胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

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拾玖の抄 暗雲の兆し

其の肆

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 一方そのころ。
 生徒たちとの夕食を終えた教員は、旅館の宴会場を貸し切って『お疲れ様会』なるものを細々と開催していた。
 白泉大学附属高等学校の修学旅行では恒例行事らしい。
 主催はともに参加している校長のため、文句をあげる教師はだれもいない。というのも、各教員から会費を数千円ずつ集めて、残りは校長が支払うというのだから文句をあげるわけもないのだが。

「ずいぶんとご機嫌ですね、高村先生」
 日本酒を浴びるように呑んだ須藤真澄が、宴会終盤になって高村のそばに寄ってきた。
 理性のあるあいだは高村を避けていたようだが、どうやらいまは箍が外れたらしい。高村はにっこりとわらって腰をずらした。真澄のスペースをあけるためである。
「いやね、きょうは生徒にかわいいことを言われちまいまして」
「あら、なんです?」
「ふふふ。来年もこの高村学級でいきたいって」
「んまぁかわいらし。だれです、そんな殊勝なことをいう子は」
「刑部ですよ。刑部八郎」
「ああ──ずいぶんとなついてますものね。あなたに」
 といった真澄の目は、半分ほど閉じかけている。
 さすがに呑みすぎたようだ。
「ねむいですか」
「いえ……まだ呑めますよ」
「無茶言わんでください。あしたも一応まだ行程残ってるんですから」
「──ねむい」
 真澄が、ぼそりとつぶやいた。
 やっぱりねむいんじゃないスか、と高村は眉をさげる。
「まくらがほしいわ、掛布団ないとねむれない」
「ねむれない、ちゃうでしょ。はよ部屋もどんなさいよ」
「高村せんせいのばか」
「なんでやねん」
 部屋まで送りますから、と立ち上がると彼女も案外すなおにあとをついてきた。フラフラではあるが歩けないわけではないらしい。

「鍵は、袖のたもと」
 二階にある一室の前で、高村にしなだれかかる真澄がつぶやいた。
「…………」
「…………」
「いや、それは自分で出してくださいよ」
 こんなところを生徒に見られたらめんどうだ。
 急くようにいった高村をじとりとにらんで真澄が袂を探す。ようやく鍵を取り出して渡すなり、むっつりと黙り込んでしまった。
「ほら、開いた」
「…………」
 扉を開けても、真澄は動かない。
 すこし悲しそうにうつむいたっきりだ。高村は眉を下げて彼女の手を引いた。
「あした、寝坊せんでくださいよ」
「まくらがほしい」
「あるやろ布団に」
 もはや敬語もめんどうくさい。
 高村は真澄を畳に捨てて、敷かれた布団の上にある枕を手渡した。が、彼女はいまだ不服そうにうつむいている。
 嗚呼、と高村は口角をあげた。
「袖枕のほうがよかったですか」
 挑発的におのれの浴衣の袖を振る。無論、本気のわけはない。しかし彼女には強すぎたようだった。
「またそんなこといって。高村先生なんか、……キライよ」
 と頬を真っ赤に染めて、いまにもなみだがこぼれそうなほどに瞳を濡らして、畳にへたり込む。そのすべてははたして酒のせいか、それとも──。
「先生?」
「……ありがとうございます。あとはもう大丈夫ですから」
「…………」
「よからぬうわさ、立てられても困りますものね」
 くぐもった声をふるわせて真澄がつぶやく。
 高村は心底ホッと息を吐いて、
「おやすみなさい。よい夢を」
 と足早に部屋を出た。

 残された真澄がどんな顔をしているかなど、気にする余裕はなかった。
(おんなってこわい)
 気がつけば背中に汗をかいている。
 一ミリだってその気などなかったのに、女の醸すあの雰囲気というのはどうにも──苦手である。高村はポリポリと頭を掻いて、さっさと自分の部屋がある三階へと階段をのぼった。

 ──。
 ────。
 あれから真澄はまもなく寝落ちたようである。
 夢のなか。

『春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
       かひなくたたむ 名こそ惜しけれ』

 呼び寄せた言霊から、この薫り高い和歌を贈られた篁は、ひとり深いため息をついた。


 ※ ※ ※
 ──みじかい春の夜の、夢のように
   はかないたわむれの手枕のせいで、
   つまらない浮名が立ってしまっては
   口惜しいではありませんか。──

 第六十七番 周防内侍
  二条院にて人々が居明かしていたとき、
  「枕がほしい」といった詠み人に、忠家が
  「これを」と己の腕を差し出した折に詠める。

 ──ま!
 ────さま!

