赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 二章

09 再会(挿絵あり)

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 子鳥のさえずりに目を覚ました。体を包み込む温かな毛の感触にぼうっとした様子で周囲を見回す。岩でできた洞穴は薄暗く、なんだか捕まっていた時のことを思い出していい気がしなかった。痛む体に顰蹙した表情で、アレクが起き上がろうとする。

「あっ、起きた。おはよう」

 聞き覚えのある声に上半身だけを完全に起こしてみてみれば、そこには小鍋をかき混ぜるリーゼロッテの姿があった。右目に眼帯のようなものがつけられているが、あれだけボロボロだったはずの肌はすっかり元通りになっている。

「三日ぶり。熱は引いた?」
「み、三日!? そんなに俺……」
「うん。骨を痛めたし、熱も出てたからね。きっと色々重なってばったりしたんだよ」

 無理させてごめん、とリーゼロッテは力なく呟き、何やら器を手に持ってアレクの前に屈んだ。額に手を当て「よかった。熱は引いたね」と呟き、そのまま丁寧に上着を脱がす。

「な、なにすんだ……」
「なにって薬だよ。これ、私が薬草で作ったの。全体的に打撲が酷いから塗らないと。あのキノコみたいにすぐには治らないけど、痛みは和らげてくれる」

 指につけ、アレクの痛む箇所に塗りつける。時折小さな悲鳴が聞こえてきたが、構わず続けた。冷たくてなんだかスースーと風を感じ、アレクが身震いする。

「よし。あとは服を着て、なるべく暖かくしてね」

 塗り終わり、手であおるように乾かしてから「丁度ご飯作ってたんだけど食べる?」と立ち上がる。そういえばとその直後にアレクは腹が鳴り、無言で頷いた。分かった、とリーゼロッテが鍋の方へ歩き、マグカップに移していく。

「クリフに感謝してね。私が狩りに行っている間、アレクのこと見ててくれたんだから」

 服を着ながらクリフ、の言葉にハッとした直後、自身に生暖かな鼻息がかかる。振り返ってみると、背後にいた影が首を伸ばし、真っ黒な目でじっと自分を見下ろしていた。まさかずっと寄りかかっていたのだろうか。驚き、目を開いたまま感動していると、後ろから「随分仲良くなったんだね」と湯気立つマグカップを持ったリーゼロッテが近づいてくる。

「ま、まあな」

 嬉しそうに手を伸ばしてみれば、正気に戻ったかのようにクリフが勢いよくその場から立ち上がり、少し離れたところに座った。寄りかかっていた体からずり落ちたアレクは、その場で丸くなって悶える。やっぱり勘違いだったかもとリーゼロッテが笑い、マグカップを手渡した。

「……んだよ。しつけえ馬。俺が何したって言うんだ」
「いいじゃない。触りたくもない奴隷から乗せてやってもいい奴隷になったんだから」
「結局ずっと下にみられているじゃねえか!」

 なんだよ奴隷って! と張り上げた声でまた痛み、身を縮こませるようにして腕を抱く。

「はいはい。しばらく安静にしようね」

 呆れた様子で鼻を鳴らし、リーゼロッテがマグカップに口をつけた。ふと、彼女の首に垂れ下がっているはずものが見えず、自分の首下を触ってからさあっと青ざめる。

「つ、角笛!! なんで……! あの時確かに……!」

 まさか、あれは自分の幻想だったのだろうか。あの時既に意識が朦朧としていた為、どの記憶までが現実なのか分からなかった。慌てたように挙動不審で問いかけられ、リーゼロッテは瞬きを何度か繰り返す。

「あー……角笛ならちゃんとあるよ?」

 ほら、と服の中に隠れていたものを引っ張り出して見せる。緩やかな曲線を描き、鈍くも艶やかな光を放つソレ。自分の目に映った角笛にアレクは「良かった……」と一気に脱力した。

