跪いて手をとって

宵待(よいまち)

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11 おいしさは重要

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 駆けつけた南の平原にはピリピリとした緊張感が漂っていた。

 普段の穏やかさはなりを潜め、暗闇の向こうにいるであろう強敵の気配が衛兵隊の野営地まで伝わってきている。生温かい風に微かに血の匂いが混じる。強敵ボスエネミーの気配のせいか、それとも血の匂いに触発されたのか。周りにいる通常の魔物も凶暴化しており、俺たちもここに来るまでに何度か強襲を受けていた。怪我人のいるテントに向かう足が急いて縺れそうになる。
 死に戻りできないNPCを庇ってか、異邦人達が衛兵に下がるように声を上げる。次々に報告される情報と矢継ぎ早に飛び交う衛兵達の指示。その合間に聞こえる、怪我人の抑えた呻きが事態の深刻さを物語っていた。

「リザ!」

 駆け込んだテントの中で見つけた見知った顔に迷わず声をかける。ぶつからないように気をつけながら奥へと進んで、集めてきた素材を見せて状況を確認した。

「よかった、もうすぐポーションも底をつくところだったの。急いで解毒薬を用意しましょう」
「俺が使わなかった分のポーションも渡すね。あと調薬したいから平らな場所ってある?」
「それならベルト、この机を使え。最近作った自信作だ」

 少し開けた場所にノクスさんがインベントリから机を取り出す。作業台に最適なそれに必要な素材を山積みにして、俺も調薬キットを用意した。

 オレンジ色の布を敷いてその上にキットを組み上げる。簡易コンロと土台に三角フラスコのような形のポットを置いて、横にポットと同じガラス製の小さい容器と茶漉しに試験管。使い終わったポーションの瓶が山積みだから、リザにお願いして洗って並べてもらうことにした。これに出来上がったポーションを入れれば瓶の数に困ることもないだろう。

「まずは水を用意しよう。『恵みの雨よセケルピオ』」

 ポットの上に手を翳して水を入れる。次に魔法陣を描いてコンロに火を灯し、沸騰するのを待ちながら調達してきたワサビみたいな薬草をすりおろしていく。

 シルバーアックスは他の異邦人達と魔物の牽制を手伝いに行くらしい。ノクスさん達ならレベルも高いし大丈夫だと思うけど、応援の意味を込めてダメージアップのバフを掛けて見送った。依頼を受けた異邦人はフィーアでレベル上げをしている途中だったようで、多分火力が足りてないみたいだったから。物理ダメージが効くタイプの魔物ならノクスさんの得意分野だ。

 異邦人達と入れ替わるように衛兵や偵察隊が数人、テント内に戻ってきた。怪我人もいるようで、肩を貸していた偵察隊のひとりが報告をあげている。異邦人に自分達が前線に出るから衛兵達は一度休んで体制を立て直すよう言われたらしい。

 その報告を聞きながらポットの様子を確認してた俺は、目の前を通り過ぎて行こうとする偵察隊の服を掴んだ。

「ヴァイス、前線に行かなくて大丈夫だからこっち手伝って」

 そろそろ水が沸騰しそうだし、体力のない俺はすりおろしてる手が疲れてきた。だから変わってと言葉を続けて、服を掴んだ相手から返事がないことに気付いて顔を上げる。
 見慣れた偵察隊の服に見慣れた顔。俺に服を掴まれたヴァイスの、虚をつかれたような視線が向けられる。

「聞いてる?手伝って欲しいんだけど」

 くん、と裾を引いてもう一度声をかけると、ヴァイスはようやく動いて俺の方に向き直った。あまりにも鈍いその動きに俺が怪我の心配をしたところで、アバターを変えた分より遠くなった上から戸惑ったような声が降る。

