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二 通小町

百夜通い(三)

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 閻魔さまの言ったとおり、寿命は変えられないらしい。

少将の容態は一時持ち直したけれど、また翌日の夕刻くらいから徐々に悪くなってきた。

「やれ口惜しや。百夜通いきれたなら相応しき装いにて妻問いに来んと思うていたものを」

 床の中、悔しげにほろほろと涙を溢す少将の姿に俺は再び腹を括った。

「なれば、人を遣わして、お衣装を此方に運ばせましょう」

 俺はにっこり笑って言った。

「お約束の百夜でございますから......」

「小町どの......。本当に我れと祝言を上げてくだされるのか」

 俺はわかったんだ。小町は特段、深草少将が嫌いだったわけじゃない。本気の恋が怖かったんだ。
 本当に真摯な恋なんてしたこと無かったし、あり得ないと思っていたから、それをジリジリと突きつけられて存在を認めさせられるのが怖かった。

「人を見る目の無い私のような者に通ってなどくださるな、と思うておりましたのに。貴方はとうとう真心を通されてしまった。なれば、私とて真心を示さぬわけにはいきますまいに」

 以前の小町なら逃げたけどね。俺は逃げない。俺だって臆病だけど、千年先まで誤解されて逆恨みされるくらいなら、腹を括るよ。

 小町な俺はとりあえず深草少将の屋敷の人を雑色に呼んできてもらい......。

 そうして日の落ちきる頃には急ごしらえで、仮だけど祝言の支度が整った。
 少将は使いの人に病の床からあれこれ指示して、装束だけじゃなく、小町に贈るつもりで整えた品物も全て持ってこさせた。すごい立派な品物ばかりで、俺は思わず引いた。
 どんだけマジだったのよ、この人。
 ある意味、怖すぎる。

 そうして、小野小町と深草少将は形ばかりだけど祝言をあげた。
 病床の少将は、小町の唐衣ではなく、祝言のために用意していたという華やかな直衣を肩にかけ、小町に支えられて固めの盃にほんの少し唇を触れて、また涙を溢した。

「夢ではないのだな......」

 しつこいな、現実ですってば。仮だけど。
 後はまぁ床入りになるんだけど、それどころじゃない。
 息の乱れてきた少将を床に横たえ人払い。

「未練じゃ。やっと夫婦になれたという契りも交わせぬとは......」

 またまた、はらはらと涙を流す少将。本当によく泣くなこのオッサン。平安ピープルってこんなに涙もろかったんだろうか。

 俺は少将の額に張り付いた髪を指先で直して、慰める。

「お身体が良うなれば叶います。さ、お薬湯を」

 けれど少将は力なく首を振る。

「我れの命はもはや持つまい。なれどそなたの真が知れた。そなたと添えた。はや思い残すは、無い。無いが......」

 頼りなく伸ばす手を握ると、やはり冷たい。

「そなたの先が気にかかる。我れが去った後に誰ぞに心を奪われるのではないかと気にかかる」

 嫉妬深いのね。困ったオヤジだな。

「そのようなことはいたしませぬ。私はもう恋などする気はございません」

 恋愛怖い。まじ怖くなりましたよ。貴方が必死過ぎて。

「私も遠からず冥府へと参りましょうゆえ。しばし、ゆるりとお待ちくだされ」

 悲しげに首を振る少将。わかったよ。わかりましたよ。

「なれば、私の寿命が尽きるまで、此方に、私の側にいてくださいまし。その時が来ましたら、私の手を取って冥府へ案内してくださいましな」

 にっこり笑う少将。そして病人とは思えない力で小町の袖を引いて、キス。
 俺、二回目だけど、また男なの?泣きそう。

「もしも浄土に生まれ変われたなれば、また夫婦になってくださるか?」

 苦しい息の下でなおも続ける少将。でも、ここ肝心。

「男と女に生まれたならば......」

 ちょっと眉をしかめるのをなだめるように続ける。

「もしも、男同士、女同士に生まれたならば、良き友となりましょう。互いに語り、学び、親しく日々を送りましょう」

 深く頷く少将。よっしゃ、第二ステージもクリア!




 そして......その明け方、深草少将は逝った。小町の腕に抱かれて静かに息を引き取った。

 小町と小町の中の俺は、泣いた。自分の腕の中で人が死ぬ、というのは正直、キツイ。
 僅かながらあった体温さえ失せて、人の身体が冷たくなっていく感触は、例えようもなく、切なく辛い。

 それでも俺は小町の最後の誠意。深草少将の家族に遺体を渡さねばならない、と踏ん張った。

 そして......引き取りに来たのは腹違いの弟だった。
 少将は、ほとんど天涯孤独だった。産みの母も、最初に娶った妻も、顔を覚える間もなく亡くなったという。

ーさぞやお寂しかったでございましょうな......ー

 小町は、また泣いた。やはり胸の中に後悔はあったけど、あの恐れはもう無かった。

 


 そして小町は深草少将の遺骨を抱いて故郷に帰り、供養に努めたけど......やはり病に
伏して、父の篁に看取られて生涯を閉じた。寿命は変えられないんだから、仕方ないよね。ごめんねおとうさん。
 
 



みるめなきわが身をうらと知らねばや離れなで海人の足あゆく来る
(小野小町 古今和歌集 恋歌三)
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