27 / 139
肆の抄 体育祭後編
其の伍
しおりを挟む
※
「高村先生、バンザーイ!」
赤組応援席のボルテージは最高潮に達している。
風のごとく駆け抜けた高村の勇姿に惚れ惚れした女子生徒は、高村が応援席に戻ってくるや、みな一気に手鏡を覗いて前髪の割れを気にし出す。
姿こそみえないが、喜び躍る環奈のうしろで小町もいっしょに小躍りしている。
「さあこれであとはお前たち、選抜対抗のみとなった」
高村は快走の疲れも見せずににやりとわらった。
「選抜でも学年別の一位のみに点数がわずかやけれども加算される。一位の入る点数は十点。つまりいま七点差の青組には、選抜で勝てば一発逆転の機会というわけや」
「かならず勝ちます」
「先生が約束守ってくれたんや、俺たちも守らなな」
恵子と柊介の瞳に、弱気な心は一筋として見えはしない。
「たのむで。お前たち四人にかかってる。柿本、明夫、松田、柊介。大丈夫、勝てる」
高村がひとりひとりの背中をかるく叩いた。
四人は、入場門へと駆ける。
赤組応援席は先ほどまでの騒がしさは露と消え、糸が張りつめたような空気が漂っている。しかしそれをぶち壊したのは、やはり彼らだった。
「よおし、最後の応援だーッ!」
廿楽。
「ここまで食らいついた赤組の本気を、いまこそ見せるときが来た!!」
潮江。
環奈は八郎に支えられながら重そうに赤組の旗を掲げ、仙石はいつの間にか手ずからカメラを回している。
「たのむわよ、恵子……みんな」
松子は祈る。京子は柊介を想い、春菜はハンカチで涙をぬぐう。
真剣な顔で武晴は明夫を見つめて、環奈を支える八郎は放送席のとなりにきらめく優勝旗を見た。
「おっしゃあ、青組ィ!」
八郎はさけんだ。
青組応援席がぎろりと赤組応援席をにらむ。
「あの優勝旗、うちがもろたで。見とけよ、いてこましたらァ!」
挑発。
赤組応援席は咆哮をあげた。
しかし青組応援席はクールにそれを受け流し、涼しい顔でグラウンドに目線を投じた。
「ようしお前ら、声出せ!」
赤組団長が声を張る。
「いっけーいけいけいけいけあーか!」
「いっけーいけいけいけいけあーか!!」
一年までもが声に続いた。
「おっせーおせおせおせおせあーか!」
「おっせーおせおせおせおせあーか!」
「いーけ! おーせ! あーかーぐーみ!!」
選抜組は入場し、選抜一年の第一走者がスタートの構えをとった。
これが、泣いても笑っても最後の闘い。
位置について。
「よーい!」
パンッ
一年生が一斉に駆け出す。
各色の応援席が一気に声をあげた。
一年生の走者は四名。ひとりの距離は二百メートルである。
第三走者がバトンを受けて走り出したのを見て、二年生第一走者である柿本瑞穂は立ち上がった。
「瑞穂、よろしく」
「まっかしときィ」
恵子のことばに、瑞穂はあかるくウインクを返す。
第四走者が走り込んできた。瑞穂は「よっしゃ」とちいさくつぶやくと、バトンを受け取って駆けだした。
グラウンドの反対側。
二年生第二走者として明夫がラインに立っている。柊介はなにも言わなかった。瑞穂が駆ける。青組走者と拮抗して駆け込んでくる勢いだ。明夫は前を向いた。
足音を聞く。
明夫は弓道で養った不動心をこころにまとった。
ちらと後ろを見る。ぼんやりと歪む視界のなかで、瑞穂の持つバトンだけがくっきりと見えた。
「千堂!」
瑞穂が声を出した。
それを合図に明夫が駆け出す。手にバトンが乗ったのを感じて、明夫はぐんとスピードをあげた。
「チッ」
と、横を走る青組走者──倉持勇斗の気配がする。しかし明夫は前だけを見て走った。足の速さではこいつに勝つ自信があった。
「千堂ッ」
松田恵子。
ちいさな身体がこちらに手を振っている。明夫の足はさらにスピードを増す。メガネのない視界のなかで、やはり彼女だけはくっきりと見えた。
「松田!」
さけんだ瞬間、恵子がふっと微笑した。──ような気がした。
がむしゃらに手を前に突き出すと、バトンはぴったりと恵子の手に乗った。
「サンキュ!」
という言葉とともに恵子が駆けていく。
明夫はグラウンドの内側にはけてその行く先を目で追いかける。彼女はぐんぐんとスピードを増していった。青組はもはやそのスピードに追い付けていない。
二年生第四走の有沢柊介は、恵子の走りを目で追う。残り三十メートルほどになったときに前を向いて膝をゆるめた。
「有沢ッ」
という恵子の声。
軽く足を前に出す。バトンが手に乗った。
「おう」
そして柊介は駆けだした。
なんという速さだろうか。柊介はおそらくこの選抜メンバー全学年のなかでも、もっとも速かったに違いない。
走る柊介の視界に、ちらりと赤組応援席が映る。
柊介はかるく頬をゆるめて二百メートルを走り、三年生の第一走者にバトンを手渡した。
それからすぐにグラウンドに寝転がり、空をあおぐ。
「は、ハッ。うあーッしゃあ!」
勝った。
青組に勝った。
雄叫びをあげる柊介を驚いたように明夫が見つめる。彼がここまで興奮するとはめずらしい。しかし気持ちはわかる。普段はおとなしい明夫でさえ腹の底から叫びたい気持ちでいっぱいだったのだから。
