胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

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拾壱の抄 恋の淵

其の肆

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「あ、きたきた」
 と冴子がいった。

 近江舞子中浜水泳場の近く、淡色のペンションに二台の車が停車する。白の八人乗りアルファードから降りた仙石が、ごき、と肩をひとつ鳴らした。
 黒のワンピースを風になびかせ、冴子はペンションの玄関から仙石のもとへと駆けてくる。
「思ったより早かったね」
「こっち向かう道はわりと空いててん。おお田端くんに岩崎くんも来てたか」
「ハイ、もうバーベキューもセットしとるところです!」
 と、岩崎剛は大柄な身体を揺らす。
 二百メートルほど下れば水泳場──という最高の立地に高校生たちは感嘆の声をあげた。
「うきゃーっ、キレイ! 泳ぎたァい!」
「先にバーベキューっしょ。恵子いてへんうちに取り分とっとかんと!」
 という春菜と松子に、冴子は「さっき廿楽くんから連絡あってね」と微笑する。
「試合が早く終わったからもうすぐつくかもって。お肉焼いちゃう?」
「うわ、またニアな時間に……」
 松子は顔を手でおさえた。春菜も唸る顔はしぶい。
「逆にいま焼いてもたら、なんで先に焼いてんねんて怒られるかもしれん──待っとこか」
「せやね。冴子さん、やっぱ待っときます」
「わかった、でもほんとにすぐみたいだし。野菜切って待ってようか」
 という冴子の笑みは美しい。
 松子はちらと琵琶湖を見る。水面がキラキラとまばゆく光って、それもまた美しい──。
「冴子さん」
「うん?」
「あっちでお野菜切りながら、いっしょにお話ししません?」
「う、うん。?」
 戸惑う冴子の手をぎゅうと握って。
 松子はにっこり微笑んだ。

 ──。
 ────。
「やだ仙石くんったら、そんなあけすけに──」
 と、冴子は頬を染めた。
 玉ねぎや茄子、ピーマンなどの具材をせっせと準備する女子軍団のなかで、松子が車中にて聞いた話をぽつりとこぼしたのである。
 関係性を知らなかった環奈と春菜はたいそう驚いたが、麻由は平然とした顔をしている。
「マユちゃん知ってたの?」
「直接聞いたわけとちゃうけど、なんとなくね」
「えェー! なんとなくなんて分かんないよ、はやく言ってよォ」
 悔しそうに地団駄をふむ横で、京子は玉ねぎを切る。潤む瞳を冴子に向け、
「実際、その通りなんですか」
 と遠慮がちに聞いた。
「ま──そうね。お互いとっても好きってところからはじまったわけでもないし。どちらかというと利害関係だったから……」
「始まりはそうかもしれんけど、いまはさすがにちがいますでしょ」
「そりゃ、ね。お互いに情は沸いてると思うけど──だからといってみんなが期待するような、ラブラブなカップルかと言われたらそうじゃないわね。むこうもいま研究一本だし」
 と、冴子は苦笑して茄子を切る。
 洗った食器をがちゃがちゃと持ってきた春菜が、不服そうに「そんなァ」とつぶやいた。
「じゃあまだエッチもなし?」
「春菜──」
 京子が真っ赤な顔でたしなめる。が、冴子は苦笑して「まあね」とうなずいた。
「じゃあせめて、仙石さんの行動に一喜一憂とかそういうかわいいこともないんですかァ」
「ないことは──ないわよ。そばにいる時間が増えればそれなりに、知ることも多いし。あの人ちょっと理屈っぽいけど」
 やさしいしね、といって冴子はうつむいた。
 切り終えた茄子をぼんやりとザルに移す彼女に、松子は眉をつり上げた。
「んもうじれったい。冴子さんは本音の話、どうなんです。仙石さんは冴子さんが研究一本やからっていうてて、冴子さんは冴子さんで逆のこと言いよる。それぜったい互いに気ィ遣いすぎなだけですって! もっとお互い踏み込まんと、これ以上なんも進まへんですよ。もういっそ別れるて言うてみたら? ちょっとは焦るかも」
「そんなこといったら、いいよって言われてそれこそ本当に別れるわよ。……べつにそういう行為がしたくて付き合ってるわけじゃないからいいの。ただ、自分ばっかり想いが大きくなっちゃったなって、たまにね。思うだけ」
「冴子さん……」
 彼女はわらう。
 そのときである。
 バーベキューの機材セッティング等をしていた男性陣の方から、ワッと歓声があがった。
 何事かと見ると、潮江たちが到着したようだ。

