胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

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捌の抄 罪と罰

其の捌

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 ※
 今日も、クソみたいな一日だった。
 そう思いながら、取り巻きの家に転がり込んだ三沢は、その日、夢を見た。

 あたりを見回す。どこかの無人駅だろうか。
 三沢は、だれもいないうえに夢の中であると分かっていながら、えばったように大股でホームを歩く。自分は強い。自分は誰よりも崇高な存在だ。三沢はいつのころからか、そんな妄想に憑りつかれていた。
 しばらくして、『まもなく電車が来ます』というアナウンスが男の声で聞こえた。

 『その電車に乗ると、怖い目に合いますよ』
 と続けたアナウンスに、三沢はハッと鼻を鳴らした。

 これは、一時期ネットで流行った『猿夢』というものではないのか。三沢は中学時代、有沢柊介をからかうためにネットで怖い話を読み漁ったことがあった。そのうちのひとつにあったのが、『猿夢』である。
 その怖い話では、まもなくホームに入ってきた電車は遊園地にあるようなおさるさん電車のようなもの──だったような気がする。
「ははっ」
 案の定、ホームに走り込んできたのは猿の電車だった。
 三沢は自分の予想が当たり、馬鹿にしたように鼻で笑った。たしかその電車には、男女が二人前後に座っているはず──そう思って、後ろの方に目を向ける。
「あ……?」
 しかし、後ろに続く座席には、ふたりどころか何人もの男女が座っていた。それはみな、どこか平安貴族を思い起こさせる装束をまとっている。
「なんだ、こりゃ」
 呟いて、電車を見送ろうとした三沢だったが、ふいに足が前に進んだ。
「あ?」
 勝手に足が動く。自分の意志とは反対に、三沢はその電車の一番前の座席に座ってしまった。その時から、内心焦り始めた三沢だったが、後ろには何人もの人間が座っている。
 ここで狼狽える姿を見せるのは不本意だった。だから、あたかも自分の意志で座ったかのように堂々と胸を反って豪快に足を組んだ。
(…………少し不気味だが、しょせんは夢さ)
 そう思えば、怖いことはなくなった。
 余裕をこいて後ろをちらりと見たときである。
「!」
 三沢の心臓は、跳ね上がった。
 そこにいたのは在りし日の柊介の父だったのだ。
「…………」
 彼は、首吊り時に使用したというタオルを巻いたまま、虚ろな目で三沢をじっと見つめている。さすがにゾッとしたのか、三沢は慌てて前を向いた。
 夢だ、夢だ。自分の記憶が夢に出ているだけだ、と三沢は笑った。
 しばらくすると、電車のアナウンスが『次は、等活、等活』と言った。
「トウカツ……?」
 三沢がつぶやくや、後ろでひどい悲鳴が聞こえた。
 バッと後ろを向くと、自分より四人ほど後ろにいた男が何人もの小鬼に金棒で叩かれたり、なにかを飲まされるなりハラワタを虫が食い破ってきたり。しまいには皮をはぎ取られていくではないか。
 三沢は心臓がバクバクと激しく鳴り、思わず前を向いた。
 いったいどういうことだ。
 これは、猿夢ではないのか?
 恐る恐る振り向くと、先ほどの男はもういなかった。
「…………」
 ごくり、と唾を呑み込んだとき、アナウンスは『次は、黒縄、黒縄』と言った。
「コクジョウ……」
 知らない、そんなもの。
 三沢は手を震わせながら再び後ろを見ると、先ほどとは別の男が、どこから出てきたのか鉄板の上に寝かされ、大工道具のようなもので身体中に線を引かれていく。
 なんの印だ、と三沢が目を凝らすと、次の瞬間に小鬼がのこぎりを取り出してその線に沿って切り刻んでいく。
「ひっ」
 たまらず情けない声をあげて、三沢は頭を抱えた。
 あと何人だ。あと何人で自分の番だ。
 三沢はもはや少し泣きながらちらりと後ろを見る。あと、ふたりだろうか。
『次は、叫喚、叫喚』
『次は、大叫喚、大叫喚』
 アナウンスはどんどん進む。そのたびに後ろから悲鳴と聞き慣れぬ音がして、いつの間にか姿が消える。三沢はぐるりと後ろを向いて、柊介の親父を見た。
 そして、がばりと土下座をして叫んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさいッ。なんでもします、なんでもしますから……助け、たすけて」
 しかし三沢が顔をあげると、これまで座っていた乗客はひとりもいない。柊介の父親も、姿を消している。
 乗客は三沢ただひとりとなっていた。
 アナウンスは無情にも『次は、焦熱、焦熱』と言った。
「あっ」
 三沢は、自分の番だと思った。
 必死にサルの電車から飛び降りようとするが、身体は一切動かない。
 じりじりと何かが近付いてくる。首だけ動いたので勢いよく後ろを見ると、赤く熱せられた鉄板が用意され、なにやら刃先のするどい道具がたくさん用意されていた。
「や、……いやや、許してくれ……ゆるして」
 覚めろ、覚めろと心で何度も唱えた。もはや恰好悪いなど言っていられなかった。
 小鬼が、三沢の身体をひょいと持ち上げる。三沢の十分の一ほどの大きさなのに驚くほどの力だった。三沢はぐちゃぐちゃに泣きわめいた。
 助けてくれ、助けてくれ。
 そのとき、

