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 第一章 処刑された悪役令嬢


 目に映り込む全ての人々が、私を憎悪していた。元家族も元友人も、そして元婚約者も……
 しかも彼らは王都の広場に大掛かりな断頭台まで作ったのだ。もちろん、私の首が斬り落とされるのを民衆に見せるためである。
 悪趣味ね……
 興奮した面持ちの民衆をさげすみながら見ていると、死刑執行人に断頭台の方に進めと言わんばかりに思い切り背中を押されてしまった。どうやら、私の首と胴体が離れる時間が来たらしい。
 ふいに、今着ている汚れてぼろぼろの服が目に映った。
 せめて、最後ぐらいはドレスを着させてほしかったわ……
 傷だらけで痩せ細った自分の体を見て、思わず口元を歪める。
 まあ、こんな姿ではドレスを着てもさまにならないでしょうね……
 更に口元を歪めた瞬間、パリッという音と共にひび割れた唇から血が流れて地面に落ちた。その血を見て「お前の血は、その醜いみにく心のようにきっと真っ黒だろうな」と、元婚約者に言われたことを思い出す。
 残念ながらまだ赤いみたい……
 どうせなら真っ黒だった方が良かったと心の中で呟き、私は断頭台に続く階段をフラつきながら上がっていく。そして、息切れしつつ一番上に到着した瞬間、死刑執行人に力任せに肩を押さえつけられひざまずかされた。そんな酷い扱いをされている私の目の前に、薄緑色の髪をした美しい青年がゆっくりと現れる。その青色の瞳に憎悪を浮かべ、私を睨みながら……
 フェルト・ロールアウト王太子殿下……。私の元婚約者。そして私を断罪して牢獄に入れた挙句に断頭台に送った男……
 私は王太子殿下を睨もうとして、その隣にいる女に気づく。桃色の髪に大きな目。まるで小動物のようなミーア・アバズン男爵令嬢。――今回の一連の騒動の元凶である。
 アバズン男爵令嬢は、私を見た瞬間に「きゃっ」と小さく悲鳴をあげて王太子殿下の腕に抱きつく。私がそんな彼女の行動に軽く溜め息を吐くと、アバズン男爵令嬢を愛おしそうに抱きしめ王太子殿下が睨んできた。

「最後の最後までミーアを怖がらせるとは、お前には呆れてものも言えないな」

 相変わらず思い込みが激しい王太子殿下の言葉に私ははらわたが煮えくりかえるが、言い返しても無駄なので無視をする。いや、今の私はもう声すら出せる状態ではないのだ。そんな私を見て王太子殿下は薄ら笑いを浮かべた。

「ふん、これから地獄に落とされる恐怖でしゃべれないか」

 王太子殿下は勘違いしてそう言ってきた。私が無言で睨んでいると、アバズン男爵令嬢が涙目になって王太子殿下を見上げる。

「フェルト、こんなことになってしまったのは、きっとミーアが悪いのよ! ミーアが……」

 またお得意の演技を始めたアバズン男爵令嬢の唇に、王太子殿下がキスをする。私が断罪される直前から何度も行われ、もう見飽きてしまった光景である。しかし、死ぬ前にまたこれを見させられるとは……馬鹿馬鹿しすぎて先ほどの恐怖感が薄まり、つい口元が緩んでしまった。すると、そんな私に気づいた人物がいた。

「バイオレット! 何を笑っている⁉」

 そう怒鳴ってきたのは、私と同じ紫色の髪と瞳を持つ線の細い優男やさおとこ、サジウス・サマーリア。私の兄である。
 兄は神経質そうに眼鏡をいじりながら私を問いただしてくるが、もし声が出せたとしても私は何も答える気はなかった。どうせ何を言っても通じないし、いくら筋が通る説明をしてもこの兄の中では自分の考えが正しいという結論になるからである。要は王太子殿下と一緒で、何を言おうが私が悪いことになるのだ。私が黙っていると、今度は赤髪の野性味ある男が側に来て私を睨んだ。
 ブラウン・カイエス伯爵令息……
 いつの間にかアバズン男爵令嬢の側にいて騎士気取りをしている男だ。ちなみに、私はカイエス伯爵令息と話をしたことはない。何せ、私がアバズン男爵令嬢を叱っている時も、ただ睨んでくるだけだったからだ。ただし、殺意を乗せてだが。
 そんなカイエス伯爵令息がこちらを睨みながら初めて私の前で口を開いた。

