レベル596の鍛冶見習い

寺尾友希(田崎幻望)

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3巻

3-2

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「そこからは、私がお話ししましょう。以前テリテ殿のお宅で、ノア様に、女王竜の夫はたとえ犬猫でも構わない、と申し上げました。そのとき、ノア様はご自分のことと思われたようでございましたが、そうではないのです。あれは、私めのことなのですよ」
「え?」

 目の前の折目正しい執事竜と、犬猫のつながりが分からない。

「私は以前、魔物の領域を漂う、もやもやとした実体のない力の塊だったのです。経験値の塊として、人間や魔獣に狩られるばかりの毎日でした。いよいよ死にかけ、もうすぐ消えるというその時に、お嬢さまの祖母君、フレイムローダ様に拾っていただき、命を救っていただき、名まで頂戴したのですよ」
「それが、『セバスチャン』?」
「いえ、セバスチャンというのは、お嬢さま――エスティローダ様にお仕えするにあたって名乗っている通り名にすぎません。私の真名は、フレイムローダ様にじゅんじました。私はただの魔物だったものをフレイムローダ様に拾われ、救われ、名を頂戴し、可愛がっていただき……ついには、火竜としての形と、命を頂いたのです」
「命?」

 確かに女王竜っていうのは、神様に匹敵するみたいだけど、命をもらうってのがピンとこない。何かを生み出すってのは、今はもういない創造神って神様にしか出来ないんじゃなかったっけ?
 オイラが微妙な顔をしているのが分かったのか、エスティが口を挟んだ。

「女王竜の夫が、犬猫だったとする。そうすると、その夫は女王竜よりかなり早く死ぬな。犬猫は長く生きて二十年。女王竜は他の竜より短命じゃが、それでも千年以上」

 その言葉の中に流せないものを聞きとめ、オイラは思わず聞き返した。

「え? 女王竜って普通の竜より短命なの?」

 他ならぬ自分のことだというのに、エスティはどうでもよさそうに説明してくれた。

「卵に力を取られるからじゃろうな。じゃが、女王竜の継承は単性生殖。にょせんの使う若返りの秘術と大差ない。ノアが心を痛めるほどのこともないぞ。まあ、多少人格は変わるし、記憶も引き継がれぬが」
「……」

 それって、普通に死んで生まれ変わるのと何が違うんだろう。魂は同じだから気にするな、とかそういう? なんとも言えずに黙るオイラを気にせず、エスティは続ける。

「ノアと我がテイマー契約をした折のことを覚えておるか? 我が、ノアのテイマー枠を押し上げたであろ? それと同じことが、女王竜の夫へも出来るのよ。具体的には、夫の寿命を、女王竜のほぼ倍、二千年までに引き延ばせる。これは、女王竜が亡くなった後の火竜と若い女王を王配が導く、という意味があるのじゃろうな」

 エスティが以前に言っていた、『我とつがい、人のことわりを抜け出せ』というのは、そのことだったのか。例えばオイラがエスティと結婚した場合、オイラの寿命も二千年になる、と。

「え? あれ? ってことは、つまり?」
「セバスは、先々代火竜女王フレイムローダの夫。先々代女王は、気が優しく、夫を王とした。つまり、先々代火竜王スウォードが、セバスの正体だ」



 03 エスティの告白①


「お嬢さま、その名は……」

 セバスチャンさんが、エスティに苦い顔をする。

「そうであったな、すまぬ。おばあ様にささげたのであった。二度とは呼ばぬ」
「え、え、ちょっと待って、ってことは? セバスチャンさんは、エスティの、じいちゃん!?」

 混乱しつつも尋ねるオイラに、エスティは頷きつつも否定する。

「人で言うたらそうなるな。しかし女王竜は単性生殖。セバスと我の間に、血のつながりはない」
「セバスチャンさんが、元火竜王……。エスティってば、よくそんな人をあんなにこき使えるね」
「こき使っておるか?」
「偉そうだし」
「偉そうなのではない、偉いのじゃ」