「アレクが私に渡してくれたんでしょ? その時に、またなくすの嫌だなって思ったから……せめて服の中に隠そうと思って」

 確かにこれなら幾分か紐が隠れる。無くさないための彼女なりの対策なのだろう。そういうことかと息をついて「ならいいんだ」と心底安心した。

「大切なものなんだろ? 今度は頼むからなくさないでくれよ……?」

 その言葉は内容の他にも色んな感情を含ませていた。もうあんな思いをするのはごめんだ。暗い表情のアレクにリーゼロッテは「分かってるよ」と笑って返した。

「……そういやその角笛、ずっとつけてる割には全く使ってるとこ見た事ないけど?」

 どんな音がなるんだ? と見続けるアレクに「これでも、何度か吹いてはいるんだけどね」と咥え、吹いてみせた。けれども驚くほどになんの音も出ない。

「なんだ? 詰まっているのか?」
「ううん。どこもおかしくない。定期的に吹いてるけど、何故か音だけはならないの。鳴ったのはあの時だけ……」

 アレクと出会ったローレアズ村のフォレストファング戦を思い出す。動けなくなったクリフから目を逸らさせるために使ったっきり。初めは背中を打った事で力が入らずに吹けないものだと思っていた。けれど、完治してからも全く吹けていない。角笛なのに音が鳴らないなんて。それでも手放すことが出来ずにずっとここまで一緒に旅をしてきた。あの時? とアレクが首を傾げる。

「ほら、前に言ったでしょ? リサとフォレストファングを狩ったって……その時にもうダメだって場面があったんだ。そしたら、この笛の不思議な音に救われてね。父さんが私を守ってくれたんだって思った。これは私にとって父さんそのものでもあるの。だから大切だった……本当にありがとう」

 見下ろして握りしめたまま深々とお辞儀するリーゼロッテに「よせよ。そういうのは慣れてないんだ」と慌ててアレクが止めた。父の形見しか聞いていなかったが、リーゼロッテにとって本当に大切なものなんだと改めて認識する。頭を下げていたが、リーゼロッテはしばらくしてゆっくりと顔をあげ、目を細めた。

「……じゃあ、私。食料とか調達してくるよ……アレクは休んでて」

 クリフ、頼んだよと言ってみせれば、クリフが少し面倒そうに顔を背けブルりと答えた。少しは距離が縮まったと思っていたのに。変わらないなと、アレクがムッとして見上げる。不安ではあるが、以前より穏やかなその睨み合いにリーゼロッテは安心して「行ってくる」と武器一式を持って洞穴を出た。


 ◆


「ふう。今日もこれだけか……」

 罠に引っかかったカエルやらイモリを引き上げてため息をつく。湿地の森なだけあって水には多く恵まれているが、普通のものより獲物の数が少ない。ハーブなどで匂いをごまかしているが、先程のスープの中身をアレクが知ったら絶叫しそうだなとリーゼロッテは笑ってみせた。アレクの鼻が風邪で機能していなかったのがせめてもの救いだろう。食料調達についてはもう一つ問題がある。

「あっ……」

 視界の端に巨大な影が映った。ごつごつした硬い皮膚にギョロりとした爬虫類の目。注射器のような尖った歯には麻痺成分が含まれているシビレワニだ。噛まれるとたちまち痙攣して意識がある状態で動けなくなり、そのまま獲物は食い殺される。けれど、ワニ肉はなかなか高タンパクで食材にはうってつけだった。これはチャンスだとばかりにすかさずリーゼロッテは弓を構える。
 いつものように遠くからしっかりと狙いを定めて撃ち放つが、矢は自分の思った方向に飛んでいかない。もう一つの問題とはこれの事だった。

「くそ……っ」

 右目を失ったせいでリーゼロッテは距離感が掴めなくなっていた。野鳥を狩ろうにも上手くいかず、久々に狩りに手こずる日々。罠で食材を得ていたのはそのためだった。けれどあれぐらい大きな的ならきっと……と諦めずに放つ。