「よく俺ってわかったね…?」

 一言も話してないのに、とか。呪文にんしきそがいで顔見えてないでしょとか。ヴァイスが言葉を続けているが舐めないでほしい。

「あのね、流石にこれだけ一緒にいたら雰囲気とか動きでわかるよ。あなたが言ったんでしょ、親しくなったら見分けられるようになるって」

 ただでさえ俺はヴァイスばかり見てるのに。無意識に目で追ってる相手を間違えるわけないでしょ。そう伝えることはまだできないけど、マップの表示を確認しなくても見分けられるくらいにはNPCしりあいのひとりでなくあなた自身ヴァイスというにんげんを見てるんだって知っていて。

 あと前から思ってたけど、と今度は胸元を掴んで少し引き寄せる。背が縮んだ分を背伸びで埋めて上を向けば、ヴァイスとしっかり視線が交わる。アバターを変える前の目線で、フードを被る彼との距離はこのぐらいだったはず。
 見せてもらってないから認識阻害の呪文の構成はわからないけど、多分その中の一部は見る側の視界を塞ぐ系の闇魔法だと仮定して。物理ダメージでない闇属性の魔法は、光属性だと半減するから。

「俺の本職せいまどうしが“こう“だから、ここまで近づけばそれなりに表情も見えるんだけど」

 その呪文は偵察隊の仕事で必要なんだろうし、俺みたいに例外で見えちゃってることに問題があるなら改善した方がいいよ。そう言って掴んでいた服を解放すると上から長いため息が聞こえてきた。それと聞き取れなかったけど何かを呟いた声も。ため息が出るようなほど面倒な手続きがあるのかな。

 ふと周りを見渡すと、何故か他の偵察隊や衛兵もこっちを見ていたらしい。よく考えたらヴァイスは仕事中なわけだし、手伝ってもらうなら許可取らないとだよね。

「すみません、解毒薬を作るのにしばらくヴァイス借りてもいいですか?」
「あ、ああ……他の手の空いている者にも、手伝えることがあれば言ってくれ」

 戸惑ったような衛兵のお偉いさんは、しかしすぐに気を取り直して許可をくれた。それならばとワサビのような薬草をすりおろす作業を任せて、いまだに片手で顔を覆ったままため息の状態で固まっているヴァイスに声をかける。

「すりおろしてくれるらしいから、ヴァイスはこのリモの実を絞ってて」

 はいこれ、とリモの実を手に持たせて調薬に戻る。リモの実はギードさんから仕入れている高品質のきのみだ。黄色くて薄い皮のそれは見た目はアンズみたいなのに、柑橘類でレモンのような酸味が特徴的なフィーアの名産品の一つである。後ろでヴァイスが「ベルって時々すごく大胆だよね」ってリザと話してるけど、なんのことだろう。

 ポットの中身が沸騰しているのを確認して、まずはポーションと同じ薬草をお湯の中に入れる。ガラス越しに踊る薬草を見ながらすりおろされたワサビのような薬草の山を手に、じっとタイミングを伺う。
 踊る薬草と、揺れる湯気に目を凝らして待つこと数秒。ポットの中身が色づき始めた瞬間に火を止めてすりおろした薬草を入れ、溢さないように注意しながらガラス製の棒で一気に掻きまわす。

 途端にパチパチとはじけた薬液は次第に落ち着き、青色の綺麗な解毒薬になった。本来ならこれで完成なのだが、俺の作る解毒薬はもう一手間を加える特製レシピだ。ヴァイスからリモの実の搾り汁を受け取って、解毒薬にぽたりと数滴垂らす。しっかりと混ぜて瑠璃色だった薬液が紫色に変化した。これを漉して瓶に詰めれば解毒薬の完成である。

 かき混ぜていた棒を持ち上げ、一滴だけ手の甲に垂らして味見をする。うん、特有の苦味が緩和されて美味しい。どうせ飲むなら美味しい方がいいと思って試作を繰り返した甲斐がある。この世界のポーション類は苦味が強かったり渋みで嘔吐きえづきそうになったりで美味しくなくて、あまり飲みたくないんだよね。副業薬師を取得してからは自分が作った改良レシピのポーションしか飲んでないくらいには味が違う。
 このよくわからなかった中途半端な丈の手袋も、薬師として活動すると理にかなってるのだと感心した。いまだに太ももの謎ベルトは用途が不明なままだけど、これもいつかわかるだろう。
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