 ふん、とエスティが胸を張る。
 オイラの頭より高いところで、立派な胸が、たゆんと揺れる。
 そういえば父ちゃんは、聞いていないふりをしていたはずが、既にタヌキを抱えてコタツで寝ている。寝たふりかとも思ったけど、耳までくったりしているから本気で寝ているんだろう。
 関わっちゃマズイ、という父ちゃんなりの防衛本能なのかもしれない。時々足がビクッとするのは、何かうなされてでもいるのだろうか。
 リムダさんは何とも言えない表情で、火鉢で鉄瓶に湯を沸かし、お茶をれている。さらに白い灰がちになった火鉢を火箸ひばしでかき混ぜ、炭の欠片かけらを足す。ただ何もせずに聞いているのはいたたまれないのかもしれない。
 リリィは板の間に上がりちょこんと腰掛け、黙って淹れてもらった番茶をすすっていた。
 セバスチャンさんがかすかな笑みを浮かべ、ちょう気味に言う。

「ノア様。火竜王の全権は、妻である女王竜が亡くなったときに失われるのです。今の私めはただの火竜もどき。お嬢さまの将来の王配殿下のほうが、よほど大きな権力を有します。私めの前身が何であれ、毛ほども気になさる必要はございません」

 なんだか含みのある言葉に、オイラはそっと目をそらす。エスティがオイラを抱え込んだままなのも、セバスチャンさんの誤解を助長してる気がするんだけどなぁ。

「あれ? っていうか、セバスチャンさんって、はぐれ竜だったって前にエスティが言ってなかった? 火竜王なのにはぐれてたの?」
「さようでございます。ただし、私めがはぐれ竜だったのは、フレイムローダ様が亡くなられてから、エスティお嬢さまがお産まれになるまでの間、八百年ほど。傷心の旅というやつですな。火竜の領域を離れておりました」
「八百年?」

 確か、女王竜の寿命は千年ほど。竜は、産まれてから百年で成体、エスティが即位して百年だから……?

「お嬢さまの母上、グレンローダ様は、歴代になく短命でいらしたのです。豪放磊落ごうほうらいらくな方ではありましたが、とても愛情深く、木竜の夫に先立たれ、気落ちされて……。私が知らせを受けて火竜の領域へ戻ったときには、既に随分と衰弱されておりました。そのグレンローダ様は、私の手を取って言われたのです。後を頼みます、お父様、と。それから間もなく、エスティお嬢さまの卵は孵化し、それを見届けられて、グレンローダ様は亡くなられました」

 そうか。先代の火竜女王は、セバスチャンさんにとっては娘になる。
 血のつながりはないって言ってたけど、娘をらなければならなかったセバスチャンさんの思いはいかばかりだっただろう。女王竜のほうが寿命は短いとはいえ、本来だったら王配が娘より長生きすることはないはずなのに。

「……だからセバスチャンさん、あんなにエスティの旦那さんを見つけるのに真剣だったんだ。娘さんに託されたんだもんね。それにひょっとして、この前は百年って言ってたけど、もう二百年、新しい火竜って産まれてない?」
「さようでございます。ご理解いただけたようで、私めも恥を忍んで話させていただいた甲斐かいがございました。……ですから、一刻も早く、私の目の黒い内に、と」

 じぃいっ、とセバスチャンさんがオイラを見つめる。
 やばい。
 やぶをつついて蛇を出してしまった。っていうより自分から蛇の巣穴に突っ込んだ感じだ。

「そ、そういえば、エスティのお父さん、木竜なの? オイラ、木竜って会ったことないなぁ」
「竜にはそれぞれ、特徴があるのじゃ」

 話題をそらそうとするオイラに、エスティが乗っかって説明してくれる。エスティも、自分がいた種とはいえ、セバスチャンさんがオイラを伴侶にと推しているのは本意ではないらしい。

「攻撃特化の火竜。防御特化の土竜。速さと情報特化の風竜。回復と浄化特化の水竜。植物と知識特化の木竜。木竜の大きな特徴としてはな、命を共有する樹があるのじゃ」
「え?」
「木竜は、卵からかえる折りに、一粒の種を持って産まれるのじゃ。それを、木竜の住まう大樹海へ植える。火竜が火山から力を得るように、木竜は、その樹を通して、植物の力を得るわけじゃな。木竜は、竜体がどんなに傷つこうと、自分の樹が無傷なら回復出来るが、逆に、自分の樹が枯れてしまうと、竜体が無傷でも、やがて衰弱して死んでしまう。父上はの、その樹がのうなってしもうたのじゃ」
「なんで!? 木竜の領域にある樹なんでしょ? 人間が間違って切るとかもないだろうし」
「知らぬ。我が産まれる前のことゆえな」
「そっか、お父さんが亡くなって、気落ちしたお母さんが衰弱して、エスティの卵を産んで亡くなったんだから……。ん? って、エスティはお父さんと会ったこともないの?」
「便宜上父上と呼んではおるがな。女王竜の後継に、父は関係ないゆえにのぉ」

