでも何でも飲んで落ち着いてからお話をしませんかね。
なんて思いながらも口に出せない弱者の俺はキーンを見た。
あの時、冗談で「兄上を宥めるのはお願いしますね」なんて言ったけれど、今まさにその時だろ。
どうにか頑張って欲しい。骨は拾うから。
「あー、その。食に困ってるみてぇだったから俺が王城に来いって誘ったんだよ」
あまりにもジッと見すぎたせいか、何かしら伝わったようでキーンはしぶしぶ口を開いてくれた。
ありがとうございます。ありがとうございます。
「だろうね。そんなことだろうとは思っていたよ」
あれ?
思ったリアクションじゃない。
もしかして兄上は怒っていない、のか?
恐る恐る顔を上げて兄上の顔を覗き込むと、相変わらずにこにこしていた。うん。わかんない。
もうちょっと12歳らしく感情を顔に出して。
「キーンには感謝しているよ。君のおかげで可愛いQが飢えずに済んだんだ。今度改めてお礼をさせてくれ」
「い、いや……俺にもメリットはあったしな」
「そう?」
まあ確かにルエリア様から見られる時間が減ったからか、キーンの眉間のシワは心無しか減ったけど。
何故ならルエリア様は恐らく休憩時間をほとんど俺と過ごしてくれているのだから。
まあ、それによってルエリア様は恐らく未だにキーンに『お誕生日おめでとう』の一言も言えていないけれど。
「じゃあ、キーン。Qは連れて帰るから今日までありがとうね」
「あ、ああ」
うっ。だよな。そうなるよな。
キーンがそれでいいのかと俺を見る。
いいわけない。今日は、いやだ。
せめて先週から昨日か明後日か来週なら大丈夫だったのに。
グッと下唇を噛んで押し黙る。
ああ。くそ。
今日だけは、いやだった。
だって、今日はルエリア様と街に行く約束をしている日なのだから。
昨日、キーンが街に行った。
護衛として俺を連れて行く気だったみたいだけど、令嬢を護衛として連れて行くなんて斬新なことは無茶が過ぎるし。そもそも俺は体の弱い婚約者という設定だし。
第一、俺は護衛のやり方なんか知らないから無理。
というわけでお留守番になった。
ちなみに、こっそり城を抜け出して街に出るのかと思ったらそういうわけではないらしい。王族なのに。
それなら視察とかそういうものかと思ったらそういうわけでもないらしい。王族なのに。
でも、街に興味がないわけではない。
一度も行ったことがないから少しだけ興味があるとつい徘徊中に言ってしまったのだ。
そしたら、ルエリア様が誘ってくれた。
きっと偶然街に行く用事があったのだろう。ちょうどいいからお言葉に甘えることにしたというのが経緯だ。
キーンが帰ってきてからその話をしたら「あの人殆ど街に行かねぇのに?」と言われてしまったが偶然だ。偶然。偶然用事があったんだろう。
違うから。俺のために街デートするわけじゃないから。
でも、昨日から楽しみで仕方がなくて。
くるりと回るとスカートがユリの花弁のように広がるピンク色のシンプルなドレスを選んでいて。
クソゲーでしか見たことの無いあの街の実物はどういうものだろうか。花屋はあるのだろうか。
最近、授業をしてくれている先生が『ルエリア様と同じ名前の花があるのですよ』と言って教えてくれた。あの花は、あるのだろうか。
花なんて育てたことはなかったけれど、俺でも育てられるだろうか。
あの雑草を整備するだけの庭師と一緒に育ててみようかな。なんて思いながら寝た。
要はかなり浮かれていた。
そして朝起きて、有頂天から叩き落とされた。
だから。今日はいやだ。
いつもは兄上の言うことなら何でも聞けるのに今日だけはどうしても。
どうしても、ルエリア様と街に行きたい。
小脇に抱えられてぶらぶらしている腕をぎゅっと握り締める。
行きたい。どうしても、行きたい。ごめんなさい兄上。
「……兄上、」
「ん?」
声が震える。
こんなに声を出すのは難しかっただろうか。俺は今までどうやって喋っていたのだろうか。
でも、約束した。街に行こうと。
だからどうかこのささやかなわがままを許してください。
「きょ、うは。街に……行こうと、約束しました……」
震える声でなんとか単語を繋ぎ合わせて目を閉じる。
兄上のリアクションが怖い。
許してくれないかもしれない。
許してくれなかったらどうしよう。
静寂。
外の小鳥の囀りすら聞こえない。
いや、俺が緊張しすぎて何も耳に届いて来ないのかもしれない。
「ルエリア様と? いいよ。約束なら守るべきだからね。行っておいで」
たっぷりの静寂のあと、鼓膜に響いた兄上の声は信じられないほど柔らかくて。
「へ、兄上、良いんですか?」
なんだ、奇跡か?
