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9 逢瀬の合図
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土曜日の夕方。涼しくなってきた頃を見計らって裏庭の水やりをしていた俺は、ついでに薬草の手入れも済ませようと腰を下ろした。頻繁にギードさんに見てもらってるとはいえ、少し目を離していたうちに実がなったりしてるから。
薬草や素材、食用の果実とかは家のインベントリに入れて仕舞えば劣化もしないのだけど、自然に生えたままだと腐ったり品質のランクが落ちてしまう。高品質の薬草の方が、出来上がるポーションのランクも高くなりやすいから手入れは欠かせない。
ハーブティー用の葉っぱは収穫して、痛み止めの薬草は明後日くらいに採れるはず。青いラデッシュみたいなやつも収穫できる。
葉をかき分け、土を払って、次の収穫時期と必要な素材を照らし合わせながら作業を進める。あれこれ手を動かしていると余計なことを考えなくて済むから好きだ。例えばヴァイスのこととか。俺はヴァイスとどうなりたいんだろうとか。
「考えちゃってるんだよなぁ……」
ずるずると地面にしゃがみこむ。顔を覆いたい気分なのに手が土まみれで覆えない。引き抜いて掴んだままの薬草が、俺のため息に合わせて揺れる。
結論から言おう。あれから一度もヴァイスと顔を合わせてない。
言い訳がましいかもしれないけど、避けてるわけじゃないのに本当に偶然あれから会ってないのだ。いつもなら街でもたまに会えるのに。リザは会ってるらしいから、怪我とかではないと思う。でも普段は巡回してる時間帯でも見かけないんだよね。街ですれ違ってたら絶対わかるんだけど。
「あなたはNPCだから、顔が見えなくてもわかるんだよって言ったらどんな顔するんだろ」
項垂れた視線の先に表示されたディスプレイを眺め言葉が溢れた。今この周辺には俺しかいないようで、青いピンが一つだけ、寂しく立っている。
マップには沢山の情報が表示される。過去に通過したことのある場所なら地図があるのはもちろん、お店やギルドがあればマークが表示されるし、人や魔物がいれば下向きの三角マークがピンとして地図上に立つ。
魔物やこちらに危害を与えようとする人は赤いピン、異邦人なら青で、この世界の住人は黄色だ。ただ例外があって、たまにこちらの住人でも紫色のピンで表示される人がいる。そのひとりがヴァイスだった。
黄色で表示されるはずのNPCの中に混ざる紫のピン。その色の違いはなんだ、とAWOが発売された頃から掲示板ではプレイヤー達によって様々な考察がなされている。
最も多かったのは運営が見張りや動作確認として動かしている所詮「中の人がいる」状態のキャラではという意見で、何かのイベントの折に公式が設置した質問窓口に直接それを投げ込んだ猛者もいたらしい。
運営からの回答は一言、『彼らと関わればいつかわかるかもしれませんね』とだけ返された。
運営の返答を聞いた掲示板の考察班が出した結論はこうだ。紫で表示されるのはゲームで重要な情報を持つ、いわゆる主要キャラではないかと言う考察だ。
誤魔化されたのではという意見もあったけど、とある異邦人の「クエストで関わっていた紫ピンの人に隠しダンジョンに連れて行ってもらった」って書き込みで一気に掲示板は加速したらしい。
それと同じ頃に、もう一つの書き込みも注目を浴びた。「滞在してた街の紫ピンが死んだ。あれから見てない」と言うものだ。その書き込みを見た別の人も「黄色ピンだけど、俺も最近見かけないなって商人のNPCがいて、周りに聞いたら魔物に襲われて死んだって」と芋蔓式に複数のプレイヤーから書き込みが続く。そこでようやく発覚したのだ。
この世界のヒトは死に戻りしない。そもそもできないのだ、と。
別にどうでもいいと言う人もいれば、仲の良いNPCがいるから魔物に襲われてたら絶対に守る、と言う人もいる。遊び方は人それぞれだけど、なんとなくそれ以降はNPCに優しくする人が増えたように思う。主要キャラから情報を聞くために、仲良くなろうと接極的にNPCと関わって気付いたんだろう。彼等がこの街で、この世界で、俺たちと同じように生きてるんだって。
そうやって変わった異邦人もいれば、変わらない人もいる。検証したいから試しに殺してみるかと書き込んだ人は、通報されて無事に垢BANされたらしい。結局ただのゲームだからと好き勝手するような奴は聞く耳を持たない。この世界のヒトを物として扱う人が、少しでも減ればいいのに。
