胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

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拾玖の抄 暗雲の兆し

其の伍

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 文次郎は、夢のなかにいる。

 とってもたのしい。
 いつもいつも、いろんな夢を見る。
 でもここ数年はかならず、おなじ場所におなじお友だちが待っているんだ。

「おーい!」

 文次郎が跳ねまわり、駆ける。
 刑部桜の根元。
 一匹の黒犬がうとうとと微睡んでいる。

「あそぼ、あそぼ!」
「いまそんな気分じゃない」
「えー。どうして?」
「……主人も、帰る場所も見つからないんだ」
「帰る場所?」

 黒犬のしっぽが、しゅんと落ち込んでいる。
 文次郎にはしっぽがないから、感情をあらわそうとすると、どうしたってうれしいときにお尻がぶるぶると震えるくらいしか表現できないのだが、彼のしっぽは見るからに『さびしい』という感情を示していた。

「どこに帰りたいんだよ」
「本のなか」
「本?」
「あったかくて、やさしくて、落ち着く場所だよ」
「…………」

 本。
 いつも環奈や八郎が話している『和本』のことだろうか。
 文次郎は本というとそれしかしらない。

「主人はどこにいったの?」
「さあ。家がなくなったときから、私を探しに来てくれているはずなんだけど」
「君も探しているんだろう」
「いいや、ツレが代わりに探しているのさ。ここで待っていなさいって言われてるんだ。彼女にはなかなかどうして逆らえなくって」
「そうなのか。まあでも、きっとすぐに見つかるよ」
「ほんとうに?」
「うん」

 文次郎が口角をあげて舌を出す。
 この顔をすると、いつも環奈が「わらったあ」と喜んでいたからだ。
 やっぱりこの顔は効果てきめんだったらしい。大きな黒犬も、寂しそうな顔をわずかに弛めて文次郎の首元に顔をすりつけてきた。

「キミ、文次郎だろう。そういえば以前にも君のなかに遊びにきたことがあったっけ」
「そう?」
「覚えていないかもしれないけれど。私が一度だけ主人を見かけたときがあって、そのあとを追いかけようと──君の身体を借りたことがあったんだ」
「そう?」
「そうだよ。数日間なんの文句もなく、歩きどおしで都のほうへ向かったのに……とつぜん君が「帰ろ」ってじぶんの意思を通してきたから。私が根負けしてこの桜のある家にもどったんだ」

 黒犬は遠い目をしている。
 彼の話すことが思い出されてきた。そうだ。あれは──環奈が『キョウト』というところへとつぜん行ってしまったころのこと。
 環奈、環奈、かんな!
 とさけんでいた心に呼応するように、だれかが「いこう」といったんだ。
 たまらず庭からとびだして、ただ声のきこえるままに歩き続けた。

 ──まつとし聞かば、いまかへりこむ。

 とつぜん。
 そんな声が聞こえたんだ。聞こえたとおもったら無性に帰りたくなって、じぶんのなかの声に「やっぱり帰ろ」っていったんだ。
 環奈には会いたかったけど、それ以上に、あの場所に帰りたかったから……。
 文次郎はぺろりとおのれの鼻を舐める。

「そんなこともあった」
「思い出したかい」
「ああ」

 おもいだした。
 あのとき、おんなの子もいた。
 なんだかとってもイヤな臭いのおんなの子。さっき黒犬が『ツレ』といったのもその娘のことだろう──文次郎はムッとした。

「そういえば君といっしょにいたあの子、どうした」
「胡蝶のことか」
「コチョウ?」
「白い娘だろ。私のツレ。あれは胡蝶というんだよ」
「…………」
「はるか昔からずーっと私のそばにいてくれる。あれは、もうひとりの私が遺した形見のようなものさ」

 遠い目をする黒犬に、文次郎は鼻頭にしわを寄せた。

「主人が見つからないといったな」
「ああ」
「あの娘、ほんとうに君の主人をさがしているのかい」
「……なんだって?」
「君はどうしておれの夢に来たんだよ」

 という文次郎の声がわずかに険しくなる。
 それは胡蝶が、と訝しげに返事をした黒犬に、その顔のまま詰め寄った。

「変だよ。君はあの本に帰りたいんだろう」
「そうだったら」
「じゃあなぜ本から逃げ出したの」
「だって封印が解けたんだ」
「じゃあなぜ封印は解けたの」

 文次郎はじっと黒犬を見据える。
 いったいなにが聞きたいんだ、と黒犬は首をかしげた。しかし文次郎は「わん」とひと言声をあげてから、ふたたびおなじことを問いかけた。

