跪いて手をとって

宵待(よいまち)

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25 そういう目安

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「え、ここって雪が降るの?」

 リモの実のケーキに舌鼓を打ちながら賑やかな世間話を聞いていると、街のお姉さんたちがそんなことを言っているのが耳についた。AWOの世界では地域によって気候が違うことはあっても、日本のように四季はなかったはずだ。去年の冬もこの辺りは暖かくて、受験勉強の息抜きにログインした萩原が「現実の寒さを忘れそう」と話していた記憶がある。

「何年かに一回くらいの頻度でそういう年があるのよ。今ギードさんが対応している魔物がいるでしょう?あれがこの辺りに出ると、雪が降るほど冷え込む寒い季節になるの」

 積もるほどは降らないのだけど、と付け足してリザが紅茶に口をつける。あの魔物はそういう目安にもなってたんだ。季節の変わり目と一緒に現れるってことは、きっと気温の関係で場所を移動してるんだよね。寒さに弱いってヴァイスも言ってたし。
 植物系の魔物なら、渡り鳥のような生物に種を飲み込んでもらって暖かいところまで運ばせてる感じかな。フィーア周辺の地域がそこまで冷えるってことは、元々寒い地域はさらに厳しい冷え込みになるはず。

 そういうことなら、特に急ぎの用事もないし春になるまでは寒い地域の攻略はやめておこうかな。たぶん寒さは魔法でどうにかできるだろうけど。現実でも観光地ぐらいでしか雪の積もった道を歩いたことがない俺は、ただ歩くだけでも苦戦する自信がある。たとえ適正レベルになってたとしても豪雪地帯にチャレンジするのは無謀だと思うから。
 でも新しい素材があれば調薬できる薬の種類も増えるはずだから、春になるまでのんびりレベル上げはしておこう。そう小さな目標を立ててケーキを味わう作業に戻る。これ本当に美味しい。あとでレシピとか聞いてもいいかな。

「ベルトは何か編むの?」

 いつの間にか話題は寒さ対策になっていたらしい。リザが「編み物は得意だったわよね」とこちらに話を振ってきた。今から編んでも間に合うんだろうか。編み物は好きだけど時間が無限に溶けるから、そこだけが心配だ。

「そもそも、どのくらいの準備をしたらいいのかわからないんだけど」
「フィーアを出ないのならショールとかカーディガンがあればいいのだけど、薬師の仕事を考えると貴方は壁の外に出るのよね」
「うん。外でしか採取できない素材があるから」

 むむ、とリザが考え込んでしまった。外に出るか聞いたってことは、街を囲っている壁の内側ならそこまで冷え込まないのかな。そういう術式か魔法陣が組み込まれてるのかもしれない。

「それなら服にこの模様を入れればいいぞ」

 会話が聞こえていたのか、俺たちの向かいに座っていた人が自分の服を摘んでアピールしてくれた。確かフィーアの南側で陶芸をしている人だ。慣れたように少し離れたところで話に花を咲かせていた女性を呼んで、また同じように服の模様を見せる。

「この模様、寒くなくなるやつだったよな。この兄ちゃんに編み方を教えてやってくれねえか」
「急に呼んで何かと思えば……そうやって何でもかんでもアタシに言えばいいと思ってんでしょ」
「俺は陶芸しかできねえ!編みもんは専門外なんだから仕方ねえだろ」

 やいやいと言い合いを始めたふたりはご夫婦らしい。リザがこっそり教えてくれた。こんな感じでも夫婦仲は良くて、むしろこの言い合いが仲良しの秘訣なんだって。不満を溜め込まないってことかな。遠慮なく交わされている言葉の応酬が、この人たちなりのコミュニケーションの取り方みたいだ。

 ひと段落ついたのか、奥さんがこちらを向いて「悪かったねえ」と謝ってきた。言い合いではあったけど、ふたりの表情から仲良しなのは伝わってきたから気にしないでいいのに。

「それで、寒くなくなるおまじないだったね」

 ここの模様だよ、と旦那さんの服の裾をぐいっと引いて見せてくれる。服が伸びちゃうけどいいのかな。旦那さんが文句を言ってるわりには無抵抗だからいいんだろうな。

「見栄えのためにぐるっと一周させてるけど……ここ、この部分で一区切りだよ」
「個数とあたたかさは関係ないんですか?」
「たぶんないね。アタシも母から教わったおまじないだから詳しくはわからないけど、模様が一個でも十個でも変わらないから好きなように編み込んでるのよ」

 じっと模様を観察する。文字として読めないから、模様全部が古代言語というわけではなく、この中の一部が術式になっているパターンだ。

「あの、少しだけ魔法を使ってもいいですか?」
「おういいぞ」

 何するか言ってないのに景気良く返事をしてくれた旦那さんに苦笑いをしつつ、呪文を呟いて探知を発動させる。探知スキルは魔物や薬草の場所を把握するためにレベルを上げていたんだけど、古代言語を解読していく過程でとあることが判明した。探知でほんの少し魔力を当てると、術式部分が反応するのかうっすらと光るのだ。

 模様に紛れていた術式が浮かび上がる。解読するために一緒に覗き込んでいたリザが首を傾げた。

「かなりシンプルね。『温もり』と…もう一つは何かしら」
「これ前にギードさんの蔵書で見かけた単語だ。文面からの予想だけど、たしか『持続』とか『保つ』って意味の単語だったと思う」

 つまり保温効果の術式か。これだけシンプルだと呪文として唱えられそうだけど、古代言語は発音の規則性が一定じゃないから難しいんだよね。言葉は生き物だから仕方ないことなんだけど。

