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《50》つれない猫

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ふと、マルコリーネを思い出した。

鬼の形相でノワを責め立て、涙ながらにキースへ擦り寄った美女。


「マルコリーネ嬢、キースのことがよっぽど好きなんだね·····」


「そんな事どうでも良い」


冷たい声が被る。
ノワは驚いて彼を見上げた。

根っからの女好きで、女性のための王子様のような存在。
そんな彼が美女を「どうでも良い」だって?


「いや、でも、一応泣いてたし·····」


ノワはあたふたしながら先を続ける。


「騙しちゃったの、ちょっと可哀想だなって····」


恋する乙女の涙を初めて目にした。
良心が痛まないわけがなかった。


「さっきから彼女のことばかりだね」


感情の読み取りにくい声が呟く。


「べつに·····女の子が泣いたから」


「それに何の価値があるんだ?」


「··········え?」


切れ長の瞳は、冷めきった光をともしている。

おまけで舌打ち混じりの溜め息まで聞こえてきた。
彼は、本当にあのキースだろうか。

見てはいけない彼の裏側を見てしまった。
例えるなら、ミッ○ーマウスが煙草をタバコをふかすのを目撃してしまったような心境だ。

ノワは縮こまる。

他の話題を探すも、なかなか見つからない。


「ごめん、キース·····」


沈黙の末、謝る。謝ったところで何かをつぐなえる訳では無いのだが。


「·····いいや、ノワくんが謝る必要は無いよ。予想出来ただろうに、僕の方こそ迂闊だった」


キースは軽くまぶたを閉じた。
───ノワを責めたい訳では無い。
寧ろ、これは自分の落ち度だ。

胃のムカつくような思いの原因は、他にある。


"皇太子と────"


僕という存在がいながら、と、いつものように冗談めかして話題にすればいい。
けれど、今はとても彼に笑いかけることは出来なかった。


「キース、上着びしょびしょだから、脱いだ方がいいよ」


ノワが遠慮するように声をかける。
キースはおもむろにノワへ視線をやった。


「じゃあ、君が脱がせてくれるかい?」


「へ?」


ふざけるなと言いたいところだが、今の彼は冗談を言っているようには思えない。
ノワは異議を飲み込み、彼へと手を伸ばした。


「今日は優しいんだね」


キースが暗闇で笑う。

手先に、温かな吐息がかかった。
じんわりと汗が滲む。


「キース、怒ってる?」

「そうだとしたら、どう責任を取ってくれるんだい?」


怯えるノワに、どちらとも取れない返答が返ってきた。
彼の報復なんて想像だけでも恐ろしい。


「けど、そうだな·····」 


キースが考えるように呟く。
声音は、普段の陽気な雰囲気が抜けると、意外にも低音なことに気付いた。


「僕が憤った振りでもすれば、君は僕の方を気にかけてくれるのかな」


がたん、と、馬車が少し大きく揺れる。


「!」


前のめりに倒れたノワはキースの腕に抱きとめられた。

暖かな胸元がしっとりと濡れている。
アルコールと、花のような香りがした。


「あ、ごめ·····」


浮き出た首筋から水滴が伝った。
ノワはドギマギしながら俯く。
なぜか、背徳的な気分に駆られた。


「·····へ·····?」


頬へ、大きな手が添えられる。彼の人差し指が、ノワの顎を持ち上げた。


「や、やっぱり怒って───」


「分からない人だな、君は」


高い鼻が傾かれる。
2人の影はピッタリと重なった。


「こういう時は」


離れた唇が紡ぐ。


「キスをするものなのさ」


「·····は·····」


唖然とするノワの前で、美しい顔が微笑む。


「君が分からないみたいだから、僕が教えてあげるよ」


キースは胸元に置かれた細い手を握り返す。

先程、会場で触れてこようとした女の手に嫌悪感を抱いたことが嘘のようだ。
もう一度塞ごうとしたノワの唇が震える。

一秒後、静かな郊外に、乾いた叩音が響いた。


























「酷い仕打ちだ」


昨夜、同じ部屋で眠ることを拒まれたキースは、やっと寮室の扉をあけたノワへ不満げに言ってみせた。


「もう1回平手打ちしようか?」


ノワが歯をむき出しにして言う。



まるで威嚇する猫のようだ。ある進展を期待していたキースは、かわいた笑い声を落とした。


「それが君なりの愛情表現だと言うなら、甘んじて受け入れよう」

「きもい」


変わらないどころか、辛辣さを増したようだ。


「つれないね、ノワくん」


2回もキスを交わした仲なのに、というキースの軽口は、大きな舌打ちにかき消される。








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