「だから……それは、君の主人が持つ鬼一の血が、あの場所に」
「じゃあなぜその場所に八郎がいたの」
「え?」
「八郎はなぜ血を流したの。なぜ環奈がそこにいたの」

 黒犬は閉口する。
 ──おれはわかったよ。
 と、文次郎はつぶやいた。

「あの娘は、君が主人に会うことも、和本に戻ることだって望んじゃいない」
「…………まさか、うそだ」
「そうかな」

 文次郎のなかには、どこからとも言えぬ確信があった。
 だったらためしてごらん。
 と、挑発するようにいった。

「おれが協力してやる、おれはきっと君の主人をここに呼ぶよ。そうしたらコチョウはおれか君をどうにかするはずさ。見ててごらん──」


 ※
 一歩、足を踏み入れたときからなにかがおかしいことは感じていた。
 周囲は昏くて一寸先は闇である。

「ここは──」

 篁が周囲を見渡す。
 いま、高村の身体は新幹線でねむっている。この間にどうにかして眠りつづけるという文次郎の原因をさぐらねばなるまいとして、急ぎ文次郎の夢にやってきたのだが。肝心の文次郎はいったい──。

 コツン、と足になにかが当たる。
 目を凝らしてみると石が転がっていた。いや、それだけではなくそこかしこが石だらけだ。まるで河原のように。
「石……」
「それをお積みよ」
 突然、後ろから声をかけられた。
 ふり返ると、見覚えのある真白な少女が吊りあがった目でじっとこちらを見つめている。そうだ、彼女こそ白地蔵の娘──いや、木屑の『式』か。
 篁は嘲笑した。
「この冥官篁に、賽の河原の真似事をしろと」
「石を、積むの」
「あいにくと私はもう大人でね、その資格もないのだよ」
 『賽の河原』、そこは仏教観において親より先に此岸人を終えた子どもたちが集まる場所とされる。本来ならば子どもをいじめる鬼たちが、子が積んできた石塔をその手のムチで打ち払うという光景があるといわれるが──篁は『賽の河原』という場所に来たことがないゆえ、その光景を見たことはなかった。
「じゃあ、ひとりで積む」
 少女はしゃがんで、石を拾いはじめた。

 ──一重積んでは 父の為
 ──二重積んでは 母の為

 篁はその横にゆっくりと腰をおろす。
「おまえは鬼一の術によって生まれた木屑の『式』、胡蝶であろう。文次郎の夢にこんなハリボテの『賽の河原』なんぞつくりおって。なんの用だよ」
「……胡蝶じゃないよ。六花だよ」
 そして少女は石を積む。
 平たい石をえらんでゆっくりゆっくりと積んでゆく。
「りっか?」
「オソナエ、オソナエ」
「……白地蔵の娘のほうか。おまえと胡蝶は別ものなのか?」
「おっとうもおっかあも、置いてっちゃったから、六花ここにいるの」
 といった少女──六花というらしい──は、三つほど石を積んでから、積み方が気に入らなかったのかガラガラと崩してふたたび積みはじめた。篁の質問に答える気はなさそうだ。
 一瞬、篁は口をひらいてまた閉じた。
 かけるべきことばを悩んだからだった。

 ──三重積んでは 西を向き

 結局、篁は近くの小石を拾ってそれを川へと投げ込みながらいった。
「文次郎をどうした?」
「……余計なこというの。アイツ──つかまえちゃった」
「お返し」
「いやだ」
「どうして」
 と顔を覗いた篁に、六花は能面にある泥眼のごとき複雑な表情をむけた。

 ──かかる罪科《つみとが》 あるゆえに

「おまえが来なければよかった」
「なに?」
「おまえが、おまえ……お前のせいでハルカゲが」
 というと、少女はふたたび自身で積み上げた石を蹴っ飛ばす。
 散らされた小石が篁に当たる。
 少女の怒りを感じ、胡坐をゆっくりと崩して立ち上がった。
「……玄影がなんだって。いまどこにいる」
「しらないよ。おまえのせいで、ハルカゲはもういない。ハルカゲは──六花のもとから離れていってしもうたッ」
 そして周囲の景色がぐにゃりと歪む。

 これは──。
 周囲は暗闇に覆われた。先へすすもうと足を踏み出そうと試みるも、なぜか身体が動かない。
「あっ」
 篁は、目を見張った。
 前方に見えるのは先ほどの少女、六花とその腕にかかえられた文次郎。しかし篁がおどろいたのはそれではなかった。少女の視線の先にいた人物。

「環奈!?」
 刑部環奈、である。

 しかし自分の声は響かず、環奈にはとどかない。
 それどころか篁の姿すら彼女には見えていないようだった。

「かえして!」

 環奈がさけぶ。
 ──文次郎をかえしてッ。

 その瞬間、篁は見えない力によって夢路へと戻された。

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