「……だめだ。矢が勿体ない」

 次に放ったところで自分の能力に限界を感じ、構えていた弓を下ろした。ワニはようやくこちらに気づいたのか、ぺたぺたと前に歩いてから一気にこちらへと駆け出す。

「んなっ……」

 とても水の中に住んでいる生物とは思えない速さだった。このままではまずいと走り出し、木の幹から太い枝に上っていく。どしんどしんと大きく枝が揺れた。

「……っ!」

 ギュッと枝に抱きつくようにして振動に耐える。しばらくして奴は、見上げたまま半開きの口から呻きをあげると、そのまま悔しそうに離れていった。ふう、と冷や汗を拭い、リーゼロッテは枝に腰を下ろしたままシビレワニが水中に戻っていくのを見つめる。
 獲物との距離感を測ることが重要な弓において、片目をやられたのは致命的だった。これでは得意な遠距離攻撃はできない。ギルドハンターと戦った時も近接戦に苦労したし、真面目に鍛える必要がありそうだ。ひとまず今日の狩りはここまでにしようと、枝を掴み、地に降りる。

「……はあ」

 頻繁に出る大きなため息。前にできていたことが出来なくなるのは、やはりショックが大きいものだ。早く戻ろう、と今回の成果を持って歩き出す―――が、次の瞬間。

ドプン

 土の中に引っ張られるような感覚がして体勢を大きく崩した。体がどんどん地面に飲み込まれていく。

「なっ……!泥濘……っ!?」

 体が沈んでいく感覚に、リーゼロッテは青ざめた。一般的な泥濘は、泥深くなっているところを指す。大抵は足が取られる程度のものだが、湿地の泥濘はまた別だ。もとより水分を多く含んだ地面が、日陰や多湿、人の出入りが少ないなどの条件が重なることで、急激に水分量が増え、底なし沼のように踏み入れたものを地面に引きずり込むことがある。しかも、条件が重なって急に現れるものだから、見た目では判断しにくいのがこいつのタチの悪いところだ。湿地の「歩く底なし沼」―――旅人から恐れられる自然現象の一つである。

(まずい、このままじゃ……)

 焦りながらもなるべく体を動かさないようにした。動けば動くほど沈む速度が早くなる―――いつか、父が言っていたことを思い出し、天を見上げながら必死に抜け出す方法を考える。けれど、パニックになった頭では何も思い浮かばなかった。生き埋めになる未来を想像し、涙を浮かべる。

(こんなところで死ぬ訳には―――!)

「リーゼ!」

 聞き覚えのある快活な声がした。自身に影が重なった瞬間、天に伸ばしていた腕を強く引かれる。視界の端で二つ結が揺れ、リーゼロッテはその人物に目を見開いた。この姿は前にもどこかで―――

「……っ! リ、サ……?!」

 嬉しさと驚きが混じったような声が溢れる。リサは近くの木にしっかりと掴まりながら、もう片方の腕でリーゼロッテの体を引き上げた。救出されたリーゼロッテはそのままの勢いでリサに抱きつく。

「リサ! うそ……! 本当にリサなの!?」
「当然やろ! 少し会わんうちにもう顔忘れたんか?」

 腕を解き、少し体を離してから改めてその姿を見つめる。二つ結に夜闇を映したかのような深いヴィオレットの瞳。少し雰囲気が変わっているように見えたが、その姿は正しくローレアズ村で別れたリサそのもの―――認識してから、再度抱きしめた。

「ずっと……! 会いたかった……! 良かった……!」

 別れた時のことを思い出す。悪魔だと打ち明けて、半ば突き放すかのように村を出た。それで、終わるつもりだったのに、最後、リサは助けに来てくれた。それが色んな人に裏切られ続けた自分にとって、どれだけ嬉しかったことか。

「うちも会いたかったわぁ」

 リーゼロッテの頭を撫でながら、リサの口角が吊り上がる。「でもなんで?」リーゼロッテが涙の溜めた目で見つめた。

「まあ~、あれから色々あったんよ……ひとまず」

 んんっ、と咳払いし、リサが申し訳なさそうに眉を下げた。「泥、ついてまう」と小声で呟く。リーゼロッテはハッとし「ご、ごめん! 嬉しくて!」と慌てて体を離した。狩りをしていると、汚れが気にならなくなってしまう為、ついついいつも通りに接してしまう。早くどこかの川で体を洗わなければ。