────。
そのまま選抜三年生が順位をキープしたことで、赤組は見事一位を勝ち取ることができた。
なんと驚いたことに青組走者が途中でバトンを落とすハプニングがあり、結果は四位。カラー順位でも赤組が一位に輝くことができたのである。
「やった、やったァ!」
選抜組が応援席に戻った瞬間、赤組応援席は歓声に包まれた。
いちばん飛び上がってよろこんだのはなぜか環奈で、潮江と廿楽に胴上げまでしてもらうほどだった。
「ようやったな、本当にようがんばった。偉かったぞう!」
と高村は瑞穂と恵子の頭を撫でくりまわし、柊介と明夫を全力で抱きしめた。
その後の閉会式で、学年順位発表の際、一位が二年三組──とアナウンスが流れたときは、あの恵子が涙を流したほどである。
「鬼の目にも涙ってか」
と柊介はわらったが、その表情はどこか穏やかだった。
応援合戦の優勝は黄組、カラー順位総合第一位は赤組として優勝旗が団長に手渡される。八郎はこみあげる涙をこらえてそのようすを見つめた。
こうして、白泉高等部の第六十一回体育祭は幕を閉じたのであった──。
※
「さ、たーんとおあがり」
焼肉屋にて。
笑顔の高村は生徒全員を前に両手を広げてそういった。
貸切状態の焼肉屋では、高村学級の生徒たちがそれぞれにっこりと肉やビビンバを頬張っている。
「ホンマに焼き肉ご馳走してくれるとは思わへんかった」
と、柊介さえも目を丸くする。
そのとなりで武晴が「お金ヤバない?」と不安げに肉を食べた。その言葉に高村はくすくすと肩を揺らす。
「子どもが金なぞ気にするな。ほれ二時間食べ放題やで──遠慮せんと肉を食え」
さあ、松田恵子である。
焼き肉禁止令をおのれに課していた恵子は、およそ三週間ぶりとなる焼き肉のうまさに涙を流している。
「うっ……う、うまい。高村センセェ──一生ついていきマス……!」
「こんでええわい」
と高村は苦笑したが「来年は」といった表情は穏やかだった。
「お前たちが団長になるんやなぁ──」
「春菜、来年もたかむーのクラスがいいなー」
「いやうちの担任になってもろて来年も焼き肉おごってもらうんやし」
「いや、来年こそは俺の走りに期待してもらわんと!」
「おまえどうせまたコケるやろ」
「うるせー!」
恵子と武晴の掛け合いが始まったのを横目に、八郎と柊介は高村を見た。しかし彼は、優しい顔でそれを眺めるのみ。
何をいうこともない。
むしろ席を立って、ひとりひとりの生徒たちのもとへ順繰りに声をかけに行く。選抜にて快走を見せた柿本瑞穂や、運動が苦手な生徒たちは、高村の来訪に手を打って喜んだ。
やがて高村は、端に座っていた千堂明夫のとなりに移動する。
「よう、MVP」
「あ、先生──」
「ええ走りやったで」
「あざす……あ、でもあの。バトンもらうとき、不動心が役に立ちました」
「へえ。えらいやないか、そうかそうか」
高村は何度もうなずいた。
褒められた明夫は、とくになにを言うでもなく、しかし嬉しそうに肉を食う。
その様子を眺めて、高村はぼそりといった。
「カッコええとこ見せられたんちゃうか」
「グフッ」
明夫がむせる。
みるみるうちに、耳まで真っ赤に染まるのがおかしくて、高村は声をあげてわらった。
「アホか。バレバレや」
「いや、はっ、え?」
「気付いとらんのは当事者だけやで」
というのと同時に、高村の笑い声で皿と箸を持参した恵子や武晴が集まってきた。
「あ──」
「千堂、そこまで目ェ悪ないやん。フツーにバトンもろたで」
「いやそれは」
明夫が口ごもる。それを横目に武晴はニヤケを隠しきれずに後ろを向いた。
「松田の存在感がひときわすごかったおかげや」
「はー?」
「人間のなかにゴリラが一頭おったら、そら存在感もすげェわな」
「…………」
という柊介の茶々に邪魔はされたが、うつむいた明夫は非常に満足した顔をしていた。
────。
『しのぶれど 色にいでにけり わが恋は
ものや思うと 人のとふまで』
『恋すてふ わが名はまだき たちにけり
人知れずこそ 想いそめしか』
その夜。
夢路にあらわれたのは、ふたりの言霊。
はてさてそれが、それぞれ誰の夢路であったのかは──。
篁のみぞ知る。
※ ※ ※
──人に知られまいと隠した想いも、
顔に出てしまっていたようだ。
何か物思いをしているね、と
人が尋ねるほどまでに。──
第四十番 平兼盛
天暦御時歌合、
『初恋』の題にて詠める。
「天気左にあり」とて勝ちにけり。
※ ※ ※
──恋をしているという私の噂が
早くも立ってしまった。
人に知られぬよう、心ひそかに
想いはじめたばかりというのに。──
第四十一番 壬生忠見
天暦御時歌合、
『初恋』の題にて詠める。
名歌惜しくも負けにけり。
「高村先生、バンザーイ!」
赤組応援席のボルテージは最高潮に達している。
風のごとく駆け抜けた高村の勇姿に惚れ惚れした女子生徒は、高村が応援席に戻ってくるや、みな一気に手鏡を覗いて前髪の割れを気にし出す。
姿こそみえないが、喜び躍る環奈のうしろで小町もいっしょに小躍りしている。