 人間なら、父親が亡くなってから子どもを妊娠する、なんてあり得ないことだけれど、竜では普通にあり得るのか。

「我は父上を知らぬ。母上の顔もろくに覚えてはおらぬ。我はセバスに育てられたのじゃ」

 なるほど。
 エスティの世界はセバスチャンさんに始まりセバスチャンさんに終わる。エスティがセバスチャンさんを好きになったのも、当然なのかもしれない。セバスチャンさん本人は全く気付いてなさそうだけど。

「……それも、もうすぐ終わりでございます」
「へっ!?」

 静かなセバスチャンさんの声に、オイラの声が裏返る。静かな中に、背筋がぞわりとするような、毛を逆撫でされるようなすごみがあったのだ。
 エスティの整った眉が、辛そうにゆがむ。

「お嬢さまはご立派に成長なされた。もはや、口うるさいじいは必要ございませんでしょう。私めがフレイムローダ様から頂いた、火竜としての命は二千年。フレイムローダ様の夫として千年、グレンローダ様のご治世で八百年、エスティお嬢さまがお産まれになってより二百年。私の火竜としての寿命は既に尽きております。今日明日にも、ちりあくたとなってさんしてもおかしくはございません。ですから、ノア様。私が消えた後、グレンローダ様ののこされたお嬢さまをたくせるお方を、お嬢さまが心許せる相手を、私めは切望しているのでございます」
「な、何もオイラじゃなくても、ほら、同じ竜とか」

 エスティを差し置いて勝手にしゃべるわけにはいかないから、名前は出せないけど。ほら、セバスチャンさんとか、セバスチャンさんとか、セバスチャンさんとか……
 オイラの目線が激しく二人の間を行き来する。
 エスティの意向を考慮しなければ、ラムダさんとかも名乗りを上げそうだし。

「お嬢さまは、当代最強。どのような竜にも後れはとりますまい。お嬢さまのお相手に求めるのは、お嬢さまを守る強さではございません。グレンローダ様亡き後お嬢さまの親代わりであった私めが消えた後の、お嬢さまの心の支えとなってくださること。お嬢さまが心許せること。心安らげる相手であること、それのみにございます。共に戦うことでも、背を任せられることでもない。私めが、もっともその条件に相応ふさわしいとこういたしますのは……ノア様」
「うっ……うぅぅぅ」

 有無うむを言わせないセバスチャンさんの眼差まなざしに、思わずオイラはのけぞると、エスティを引っ張って家の外へ出る。
 今日は満月だ。月の光がとても明るい。
 家の中にいるセバスチャンさんに聞こえないよう、結構な距離を取る。

「ちょっとエスティ! さっきからセバスチャンさん、オイラのことをエスティの伴侶っていうか王配候補として完璧かんぺきにロックオンしてるよ!? まだセバスチャンさんに何も言ってないの!?」

 声を潜めたまま怒鳴る、という器用な真似をしてみせたオイラから、エスティは気まずそうに視線を逸らした。

「う、うむ」
「セバスチャンさんの気を引くために、オイラを当て馬にしてるって言ってたじゃないか。オイラが本命扱いになってたら本末転倒でしょ。今までいったい何してたわけ!?」
「しかし、裸を見せても、ひざに乗ってみても、胸を押しつけてもまったく反応ナシなのじゃ。これ以上、我にどうせよと?」
「竜なんて年がら年中裸じゃないか! ましてセバスチャンさんにお風呂のかいえまでさせてたよね!? 普段と何が違うっての! 獣人の男が胸にかれるのは哺乳類ほにゅうるいだからで、卵生の竜には通じないと思うし。いったいどこでそんな知識を……。ちゃんと! 口に出して! 伝えるの!」
「こ、言葉にするのか?」
「言わなくても分かる、とか伝わる、とか幻想だから! セバスチャンさん、もう自分は消える気満々だよ? 気持ちを伝える前にいなくなっちゃったらどうするのさ? ……それとも、一度王配になって火竜の命を授かったら、もう二度目はないとかそういう話?」