 とりあえずスクショと、持ち歩いている手帳にメモを取らせてもらって身体を離す。どういう効果なのかを理解している前提だけど、形さえあっていれば術式はちゃんと発動する。シンプルだから魔力の消費もかなり少ない。魔法石が必要ないくらいお手軽だから、俺も今度何かを編むときに仕込んでみよう。

「魔導士ってすげえんだな…」
「ちょっと、この子は薬師様でしょ!」

 感心したようにこちらを見ていた旦那さんの背中を、奥さんが勢いよく叩く。べちんって音がしたけど大丈夫かな。結構気を遣ってもらってるのも申し訳ない。

 また言い合いを始めたふたりにどうしようかと悩んでいると、リザはそのまま放っておくことにしたのかケーキに視線を戻してしまった。俺が原因なんだろうけど、既に言い合いは昨日の夕飯へと話題が変わっていて口を挟む余裕もない。
 うん、俺もケーキの方に戻ろうかな。喧嘩してるわけじゃないしいいよね。

「それで、結局ベルトは何を編むの?」

 紅茶に手を伸ばしたところでリザが楽しげにそう聞いてくる。そういえば最初にそんな話をしていたんだった。防寒の方はローブに術式を仕込めばなんとかなりそうだし、何を編もうかな。この世界でもセーターやブランケットは買えるけど、どうせ買うなら手触りとか質の良いものが欲しい。でもそうなると王宮があるもっと先の街に行かないと入手するのは難しそうだしなあ。

 あれこれ悩んでいるとリザが顔を寄せてきた。楽しそうに弧を描いた口元に手を添えて、ひっそりと悪戯を思いついた子供のように甘く囁く。

「ヴァイスに何か編んであげたらきっと喜ぶわよ」
「……手編みってプレゼントしたら重いって思われない?」

 前それでフラれたんだよねと暗い気持ちになっていると、リザから返事がないことに気がつく。どうしたんだろうとリザを見ると、彼女も驚いたような表情でこちらを見ていた。
 それからはっとしたように目を輝かせて、がしりと、彼女にしては力強く肩を掴まれる。

「とうとう付き合い始めたのね?!いつ?この前に会った時はまだだったわよね?」

 声は落としつつ、しかし興奮が抑えられないのかぐいぐいと身を乗り出してリザが聞いてくる。ちょっと勢いが怖い。いかにも興味津々です!って感じのきらきらとした視線に思わずたじろぐ。

「なんでわかるの…」
「だって前までのベルトなら『友達に贈るにはちょっと』とか言って、そもそも贈ろうとしないもの。贈った時の反応を考えるってことは、何かしらは贈ろうとしてるってことでしょう?」

 鋭すぎる。でも確かに前の俺ならそういう返事をしていたかもしれない。観念して昨日からと小さく答えると、彼女はやっぱりと満足そうに頷いて乗り出した身体を戻した。ご機嫌にケーキを口に運んでいるリザを見ながら、俺の頭はヴァイスのことを考えている。

 いつも助けてくれるヴァイスに、何かを贈りたいという気持ちはあった。恋人という関係になった今なら、わざわざ特別な理由を探さなくてもプレゼントをして良いんじゃないかなとも思う。でもそれが手編みとなると二の足を踏んでしまうのだ。重いと、過去に言われた言葉が耳にずっと残っている。
 いっそ世界を代表してリザに答えてもらおうかな。ここの住人の感覚として、手編みを贈られた時に相手にどんな感情を持つのか。

「率直に答えて欲しいんだけど、恋人に手編みの物を贈るのって重い?」
「そんなわけないじゃない。『大切な人が寒くないように』って贈る相手のことを考えながら編んでくれた物でしょう?ヴァイスは絶対に喜んでくれるわ」

 なんでそんなことを聞くんだというようにリザの声は少しだけ怒気を帯びていた。それに何か返そうとして、けれど喉につっかかったように言葉が出ない。

 大切な人が寒くないように。そう願いながら編んだのは、同じだったはずなのに。

 住んでいる世界が違うのはあまり理由にならないとわかってる。考え方は人それぞれで、あの人がたまたまそれを重いと感じる人だっただけだと。ヴァイスは俺が何を贈っても喜んでくれるとわかってる。それでも、臆病な俺は踏み出せない。
 小さな棘が刺さったままここまできてしまった。感覚が麻痺して気付かないようにしていただけで、ほんの微かな、けれど無視できない痛みがじわりと主張を始める。

「とりあえず毛糸だけでも見てみたら?気にいる毛糸が見つかったら編みたくなるかもしれないもの」

 視線を落として何も言えない俺に、リザがわざと明るくそう言葉をかけてくれる。ツヴァイで放牧してる羊の毛をフィーアで手染めして出荷してるのだとか、彼女の店にも少しだけ毛糸を納品してもらってるとか。毛糸の種類にこだわりがあるなら好きな色で染めて貰えばいいと語るリザのお陰で、沈んだ気分がほんのちょっとだけ浮上した。

 ありがとうと呟くと、彼女は「お礼としてマフラーの編み方を教えて」と控えめに頼んでくる。どうしても途中で毛糸がギチギチになるのと半ば諦めたように話すリザが珍しくて、今度こそ声を出して笑ってしまった。


____________
どうでもいい補足

ベルトの「お姉さん」呼びは彼より年上の全ての女性が対象です。お祖母様にそう教え込まれました。
あと彼の名前のイントネーションは「ベ↑ルト」です。「メガネ」ではなく「トマト」と同じ。たぶん。以上本当に今更すぎる補足でした。
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