胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

文字の大きさ
126 / 139
廿壱の抄 過去視

其の肆

しおりを挟む
 そんな夢を見てから、八郎はふとしたことで夢のなかへといざなわれることが多くなった。

 登校中の電車。
 朝のホームルームの時間。
 授業中。
 はたまた昼休みでさえも。

「……お前大丈夫か、昨日、今日とずっと寝てるで」
 文次郎や環奈がねむり病になった経験から、柊介はだれかが寝入ることに敏感になっているらしい。いまも帰りのホームルームで舟を漕いでいた八郎を見て、放課後を迎えるなりあわてて寄ってきたと見える。
 うーん、と八郎は目をこすった。
「わっかんねえけど、ずーっと眠いんよな……」
「おまえそれ、もしかしてまた」
「いや六花ではないと思う──たぶん、犬のほう。ずっと犬の夢見てるから」
 といってふたたび机に突っ伏しかける八郎の襟首をぐいとひっぱったとき、教室前方のとびらから高村がこちらを手招きしていることに気がついた。
 どうやら八郎を連れてふたりでこっちに来い、と言っている。
「おいハチ、先生呼んでる。たぶん国語準備室集合や」
「うーん、……」
 なんだどうした、とおもしろがる武晴を明夫に押し付けて、柊介はなんとか八郎とともに国語準備室へと向かった。

「八郎、おまえちゃんと夜は寝てんのか?」
 準備室に入るなり、高村から開口一番に問われた。
 はあ、と覇気のない返事をすると、高村は心配そうに八郎の額に手をあてる。
「具合がわるいわけやないんやろうけど──なんや、また六花が邪魔してくんのか」
「なんか今回は白やのうて黒犬のほうやそうです」
 代わりに柊介がいった。
 すると篁の顔がわずかにこわばる。
「なに、ハルカゲが?」
「なあハチ。そうなんやろ」
「わからんけど──でもいっぱい犬の夢見るんです。ちっちゃいころに海辺で遊んでるところとか、船の上できもちわるくなっちゃう夢とか、和歌を聞く夢とか──そんでそれぜんぶに、篁さんが出てくるんです」
「俺が」
「ウン。いっつもいっつもニコニコ笑うて、こっちの頭撫でてくれて……ハルカゲ、ホンマに先生のこと大好きで。なんやそんな幸せな夢ばっかり見る」
 と瞳をこすった。
 そして「きっとな」と八郎はつづける。
「見せたくて見せてんねんと思うんよ。こんなに幸せやったんやて、おれに教えてくれてるだけやと思うねん。せやからちょっと居眠り多くなってまうけど、ホンマ、申し訳ないねんけど──おれ、でもコイツが満足するまで付き合うてやりたいねん」
「八郎……」
「コイツほんまに、たぶんきっと先生に恋してたんやとおもう」
 じわりと八郎の瞳がにじむ。
 制服の袖でそれをぬぐいながら、八郎は高村を見つめた。
「あの海辺のとこ、たぶん隠岐の島やろ。そこで拾ったいうてたもんな。もう、たぶんあのときからずっとずっと、先生のこと好きで好きでたまらんかったんやと思うねん。だっておれが夢でハルカゲになってんねんから。もうダイレクトに気持ちわかるんやから」
「……────」
 その流れ落ちる涙は、八郎のものか。
 それとも夢のなかで情を共有しつづけているハルカゲのものなのか──。
 高村は苦笑した。
「そうか。ということはつまり、ハルカゲは八郎の夢にいったちゅうことやな」
「……あ、そうなんかな」
「うん、そうよなあ。『おかえりのバショ』やねんもんな、お前は」
「え?」
「いいや、こっちの話」
 といって首を振る。
 そして柊介に視線をうつした。
「このあいだの環奈のときみたく、八郎までイヤな夢見せられとるんかと心配したが、幸せな夢ならまあ──ええか」
「先生」
 柊介は非難の声をあげたが、しかし高村は微笑していた。
「わるいな八郎、ほんならいますこし付き合うてやってくれ。きっとすぐにお前のところへ顔を出すやろうから」
「はい」
 うなずいた八郎は、その拍子に机に突っ伏してしまいそうなほどに眠気をこらえているようすである。このまま歩かせたらたまったもんじゃない、と柊介は泣く泣く八郎を背負って、国語準備室をあとにした。
 するとまたたく間に肩越しに八郎が寝息を立てだした。
 もうすでに、意識が夢へとんだらしい。
「……よだれ垂らすなよ」
 柊介は諦めたようにつぶやいた。
 