 ◆


「でも本当に驚いた……リサにまた会えるなんて」

 近くの泉で体を清めたリーゼロッテは、リサと共に湿地の森を歩いていた。「ここまで一人で旅を?」と問いかけるリーゼロッテに、リサは「せやで」と自慢げに答える。

「……結局あの後、王国兵に見逃されてな。うちみたいな力のない村娘なんて、どうでもいいんやろう。それがどないも悔しうて……その時に決めたんや。この村を出て旅をしぃ、強なってやるって! それに……もしかしたら旅先でまたリーゼに会えると思ってなぁ! まさかほんまに会えるなんて」
「そうだったんだ……!」

 兎にも角にも無事でよかったと、リーゼロッテは胸をなで下ろした。王国兵は無駄な殺生をするような殺人集団ではなさそうだと、あの時の様子を見て思っていたが。話せば案外通じるかも……と顎に手を当てて希望を抱く。

「んで、アレクの奴は元気なん? さっきから姿が見えへんけど」
「アレクは今怪我してるから、近くの洞穴で休んでもらっているの! リサを見たらきっと喜ぶよ」
「へぇ……怪我してんか。そら大変や」

 早く会わせたいとばかりに先へ急ぐリーゼロッテの後ろをリサがついて歩く。泉のせいで少し帰りの道から外れてしまったようだ。確かこっちに……と踏み入れたところで、遠吠えのようなものが聞こえてくる。

「えっ……」

 四足獣が地を駆けていくような足音がして、思わず動きを止めた。四方には黒い影―――まさか、あの一瞬で囲まれたのか、とリーゼロッテが息を飲む。

「……っ、ハウンド!!」

 目の前に現れたのは、狼の獣人のような見た目をした黒い魔物たちの姿だ。奴らは片手だけを地面につけて立ち上がっており、その体長はリーゼロッテとさほど変わらない。鋭い牙や爪がこちらを嘲笑うかのようにぎらついていて、思わず後退りをした。

「まずい……」

 奴らは集団で獲物を襲う、森のハンターだ。まさか縄張りに入ってしまったなんて。リサと再会した喜びで、周囲への警戒を怠っていた。

(この目じゃ弓は使えないし……そもそも素早い奴ら相手じゃ、すぐに距離を詰められてしまう……)

 近接戦はまだ苦手なのに、とギルドハンターのことを思い出して剣鉈を握りしめた。苦手でも無理でも、今はリサが後ろにいる―――やるしかない。決意を固め、構えるリーゼロッテの前に「難儀な奴らやな」とリサが歩み出た。

「……! リサ! 下がって……危ないか、ら……?」


 目の前に立ったリサが手を横に伸ばした瞬間、手先から溢れる黒が変形し、巨大な鎌が現れた。大きさを感じさせない手馴れた手つきでソレを回し、宙を掻っ切る。

(何もないところから武器が……? まさか、魔法……なの?)

 この世界の魔法は大きくわけて二つ。火・水・土・風・光・闇の六大要素をベースにエネルギーへと変換する「自然型」と、己の肉体を強化・変形させる「超人型」がある。その超人型でも特に珍しいもので、自身の魔力そのものを硬化させ、直接武器に変形させる魔法があった。

―――人は彼等を「魔器使い」と呼ぶ。

「ほな、さっさと片したる」


 その言葉を皮切りに、周辺にいたハウンド達が一斉に飛びかかってきた。リーゼロッテもハッとして構えるが、自身の目の前に来た瞬間に、ハウンド達の首が跳ねられる。

「……っ、わ……」

 リサの戦いはまさに舞っているかのようだった。四方から襲ってきたハウンドをものともせず、目にも止まらぬ速さで大鎌を振るい、その首をはねていった。近くに寄りすぎた相手を蹴飛ばし、素早く何度も体を回転させて、絶え間なく大鎌を振るい続けている。その動きには一切の無駄がない。