奇跡が起きたのか?
パチクリと瞬きをするしか出来ない俺を降ろした兄上は、俺のおでこに唇を落とすと
優しい微笑みで言葉を重ねた。
「Qちゃんとっても可愛い。とっても可愛いQちゃんが街に行くなんて心配だけれどルエリア様なら安心した。
いってらっしゃい」
「うんっ! いってきます!」
兄上の頬にキスを返すと、視界の端でキーンが『俺は何を見せられているんだろうか』とでも言いたげな顔をしていたけれどそんなことはどうでもいい。
部屋を飛び出す寸前で自分が淑女であることを思い出したのでそっと部屋を出た。
脳内はもうお祭りだ。
奇跡じゃん!!!
奇跡が起きたんじゃん!!
正直屋敷から出た時点で兄上めちゃくちゃ怒ってると思ってたのに。
クソゲーのジュタの記憶に引っ張られていたんだろうな。
そうだった。兄上はブラコンだけど優しいんだ。
待ち合わせの時間までまだあるので、もう少しメイクをしてもらおうと俺は意気揚々と一度部屋に戻った。
ーーー以下、視点切替ーーー
ー閑話ー
「Qがあんなに無邪気に笑ってる姿なんて初めて見たかな。本当、可愛いなぁ」
「お前……どういうつもりなんだ?」
「ん? 何が?」
「とぼけてんじゃねーよ」
「全く。君の長所は全てを察しておきながら黙ってこちらに踏み込まないでおくところだろ? じゃあ今回も黙ってなよ。これは兄と弟の問題なんだから」
「……テメェのことなんざ俺でも分かるかよ」
「そう? まあ、確かに。君が体を張らないとQのことを見つけられなかったもんな。
じゃあ可哀想なキーンのお喋りに付き合ってあげようかな」
「あの屋敷にはコックどころか一食分くらいしか食料が無かったが?」
「ふふっ、そうだったかなぁ?」
「……お前、一緒に街に出るのがあの人じゃなくて俺だったら止めてただろ」
「勿論。ルエリア様、いいよねぇ。Qには内緒だけれど、私は好きだよ? ああいう人」
「あの人の方がお前が嫌で学友を下した話も内緒か?」
「内緒だよ。仕方ないよね。だって、あの人は嘘が大嫌いなんだから」
「……ちっ」
「責任を感じる必要はないよ。あの子はこうなる運命なんだから」
「お前。アイツをどうしたいんだ」
「どうもしたくないよ」
クスリとジュタドール・セルーネ・オーデルハインは己の弟が今し方出ていった扉を見て笑った。
さあ、使用人たちを集めよう。
荷物をまとめよう。
いつもの屋敷にみんなで帰ろう。
隣で兄上が寝ていた。
「は?」
「……んん……おはようQ」
「おはようございます? 兄上?」
おはようじゃないです。
もう少しで悲鳴を上げるところだった。
危ない危ない。
まだ眠いのか今にも落ちそうな瞼をなんとか持ち上げて、珍しいふにゃりとした微笑みを向けて来られたけれど。なんと言えばいいのか。
兄上のそんな顔見せられても何も言えない。
このクソゲーは乙ゲーだけども向けられているのはヒロインや画面の向こうの俺たちじゃなく、実の弟なのだから「えっちですねぇ」とはならない。
「Q、早く目を覚ましてくれない? ちょっと発想が気持ち悪くなってるから、お兄ちゃんはそろそろ起きて欲しいかな」
「いつの間にかベットに忍び込んで弟を腕枕している兄上に比べたら俺なんてまだまだですよ」
屋敷では兄上がいつの間にかベットに潜り込んでることはよくあったけども。
流石に王城でもそんなことされるとは思わなかったからビックリし…………王城じゃん。
なんでいるのこの人。
「あ、兄上、いつの間に」
恐怖に震えながら兄上を見ると、
先ほどと同じようにふにゃりとした微笑みを向けられた。
こっわ。
逆に怖い。めちゃくちゃ怖い。
どういう感情の笑顔なんですかそれ。
「此処に着いたのは早朝だよ」
いやそうじゃなくて。
いつの間に気付いたのかを知りたいわけでして。
まさか昨日気付いて今日来たわけではないでしょうし。
「それなら、最初からだよ」
「ひぇ」
にっこり。
濃い二つの紫に視線を射止められてしまい、震えるしかできない弱者はとりあえずベットの上で土下座をした。
「ごめんなさい」
兄上の顔は笑顔のまま、ピクリとも動かなかった。
うん。もうそれが一番怖い。
それから昨日のうちに今日の為にと選んでおいたドレスを着て朝食をとった。
それを見て兄上はいつものように「Qちゃん可愛いね」と言ってきたので軽く流した。
本日は徘徊は無い。
まあ、ちょっと理由があるのだけれど。理由というか用事があるのだけれども。
でも、兄上が来てしまった以上、無理な気がする。
いやしかし避暑はまだあと10日もあるから、ワンチャン顔見に来ただけだとかないかな。すぐ帰ったりしないかな。
……なさそうだな。起こってほしかったな。そんな奇跡。