『執着を捨てろ。でないと、これは毎夜続くよ』

 というアナウンスが聞こえた。
 三沢は「しゅうちゃく、しゅう……」と呟いて口をパクパクと開閉する。

『有沢柊介ならびにその友人、そしておのれの周りの者を傷つけてみろ。焦熱の炎がおのれを一瞬で焼きつくす。夢だと思うて油断するなよ。夢で焼き尽くされればそのまま冥土行き。冥土でふたたび焦熱の判決を下してやる。さすればおのれは気の遠くなるような時間、その炎で焼かれ続けるのだ』

 アナウンスの声が、だんだんと遠くなる。
 ああ、ようやく目が覚める。──三沢はぱちっと目を開けて飛び起きた。
 そこは、名前も忘れた取り巻きの一人の家だった。ホッと息をつく。
 しかしその安堵は一瞬だった。

「わすれるなよ、お前のことをずっと見ているからな。──」

 耳元でささやかれた声は、あのアナウンスの声だった。
 三沢は今度こそ叫び、そして家を飛び出した。
 どこに逃げるかなど考えてはいなかった。とにかく、とどまってはいけないと思った。
 しばらく走って、息を整えるためにビルの陰にしゃがみ込む。
「は、はあ……くそっ」
 拳で地面を叩いた瞬間、

「逃げられないよ」

 と、再び耳元に聞こえた声。姿が見えないのに、その存在を感じて三沢はとうとう発狂した。
 うわあ、と半狂乱になり町中を駆け回った。その姿を通報された三沢が警察に保護されたとき、彼は涙にまみれた顔で放心していたという。

 ──。
 ────。
「く、くく、くっくっく──」
 篁は、肩を揺らして笑った。
 小町もうれしそうにガッツポーズをしていたが、ふと少し気の毒に思ったか、苦笑して篁に寄り添った。
「やりすぎですよおもうさま」
「やりすぎるくらいがちょうどよいのだ。ああいうやつは」
「おお怖い。地獄の刑罰とはあんなにむごいものですか」
「阿鼻でないだけマシだ。まったく──こんなちっぽけな世界で、ひとつの器を与えられただけの小物が勘違いをしおって。富も権力も、鍛えた器とて冥土に行きゃあ話にならん。諸々剥がれ、魂のみになったときの彼奴がどれほど小さきものか、今から見ものだ」
 といって篁が踵を返す。
 小町もそのうしろについて歩き出した。
「これで柊介様たちへの意地悪も、やめていただけるといいのですけれど」
「やめなければまた夢を見せるよ。今度は少し焼いてやるさ」
 篁はわらって、手を広げた。

