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廿壱の抄 過去視
其の肆
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そんな夢を見てから、八郎はふとしたことで夢のなかへといざなわれることが多くなった。
登校中の電車。
朝のホームルームの時間。
授業中。
はたまた昼休みでさえも。
「……お前大丈夫か、昨日、今日とずっと寝てるで」
文次郎や環奈がねむり病になった経験から、柊介はだれかが寝入ることに敏感になっているらしい。いまも帰りのホームルームで舟を漕いでいた八郎を見て、放課後を迎えるなりあわてて寄ってきたと見える。
うーん、と八郎は目をこすった。
「わっかんねえけど、ずーっと眠いんよな……」
「おまえそれ、もしかしてまた」
「いや六花ではないと思う──たぶん、犬のほう。ずっと犬の夢見てるから」
といってふたたび机に突っ伏しかける八郎の襟首をぐいとひっぱったとき、教室前方のとびらから高村がこちらを手招きしていることに気がついた。
どうやら八郎を連れてふたりでこっちに来い、と言っている。
「おいハチ、先生呼んでる。たぶん国語準備室集合や」
「うーん、……」
なんだどうした、とおもしろがる武晴を明夫に押し付けて、柊介はなんとか八郎とともに国語準備室へと向かった。
「八郎、おまえちゃんと夜は寝てんのか?」
準備室に入るなり、高村から開口一番に問われた。
はあ、と覇気のない返事をすると、高村は心配そうに八郎の額に手をあてる。
「具合がわるいわけやないんやろうけど──なんや、また六花が邪魔してくんのか」
「なんか今回は白やのうて黒犬のほうやそうです」
代わりに柊介がいった。
すると篁の顔がわずかにこわばる。
「なに、ハルカゲが?」
「なあハチ。そうなんやろ」
「わからんけど──でもいっぱい犬の夢見るんです。ちっちゃいころに海辺で遊んでるところとか、船の上できもちわるくなっちゃう夢とか、和歌を聞く夢とか──そんでそれぜんぶに、篁さんが出てくるんです」
「俺が」
「ウン。いっつもいっつもニコニコ笑うて、こっちの頭撫でてくれて……ハルカゲ、ホンマに先生のこと大好きで。なんやそんな幸せな夢ばっかり見る」
と瞳をこすった。
そして「きっとな」と八郎はつづける。
「見せたくて見せてんねんと思うんよ。こんなに幸せやったんやて、おれに教えてくれてるだけやと思うねん。せやからちょっと居眠り多くなってまうけど、ホンマ、申し訳ないねんけど──おれ、でもコイツが満足するまで付き合うてやりたいねん」
「八郎……」
「コイツほんまに、たぶんきっと先生に恋してたんやとおもう」
じわりと八郎の瞳がにじむ。
制服の袖でそれをぬぐいながら、八郎は高村を見つめた。
「あの海辺のとこ、たぶん隠岐の島やろ。そこで拾ったいうてたもんな。もう、たぶんあのときからずっとずっと、先生のこと好きで好きでたまらんかったんやと思うねん。だっておれが夢でハルカゲになってんねんから。もうダイレクトに気持ちわかるんやから」
「……────」
その流れ落ちる涙は、八郎のものか。
それとも夢のなかで情を共有しつづけているハルカゲのものなのか──。
高村は苦笑した。
「そうか。ということはつまり、ハルカゲは八郎の夢にいったちゅうことやな」
「……あ、そうなんかな」
「うん、そうよなあ。『おかえりのバショ』やねんもんな、お前は」
「え?」
「いいや、こっちの話」
といって首を振る。
そして柊介に視線をうつした。
「このあいだの環奈のときみたく、八郎までイヤな夢見せられとるんかと心配したが、幸せな夢ならまあ──ええか」
「先生」
柊介は非難の声をあげたが、しかし高村は微笑していた。
「わるいな八郎、ほんならいますこし付き合うてやってくれ。きっとすぐにお前のところへ顔を出すやろうから」
「はい」
うなずいた八郎は、その拍子に机に突っ伏してしまいそうなほどに眠気をこらえているようすである。このまま歩かせたらたまったもんじゃない、と柊介は泣く泣く八郎を背負って、国語準備室をあとにした。
するとまたたく間に肩越しに八郎が寝息を立てだした。
もうすでに、意識が夢へとんだらしい。
「……よだれ垂らすなよ」
柊介は諦めたようにつぶやいた。
※
ひどい豪雨だった。
目の前にそびえ立つは、小倉山荘である。
どこか気が立ってそれでいて寂しさを胸中に抱えたまま、八郎──もとい黒い獣は立っていた。ああそうか、と八郎は心のなかで理解した。
これは、ハルカゲが初めて小倉山荘に来たばかりの頃の夢だろう。
「グルルル」
喉からうなる。
一晩の雨をしのげさえすればいい。そんな気持ちでハルカゲは山荘へと入っていく。