味の分からなかった朝食を終えると、何も言われずに小脇に抱えられた。
俺が令嬢らしく振舞っていた20日間がこの脳筋兄上から小脇に抱えられたことでパァになった気がする。
というか2歳しか違わないのに。
身長もそんなに違うわけでもないのに。膝の上に乗せられるのはまだ慣れてるからいいが、小脇に抱えられるのはちょっとショックが強い。
そうして俺が1歩も歩くこと無く勉強部屋に到着すると、いつも通りのキーンがこちらを凝視しーー壁の方を向いた。
おい。
そしてコーヒーを飲み干して新聞をたたんでもう一度こっちを見てそっと視線を逸らした。
見てはいけないものを見てしまったみたいなリアクションやめろ。
兄上は幻覚じゃないんだぞ。
落ち着けば消える幻覚とかじゃないから。現実だから。
眉間の皺をほぐしても消えないから。
寝不足による幻覚じゃないから。
「おはよう、キーン」
その言葉に観念したのか深くため息をつき、ゆっくりこちらを向いてから口を開いた。
「……はよ、ジュタ」
そして視線を俺の方にずらして兄上を指さして一言。
「生霊か?」
「なまものです」
残念ながら。
にこにこと笑顔を絶やさない兄上と、顔が青いキーンと恐らく同じくらい顔が青い俺。
誰も口を開かないし、誰も動かないので俺は小脇に抱えられたまま。
せめて座って話をしませんかね。
一旦コーヒーでも何でも飲んで落ち着いてからお話をしませんかね。
なんて思いながらも口に出せない弱者の俺はキーンを見た。
あの時、冗談で「兄上を宥めるのはお願いしますね」なんて言ったけれど、今まさにその時だろ。
どうにか頑張って欲しい。骨は拾うから。
「あー、その。食に困ってるみてぇだったから俺が王城に来いって誘ったんだよ」
あまりにもジッと見すぎたせいか、何かしら伝わったようでキーンはしぶしぶ口を開いてくれた。
ありがとうございます。ありがとうございます。
「だろうね。そんなことだろうとは思っていたよ」
あれ?
思ったリアクションじゃない。
もしかして兄上は怒っていない、のか?
恐る恐る顔を上げて兄上の顔を覗き込むと、相変わらずにこにこしていた。うん。わかんない。
もうちょっと12歳らしく感情を顔に出して。
「キーンには感謝しているよ。君のおかげで可愛いQが飢えずに済んだんだ。今度改めてお礼をさせてくれ」
「い、いや……俺にもメリットはあったしな」
「そう?」
まあ確かにルエリア様から見られる時間が減ったからか、キーンの眉間のシワは心無しか減ったけど。
何故ならルエリア様は恐らく休憩時間をほとんど俺と過ごしてくれているのだから。
まあ、それによってルエリア様は恐らく未だにキーンに『お誕生日おめでとう』の一言も言えていないけれど。
「じゃあ、キーン。Qは連れて帰るから今日までありがとうね」
「あ、ああ」
うっ。だよな。そうなるよな。
キーンがそれでいいのかと俺を見る。
いいわけない。今日は、いやだ。
せめて先週から昨日か明後日か来週なら大丈夫だったのに。
グッと下唇を噛んで押し黙る。
ああ。くそ。
今日だけは、いやだった。
だって、今日はルエリア様と街に行く約束をしている日なのだから。
昨日、キーンが街に行った。
護衛として俺を連れて行く気だったみたいだけど、令嬢を護衛として連れて行くなんて斬新なことは無茶が過ぎるし。そもそも俺は体の弱い婚約者という設定だし。
第一、俺は護衛のやり方なんか知らないから無理。
というわけでお留守番になった。
ちなみに、こっそり城を抜け出して街に出るのかと思ったらそういうわけではないらしい。王族なのに。
それなら視察とかそういうものかと思ったらそういうわけでもないらしい。王族なのに。
でも、街に興味がないわけではない。
一度も行ったことがないから少しだけ興味があるとつい徘徊中に言ってしまったのだ。
そしたら、ルエリア様が誘ってくれた。
きっと偶然街に行く用事があったのだろう。ちょうどいいからお言葉に甘えることにしたというのが経緯だ。
キーンが帰ってきてからその話をしたら「あの人殆ど街に行かねぇのに?」と言われてしまったが偶然だ。偶然。偶然用事があったんだろう。
違うから。俺のために街デートするわけじゃないから。
でも、昨日から楽しみで仕方がなくて。
くるりと回るとスカートがユリの花弁のように広がるピンク色のシンプルなドレスを選んでいて。
クソゲーでしか見たことの無いあの街の実物はどういうものだろうか。花屋はあるのだろうか。
最近、授業をしてくれている先生が『ルエリア様と同じ名前の花があるのですよ』と言って教えてくれた。あの花は、あるのだろうか。
花なんて育てたことはなかったけれど、俺でも育てられるだろうか。