「此度の件では、和本の皆々様のエキストラ出演に大変感謝しております。どうぞ酒でも」
 ワッ、と歓声があがる。
 彼らはみな、篁から依頼を受けて、和本から出てきた歌人たちの言霊であった。
「ハッハッハ、愉快愉快」
 おのれの膝を叩いて笑う、一番上座の男。
 篁は「葛城様」と酌をする。
 葛城、とは天智天皇のことである。百人一首第一首に選ばれた人物であり、歴史の教科書でよく聞くのは中大兄皇子という名であろうか。
 彼は口元の血のりをぬぐって高らかに笑った。
 ──かつて。
 天皇血族として蘇我氏の君臨を危ぶみ、中臣鎌足とともに蘇我入鹿暗殺というクーデター、乙巳の変を起こした張本人である。
 ちなみに彼は『等活』の際にひどい目に合わされた役をした演技派だ。
「スカッとしたのう」
「──しかし、篁。あのおのこのててもお前が?」
 といったのはその娘、持統天皇。真名を讃良ささらという。
 このふたりは、今回の作戦で一番ノリノリだった。
 ちなみに彼女は『叫喚』の際の被害者役である。
「いえ、知りませなんだ」
 と篁は腰低くいった。
「私も驚きましたが、息子を助けたかったのやもしれませぬな」
「それはまた、──美しきかな」
 『黒縄』にて細切れにされた役をしていた藤原道雅が、しみじみと呟いた。
 
 ながらへば、またこの頃やしのばれむ。
 言霊たちは各々が猪口をかかげ、そう祈り願った。

 ※
 夏休み二日前。
 柊介の不安は杞憂に終わる。風のうわさで、三沢智弘がどこか地方に引っ越したと聞いたのだ。
「先生、なにやったん?」
 八郎はペットボトルの麦茶を一口飲んだ。
 うーん、と日直日誌にコメントを書き入れながら、高村がうなる。
「いくらめんこいお前たちからの質問でも、そればかりは企業秘密やなァ」
「ええッ、気になるやん!」
 春菜が机をダンッと拳でたたく。
 ぱらり。
 日誌を一枚めくる高村がクスッとわらった。
「まあしいて言えば、殺人を犯した者が受ける刑罰をその身に教えてやったといえばええかの」
「それって先生が捕まるやつちゃうの」
「先生怖すぎ」
 武晴と松子がケタケタとわらう。
 八郎や柊介、京子、明夫も深くとらえずにつられて笑っている。が、ただひとり恵子だけはお菓子を食べる手を止めて高村を見つめた。
 ぱらり。
 その視線に気が付き、日誌をめくる手を止めて高村が微笑する。そして人差し指を口に当てた。
「…………」
 恵子はくちびるをきつく結ぶ。それから視線を落として目の前のお菓子を口に放り込んだ。

 ──高村が、浄玻璃鏡で何を見たのか。それは冥土裁判の関係者のみが知ることである。
 現世の司法は逃れても、冥土の司法は決して逃がさない。

 高村は立ち上がり、ポン、と柊介の頭を撫でた。
「な、なんやねんいきなりッ」
 柊介は照れたようにその手を振り払った。しかし恵子が彼をヘッドロックし、動けない姿を面白がって八郎と武晴もぐしゃぐしゃと撫でくり回す。

 せめてこれからは──彼に当たり前の幸せを。
 ここにいる柊介以外の全員が、彼を想って心から願い、笑った。

 ※
 ────。
 八郎は日誌をとじた。
 さあ、あしたから夏休み。なにをしようかな。
 柊介といっしょにどこかへ行こうか。そうだ、そうしよう。
 この日誌を、高村に提出すれば日直の仕事はおしまいだ。はやく行こう。

 ゆっくりと席を立つ。

『しんどい時を乗り越える方法』──。

 柊介の、そっけない、しかし疲れ果てた心の声。
 ふたりの間にどのような会話があったのか、八郎は知らない。が……。

『”生き続けること”』

 と返した高村の言葉が、やけに目に染みた。
 廊下の奥から柊介と武晴の声が響く。

 八郎はぐいと目をこすって、リュックを背負って教室を出た。

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