「ンガァ!」

 真正面から爪を振り下ろすハウンドの首に鎌の刃を引っ掛け、リサはその下を転がるようにして避けた。柄を離さずに、ぐるりと上空に向かって回転しながらハウンドの首を切り落とす。切り離された体を蹴飛ばすように跳ね上がり、そこを襲おうとしてきたハウンドの体を踏み台にして、反対側の地面へとついた。

「んー、まだまだおるなぁ……」

 余裕そうに眺めるリサの後ろからハウンドが襲いかかり、巨大な鎌ごと吹き飛ばした。「リサ!」叫ぶリーゼロッテの手前の地面に鎌を突き刺し、弾き出された体を制止させる。

「なんや? リーゼは下がっててな! その目じゃ、弓は使われへんやろ? うちは大丈夫や」
「リ、リサ! 後ろ!」

 リサは柄の上で素早く体勢を変えて、後ろから迫ってきていたハウンドを蹴飛ばした。「な?」と笑ってみせてからまたハウンド達との戦いへと戻る。

「ガウゥ……」

 圧倒的な速さで仲間がやられていくのを目にし、ハウンド達が怖気付いたようなのである。逃げ出す様子を尻目にしたリサは「一匹も逃がさへんよ」と巨大な鎌を投げ出した。遠くの方で体が真っ二つに切断されたハウンドを目にし、手元に大鎌を戻しながら、愉快そうにケラケラと笑う。

(凄い……リサってこんなに強かったんだ……こんなに……)

 ふと、思い浮かんだリサとのフォレストファング戦を思い出し、リーゼロッテは開いた口を閉じる。たった数ヶ月で魔法が使えるようになったにしても、こんなに変われるものなのだろうか。確かにリサは運動神経が良かったし、容量も悪そうじゃない。それでも、これじゃあまるで―――

「リーゼ」

 名前を呼ばれ、ハッと視点を前へ向ける。そこにはハウンド達の血を浴びて楽しそうに笑っているリサの姿があった。「やっと、終わったわぁ」と顔についた血を拭う。そのギラついた目に、リーゼロッテは肩を揺らした。

「ん? どうしたん?」

 小首を傾げ、不思議そうに見つめてくるリサに「……あっ」と不意から出た言葉を漏らす。なにか、なにか話さないと。数秒間を開けて、迷いの末に「……リサは……しばらく見ないうちに逞しくなったんだね」とぎこちない笑みを向けた。

「今のは魔法……なの?」
「せや! 魔力を武器に硬化させる……魔器ちゅうやつや! 旅をしていたら偶然発現してなぁ! うちもついに魔法が……」
「お父さんの火縄銃は?」

 被せてきた言葉にリサが動きを止めた。

「リサだったら、魔法が使えるようになっても、お父さんの火縄銃持っているのかなと思って……だから、その、意外で……」

 リサが父親をよく慕っていたのは、アレクの発言や自分の目で見て分かっていたことだ。命の危険があっても、フォレストファングに一人で挑もうとし、それも自身の父の形見である火縄銃を使って仇を討とうとしていた。自分で言う角笛と同じ存在のはず―――なら、きっと肌身離さず持ち歩くだろう。
 恐る恐る顔色を伺うリーゼロッテに「あー……あの形見の銃な」とリサが次に繋ぐ言葉を出して口を閉ざす。瞬時に、視界の端で光が滴り落ち、目を見開いた。

「えっ……」

 目の前にいたリサは涙を流していた。「あはは」弱々しく、短く切るような声で笑ってから手首で目を隠す。

「すまんなぁ……急に泣いたりしてもうて、情けない」

 溢れる涙を押し込み、赤くなった目で笑いながら「あの形見の銃は旅の途中で粉々に壊れてしもうたんや」と掠れた声で続ける。

「まだ魔法を発現する前やな……魔物に襲われてもうダメやってなった時に、形見の銃に助けられてな。魔法を発現したのはこの後や……この力もお父さんが齎してくれたものかもしれへんと、今ではそう思うてる」
「あ……っ」