「この魔女は、この期に及んでまだ何かたくらんでいるのかもしれません」

 カイエス伯爵令息が大袈裟おおげさにそう言うと、アバズン男爵令嬢はまた怯えたフリをし出す。

「こ、怖いよっ!」
「ミーア、大丈夫だよ」
「ああ、ミーア。私達が君を守るから心配いらない」
「絶対に俺達がミーアを守るって誓っただろう」

 三人の男は怯えたフリをするアバズン男爵令嬢に優しく声をかけた。そんな光景を民衆は温かく見守っている。もちろん、私は違う。
 正直、吐きそうな光景だわ。
 わざわざ断頭台にまで上がって下手な劇を見せるなんて本当に暇なのね。それに私の首が落ちるのを近くで見たいなんて、この人達は悪趣味すぎる……。前はそんな人ではなかったはずなのに……
 そう思いながら王太子殿下を見ようとして、すぐにやめた。
 きっと、私と婚約者だった頃の性格が演技で、これが本来のこの男の性格なのね。そして、それを引き出したのがミーア・アバズン男爵令嬢ということかしら……
 そう理解して私はアバズン男爵令嬢を睨もうとしたが、直後、髪を掴まれ断頭台に首を固定されてしまう。途端に恐怖に襲われ、体が震え出した。
 怖い……。鞭打ち刑の比じゃない……
 私が体を震わせていると、このロールアウト王国の国王であられる、ダフテン・ロールアウト国王陛下が広場に響き渡る大きな声でしゃべり出した。

「このバイオレットなる者は王太子であるフェルトの婚約者でありながら、そこにいるミーア・アバズン男爵令嬢及び隣国の王太子を毒薬を使って殺害しようとしたのだ。これは我が王家に対する大きな裏切り行為である。よって、これより大罪人バイオレットの死刑執行を行う」

 国王陛下がそう宣言した瞬間、民衆は殺せと連呼し始め、離れた席に座っていた元家族や元友人達は侮蔑ぶべつの視線を向けてきた。そんな彼らのおかげで恐怖は薄れ、代わりに怒りが込み上げてきた。私は皆を射殺いころさんばかりに睨みつける。

「何も知らないくせに……」

 最後の力を振り絞りそう呟いた瞬間、首に痛みが走り地面が近づいてくる。いや、私の首が落ちたのだろう。そして地面に顔が当たる寸前、私の視界は暗転したのだった。


     †


 私は暗闇の中をひたすら彷徨さまよっていた。自分が何者で、なぜこの場所にいるのか思い出せない。
 なんとか思い出そうとした瞬間、パッと視界が開け、記憶が大量に流れ込んできたのだ。それで、私は理解する。
 ああ、私は断頭台で首を斬り落とされたのよね……
 そう理解すると更に視界が開けていき、少しずつ周りが見えてくる。どうやら私は王宮の庭園のテラスで、テーブルに着いて紅茶が入っているカップを持っているようだった。
 死んだ後も王宮なんて最悪ね……。でも、相変わらずこの紅茶はいい香りがする……
 そう思いながら紅茶の香りを楽しんでいると、更に視界が開けていきテーブルを挟んだ向かいに座っている人物が目に入った。その瞬間に私は音を立ててカップをソーサーに置き、その人物を睨んでしまう。なぜなら、その人物は元婚約者で私を断頭台に送ったフェルト王太子殿下だったからだ。