視界でオレンジの花が揺れる。テラスの屋根に絡んでいる植物は今日も綺麗だ。ベルの髪と同じ色だねって、そう言って花を愛でていたヴァイスの横顔が浮かぶ。
俺が知る限り、偵察隊の中で紫に表示されてるのはヴァイスだけだ。だから街で偵察隊を見かけたらヴァイスがいるかわかる。街でも会わないってことは、勤務時間が変わってすれ違いになってるか、街の外の仕事をしているかだ。
彼との距離を、ずっと悩んでいる。この感情の落とし所を、互いが傷つかないようにする方法を探して、見つからないままで。ヴァイスの顔を見れば何か掴めるかと思ったけど、会えない今は空中に手を彷徨わせてるだけだ。
少しずつ陽が傾いてきている。今日は土曜日、いつもはヴァイスが来る日だけどテラスの机には何も置かれていない。本や花で来訪を知るようになったのは、いつからだったっけ。置かれてた花は全部とってあるって言ったら引かれるかな。捨てれない理由を、知らないフリはもうできないな。ただの合図の為に使っただけでも、それ以外の意味がなくても、あなたからもらった物を捨てたくなかったんだよ。
ここ最近はよく顔をあわせていたから、土曜になっても会えないとは思わなかった。前に置かれてた花は、もう綺麗な栞になってるのに。
ふと、栞の作り方を教えてくれた祖母の言葉を思い出す。小さい頃の俺は身体が弱くて、両親が家を空けがちなこともあってお祖母様の家で育てられた。あの時は確かお祖母様の初恋の話をされた記憶がある。
__好きになったら、もうどうしようもないのよ。好きになってしまったのだから。だからね、自分の気持ちに素直になって、待つのはやめたの__
だから家を飛び出してひどく怒られたわ。本に花を挟みながらくすくす笑って話す姿は本当に楽しそうで、頭を撫でた手の優しさを今でも覚えている。
「……会いに行ってみようかな」
ポツリと、俺しかいない裏庭で小さく提案してみる。勤務時間が変わったのであれば、行けば会えるのかもしれない。
仕事の邪魔になるかもとか、行っても会えないかもとか、結局いい距離はどのくらいかわからないし不安や悩んでることが沢山あるけれど。わからないから全部ぶつけて一緒に考えてもらおう。このぐちゃぐちゃな感情を受け止めてもらえなくても、俺がひとりで飲み込むことになっても。ヴァイスは絶対に真剣に応えてくれるだろうから。
とりあえず今は、待つのはやめにしよう。
薬草や素材、食用の果実とかは家のインベントリに入れて仕舞えば劣化もしないのだけど、自然に生えたままだと腐ったり品質のランクが落ちてしまう。高品質の薬草の方が、出来上がるポーションのランクも高くなりやすいから手入れは欠かせない。
ハーブティー用の葉っぱは収穫して、痛み止めの薬草は明後日くらいに採れるはず。青いラデッシュみたいなやつも収穫できる。
葉をかき分け、土を払って、次の収穫時期と必要な素材を照らし合わせながら作業を進める。あれこれ手を動かしていると余計なことを考えなくて済むから好きだ。例えばヴァイスのこととか。俺はヴァイスとどうなりたいんだろうとか。
「考えちゃってるんだよなぁ……」
ずるずると地面にしゃがみこむ。顔を覆いたい気分なのに手が土まみれで覆えない。引き抜いて掴んだままの薬草が、俺のため息に合わせて揺れる。
結論から言おう。あれから一度もヴァイスと顔を合わせてない。
言い訳がましいかもしれないけど、避けてるわけじゃないのに本当に偶然あれから会ってないのだ。いつもなら街でもたまに会えるのに。リザは会ってるらしいから、怪我とかではないと思う。でも普段は巡回してる時間帯でも見かけないんだよね。街ですれ違ってたら絶対わかるんだけど。
「あなたはNPCだから、顔が見えなくてもわかるんだよって言ったらどんな顔するんだろ」
項垂れた視線の先に表示されたディスプレイを眺め言葉が溢れた。今この周辺には俺しかいないようで、青いピンが一つだけ、寂しく立っている。
マップには沢山の情報が表示される。過去に通過したことのある場所なら地図があるのはもちろん、お店やギルドがあればマークが表示されるし、人や魔物がいれば下向きの三角マークがピンとして地図上に立つ。
魔物やこちらに危害を与えようとする人は赤いピン、異邦人なら青で、この世界の住人は黄色だ。ただ例外があって、たまにこちらの住人でも紫色のピンで表示される人がいる。そのひとりがヴァイスだった。