 自分の角笛と似た話に、リーゼロッテは言葉を失った。目を狼狽させ「ご、ごめん……そんなことだって知らずに……」と返しながらも、苦渋の表情を浮かべる。
 私は何をやっているのだろう。友達に疑心暗鬼になって、最低だ。リサが人に苦しみを見せようとしないのは、ずっと知っていたはずなのに。

(こんな疑ってばかりの自分、嫌だな……)

 これまでの旅で、どうにも人に対して疑い深くなってしまったようだ。警戒心が強い癖に、騙されやすくて。肝心なことはいつも空振りしている。人を疑うのは苦手だ。
 拳を強く握り締め、沈んだ様子のリーゼロッテにリサは目を細めた。「そんな顔すんなや!」とリーゼロッテの頬を両手で掴む。

「なっ、なに……」

 無理やり頬をあげられ、困惑するリーゼロッテにリサは「かはっ」と唐突に笑い声を上げた。腹を押え「待って……ツボってしもうたわ」と過呼吸のようになる。

「えっ、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。自分が、ほんまおもろい顔するから……ぷっ、あはははははっ」
「それはリサが……っ、もう」

 なんだかおかしくなってきてしまい、リーゼロッテが吹き出した。感情表現が豊かでなんだかこちらまで楽しくなってきてしまう。柔らかくなったリーゼロッテの表情に「ほらな」とリサが微笑んだ。

「リーゼはわろぉてる方がええで。にっーてな」

 歯を見せるリサに、リーゼロッテは「……うん!」と少し目を潤ませながら返した。いつも明るくて、悲哀を感じさせない。やはりリサはリサのままだ。本当にここで出会えて良かったと心の底から感じる。

「よし! はよアレクの所に行くで!」

 背中を強く叩いてから張り切って前を歩き出すリサに、リーゼロッテは再度優しく目を細めてから、早足で後を追っていった。





「へえ……楽しいことしてくれるじゃん」

 その様子を顔の見えない黒い影が木の上から眺める。金目を光らせるその人物は三日月のように口角を釣りあげて、木陰の中へと消えていった。







「ふう……」

 木陰から漏れる光を浴びて、アレクはその場で伸びをした。三日ぶりの外。ずっと寝ていたとなると、体がかなり鈍っているようだ。屈伸運動をし、左右に体を何度か傾けてから一つ、大きなため息をつく。

(……あの時、リカルドが助けてくれなかったら、俺も今頃……)

 城内から逃げ出す時のことを思い出す。罠に嵌められたことも知らずにノコノコと元凶に会いに行って、しまいには友達をなくしてしまった。もし、自分がもっと狼の力を使いこなせていたらと、奥歯を食いしばる。

「……くそっ!」

 怒りのまま、傍に生えた木を殴りつける。葉についた水滴が、ボタボタと地面に落ちていった。悔しくて、また涙が出そうになる。

(強くなりてぇ……っ)

 以前よりももっと、懇願するかのように思う。あの収容所の件で、自分の力のなさを痛感した。また、リーゼロッテが連れ去られるようなことがあっても、このままではいずれ―――考えただけで震えが止まらなくなる。それぐらい、この数ヶ月間であいつの存在が大きなものになっていた。
 自分の大切なものを、みんな守れるようになりたい。でも、今のままじゃ、いつかきっと失ってしまうだろう。なにより―――

(あの力に身を委ねるのが、怖い……)

 リカルドに噛み付いた時、あいつの血が心底美味いと感じた。どんなご馳走の味も霞んでしまいそうになるほど、まろやかで、心地がよくて、いつまでも脳が欲求する。まるで劇薬だ。あれからやけに周囲の匂いを強く感じるようになって、空腹が止まらない。先程のリーゼロッテが作ったスープも中身は恐らくかなり酷いものだが、ペロリと平らげてしまった。今はとにかく口になにか入れたい。