 おもうさまッ。

 夢路にもどった篁の耳に、聞きなれた声がとどく。
「小町?」
 闇のなかに問いかける。
 するとほどなく小町があらわれた。その隣には業平もいる。
「おもうさま大変です!」
 尋常ではないそのようすに、篁はきゅっと眉根をひそめた。

 ※
 あっという間の最終日。
 ロビーに荷物を運んだ八郎はぐいっと大きく伸びをして空気を肺いっぱいに吸い込んだ。いままさに息を吐き出そうとした矢先、バシッと背中を叩かれた。おかげで八郎は盛大に噎せた。
「ゲホォッ、ごほっ。な、な……?!」
「八郎。ちょっとええか」
「ゲホ、ゲホッ……せ、センセ」
 ずいぶんと真剣な表情をしている。
 非難の目を向けた八郎だったが、ただごとではない雰囲気にすごすごとそのあとをついていくと、そこにはすでに柊介が待っていた。
「お前たち、きのう環奈と話したか」
「ううん。おとといはしたけどなんで……エッ。もしかしてかんちゃんになにか」
「ちがう」
 文次郎や。
 と、高村はいった。

 ──文次郎が大変なことに!
 昨夜、夢路にあらわれた小町は、篁の顔を見るなりそうさけんだ。
「大変なこと?」
 どういうことだ業平、と篁が視線を向けると彼は重い口をひらく。
「ここ数日、文次郎がほとんど起きない、ということが起きております。きょうはなんとか起こせましたが、またふたたび寝入ったきり環奈たちの呼びかけにも反応がない。いったいどうしたことかと──先ほど小町とともに文次郎の夢をさぐっろうと試みました」
「なんだって?」
「環奈がひどく憔悴してしまって、見るに堪えなかったのです。なんとか力になりたくって……」
 と小町がうつむく。
 勝手なことをしてしまったと反省しているようだ。しかし、いまはそんなことさほど重要ではない。
 それで文次郎は、と篁はその場に腰を下ろす。
「ええ。それが──」

「どうやら文次郎の意識が、夢のなかで囚われてしまっているらしい」
 と。
 八郎や柊介に向けて高村がいったのは、ロビーにて言いかけてから数十分ほど経ったバスのなかであった。あれからすぐに引率の仕事をせねばならず、ここまで持ち越してしまったのである。
 このバスは現在、新幹線に乗車すべく博多駅に向かっている。
 最前列に座った高村のうしろのふた席に八郎と柊介が座り、顔を寄せあって高村の話を聞いた。
「夢のなか、ってどういう状況……?」
「さあな。小町も業平もしょせんはただの言霊。夢路までは行けようと、文次郎に呼ばれてもおらぬのに夢に入ることはできん。詳細を知るにはこのタカムラが行くしかない……八郎、柊介」
「は、はい」
「新幹線のなかで俺はこの身体を休ませる。そのあいだに文次郎の夢をさぐってみるから──極力この身体を起こさぬように。万が一小野篁になにかが起こったときは助っ人を頼んであるから心配ない。いいな」
「はい」
 八郎はおとなしくうなずいた。
 しかし柊介は浮かない顔でずっとだんまりを貫いている。
「柊介」
「んァ」
「……心配するな」
「…………」
 ──心配するな。
 以前、国語準備室でいわれたことばを思い出している。
 あのときに言っていた『その時』がきたということなのだろうか。自分がすべきことはいったいなんなのか。
 柊介はなおも不服な顔をしてはいたが、やがてゆっくりとうなずいた。
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