 さっきセバスチャンさんの話を聞いてから気になっていたことを、さらに声を潜めて尋ねる。

「そんなことはない。我の夫となれば、再び二千年の命は授かる」

 こればかりは確信をもって答えるエスティに、一先ひとまずは胸を撫で下ろす。

「良かった。もしそうだったらどうしようかと心配してたんだよ。なら、セバスチャンさんがエスティの王配になるのに問題はないってことだよね。要はエスティが肝を据えるかどうかだけ。躊躇ためらってる間に、ばあちゃん? からもらったセバスチャンさんの命が終わっちゃったらどうするのさ」

 あまり事態を重くとらえていなそうなエスティが、こともなげに答える。

「おばあ様から与えられた命が尽きても、元の魔物に戻るだけに違いなかろう。そうすれば、我が再び名を与え、伴侶とし、火竜としての形を与えてやればよい。そうすれば万事解決じゃ」

 ふむふむと頷いているエスティに、オイラはジト目を向ける。

「ひょっとして、エスティ、セバスチャンさんが、自分に逆らえない弱い魔物に戻るの待って、問答無用で従えるつもり? うわ、最低。自分の気持ちを伝えて拒まれるのが怖いから? しゃべれもしなくなってから捕まえて逃げられないように縛るの? そういうの、きょうものとかおくびょうものって言わない? 誇り高い最強の火竜女王が?」
「うっ」

 自覚はあったのか、エスティのこめかみに一筋の汗が流れる。

「仮に、エスティのもくが成功して、セバスチャンさんが、今の形を失って元の魔物に戻ったとしてもだよ? それって、黒モフみたいなもんだよね? それに名前を付けて、形を与えて? どうすんのさ、もっふ、もふーとかしかしゃべんなかったら」
「ううっ」

 いつもオイラの首元にいる黒モフと横並びのセバスチャンさんを想像してみたのか、エスティの顔が引きつる。

「それに、火竜の形になれたとしてもだよ? ひょっとしたら、赤ちゃんからやり直しかもしれないよ? 昔話の『若返りの水』みたいに、一からセバスチャンさん育て直す? また百年以上かかるね」
「うううっ」

 白い顔に流れる汗の量がじわりと増える。

「そうしたらセバスチャンさんよりエスティのほうが年上だね。今の記憶があるかも分かんないし、としの母親代わりの女王竜を、好きになってくれるかなぁ。ってかエスティ、セバスチャンさんの記憶が残ってた場合、絶対怒られる――どころか、嫌われるよ」
「ううううっ」

 火竜という種族は脳筋、根性論の持ち主だが、同時に正々堂々の勝負にこだわり、卑怯なことを嫌う傾向がある。
 その誇り高い女王が、そくな手段を用いて自分を捕らえたと知ったら、セバスチャンさんは、死んでも従わないかもしれない。
 何より、そんな後ろ暗い方法じゃなくて、エスティにはエスティらしく胸を張れる方法で伴侶をゲットして欲しいと思う。オイラだってそれなりに、エスティの幸せを願っているのだ。

「それ以前の問題として、本当は分かってるよね? エスティのばあちゃんがあげた火竜の寿命が尽きたとき、セバスチャンさんが元の魔物に戻るに違いない、ってのが、エスティの希望的観測――そうかもしれない、そうなったらいい、って思ってるだけのことで、本当は、本当に消えちゃう可能性がある、ってことくらい」

 それまでどちらかというと紅潮していたエスティの顔色が、サァーーっと青ざめた。
 セバスチャンさんの口ぶりからすると、本当にゆうはなさそうだ。不安に感じつつも目を逸らしていたのだろうけれど、時間が解決してくれる問題と、時間が経つと取り返しが付かなくなる問題とがある。今回は、間違いなく後者だ。
 エスティは震える拳を握りしめると……観念したようにふーっと息をついた。

「分かった、我の完敗じゃ。人の身にして火竜女王を負かした栄誉をたたえ、『火竜女王の祝福』を授け……」
「そんなのはどーでもいいから。善は急げ」
「急がば回れ」
「本当に反省してる? いい加減にしないとオイラから言っちゃうよ」