もし先客に拒まれたら喰ってしまえ──という、これまでにない狂暴な心に戸惑いながらも、八郎はハルカゲの目を通して山荘のなかを見わたした。
すごい。
とてもおだやかな空間だった。
それはつまりハルカゲも同じように思っていたことで、気がつけばいきり立った肩はすっかり落ち着いていた。
奥の部屋から声が聞こえる。
老齢の男性だろうか──ハルカゲはおそるおそる近付いた。
「!」
部屋中に、色紙形が散りばめられている
そしてそれを吟味する痩せた老人がひとり。耳が遠いのか、ハルカゲがそばに寄ってもまったく反応がない。しかたなしに鼻先でツンとつつくと、老人はおどろいたようにこちらへ視線を向けた。
「なんじゃ、どっから入った?」
「グルルルル」
手を振り上げたら喰い殺してやる。
そんな気持ちで毛を逆立てたハルカゲだったが、老人の手元、一枚の色紙形を見るなり動きを止めた。
「な、なんじゃァ。この色紙形が気になるかェ。字が読めるのか、これは小野篁という歌人のうたで」
おののたかむら。
そのことばを聞いた瞬間に、ハルカゲの逆立つ毛はしおれ、殺気立った瞳はいとしさとさみしさで弱々しくうるんだ。そして鼻の奥でクウンと鳴きながらその色紙形に顔をすり寄せたのだ。
「おいおいこらこら。大事な色紙形になにを──お前さん、このうたの良さがわかるのかね」
「クン、クン……」
「そうかそうか。はははは、なんとおもしろい犬だろう。犬にしちゃあちょっとデカいが、なかなか見込みのある犬じゃあないか。どうれ、ほかの色紙形も見せてやろう」
と、老人は数枚の色紙形を手に戻ってきたけれど、ハルカゲはただ、ただ、篁の和歌が書かれた色紙形に身を寄せつづけた。
──わたのはら。
これはお前と出会う前に詠んだうたでね、とかつて隠岐の海辺で教えてくれたことがある。ハルカゲは彼の口からこぼれた和歌はすべて覚えていた。
逢いたい。
こんなに逢いたいのに。
あなたに、逢いたいのに──。
ハルカゲははちきれそうな想いを胸に、外の豪雨がおさまる翌朝まで色紙形から離れることはなかった。
その想いにつられた八郎が、夢のなかで泣く。
そのとき。
『玉の緒よ たえなばたえね ながらへば
忍ぶることの よはりもぞする』
──九十七人目の言霊が、当時のハルカゲに情を寄せてあらわれるのだった。
※ ※ ※
──わがいのちよ。
絶えるならば絶えてしまえ。
このまま生き長らえて
耐え忍ぶ心が弱まると困るから。──
第八十九番 式子内親王
百首歌のなかに、
『忍ぶ恋』という題にて
詠める。
登校中の電車。
朝のホームルームの時間。
授業中。
はたまた昼休みでさえも。
「……お前大丈夫か、昨日、今日とずっと寝てるで」
文次郎や環奈がねむり病になった経験から、柊介はだれかが寝入ることに敏感になっているらしい。いまも帰りのホームルームで舟を漕いでいた八郎を見て、放課後を迎えるなりあわてて寄ってきたと見える。
うーん、と八郎は目をこすった。
「わっかんねえけど、ずーっと眠いんよな……」
「おまえそれ、もしかしてまた」
「いや六花ではないと思う──たぶん、犬のほう。ずっと犬の夢見てるから」
といってふたたび机に突っ伏しかける八郎の襟首をぐいとひっぱったとき、教室前方のとびらから高村がこちらを手招きしていることに気がついた。
どうやら八郎を連れてふたりでこっちに来い、と言っている。
「おいハチ、先生呼んでる。たぶん国語準備室集合や」
「うーん、……」
なんだどうした、とおもしろがる武晴を明夫に押し付けて、柊介はなんとか八郎とともに国語準備室へと向かった。
「八郎、おまえちゃんと夜は寝てんのか?」
準備室に入るなり、高村から開口一番に問われた。
はあ、と覇気のない返事をすると、高村は心配そうに八郎の額に手をあてる。
「具合がわるいわけやないんやろうけど──なんや、また六花が邪魔してくんのか」
「なんか今回は白やのうて黒犬のほうやそうです」
代わりに柊介がいった。
すると篁の顔がわずかにこわばる。
「なに、ハルカゲが?」
「なあハチ。そうなんやろ」
「わからんけど──でもいっぱい犬の夢見るんです。ちっちゃいころに海辺で遊んでるところとか、船の上できもちわるくなっちゃう夢とか、和歌を聞く夢とか──そんでそれぜんぶに、篁さんが出てくるんです」
「俺が」
「ウン。いっつもいっつもニコニコ笑うて、こっちの頭撫でてくれて……ハルカゲ、ホンマに先生のこと大好きで。なんやそんな幸せな夢ばっかり見る」
と瞳をこすった。
そして「きっとな」と八郎はつづける。
「見せたくて見せてんねんと思うんよ。こんなに幸せやったんやて、おれに教えてくれてるだけやと思うねん。せやからちょっと居眠り多くなってまうけど、ホンマ、申し訳ないねんけど──おれ、でもコイツが満足するまで付き合うてやりたいねん」