黄色で表示されるはずのNPCの中に混ざる紫のピン。その色の違いはなんだ、とAWOが発売された頃から掲示板ではプレイヤー達によって様々な考察がなされている。
最も多かったのは運営が見張りや動作確認として動かしている所詮「中の人がいる」状態のキャラではという意見で、何かのイベントの折に公式が設置した質問窓口に直接それを投げ込んだ猛者もいたらしい。
運営からの回答は一言、『彼らと関わればいつかわかるかもしれませんね』とだけ返された。
運営の返答を聞いた掲示板の考察班が出した結論はこうだ。紫で表示されるのはゲームで重要な情報を持つ、いわゆる主要キャラではないかと言う考察だ。
誤魔化されたのではという意見もあったけど、とある異邦人の「クエストで関わっていた紫ピンの人に隠しダンジョンに連れて行ってもらった」って書き込みで一気に掲示板は加速したらしい。
それと同じ頃に、もう一つの書き込みも注目を浴びた。「滞在してた街の紫ピンが死んだ。あれから見てない」と言うものだ。その書き込みを見た別の人も「黄色ピンだけど、俺も最近見かけないなって商人のNPCがいて、周りに聞いたら魔物に襲われて死んだって」と芋蔓式に複数のプレイヤーから書き込みが続く。そこでようやく発覚したのだ。
この世界のヒトは死に戻りしない。そもそもできないのだ、と。
別にどうでもいいと言う人もいれば、仲の良いNPCがいるから魔物に襲われてたら絶対に守る、と言う人もいる。遊び方は人それぞれだけど、なんとなくそれ以降はNPCに優しくする人が増えたように思う。主要キャラから情報を聞くために、仲良くなろうと接極的にNPCと関わって気付いたんだろう。彼等がこの街で、この世界で、俺たちと同じように生きてるんだって。
そうやって変わった異邦人もいれば、変わらない人もいる。検証したいから試しに殺してみるかと書き込んだ人は、通報されて無事に垢BANされたらしい。結局ただのゲームだからと好き勝手するような奴は聞く耳を持たない。この世界のヒトを物として扱う人が、少しでも減ればいいのに。
視界でオレンジの花が揺れる。テラスの屋根に絡んでいる植物は今日も綺麗だ。ベルの髪と同じ色だねって、そう言って花を愛でていたヴァイスの横顔が浮かぶ。
俺が知る限り、偵察隊の中で紫に表示されてるのはヴァイスだけだ。だから街で偵察隊を見かけたらヴァイスがいるかわかる。街でも会わないってことは、勤務時間が変わってすれ違いになってるか、街の外の仕事をしているかだ。
彼との距離を、ずっと悩んでいる。この感情の落とし所を、互いが傷つかないようにする方法を探して、見つからないままで。ヴァイスの顔を見れば何か掴めるかと思ったけど、会えない今は空中に手を彷徨わせてるだけだ。
少しずつ陽が傾いてきている。今日は土曜日、いつもはヴァイスが来る日だけどテラスの机には何も置かれていない。本や花で来訪を知るようになったのは、いつからだったっけ。置かれてた花は全部とってあるって言ったら引かれるかな。捨てれない理由を、知らないフリはもうできないな。ただの合図の為に使っただけでも、それ以外の意味がなくても、あなたからもらった物を捨てたくなかったんだよ。
ここ最近はよく顔をあわせていたから、土曜になっても会えないとは思わなかった。前に置かれてた花は、もう綺麗な栞になってるのに。
ふと、栞の作り方を教えてくれた祖母の言葉を思い出す。小さい頃の俺は身体が弱くて、両親が家を空けがちなこともあってお祖母様の家で育てられた。あの時は確かお祖母様の初恋の話をされた記憶がある。
__好きになったら、もうどうしようもないのよ。好きになってしまったのだから。だからね、自分の気持ちに素直になって、待つのはやめたの__
だから家を飛び出してひどく怒られたわ。本に花を挟みながらくすくす笑って話す姿は本当に楽しそうで、頭を撫でた手の優しさを今でも覚えている。
「……会いに行ってみようかな」
ポツリと、俺しかいない裏庭で小さく提案してみる。勤務時間が変わったのであれば、行けば会えるのかもしれない。
仕事の邪魔になるかもとか、行っても会えないかもとか、結局いい距離はどのくらいかわからないし不安や悩んでることが沢山あるけれど。わからないから全部ぶつけて一緒に考えてもらおう。このぐちゃぐちゃな感情を受け止めてもらえなくても、俺がひとりで飲み込むことになっても。ヴァイスは絶対に真剣に応えてくれるだろうから。
とりあえず今は、待つのはやめにしよう。
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