 さすがにそれは嫌だったのか、エスティが慌ててセバスチャンさんを呼びに行く。
 オイラは邪魔だろうし、デバガメをやるつもりもないし、「後は若い人たちだけで、ほっほっほ」とか仲人なこうどのようなことを言って去ろうとしたら、エスティに捕まって、不安だから物陰から見ていてくれ、とかこんがんされた。乙女おとめか。


 エスティがセバスチャンさんを呼び出したのは、裏の荒野だった。
 満月の明かりに、一面のススキが銀色にそよいでいてちょっぴり幻想的だ。
 ちなみにリリィは、オイラの布団で先に寝てもらった。明日、リリィの布団をそんりょうに借りに行こうと思う。ずっといるなら、買っちゃったほうがいいかな?
 今夜は、オイラがコタツで寝るしかないかなぁ。
 父ちゃんとタヌキは、もうリムダさんが運んでくれたみたいだし。
 オイラがそんなことをつらつらと考えていたのは、セバスチャンさんを呼び出したものの、エスティが中々言い出せなかったためだ。
 普段の戦闘とか女王としての判断はあれほど即決なのに、恋愛となると女々めめしい……とか言うと、全国の恋する乙女から石を投げられるだろうか。

「……セバス」

 躊躇ためらいに躊躇ためらった後、ついにエスティが口を開いた。
 それにしてもセバスチャンさん、呼び出されながらもあれだけの時間、当たり前のようにずっと不動で待っているんだから、執事って凄い。

「はい、お嬢さま」
「おぬし、我のめいならなんでも聞くな?」
「さようでございます」
「おぬしに、頼みがあるのじゃ」
「いかようなことでも」
「我の……夫となれ!」

 エスティの一世一代の告白に、セバスチャンさんは片眉を上げて冷たく答えた。

じょうだんを」



 04 エスティの告白②


「ノア、ノア、ノア!」

 ズダダダダッとエスティが涙目で、岩陰に隠れていたオイラのところまで走ってくる。

「ちょ、エスティ、オイラがいるのは内緒のはずじゃ……」
「そのようなことはどうでも良い! ダメだったではないか! てんで本気にされていない!」
「頑張って、エスティ! セバスチャンさんだって、本当はエスティのことが好きでも、信じられないとか素直になれないだけかもしれないし!」

 オイラのはげましに、エスティはゆっくりと拳を握りしめて気合いを入れ、セバスチャンさんのところへ戻っていった。
 こっちを見るセバスチャンさんの目があきれを含んでいる気がするけど、気にしたら負けだ。

「冗談ではない! 我は本気じゃ、セバス」
「お嬢さまは、ノア様をご伴侶に、とおっしゃっていらしたではありませんか」

 全く表情の変わらないセバスチャンさんは、照れ隠しだとか、本当はエスティのことが好きな気持ちを抑えている、とかいう風には全く見えない。
 ごめんエスティ、勢いで励ましちゃったけど、望み薄かもしれない……

「そっ、そちらのほうが冗談だったのじゃ。我は昔から、セバスのことをっ」

 セバスチャンさんの片方のぶたが、ピクピクとけいれんする。

「ほお。では、私めは、お嬢さまの御冗談を真に受けて、ただの人間に、竜種の秘事を漏らしてしまった、と」

 あれは本気でブチ切れる三秒前――付き合いの短いオイラがそう分かるんだから、産まれたときからずっと世話になってきたエスティに分からないはずはない。引きつった顔が、おろおろと言い訳を探す。

「ノッ、ノアは特別じゃ。気にしなくてよい」
「お嬢さまはことあるごとに、そうおっしゃっておいででしたな。私めはてっきり、ノア様が特別なのは、いずれお嬢さまの伴侶となられる方だからだと思っておりましたが」
「そっ、そうではない。我にとって真に特別なのはセバスであって……」
「それでは、秘事を知られてしまったノア様は、始末せねばなりませぬな」

 エスティに顔を向けたまま、爬虫類の視線がチロリとオイラの体表を舐めていく。
 ヤバイ。悪寒おかんがする。これ、全力で逃げないと死ぬやつ。なのに足がすくむ。
 セバスチャンさんて、本気で他の火竜とは格が違う。実はエスティより強いんじゃないだろうか。
 涙目でぷるぷるし尻尾をまたに挟んだオイラをかばうように、エスティが両腕を大きく広げて立ち塞がってくれた。