(この状態であいつやクリフと居たら、いつか本当に食っちまいそうだ……)

 洞穴から出てきたのもその為だった。クリフもなにかを感じ取って洞穴から出てこない。本当に危機管理能力は主人より優れたやつだ。
 再度一息ついて体を伸ばし、リラックスさせる。ふと、そんな中でよく知った匂いと覚えのあるような匂いが混じって鼻を掠めた。足音がして、戻ってきたのだと察する。

「あっ、アレク! もう動けるの?」
「まあな……ずっと寝てると体が鈍っちまうから……っ!」

 背中に投げかけられた赤ずきんの声にアレクは振り返り目を見開いた。リーゼロッテの背後に立つ人物に、思わず目を奪われる。

「聞いてよ! さっき森の中でリサに会ったの! アレクにも早く会わせたくて!」

 体を避けるようにして手を伸ばし、ここ数日では見られなかった満面の笑みでリーゼロッテが紹介する。背後にいた人物はよそ見をしていたが、こちらに気づき「久しぶりやな!」と笑顔で手を振った。

「……!?」

 だが、アレクは目を見開いたまま完全に声を失った。動揺に目が揺れ、しばらく間を開けてからようやく口にする。





「誰だ、お前……」




 その言葉は、リーゼロッテが期待していたものとは大きく違い、冷たく三人の間を横切っていった。

「あ、アレク、何言ってるの……? リサは……」

 アレクの言葉に一番動揺したのはリーゼロッテだった。二人は自分と会うずっと前からの知り合いで、お互いを見間違えるなんてことがあるはずないのに。

「そうや。もううちの顔忘れたん? アレクは薄情なやつやなぁ」

 リーゼロッテの声に追い打ちをかけるようにして、リサが眉を下げた。だが、アレクは動じず一歩前に出ながら「そうだ。なんであいつの顔と声をしている?」と強気に続ける。

「リーゼ! こっちにこい! こいつからはリサの匂いがしない! そもそもあいつの目の色は……!」

 手を伸ばすアレクにヴィオレットの瞳が怪しく細められた。舌打ちのようなものが聞こえた瞬間、リーゼロッテのすぐ側を鋭い風が通り抜ける。反射的に避けたリーゼロッテは足が縺れるようにして、その場に尻をついた。「っ! リーゼ!」後ろから聞こえる木々が折れる音に、アレクが素早く反応し、リーゼロッテを押し出す。

バキバキバキバキッ!!

「……ぐぅっ……!」
「アレク!」

 あの一瞬でリーゼロッテの背後の木々が切り倒され、アレクがその下敷きになった。治りかけの体に追い打ちをかけられ、呻く。

「なんだ。一瞬で終わらせてやろうと思ったのに。

 話し方の雰囲気がガラリと変わった。どこかで聞いたことのある言葉に、リーゼロッテは青ざめながらゆっくりとその人物を見上げる。その人物の手には自分を斬りつけようとしたであろう巨大な鎌が握られていた。ここに来る前に見たハウンド達を思い出し、全身から血の気が引いていく。

「やっぱりあいつの息子も嗅覚に優れているのか……流石に匂いまでは再現できん」

 計算ミスだ、と顔に手を当てて、嗤う。その人物にリーゼロッテは震えながら「貴方、リサじゃない……?」と未だに混乱した様子で呟いた。

「なんだ、まだ分かっていないのか? 私の顔は、この世に二つとない顔を映す。涙ひとつで騙されるなんて、馬鹿で愚かな赤ずきんだ」
「リサに、何したの……リサはどこに……!?」
「はあ? 聞こえなかったのか?」

 面倒そうにリサと瓜二つの人物が首を竦めた。したり顔で目を合わせる。

「私の顔は、と、そう言っているだろ?」

 二度聞いて言葉の意味を理解する。自分を取り囲む景色や音が遠く、離れていくような感覚に陥った。

「あの女は私が―――殺した」

 どくん。心臓の音が大きく、耳に線を通したかのようにはっきりと聞こえた。
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