 ※
 ようやく一同が揃い、乾杯の時。
 仙石の掛け声でみな杯をかかげ、今日という日に感謝をする。
「お嬢、テント張ったぞォ」
「っしゃ!」
 ペンションの横。
 思う存分食べられるようにと、廿楽は持参のテントをひとつ組み立てた。その絶妙な狭さが気に入ったか、そこはすっかり恵子の食事場所となったようである。
 その様子を見た柊介が一言、
「ゴリラの餌場」
 と呟いたのが聞こえたか、恵子は湖に沈めんばかりに柊介を猛然と追いかける。
「…………」
 その様子を、つまらなそうに見つめるのは春菜である。隣にいた京子の肩をつつき、
「恵子ってなんだかんだ一番、シュウに近くない?」
 とぼやいた。
 京子はなんとも言えずにちいさく唸った。うん、といえばなんとなく嫉妬に乗じて恵子を批難する気がしてイヤだったからだ。
 まもなく、湖に背負い投げられた柊介は、ポタポタと滴をたらしながらこちらにやって来る。
「くそ、これ以上ゴリラに絡まれたら俺の命が持たん」
「飽きずにようやらはるわ」
 と八郎が箸をくばる。
 柊介はにやりと笑って「お前かて」と嘲笑した。
「目の前に珍獣がいたら、怖いもの見たさでちょっかい出すやろ」
「ちゃんと檻に入ってりゃあな──」
 という八郎から箸を受け取った春菜。
 ねえ、と柊介を見た。
「シュウてケーコのこと好きなん?」
「は?」
 という彼の顔はとてつもなく呆れている。
 そして、
「人間は人間としか恋愛でけへんぞ。大丈夫か仲宗根」
「えっ。いや、やァ──そらま、そうやけど……」
 なぜかまっとうな正論を言われたことに、春菜はひどく動揺した。

「廿楽さまッ」
 小町は日傘を投げ捨て、走った。
 トレーニングのためかよく焼けた廿楽の腕に真白な手でしがみつき、頬を染めて彼を見上げる。
「おう、おまえも来てたのか。そんなに走ったら死んじゃうぞ。どれ、子守唄でも聴かせてやろうかな」
「まあ……いじわる!」
「なははははは! ほらおまえ肉を食え。すこしは食べないといかんぞ」
 空に向かって高らかに笑い、皿に盛った肉を食う。
 まぶしいほどの笑みに小町はうっとりした。──が、そのうしろで涙を呑むのは尾白武晴だ。先ほどから千堂に失恋話を滔々と聞かせては、
「お前もさっさと当たって砕けて散らばれ!」
 などと不穏な八つ当たりをかましている。
 学部生三人組──剛、尚弥、麻由はおだやかなものだったが、春菜から尚弥の失恋話を聞いたらしい松子や京子ら女子高生がワッと押し寄せ、たちまち質問攻めがはじまった。
 潮江と恵子はただひたすらに肉を食い、環奈と八郎、柊介はマシュマロやチョコなどを取り出してあぶっている。

「…………」
 冴子と仙石。
 このふたりはおなじ長椅子に腰かけてこそいたが、とくに会話をするでもなく、ただみなの様子をぼんやりと眺めていた。
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