「八郎……」
「コイツほんまに、たぶんきっと先生に恋してたんやとおもう」
じわりと八郎の瞳がにじむ。
制服の袖でそれをぬぐいながら、八郎は高村を見つめた。
「あの海辺のとこ、たぶん隠岐の島やろ。そこで拾ったいうてたもんな。もう、たぶんあのときからずっとずっと、先生のこと好きで好きでたまらんかったんやと思うねん。だっておれが夢でハルカゲになってんねんから。もうダイレクトに気持ちわかるんやから」
「……────」
その流れ落ちる涙は、八郎のものか。
それとも夢のなかで情を共有しつづけているハルカゲのものなのか──。
高村は苦笑した。
「そうか。ということはつまり、ハルカゲは八郎の夢にいったちゅうことやな」
「……あ、そうなんかな」
「うん、そうよなあ。『おかえりのバショ』やねんもんな、お前は」
「え?」
「いいや、こっちの話」
といって首を振る。
そして柊介に視線をうつした。
「このあいだの環奈のときみたく、八郎までイヤな夢見せられとるんかと心配したが、幸せな夢ならまあ──ええか」
「先生」
柊介は非難の声をあげたが、しかし高村は微笑していた。
「わるいな八郎、ほんならいますこし付き合うてやってくれ。きっとすぐにお前のところへ顔を出すやろうから」
「はい」
うなずいた八郎は、その拍子に机に突っ伏してしまいそうなほどに眠気をこらえているようすである。このまま歩かせたらたまったもんじゃない、と柊介は泣く泣く八郎を背負って、国語準備室をあとにした。
するとまたたく間に肩越しに八郎が寝息を立てだした。
もうすでに、意識が夢へとんだらしい。
「……よだれ垂らすなよ」
柊介は諦めたようにつぶやいた。
※
ひどい豪雨だった。
目の前にそびえ立つは、小倉山荘である。
どこか気が立ってそれでいて寂しさを胸中に抱えたまま、八郎──もとい黒い獣は立っていた。ああそうか、と八郎は心のなかで理解した。
これは、ハルカゲが初めて小倉山荘に来たばかりの頃の夢だろう。
「グルルル」
喉からうなる。
一晩の雨をしのげさえすればいい。そんな気持ちでハルカゲは山荘へと入っていく。
もし先客に拒まれたら喰ってしまえ──という、これまでにない狂暴な心に戸惑いながらも、八郎はハルカゲの目を通して山荘のなかを見わたした。
すごい。
とてもおだやかな空間だった。
それはつまりハルカゲも同じように思っていたことで、気がつけばいきり立った肩はすっかり落ち着いていた。
奥の部屋から声が聞こえる。
老齢の男性だろうか──ハルカゲはおそるおそる近付いた。
「!」
部屋中に、色紙形が散りばめられている
そしてそれを吟味する痩せた老人がひとり。耳が遠いのか、ハルカゲがそばに寄ってもまったく反応がない。しかたなしに鼻先でツンとつつくと、老人はおどろいたようにこちらへ視線を向けた。
「なんじゃ、どっから入った?」
「グルルルル」
手を振り上げたら喰い殺してやる。
そんな気持ちで毛を逆立てたハルカゲだったが、老人の手元、一枚の色紙形を見るなり動きを止めた。
「な、なんじゃァ。この色紙形が気になるかェ。字が読めるのか、これは小野篁という歌人のうたで」
おののたかむら。
そのことばを聞いた瞬間に、ハルカゲの逆立つ毛はしおれ、殺気立った瞳はいとしさとさみしさで弱々しくうるんだ。そして鼻の奥でクウンと鳴きながらその色紙形に顔をすり寄せたのだ。
「おいおいこらこら。大事な色紙形になにを──お前さん、このうたの良さがわかるのかね」
「クン、クン……」
「そうかそうか。はははは、なんとおもしろい犬だろう。犬にしちゃあちょっとデカいが、なかなか見込みのある犬じゃあないか。どうれ、ほかの色紙形も見せてやろう」
と、老人は数枚の色紙形を手に戻ってきたけれど、ハルカゲはただ、ただ、篁の和歌が書かれた色紙形に身を寄せつづけた。
──わたのはら。
これはお前と出会う前に詠んだうたでね、とかつて隠岐の海辺で教えてくれたことがある。ハルカゲは彼の口からこぼれた和歌はすべて覚えていた。
逢いたい。
こんなに逢いたいのに。
あなたに、逢いたいのに──。
ハルカゲははちきれそうな想いを胸に、外の豪雨がおさまる翌朝まで色紙形から離れることはなかった。
その想いにつられた八郎が、夢のなかで泣く。
そのとき。
『玉の緒よ たえなばたえね ながらへば
忍ぶることの よはりもぞする』
──九十七人目の言霊が、当時のハルカゲに情を寄せてあらわれるのだった。
※ ※ ※
──わがいのちよ。
絶えるならば絶えてしまえ。
このまま生き長らえて
耐え忍ぶ心が弱まると困るから。──
第八十九番 式子内親王
百首歌のなかに、
『忍ぶ恋』という題にて
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