あの雑草を整備するだけの庭師と一緒に育ててみようかな。なんて思いながら寝た。
要はかなり浮かれていた。
そして朝起きて、有頂天から叩き落とされた。
だから。今日はいやだ。
いつもは兄上の言うことなら何でも聞けるのに今日だけはどうしても。
どうしても、ルエリア様と街に行きたい。
小脇に抱えられてぶらぶらしている腕をぎゅっと握り締める。
行きたい。どうしても、行きたい。ごめんなさい兄上。
「……兄上、」
「ん?」
声が震える。
こんなに声を出すのは難しかっただろうか。俺は今までどうやって喋っていたのだろうか。
でも、約束した。街に行こうと。
だからどうかこのささやかなわがままを許してください。
「きょ、うは。街に……行こうと、約束しました……」
震える声でなんとか単語を繋ぎ合わせて目を閉じる。
兄上のリアクションが怖い。
許してくれないかもしれない。
許してくれなかったらどうしよう。
静寂。
外の小鳥の囀りすら聞こえない。
いや、俺が緊張しすぎて何も耳に届いて来ないのかもしれない。
「ルエリア様と? いいよ。約束なら守るべきだからね。行っておいで」
たっぷりの静寂のあと、鼓膜に響いた兄上の声は信じられないほど柔らかくて。
「へ、兄上、良いんですか?」
なんだ、奇跡か?
奇跡が起きたのか?
パチクリと瞬きをするしか出来ない俺を降ろした兄上は、俺のおでこに唇を落とすと
優しい微笑みで言葉を重ねた。
「Qちゃんとっても可愛い。とっても可愛いQちゃんが街に行くなんて心配だけれどルエリア様なら安心した。
いってらっしゃい」
「うんっ! いってきます!」
兄上の頬にキスを返すと、視界の端でキーンが『俺は何を見せられているんだろうか』とでも言いたげな顔をしていたけれどそんなことはどうでもいい。
部屋を飛び出す寸前で自分が淑女であることを思い出したのでそっと部屋を出た。
脳内はもうお祭りだ。
奇跡じゃん!!!
奇跡が起きたんじゃん!!
正直屋敷から出た時点で兄上めちゃくちゃ怒ってると思ってたのに。
クソゲーのジュタの記憶に引っ張られていたんだろうな。
そうだった。兄上はブラコンだけど優しいんだ。
待ち合わせの時間までまだあるので、もう少しメイクをしてもらおうと俺は意気揚々と一度部屋に戻った。
ーーー以下、視点切替ーーー
ー閑話ー
「Qがあんなに無邪気に笑ってる姿なんて初めて見たかな。本当、可愛いなぁ」
「お前……どういうつもりなんだ?」
「ん? 何が?」
「とぼけてんじゃねーよ」
「全く。君の長所は全てを察しておきながら黙ってこちらに踏み込まないでおくところだろ? じゃあ今回も黙ってなよ。これは兄と弟の問題なんだから」
「……テメェのことなんざ俺でも分かるかよ」
「そう? まあ、確かに。君が体を張らないとQのことを見つけられなかったもんな。
じゃあ可哀想なキーンのお喋りに付き合ってあげようかな」
「あの屋敷にはコックどころか一食分くらいしか食料が無かったが?」
「ふふっ、そうだったかなぁ?」
「……お前、一緒に街に出るのがあの人じゃなくて俺だったら止めてただろ」
「勿論。ルエリア様、いいよねぇ。Qには内緒だけれど、私は好きだよ? ああいう人」
「あの人の方がお前が嫌で学友を下した話も内緒か?」
「内緒だよ。仕方ないよね。だって、あの人は嘘が大嫌いなんだから」
「……ちっ」
「責任を感じる必要はないよ。あの子はこうなる運命なんだから」
「お前。アイツをどうしたいんだ」
「どうもしたくないよ」
クスリとジュタドール・セルーネ・オーデルハインは己の弟が今し方出ていった扉を見て笑った。
さあ、使用人たちを集めよう。
荷物をまとめよう。
いつもの屋敷にみんなで帰ろう。
220
あなたにおすすめの小説
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~
水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。
アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。
氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。
「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」
辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。
これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる