理系が転生したら非科学的存在 (魔物)でした

秋人司

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翠の章

第88話「動機」

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 夕暮れ迫るイリューシアの森。

 鳥の囀りも小動物の身動ぎも、ほとんど聞こえない異様に静かなその空間。――なにせ、魔力が満ち満ちているために、鳥獣たちでさえ容易には入り込めない空間だ。

 魔力によって変容してしまった魔物たちくらいしか存在しない、という異常な地域。

 その静謐さは、中心部に近づくほど増していく。


 外縁部から森へ入り込むこと数十km。
 大河ステューティクの傍近く、森の心臓部と言えるその場所に。


 これまた、鏡のように穏やかな泉があった。


 水面には一切の波紋もなく、生物の気配も全くない。
 古い倒木が水中でほとんど朽ちずに横たわっていることから、分解者たる微生物さえほとんど存在しないことが窺える。

 透明度も高いその水の中。

 しかし。


 突如ゆらりと、蒼黒い影が滲むように泉の中心部で拡がり、蠢いた。

 そうして――。

 ザバリと、俄かに泉の水面が持ち上がる。
 大量の水が宙に浮き、ダバダバとまた重たげに落ちていく。


 やがて。

 徐々に水の柱から彫り出されるように現れたのは、薄青い鱗を纏う大蛇だ。


 青みがかる白銀の虹彩に、昼行性独特の黒く丸い瞳孔。もたげた鎌首は人の背丈ほどの高さにあり、紅い舌を出し入れする匂いを嗅ぐ仕草には畏怖しかない。
 加えて、人の両腕でようやく抱え込めそうなその太い胴は、間違いなくニンゲンを一呑みにできるだろう。

 一方、その身体を覆う鱗は頭から尾にかけて薄青から蒼、濃紺へと美しく色が変わっており、まるで泉の深い蒼に溶け込むように見えている。その全長はおよそ5 m。

 チロチロと舌を出し入れし、視覚ではなく嗅覚で周囲を探る様子はまるきり普通の蛇と変わらない。

 とはいえ、その大きさは規格外。
 間違っても軟弱なニンゲンが近寄ろうとは思わないだろう。

 ただ――。

「セイル、こちらだ」

 例外が、いた。

 その端的な呼びかけに、大蛇はピクリと鎌首を震わせ、しかし緩慢な動きで斜め後ろを振り返る。

 盛大に立った波紋が届く先。
 少し離れた泉の岸辺。

 そこにいたのは、金髪碧眼の青年だ。

「やはり、その姿は――」

 何事か続けようとした青年は、しかしその先の言葉を音にはせず、代わりに穏やかな笑みを浮かべ見上げるような視線で大蛇を迎える。

『ルディ! ただいまー!』

 瞬間、魔力で発された念話がその静謐な空間を切り裂くように響いた。
 もちろん、岸辺に立つ青年に向けて大蛇が放った言葉だ。

 ちなみに、目蓋もなく表皮が鱗で覆われた蛇というのは、表情が全く無いに等しい生物だが、しかしこの大蛇に限っては、その“声音”から大体の感情の機微は予想がついた。

――少なくとも、青年にとってはそうだ。

 大蛇と彼の距離は数メートルあったが、大蛇は水面すれすれに鎌首を下げ、蛇腹で這ってそれを詰める。そうしながら、青年の周囲を見遣ったのか、再度鎌首をもたげつつ大蛇は言った。

『アルフレッドは?』

 対する青年――ルドヴィグは、かなりの至近距離にきた大蛇の頭を物ともせず、その鼻っ面に触れさえしながら言う。

「ああ、そこらへんにはいるだろう。戻ったのがお前だけだと察した途端、いなくなってな」

『えー』

 触れてくる青年の手を軽く突くようにしながら、大蛇は不満げな念話を響かせる。
 これに、ルドヴィグは首を傾げて言った。

「なんだ? 何か用でもあったのか」

 そんな問いに、大蛇は鎌首を振って否定する。
 だが、なにやら不満はあるようだ。心なしか頭を垂れつつ、大蛇は言う。

『でもぉ、ボクってあいつに避けられてる気がするんだよねー。まだのこと怒ってるのかなーと思って』

 これに青年は、なんとも言えない顔で言う。

「…………何があったかは、俺もよく知らんがな」

 とは言いつつ、大まかな部分は予測がついている彼は、結局のところ無難なことを口にした。

「――あいつが、お前に対して複雑な感情を向けているのは確実だな」

 対する大蛇は、一層頭を垂れて不満げだ。

『やっぱりー? えー、ボク、ごめんなさいって言ったのにー』

 そんな反応に、ルドヴィグは苦笑しながら首を振る。

「まぁ、ヒトの感情とはままならないモノだからな。そのうち整理がつくだろう。……実際、だいぶ変わってきたのも確かだ」

 一方、顎先に触れてくるルドヴィグの手に懐きつつ、大蛇は表面上、軽く言った。

『ディーもおんなじこと言ってたけどさー。いつまでかかるのかなー。……めんどくさい』

 そんな大蛇の薄青い鱗を、青年は宥めるように軽く叩く。

「そのうち、お前もわかるだろう。……いや、わからなくてもいい。が、まぁ、あいつが嫌がることは、しないでやってくれ」

 そうして心底面白そうに、ルドヴィグは微笑む。

「……俺が言えた話でも、ないんだがな」

 対する大蛇は、視線を合わせようとでもしたのか、青年の表情を覗き込むように頭部の角度を変えて言った。

『ルディも、あいつになんかやっちゃったの?』

「そんなところだ」

 笑みを崩さずルドヴィグは言う。

『……ふーん』

 これに何を想ったのか、大蛇は瞼のない大きな瞳で青年を映し、ある種、楽しげに言った。

『――じゃあ、ボクたちオソロイだ』

「ハ」

 短く笑ったルドヴィグは、呟くように言葉を零す。

「――あまり褒められた共通点では、ないがな」

『だねー』

 そう言って笑ったらしい大蛇を、ルドヴィグは切り替えるように見上げた。



「で、だ。そろそろ、俺は帰らねばならんのだが。送ってくれるか、セイル」

『もっちろーん』

 そんな念話が発された直後。

 大蛇の身体が水蒸気のように輪郭を失い、凝ったその一塊が、岸辺に降り立つような動きを見せた。


 やがて、人型が足元から形成され、現れたのは小柄な少女。


「――そのためにボクは戻ってきたんだし!」

 そう続けたソレは、両手を挙げ幼い言動でニコリと笑う。
 もちろん、人型になった青藍だ。


 一方、ルドヴィグはぐっと視線を下げながら、穏やかな表情で問いかける。

「ところで、肝心のショウはどうした。お前たちは、あいつを迎えに行ったんだろう?」

 これに青藍は、コテリと首を傾げ言った。

「そうだったんだけどぉ。えぇっと、フソクノジタイってやつ? で、ショウはまだこっちこれないって。ディーもあっちに残っててー。だから、ボクまた行かなくちゃいけないんだよね。明日とか」

 この返答に、ルドヴィグは誰に向けるともなく微妙な表情で言った。

「……そうか。……方々、難儀することだな」







 ちなみに。
 そう言った彼の視線と声量から、青藍に向けられた言葉でないことだけは、確かだった。



==========================================================================







 同日。
 日没後、数時間が経った頃。

 オルシニア北東部へ向かう山道に、焚火の灯が見えていた。


 パチパチと鳴るのは薪の水分が蒸気となって爆ぜる音。

 それを挟んで座るのは、制服というこの世界には存在しない衣服を纏った少女と、夕闇に溶け込みそうな全身真っ黒な男。


 少女は何やら書物を広げて読み込んでおり、対する男は手ぶらで何をするでもなく倒木に座っている。

 彼ら2人から多少離れたところには大きな荷台の荷馬車があり、しかし馬は繋がれておらず周囲にいる気配もない。なんとも不自然なことだった。
 一方、荷台には黒い幌がかけられており、その中に何があるのかは窺えない。


 既に月は天頂。
 焚火以外にも光量はそこそこあり、全くの闇というわけでもない。

 どこからともなく夜行性の動物たちのざわめきが伝わってくるが、かといって過剰な不気味さがあるわけでもない。

 至って穏やかな空気が流れる中。


 男が、不意に「なぁ」と声を上げた。

「――集中してるとこ悪いが」

 そんな呼びかけに、少女は顔を上げて男を見る。

 彼は、完全に手持ち無沙汰を持て余して、といった感じで言った。

「……なんで麗奈は、暇さえあればそうやって勉強しようとしてるんだ? まあ、それしかやることがないと言ったらそれまでなんだが」

 確かに、少女――麗奈が手にしているのはであり、異世界に来てまで熱心に眺めるものではないだろう。

 諸事情あって、麗奈だが、それにしても真面目なことこの上ない。

 だが、男――宵闇が勝手に抱いている彼女の印象として、麗奈がそれほど勉強熱心なのは違和感しかなかった。

 彼にとって、麗奈はまさに“今時”の女子高生。勉強よりも部活に恋愛、そういったエトセトラに夢中な年代。

 異世界に放り込まれるという、常軌を逸した状況であろうと、もう少し別のことで暇をつぶしても良さそうなもの。

 言外にそんな疑問を察したのか、少女は数秒言葉を迷い、それを誤魔化すように苦笑する。

「……あはは」

 その反応に、男は不思議そうに首を傾げ、言った。

「なんか、訊いちゃいけないことだったか?」

 己の片膝に腕を突く男に、麗奈は首を振って否定を示す。

「あ、いえ。全然そんなことなくて――。単純に、どこから話したらいいのかなって思って……」

「え」

 なにをそこまで悩むんだ? とでも言いたげな反応に気づかず。

 数秒後、麗奈は言った。


「――私、失恋したんです」


「……は?」

 続く、予想外に意味不明な言葉。
 ほとんど無意識に、宵闇は疑問符を隠さず端的に返す。

 対する麗奈は、これまた気にせず言葉を継いだ。

「――相手のことは、もう本当に好きで」

「お、おう」

 なぜか始まる込み入った話に、宵闇はなんと言葉を返したものかと困惑したが。しかし話し出した少女は止まらない。

「同じクラスの、というか隣の席の男子で。カッコいいし、勉強できるしっ、もう憧れで!」

「……そ、そうか」

 脈絡の見えない話に宵闇が適当に返す一方、麗奈は自分の話に没頭しているらしい。真剣な表情で焚火を見つめ、彼女は言う。

「……けど、本人に言う気は全然なかったんです。向こうにもそんな気がないのはわかってたし――。もう、友達でいられればそれでいいなって、思ってたん、ですけど」

「……」

 ちなみに、この時の宵闇は軽く引いたような表情をしているのだが、対する麗奈は不覚にも泣きそうになっているのが対照的だ。

 何しろ、未だ若い彼女にとっては十分辛く、重大な話なのは想像に難くない。が、一方の宵闇にとってはなんともむずがゆい、コメントしにくい話題なのもまた確かだ。


 そうして。
 自分の話に夢中な麗奈は一転、表情を険しくさせて先を言う。

「――なのに! とある男子が揶揄ったらしいんですっ。私とのことを。お前どう思ってんの? 的な感じで!」

「そ、そうか。だが、ちょっと待て」

 少し興奮気味の麗奈を手振りで宥めつつ、彼は言った。

「ちょっとややこしいから、確認するが。麗奈が好きな男子をA君として、そのA君をB君が揶揄ったと。で、それを麗奈は伝聞で知ったんだな?」

「そうです。友達から聞いたんですけど」

 憮然として言った少女に、宵闇は内心「わー、高校生あるある (棒読み)」と呟きつつ、苦笑しながら促した。

「……で?」

「……ありえないって」

「……」

 おうふ、と、これまた内心で零しつつ、宵闇は無難に沈黙する。一方、表情の見えない角度でうつむいた麗奈は、這うような声音で言った。

「もっと正確に言うと『あいつは頭わるいから、ありえない』って言ったらしいんです」

「……そ、それは。まあ、ひとまずひどいな、A君が」

 ちなみに、「それを麗奈に伝えちまう友人も友人だけど」とも思ったが、宵闇は言葉にせず。

 対する少女は我が意を得たりと顔を上げた。

「ですよね!」

 そう言って、彼女は悲壮な雰囲気で言葉を継ぐ。

「――確かに、わかってはいたんです。……その、私が、勉強苦手で頭いいわけじゃないことは! 相手A君も揶揄われて軽く言ったんだろうなっていうこともっ。でも、そもそも私は告白する気なんてなかったし、それに、もっとこう――なんというか、言い方って、あるじゃないですかぁ」

「……まあ、そうだな」

 遂には言葉に詰まった麗奈に対し、宵闇の同意は至って軽い。
 というか、他に言いようもなかった。

 所詮は他人事、という気持ちも当然ある。同情はするするし、微笑ましいなとも思っているが、麗奈との心理的距離はかなりあった。端的に言えば「わー、若いなー」といったところ。

 しかし、可能な限りそんな内心を押しとどめつつ、彼は言った。

「で、それが異世界でも麗奈が勉強する理由ってわけか?」

「はい」

 一方の麗奈は、思いつめたように頷いた。

「もう、私、見返してやろうって思って。この世界に来る前に決心して、勉強始めたんです。ついでに、定期試験も近かったし、まずは前回よりもいい点数取れる様にって」

 そんな返答に、宵闇は少女の足元にあったバッグを見遣る。

「ああ、それでその中、全教科の教科書やら参考書やらで一杯だったのか」

「そうなんです」

 少女は神妙に頷く。

「あの日――、私は、塾の自習室に向かってて。試験前の1週間に入ってたし、ラストスパートって思って――」

「――で、なぜか突然、、と」

「そうなんです……」

 眉を下げ、改めて困惑を示す麗奈。


 一方の宵闇は。
 会話の途中ながら、慣れた様子で片手を挙げた。

――こちらに近づいてくる人物がいたからだ。


 馬車の荷台から静かに降り立ち、こちらへ向かってくる人影が1つ。
 足音も静かに接近したその人物は、麗奈の背後から明るい声音で言った。

「なにやら、面白そうな話をしているではないか」

「ディーさん」

 丁度、死角だった麗奈が振り返り表情を緩める中、赤髪の麗人――ディーもまた焚火を囲む位置に腰を下ろして微笑んだ。

「――我も、混ぜてくれないか?」

「願ってもない」


 もちろん、否やが返るはずもない。だが――。


「その前にディー。レイナの方は、大丈夫なのか?」






















一旦、中断しまーす。

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