「なぜなの……」

 そう呟き、驚く。あんなに声を出すのが大変だったのに、今はすんなりと言葉が出てくる。しかも、私の自慢の縦ロールにきめ細かな肌、そしてきらびやかなドレスも視界に映っている。
 死んだから自分がなりたい姿になれたということなの?
 そんなことを考えていたら、聞きたくもない不快な声が耳に届いた。

「どうしたんだい、バイオレット?」

 王太子殿下がそう聞いてくるが、もちろん無視をする。すると、なぜか心配そうな表情で私を見つめてきたのだ。

「もしかしてお妃教育で疲れたんじゃないか? 今日はもう帰った方がいいかもね……」

 そう言いながら席を立ち私の側に来たので、慌てて私も立ち上がり後ずさった。すると王太子殿下が苦笑した。

「まだ、婚約者候補である君には触れないから安心して。ちょっと顔色を見たかったんだ」

 王太子殿下はそう言うと私の顔を覗き込んでくる。私は混乱していた。
 婚約者候補? 何を言ってるの……。私達は一年以上前に正式に婚約したし、それどころかつい先日それも破棄された。それになぜ、あんなことをしたのに親しげに話しかけてくるのよ……
 私はそう言いたかったが、王太子殿下と話したくないという気持ちの方が勝ってしまったため、黙ってうつむく。すると、王太子殿下が優しい口調で聞いてきた。

「もしかして、来月の婚約者発表がどうなるか、気にしているのかい?」

 えっ⁉
 驚いて思わず顔を上げてしまう。なぜって王太子殿下が「来月の婚約者発表」と言ったからだ。そしてつい口を開いてしまう。

「来月……。そうなると今は王国暦二千年の三月あたり……」

 そう呟くと、王太子殿下が笑い出す。

「ははは、どうしたんだい? 完璧令嬢と言われるバイオレットがそんなことも忘れるなんて珍しいね」
「……申し訳ありません。でも、そうなると王太子殿下は来年の三月に学院を卒業されるのでしょうか?」

 私が真剣に質問すると、王太子殿下は急に心配そうな表情になり頷いた。

「そうだけど……今日はやはり変だね。帰って休んだ方がいいよ」

 王太子殿下がそう言ってきたので、これ幸いと私は頷いた。

「……そうさせていただきます」

 淡々と返し、挨拶もそこそこに王宮を出る。そして馬車に乗り込んだ瞬間、頭を抱えて心の中で叫んでしまった。
 どういうことよ⁉ 処刑された日から一年以上前に戻ってる……。もしかして私は長い間、悪夢を見ていたの?
 完全にパニック状態だった。だが、しばらく馬車に揺られているうちに落ち着き、そして気づいたのだ。もしあれがただの悪夢じゃなかったら、またあの日が来るかもしれないと。
 想像してしまった私は思わず身震いする。
 そんなの絶対に嫌よ! じゃあ、どうするの?
 馬車の中で必死に考え、しばらくして思いつく。
 ……要は王太子殿下の婚約者にならないようにすればいいのよ。
 だが、すぐに渋い表情になってしまった。この時期の私と王太子殿下の関係を思い出したからだ。正直、私達の関係はとても良かったのだ。三人いた婚約者候補の中で一番……
 だから、いきなり婚約者候補から外してほしいと言っても、納得できる理由がない限り王太子殿下は首を縦に振らないだろう。それに、この時の私は他の婚約者候補よりお妃教育の評価が遥かに上をいっていたので、両陛下からも凄く期待されていたのだ。そして王家と太い繋がりが欲しい父からもだ……。更に駄目押しでこの婚約の話は王命ときている。これは相当な理由がないと婚約者候補から外れるのは難しいだろう。
 要は勘当されるようなことをしない限りは難しいってことね。でも、それは最終手段よ。まずはどうにか穏便に婚約者候補から外れる方法を探さないと。
 そう思い何かいい方法を考えようとしたら、突然、断罪の日のあの光景を思い出してしまった。冤罪えんざいなのに私を断罪した王太子殿下と、私を嵌めたアバズン男爵令嬢。そして兄やカイエス伯爵令息などを……
 思わず拳を握りしめ怒りに震えてしまったが、すぐに私は頭を振ってその光景を追い払う。
 あれは夢かもしれないのよ。だから、まだ変なことは考えちゃ駄目……
 そう思いながら湧き上がる仄暗ほのぐらい感情を必死に抑えつける。そして、なんとか心を落ち着けられたところで、馬車の速度が落ち始めた。窓の外に目を向けた瞬間、頬が緩んでしまう。なぜなら目に映ったのは、王都にあるサマーリア公爵家の屋敷だったからである。

「懐かしいわね……」

 ついそう呟いた後に苦笑してしまう。気持ち的には数ヶ月ぶりの我が家でも、本当は今朝方ぶりのはずなのよね……
 あれはただの夢かもしれないと思いつつも、やはり、どこかで引っかかりを感じる。しかし、結局はその原因がわからないまま屋敷に入っていくと、侍女のグレイスが出迎えてくれた。

「お嬢様、お帰りなさいませ」

 グレイスはそう言って微笑んできたが、私は複雑な気分になってしまう。何せ、このグレイスは、私の部屋からこの国で製造、所有ともに禁止されている毒物を発見したと騎士団に報告したのである。それが決定的な証拠になり、私はアバズン男爵令嬢と隣国の王太子殿下を毒殺しようとした大罪人にされてしまった。そして、卒業パーティーで王太子殿下に指を差されながら「この伝統あるロールアウト王国に毒を撒き散らす魔女め!」と言われた時、その近くには薄ら笑いを浮かべたグレイスがいたのだ。
 きっと私の部屋に毒薬を置いたのはグレイス……いや、置くように指示したのはお兄様よね。
 何せアバズン男爵令嬢が毒入りワインを飲もうとした時に、気づいて防いだのは兄なのだ。毒の知識なんてまったくない兄がである。元々毒入りだとわかっていたに違いない。つまり、兄は自らアバズン男爵令嬢のワインに毒を入れ、その罪をなすりつけるためにグレイスを使って私の部屋に証拠を置いたのだ。兄を慕うグレイスの心を利用して……
 ……ううん。でも、あれは夢の中の出来事かもしれないのよね。
 そう思いながら、私は優しく微笑んでくるグレイスを複雑な気持ちで見つめるのだった。


 その後、私は部屋に戻り暦表を見ていた。
 机の上に置かれたそれは、王国暦二千年の三月の半ばを過ぎたあたりになっている。そうなると今の私は十七歳ではなく十六歳になるのね。じゃあ、やはりあれは夢だったのかしら?
 夢……現実的に考えれば全てそれで片付くだろう。しかし、はっきりと私は覚えているのだ。体に受けた痛みや、汚くて臭い牢獄のにおい、カビたパンの味などを……。でも、時間が巻き戻るなんてことがあるのだろうか?
 私の疑問は、夕食時にはっきりした。侍女のルリアがスープ皿を持ったまま盛大に転び、中身を絨毯じゅうたんに撒き散らした上に皿を割ってしまったのである。その光景を見た瞬間、私はこの後の展開を思い出した。
 確か母のベラが怒ったのよね……。「何をやってるの! そのお皿と絨毯じゅうたんはあなたの一年分の給金より高いのよ!」って……
 食卓に着いていた母が勢いよく立ち上がり、もの凄い形相でルリアを怒鳴り出した。

「何をやってるの! そのお皿と絨毯じゅうたんはあなたの一年分の給金より高いのよ!」

 も、申し訳ございません奥様。

「も、申し訳ございません奥様!」

 あなたはもう来なくていいわ。

「あなたはもう来なくていいわ」

 私が心の中で言った言葉と同じことを言う二人を見て確信してしまった。あれは夢じゃないと……。私は時をさかのぼったのだ。
 そうなると、やることは決まったわね……
 処刑を回避する。私はそう考えた後、萎縮いしゅくして震えているルリアの前にかがみ、優しく声をかけた。

「ルリア、あなた怪我はしてない?」
「……はい」
「そう、では今度から気をつけなさい。それでいいですよね。お母様?」

 そう言って微笑むと、母は驚いたように私を見た。どうせ、私も一緒になってルリアを怒ると思っていたのだろう。まあ、前回の私は辞めろとまでは言わなかったが、「公爵家の侍女としてなってないわ」と、かなり怒ったのだ。だが、今は違う。ミスは誰にでもあることを学んだ。それも自らの命を使ってである。だから、今の私はちょっとやそっとでは人を怒れなくなってしまったのだが、そんなことを母は知る由もない。そのため、母は私を不満顔で見てきた。

「でも、我が家の大切なお皿と絨毯じゅうたんを……」
「なら、私のドレスなり、宝石なりを売って新しいものをお買いください」

 すかさず私がそう答えると、母もルリアも驚愕した表情で私を見てくる。

「なっ……」
「お、お嬢様……」

 そんな二人に微笑むが、内心は苦笑していた。前の傲慢ごうまんな私が今の私を見たら、頭がおかしくなったのではと思ってしまうだろう。しかし、私は以前のバイオレットではないのである。

「さあ、お父様とお兄様が来る前に片付けましょう」

 私はすぐに使用人達を呼び、絨毯じゅうたんや割れた皿を片付けさせ新しい絨毯じゅうたんを敷かせる。

「ほら、これで綺麗になったわ」

 そう言って呆気に取られている母を無視して席に着く。母は我に返り、私に何か文句を言いたそうな顔をしたが、結局、何も言ってくることはなかった。その後、父バランと兄サジウスが来て食卓に着く。だが、絨毯じゅうたんが別物に替わっていても気づく様子はなかった。そんな様子を不満げに母が見ているのを確認し、私は内心笑ってしまう。
 どうせ、この人達は何も見てないわよ。
 そう思いながら、気持ち的には数ヶ月ぶりに飲むまともなスープを堪能していると、父がボソッと呟くように私に聞いてきた。

「王太子殿下とはどうだった?」
「……なんとも」

 そう答えると父は驚いた様子で再び聞いてきた。

「どういうことだ? 順調ではないのか?」
「王太子殿下が急に他の方を好きになってしまうかもしれませんからね」
「そんなわけなかろう。恋愛とは無縁の王族だぞ」

 呆れた表情でそう言ってきた父に、私は心の中で失笑する。
 現に王太子殿下はミーア・アバズン男爵令嬢とあっという間に恋に落ちましたからね。
 どんどんアバズン男爵令嬢にのめり込んでいった王太子殿下を思い出す。何を言っても「何も知らないアバズン男爵令嬢のために教えているだけだよ」と主張して聞かなかったのだ。もちろん、王太子殿下の言うとおり最初は善意の気持ちだけで恋愛感情はなかったのだろう。しかし、いつの間にかアバズン男爵令嬢に心を完全に奪われていた。王族という立場にありながらである。だから、私は確信を持って言える。

「王族だろうが関係ありませんよ」

 私はそう言うと口を拭き、もう食事は終わりだと伝えて席を立つ。父は複雑な表情を浮かべて私を見てきたが、余計な口出しをすると私のお妃教育に響くと思っているのか、それ以上は何も言わなかった。


「ふう、疲れた……」

 部屋に戻ると、どっと疲れが出てベッドに突っ伏してしまう。正直、このまま寝てしまおうかと思ったが、さすがにまずいと思い、侍女を呼ぶ。するとルリアが来て、私に頭を下げた。

「お嬢様、先ほどはありがとうございました! 私、どうやってご恩をお返しすれば……」
「気にしなくていいわよ。まあ、気になるのなら湯浴みを手伝ってちょうだい」
「わ、私がですか? それなら、グレイスさんの方がいつもお手伝いしてますからよろしいのでは?」
「……グレイスには後で言っておきなさい。早く眠りたかったから、あなたに頼んだってね。それにグレイスは私の専属というわけではないし、わざわざ呼ぶ必要はないわよ」
「わ、わかりました。では、すぐに準備をしますね」

 ルリアはそう言って湯浴みの準備にとりかかる。そんなルリアを見て、いい考えが思い浮かんだ。
 だって、グレイスの顔はなるべくなら、もう見たくないものね……
 そう考え、湯浴みが終わった後、ルリアに専属になってほしいと頼んだところ、彼女は喜んで頷いてくれたのだった。


 あれから具体的な回避策が何も思いつかないまま、一年生最後の終業式の日を迎えてしまった。現在、私は学院の教室で頭を抱えている状態である。
 あと二週間で王太子殿下の婚約者が決まり、更にはその一週間後の始業式の日、ミーア・アバズン男爵令嬢が一年生として入学してくる。なのに何ひとつ改善できていない状況に、断頭台が頭の隅にチラつき始める。
 どうにかしないと……
 焦っていると、私のもとに王太子殿下の婚約者候補の一人であるシレーヌ・マドール侯爵令嬢がやってきた。

「ごきげんよう、サマーリア公爵令嬢」
「ごきげんよう、マドール侯爵令嬢……」
「珍しいですわね。王太子殿下にべったりなあなたが一人でいらっしゃるなんて。もしかしてご自分がお妃に相応ふさわしくないとやっと理解されたのでしょうか?」

 マドール侯爵令嬢は相変わらずの嫌味で私を煽ってくる。前の私なら腹が立ってすぐに言い返していただろう。しかし、今の私はまったくそんな気持ちが湧かないため、ゆっくりと頷く。

「まあ、相応ふさわしくないというより、王太子殿下の婚約者にはもうなりたくないっていうところかしらね……」

 私がそう答えると、マドール侯爵令嬢は絶句して固まってしまった。しかし、この反応は今の私にとっては予想どおりである。何せ、マドール侯爵令嬢とは数日前のお妃教育で会っており、その時の私はまだ婚約者の座に必死に手を伸ばしていたからだ。それが、たった数日でこの台詞せりふである、驚くのが普通だろう。だが、今の私の中身は断頭台で首を斬り落とされた後の私なのだから、この台詞せりふが出るのは当然なのである。
 だって、あんな思いをまた味わいたい人なんていないわよ……
 心の底からそう思いながらマドール侯爵令嬢を見て考える。
 もし、私でなくマドール侯爵令嬢が王太子殿下の婚約者になったらどうなるだろうと。きっと、嫌味を言って周りの精神を削りながらも王妃としてはそつなくこなすだろう。だが、問題はやはりミーア・アバズン男爵令嬢の存在である。きっと、彼女が現れ例の行動をし出したら、マドール侯爵令嬢は嫌味まじりに注意をするだろう。そして、いつの間にか嵌められて断頭台に……
 いいえ、マドール侯爵家はサマーリア公爵家と違って策略にたけているから、嵌められる前にきっと気づくわね。
 私は断罪された時の流れを思い返す。
 当初、マドール侯爵令嬢は私と同じようにアバズン男爵令嬢の行いを批判していたのだ。だが、ある時期から急に黙ってしまい、卒業パーティー時にはもう学院を辞めて隣国に家族ごと移動していた。今思えば、自分達に危険が及ぶことがわかっていたから逃げたのだろう。
 だからといって、今回アバズン男爵令嬢に確実に対処できるとは限らない。そう考え溜め息を吐くと、復活したマドール侯爵令嬢が慌てた様子で私に詰め寄ってきた。

「ちょ、ちょっと、なぜ急にそんな心変わりをしたのか教えなさい!」
「それは……」


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