「さあこれであとはお前たち、選抜対抗のみとなった」
高村は快走の疲れも見せずににやりとわらった。
「選抜でも学年別の一位のみに点数がわずかやけれども加算される。一位の入る点数は十点。つまりいま七点差の青組には、選抜で勝てば一発逆転の機会というわけや」
「かならず勝ちます」
「先生が約束守ってくれたんや、俺たちも守らなな」
恵子と柊介の瞳に、弱気な心は一筋として見えはしない。
「たのむで。お前たち四人にかかってる。柿本、明夫、松田、柊介。大丈夫、勝てる」
高村がひとりひとりの背中をかるく叩いた。
四人は、入場門へと駆ける。
赤組応援席は先ほどまでの騒がしさは露と消え、糸が張りつめたような空気が漂っている。しかしそれをぶち壊したのは、やはり彼らだった。
「よおし、最後の応援だーッ!」
廿楽。
「ここまで食らいついた赤組の本気を、いまこそ見せるときが来た!!」
潮江。
環奈は八郎に支えられながら重そうに赤組の旗を掲げ、仙石はいつの間にか手ずからカメラを回している。
「たのむわよ、恵子……みんな」
松子は祈る。京子は柊介を想い、春菜はハンカチで涙をぬぐう。
真剣な顔で武晴は明夫を見つめて、環奈を支える八郎は放送席のとなりにきらめく優勝旗を見た。
「おっしゃあ、青組ィ!」
八郎はさけんだ。
青組応援席がぎろりと赤組応援席をにらむ。
「あの優勝旗、うちがもろたで。見とけよ、いてこましたらァ!」
挑発。
赤組応援席は咆哮をあげた。
しかし青組応援席はクールにそれを受け流し、涼しい顔でグラウンドに目線を投じた。
「ようしお前ら、声出せ!」
赤組団長が声を張る。
「いっけーいけいけいけいけあーか!」
「いっけーいけいけいけいけあーか!!」
一年までもが声に続いた。
「おっせーおせおせおせおせあーか!」
「おっせーおせおせおせおせあーか!」
「いーけ! おーせ! あーかーぐーみ!!」
選抜組は入場し、選抜一年の第一走者がスタートの構えをとった。
これが、泣いても笑っても最後の闘い。
位置について。
「よーい!」
パンッ
一年生が一斉に駆け出す。
各色の応援席が一気に声をあげた。
一年生の走者は四名。ひとりの距離は二百メートルである。
第三走者がバトンを受けて走り出したのを見て、二年生第一走者である柿本瑞穂は立ち上がった。
「瑞穂、よろしく」
「まっかしときィ」
恵子のことばに、瑞穂はあかるくウインクを返す。
第四走者が走り込んできた。瑞穂は「よっしゃ」とちいさくつぶやくと、バトンを受け取って駆けだした。
グラウンドの反対側。
二年生第二走者として明夫がラインに立っている。柊介はなにも言わなかった。瑞穂が駆ける。青組走者と拮抗して駆け込んでくる勢いだ。明夫は前を向いた。
足音を聞く。
明夫は弓道で養った不動心をこころにまとった。
ちらと後ろを見る。ぼんやりと歪む視界のなかで、瑞穂の持つバトンだけがくっきりと見えた。
「千堂!」
瑞穂が声を出した。
それを合図に明夫が駆け出す。手にバトンが乗ったのを感じて、明夫はぐんとスピードをあげた。
「チッ」
と、横を走る青組走者──倉持勇斗の気配がする。しかし明夫は前だけを見て走った。足の速さではこいつに勝つ自信があった。
「千堂ッ」
松田恵子。
ちいさな身体がこちらに手を振っている。明夫の足はさらにスピードを増す。メガネのない視界のなかで、やはり彼女だけはくっきりと見えた。
「松田!」
さけんだ瞬間、恵子がふっと微笑した。──ような気がした。
がむしゃらに手を前に突き出すと、バトンはぴったりと恵子の手に乗った。
「サンキュ!」
という言葉とともに恵子が駆けていく。
明夫はグラウンドの内側にはけてその行く先を目で追いかける。彼女はぐんぐんとスピードを増していった。青組はもはやそのスピードに追い付けていない。
二年生第四走の有沢柊介は、恵子の走りを目で追う。残り三十メートルほどになったときに前を向いて膝をゆるめた。
「有沢ッ」
という恵子の声。
軽く足を前に出す。バトンが手に乗った。
「おう」
そして柊介は駆けだした。
なんという速さだろうか。柊介はおそらくこの選抜メンバー全学年のなかでも、もっとも速かったに違いない。
走る柊介の視界に、ちらりと赤組応援席が映る。
柊介はかるく頬をゆるめて二百メートルを走り、三年生の第一走者にバトンを手渡した。
それからすぐにグラウンドに寝転がり、空をあおぐ。
「は、ハッ。うあーッしゃあ!」
勝った。
青組に勝った。
雄叫びをあげる柊介を驚いたように明夫が見つめる。彼がここまで興奮するとはめずらしい。しかし気持ちはわかる。普段はおとなしい明夫でさえ腹の底から叫びたい気持ちでいっぱいだったのだから。
────。
そのまま選抜三年生が順位をキープしたことで、赤組は見事一位を勝ち取ることができた。
なんと驚いたことに青組走者が途中でバトンを落とすハプニングがあり、結果は四位。カラー順位でも赤組が一位に輝くことができたのである。
「やった、やったァ!」
