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《48》黒猫
しおりを挟む────ノワがいなくなった庭園。
リダルは唖然と後ろ姿を見送り、やがて足元へ視線を移した。
嵐みたいな奴だ。
「ニャアン」
野良猫が足首に尻尾を絡め、文字通り猫なで声をあげる。
かがみこんで、毛に埋もれた首元をそっと撫でてやる。
命懸けだとか、生きるためだとか、全く訳が分からない。
あの瞳は、何に抗おうとしているのだろうか。
変なクラスメイトだが、こんな日の夜に会うには丁度いい阿呆だ。
走り去ってゆく時のへっぴり腰を思い出し、思わず笑い声がこぼれる。
夜空を見上げた。
ときに光の速さでは、1光年という距離は1年でこの目にとどく距離だという。
ここから10光年離れた星なら、今目に見えている光は10年前のものになる。
今はもう存在しないかもしれない、過去の残像。
──あの阿呆が見たら、綺麗だと、嬉しそうにはしゃぐのだろうか。
「下らねえ·····」
存在しないものに価値を見出すなど愚かな事だ。
柄にもないことを考えて、リダルはふと立ち上がった。
黒猫は残念そうな欠伸を落とす。
穏やかな気分だった。
だから瞞しが覚める前に、今夜は休もう。
冷たい月光が、ことの一部始終を見守るように、地上を照らしていた。
「お待ちなさい!」
会場にたどり着いたノワを、高い声が引き止めた。
「·····えっ?」
何度が呼び止められ、やっと自分に対してのものだと気づく。
振り返ると、先程も見たような令嬢達が4、5人、険しい顔で歩み寄ってきた。
「あらぁ、やっぱり初めてお目にかかる方ですわ」
だからご挨拶がしたかったのよ、と、そのうちの一人が言う。
彼女達の視線は皆冷ややかだった。
歓迎はされていなさそうな空気だ。
「社交界でも見た事がないご令嬢が、このような特別な場に参加できるなんて、不思議ね。お名前を伺っても宜しいかしら?」
ノワは首を傾げた。
困ったら黙礼だけして離れれば良いと言われていたが、四方八方を塞がれ、とても逃げられそうにない。
「ご自分のお名前も分からないのかしら」
嘲るような声が問いかけた。
「言えないような家紋なのではなくて?」
クスクスと嫌な笑い声が響く。
イビリの類か?
ノワは彼女たちを見つめ返した。
「急いでいるので失礼して良いですか?」
「なんと·····!!」
切実な願いなのに、聞くやいなや彼女たちはショックに打ちひしがれたようだった。
女の子と話すのは苦手だし、本当に急がないといけないのだ。
「あの·····」
「キース様は、どうしてこんな方を·····」
ふと混ざったのはキースの名前。
「誑かされているんですわ。お可哀想に」
別に何を言われても構わない。
しかし、キースに悪評がつくことは、阻止しなければいけない。
「彼は、関係ないんじゃ·····」
「社交界に不慣れなご令嬢の為に」
ノワの言葉は、一際冷たい声にかき消された。
中でも派手なドレスに身を包んだ、赤髪の美女だ。
「私がいくつか、ご忠告差し上げますわ」
令嬢達の中心にいた彼女はノワの方へと一歩踏み出した。
「あなたのようなどこの馬ともしれない女性がキース様の横にいると、彼の評価まで下がってしまうの。·····ご自身がいかに身分不相応で烏滸がましいか、理解して頂けるわね?」
「マルコリーネ様の言う通りですわ!」
「殿方にも気を配れるなんて、なんて素晴らしいお方なのかしら」
マルコリーネと呼ばれた彼女の言葉に唖然とするノワ。
周りの令嬢たちは口々にノワを非難した。
頭に浮かんできたのはキースの事だった。
キースは女垂らしで、いつでもふざけたことを言ってはノワを揶揄う。
が、本当は誰よりも周りの空気を読める人間だ。
「マルコリーネ様こそがキース様にお似合いですわ」
一方的な感情を押し付けたりはしない。気遣いが出来すぎる男なのだ。
傲慢な彼女に、そんなキースは似合わない。
「未来の婚約者ですもの」
「キースにあなたは釣り合いません」
ノワはボソリと呟いた。
その場がしんと静まり返る。
「·····なんですって?」
くぐもったマルコリーネの声が聞き返す。
取り巻きの1人が手に持っていたグラスを奪い取り、彼女は鬼の形相でノワを睨みつけた。
「もう一度言ってごらんなさい!」
高いヒールのせいで、彼女はノワよりも大きく見える。
怯むもんかと1歩前に踏み出す。
「あなたのような性格の悪い人は、キースには到底釣り合わない!」
「この────!!」
阿婆擦れ、という発狂と共に、グラスに注がれていたシャンパンがノワめがけて宙を舞う。
目を瞑る瞬間、淡黄の髪が視界に入り込んだ。
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