「ノアは、わっ、我の友達じゃ」
「ご友人であろうと、告げてはならぬこともございます。それに、特別だとおっしゃっていたではありませんか」
「ノアが、何故特別なのかは、今は説明出来ぬ。我を信じ、深く聞くでない」
「伴侶に、と望まれる私めにも、お教えいただけないことがおありになる、と」

 氷点下以下の冷たいセバスチャンさんの物言いに、半泣きになったエスティが再びオイラのところに走ってくる。
 さっき庇ってくれた勇姿はどうした。オイラを盾にされても、あれは無理だって。
 説得出来るとしたら、セバスチャンさんが何より大事にしているエスティを置いて他にない。

「ノア、ノア、ノア! もう我はくじけそうじゃ」
あきらめないでよ! ここでくじけちゃったら、エスティもオイラももう後はないよ! セバスチャンさん、八つ当たりで王都の半分くらいは壊滅させそうなごくあくづらしてるし。エスティだって下っ端に交じって一から叩き直しとかやらされるよ、きっと」

 オイラの脅しに、エスティは両頬をバチンバチンと叩いて気合いを入れ直す。
 そのまま戦いに赴くかのようにセバスチャンさんのほうへ向かった。

「セッ、セバスは、おばあ様から頂いた命が尽きそうだ、と申しておったが、我の夫となれば、再び二千年の寿命が得られる」

 別方向からの説得に、セバスチャンさんの頬がほんのちょっぴり緩む。

「もうじき消えゆく私めへの、お情けでおっしゃってくださっていたのですか。ああ、さすがは私めが手塩にかけてお育てしたお嬢さま。なんとも慈悲深い。しかしながら、ご心配いただかずとも、私めはもう充分に生きました。思い残すことは、そう、お嬢さまのご伴侶だけ」

 そう言って、セバスチャンさんが険のある視線をオイラへ向ける。伴侶候補として目をかけていたオイラが、エスティと一緒になって悪ふざけをしている――と、セバスチャンさんには見えているのだろう。
 悪ふざけでなかったらなお悪い、お前のやるべきはお嬢さまをけしかけることではなく、なだいさめることだろう、と……セバスチャンさんの無言の圧力を感じる。
 でも、オイラじゃダメだ。エスティが望んでいるのは、オイラじゃない。

「そうではない。われが、セバスに消えて欲しくはないのだ。消えるでない、セバス。我はもっとそなたといたいのだ。我の命ならば、なんでも聞くと申したであろ?」

 必死さのにじむエスティの言葉に、セバスチャンさんは様々な感情を押し込めたような表情で一度ゆっくりと目をつむり――それから開いた瞳には、もはや感情の揺らめきはなかった。

「私は、フレイムローダ様に忠誠を誓いました。お嬢さまにではございません」
「わっ、我に捧げる忠誠はないと申すか」

 エスティが、涙目でふるふると震えている。
 握りしめた拳からは、爪が食い込んで血がにじんでいる。
 エスティはそのまま再びオイラのところににじり寄ると、鼻をすすりあげた。

「ノア、ノア! あんなことを言いおるぞ! 我はどうすればよいのじゃ」

 前掛けのポケットに入っていた手ぬぐいで、エスティの鼻水をちーんとかんでやる。
 こっちをじぃぃっと見つめているセバスチャンさんの目は怖いけど、オイラだってエスティの幸せを願ってるんだ。震えそうになる足も、股に挟まったしっぽも、気付かないふりをする。
 一番大事なのは、エスティがちゃんと気持ちを伝えられることだ。
 セバスチャンさんは、エスティのかけがえのない家族。伝えられないまま家族がいなくなってしまったら、きっと物凄く後悔する。オイラに向けられるセバスチャンさんの殺気なんて、気のせい気のせい。

「大丈夫だよ、落ち着いて。自分の気持ちを、素直にぶつけて」

 意識して冷静な声を出す。

「よし」

 気合いを入れ直したエスティが、右の拳を左手のひらにバシバシとぶつける。
 セバスチャンさんへと向かうエスティを見送り、冷や汗を手ぬぐいでぬぐおうとして、エスティの鼻水がついていることを思い出し、前掛けにしまい直す。


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