 ※
 ひどい豪雨だった。
 目の前にそびえ立つは、小倉山荘である。
 どこか気が立ってそれでいて寂しさを胸中に抱えたまま、八郎──もとい黒い獣は立っていた。ああそうか、と八郎は心のなかで理解した。
 これは、ハルカゲが初めて小倉山荘に来たばかりの頃の夢だろう。
「グルルル」
 喉からうなる。
 一晩の雨をしのげさえすればいい。そんな気持ちでハルカゲは山荘へと入っていく。
 もし先客に拒まれたら喰ってしまえ──という、これまでにない狂暴な心に戸惑いながらも、八郎はハルカゲの目を通して山荘のなかを見わたした。
 すごい。
 とてもおだやかな空間だった。
 それはつまりハルカゲも同じように思っていたことで、気がつけばいきり立った肩はすっかり落ち着いていた。
 奥の部屋から声が聞こえる。
 老齢の男性だろうか──ハルカゲはおそるおそる近付いた。

「!」

 部屋中に、色紙形が散りばめられている
 そしてそれを吟味する痩せた老人がひとり。耳が遠いのか、ハルカゲがそばに寄ってもまったく反応がない。しかたなしに鼻先でツンとつつくと、老人はおどろいたようにこちらへ視線を向けた。
「なんじゃ、どっから入った?」
「グルルルル」
 手を振り上げたら喰い殺してやる。
 そんな気持ちで毛を逆立てたハルカゲだったが、老人の手元、一枚の色紙形を見るなり動きを止めた。
「な、なんじゃァ。この色紙形が気になるかェ。字が読めるのか、これは小野篁という歌人のうたで」
 おののたかむら。
 そのことばを聞いた瞬間に、ハルカゲの逆立つ毛はしおれ、殺気立った瞳はいとしさとさみしさで弱々しくうるんだ。そして鼻の奥でクウンと鳴きながらその色紙形に顔をすり寄せたのだ。
「おいおいこらこら。大事な色紙形になにを──お前さん、このうたの良さがわかるのかね」
「クン、クン……」
「そうかそうか。はははは、なんとおもしろい犬だろう。犬にしちゃあちょっとデカいが、なかなか見込みのある犬じゃあないか。どうれ、ほかの色紙形も見せてやろう」
 と、老人は数枚の色紙形を手に戻ってきたけれど、ハルカゲはただ、ただ、篁の和歌が書かれた色紙形に身を寄せつづけた。
 ──わたのはら。
 これはお前と出会う前に詠んだうたでね、とかつて隠岐の海辺で教えてくれたことがある。ハルカゲは彼の口からこぼれた和歌はすべて覚えていた。
 逢いたい。
 こんなに逢いたいのに。
 あなたに、逢いたいのに──。
 ハルカゲははちきれそうな想いを胸に、外の豪雨がおさまる翌朝まで色紙形から離れることはなかった。

 その想いにつられた八郎が、夢のなかで泣く。
 そのとき。

『玉の緒よ たえなばたえね ながらへば
       忍ぶることの よはりもぞする』

 ──九十七人目の言霊が、当時のハルカゲに情を寄せてあらわれるのだった。
 
※ ※ ※
 ──わがいのちよ。
   絶えるならば絶えてしまえ。
   このまま生き長らえて
   耐え忍ぶ心が弱まると困るから。──

 第八十九番 式子内親王
  百首歌のなかに、
  『忍ぶ恋』という題にて
  詠める。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~

御崎菟翔
キャラ文芸
​【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】 「選ぶのはお前だ」 ――そう言われても、もう引き返せない。 ​ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。 そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。 彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。 ​「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。 なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに! ​小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。 その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる―― ​これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。 ​★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』 この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中! https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~

白亜凛
キャラ文芸
ときは平安。 ひっそりと佇む邸の奥深く、 祓い姫と呼ばれる不思議な力を持つ姫がいた。 ある雨の夜。 邸にひとりの公達が訪れた。 「折り入って頼みがある。このまま付いて来てほしい」 宮中では、ある事件が起きていた。

大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。 それが約50年前。 聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。 英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。 俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。 でも…英雄は5人もいらないな。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

処理中です...