選抜組が応援席に戻った瞬間、赤組応援席は歓声に包まれた。
いちばん飛び上がってよろこんだのはなぜか環奈で、潮江と廿楽に胴上げまでしてもらうほどだった。
「ようやったな、本当にようがんばった。偉かったぞう!」
と高村は瑞穂と恵子の頭を撫でくりまわし、柊介と明夫を全力で抱きしめた。
その後の閉会式で、学年順位発表の際、一位が二年三組──とアナウンスが流れたときは、あの恵子が涙を流したほどである。
「鬼の目にも涙ってか」
と柊介はわらったが、その表情はどこか穏やかだった。
応援合戦の優勝は黄組、カラー順位総合第一位は赤組として優勝旗が団長に手渡される。八郎はこみあげる涙をこらえてそのようすを見つめた。
こうして、白泉高等部の第六十一回体育祭は幕を閉じたのであった──。
※
「さ、たーんとおあがり」
焼肉屋にて。
笑顔の高村は生徒全員を前に両手を広げてそういった。
貸切状態の焼肉屋では、高村学級の生徒たちがそれぞれにっこりと肉やビビンバを頬張っている。
「ホンマに焼き肉ご馳走してくれるとは思わへんかった」
と、柊介さえも目を丸くする。
そのとなりで武晴が「お金ヤバない?」と不安げに肉を食べた。その言葉に高村はくすくすと肩を揺らす。
「子どもが金なぞ気にするな。ほれ二時間食べ放題やで──遠慮せんと肉を食え」
さあ、松田恵子である。
焼き肉禁止令をおのれに課していた恵子は、およそ三週間ぶりとなる焼き肉のうまさに涙を流している。
「うっ……う、うまい。高村センセェ──一生ついていきマス……!」
「こんでええわい」
と高村は苦笑したが「来年は」といった表情は穏やかだった。
「お前たちが団長になるんやなぁ──」
「春菜、来年もたかむーのクラスがいいなー」
「いやうちの担任になってもろて来年も焼き肉おごってもらうんやし」
「いや、来年こそは俺の走りに期待してもらわんと!」
「おまえどうせまたコケるやろ」
「うるせー!」
恵子と武晴の掛け合いが始まったのを横目に、八郎と柊介は高村を見た。しかし彼は、優しい顔でそれを眺めるのみ。
何をいうこともない。
むしろ席を立って、ひとりひとりの生徒たちのもとへ順繰りに声をかけに行く。選抜にて快走を見せた柿本瑞穂や、運動が苦手な生徒たちは、高村の来訪に手を打って喜んだ。
やがて高村は、端に座っていた千堂明夫のとなりに移動する。
「よう、MVP」
「あ、先生──」
「ええ走りやったで」
「あざす……あ、でもあの。バトンもらうとき、不動心が役に立ちました」
「へえ。えらいやないか、そうかそうか」
高村は何度もうなずいた。
褒められた明夫は、とくになにを言うでもなく、しかし嬉しそうに肉を食う。
その様子を眺めて、高村はぼそりといった。
「カッコええとこ見せられたんちゃうか」
「グフッ」
明夫がむせる。
みるみるうちに、耳まで真っ赤に染まるのがおかしくて、高村は声をあげてわらった。
「アホか。バレバレや」
「いや、はっ、え?」
「気付いとらんのは当事者だけやで」
というのと同時に、高村の笑い声で皿と箸を持参した恵子や武晴が集まってきた。
「あ──」
「千堂、そこまで目ェ悪ないやん。フツーにバトンもろたで」
「いやそれは」
明夫が口ごもる。それを横目に武晴はニヤケを隠しきれずに後ろを向いた。
「松田の存在感がひときわすごかったおかげや」
「はー?」
「人間のなかにゴリラが一頭おったら、そら存在感もすげェわな」
「…………」
という柊介の茶々に邪魔はされたが、うつむいた明夫は非常に満足した顔をしていた。
────。
『しのぶれど 色にいでにけり わが恋は
ものや思うと 人のとふまで』
『恋すてふ わが名はまだき たちにけり
人知れずこそ 想いそめしか』
その夜。
夢路にあらわれたのは、ふたりの言霊。
はてさてそれが、それぞれ誰の夢路であったのかは──。
篁のみぞ知る。
※ ※ ※
──人に知られまいと隠した想いも、
顔に出てしまっていたようだ。
何か物思いをしているね、と
人が尋ねるほどまでに。──
第四十番 平兼盛
天暦御時歌合、
『初恋』の題にて詠める。
「天気左にあり」とて勝ちにけり。
※ ※ ※
──恋をしているという私の噂が
早くも立ってしまった。
人に知られぬよう、心ひそかに
想いはじめたばかりというのに。──
第四十一番 壬生忠見
天暦御時歌合、
『初恋』の題にて詠める。
名歌惜しくも負けにけり。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~
御崎菟翔
キャラ文芸
【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】
「選ぶのはお前だ」
――そう言われても、もう引き返せない。
ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。
そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。
彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。
「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。
なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに!
小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。
その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる――
これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。
★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』
この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中!
https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858
幽縁ノ季楼守
儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」
幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。
迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。
ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。
これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。
しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。
奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。
現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。
異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー
様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。
その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。
幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。
それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~
白亜凛
キャラ文芸
ときは平安。
ひっそりと佇む邸の奥深く、
祓い姫と呼ばれる不思議な力を持つ姫がいた。
ある雨の夜。
邸にひとりの公達が訪れた。
「折り入って頼みがある。このまま付いて来てほしい」
宮中では、ある事件が起きていた。
大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ
鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。
それが約50年前。
聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。
英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。
俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。
でも…英雄は5人もいらないな。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~
秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。
五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。
都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。
見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――!
久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――?
謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。
※カクヨムにも先行で投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる