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第三章 記憶と緩まる封印
夢と封印
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その日の夜、結衣は夢を見ていた。
影が長く伸びる夕暮れ時、随分と周囲のものが大きく見える。
自分の手のひらに視線を落とすと、随分と指が短くてぷっくりしている。
これは、幼い頃の記憶の中なのだろうか。
どこか地に足つかないような不思議な感覚に包まれながら、子どもの姿になった結衣は道なりに歩みを進めていく。聳え立つ高い塀は、恐らく宝月家の外壁だろう。幼い頃はよく夕暮れ時に抜け出して、辺りを駆け回っていた。
懐かしさを感じながら辺りを見回していると、前方に誰かが倒れているのを発見した。
結衣は慌てて駆け寄ろうとし、バチン、と何かに弾かれて尻餅をついた。
結衣と、地に伏している誰かとの間には、見えない壁があるようだった。手を伸ばせば、電流が走ったような痛みを感じる。
目の前に苦しんでいる人がいるのに、助けることができないもどかしさに地団駄を踏む。
触れてはいけない。
手を伸ばしてはいけない。
なぜか、そう、本能的に脳が警鐘を鳴らしている。
ドン、と痛みを覚悟して見えない壁を拳で叩いた瞬間、結衣の周りの景色が一転していた。無重力の世界に放り出されたような奇妙な感覚。身体がふわふわ浮いている。夢の中だからか、息はできるようだ。水中を泳ぐように足を交互に動かすと、ゆっくりと身体が前進する。
やがて結衣は、大きな錠前を見つけた。幼い結衣の両手では抱えきれないほど大きい。
錠前には鎖が幾重にも絡み付いており、鍵穴が辛うじて見えるばかりだ。開こうにも鍵を持っていない。鎖も硬くてびくともしない。
何か大切なものが封じられている。
なぜかそんな気がする。
どうすれば開けることができる? 鍵はどこ?
真っ暗な世界をキョロキョロ見回すも、辺りには何も無い。
やがて、一筋の光が差し、結衣は眩しくて目を眇めた。光は段々と大きくなり、やがて結衣を飲み込んでしまった。
「う……夢?」
窓から差し込む朝日の眩さにより、結衣は眠りの世界から意識を浮上させた。
分厚い羽毛布団を身体に巻きつけるようにして、のそりと上体を起こす。
随分と不思議な夢だった。
道端で倒れていた人は誰だったのだろうか。遠い遠い昔、結衣は誰かを助けたことがあった気がする。それに、あの錠前はいったい何を封じているというのだろう。
「考えても仕方がないか。鬼丸を起こしに行こう」
布団から出ると、途端にブルリと身震いをしてしまう。年の瀬の朝はかなり冷え込む。結衣はしっかりと肌着を着込んで身支度を整える。今日も今日とて依頼が入っている。納屋の片付けに雪掻き、粗大ゴミの運搬などなど。大晦日まで依頼がびっしり詰まっているのだ。
「鬼丸、朝だよ。起きて」
冬の日の朝、鬼丸はほとんど結衣よりも起床が遅い。夏はそんなことはないので、かなり寒さに弱いのだろう。秋を過ぎたあたりから、眠っている時間が増えているように思う。
そんな鬼丸を起こすのが、すっかり日課となってしまった。
「体調はどう? 元気になった?」
鬼丸の部屋の前に立ち、扉に手をかけようとした時、慌てた時子の声が耳に入った。
「い、いけません! そんな、勝手に入られては困ります」
「やかましい。緊急事態や。結衣はどこや!?」
「御影の坊っちゃま!」
離れの廊下をドシドシと荒々しく踏みしめているのは、どうやら辰輝らしい。離れは結衣の寝所があるので、時子があれほど慌てているのだろう。
辰輝が廊下の角を曲がって姿を現したところで、バチンと視線が交差した。
「おはよう、こんなところに来るなんて珍しいね。どうかした?」
「どうかした? やあらへんわ! どないなっとんねん!」
「え? な、何が?」
結衣を確認した辰輝は、すごい剣幕で近づいてくる。その余りの勢いに、結衣は思わず後ずさる。
「……なんだ、朝から騒々しい」
「あ、鬼丸。おは……よ、う?」
鬼丸の部屋の前で騒いでいたため、部屋の主人である鬼丸がガラリと扉を開けた。不機嫌そうな声が、頭上から降ってきて、思わず朝の挨拶が疑問形になってしまった。いつも鬼丸の頭がある位置には、緩んだ浴衣で辛うじて隠れている男性の腰がある。結衣は恐る恐る顔を上げた。
気だるそうに眉間に皺を寄せた美丈夫がそこにいた。
漆黒の艶やかな黒髪が、サラリと肩に流れている。腰ほどの長さがありそうだ。キリッとした眉に、すらりと高い鼻梁。切長の瞳は燃えるように真っ赤だ。そして頭の上には、艶感のある立派な二本の角が生えている。
「ど、どちら様でしょうか? えっと、その……この部屋は私の使い魔の鬼の子が使用しているはずなのですが……」
突如現れた見知らぬ男に、結衣はジリ、と後退する。
「は? 何を言っている。寝ぼけているのか? それとも、熱でもあるのか?」
黒髪の男は、怪訝な顔をしながら結衣の額に手を伸ばそうとし――
「ド阿呆! お前の使い魔やろうが! 現実を見ろ!」
辰輝が結衣を背中に隠すようにして二人の間に割り入った。
「え……鬼丸? だって、そんな……」
鬼丸は可愛い鬼の子で、人間でいう十歳にも満たない少年の風貌をしている。今目の前に立っているのはどう見ても成人男性だ。一晩での成長にしては早すぎる。
「全く、何を馬鹿なことを言って……ん? 結衣、お前、小さくなったな」
「お、鬼丸が大きくなったんでしょう!?」
「は?」
どうやら当の本人は姿が変わっている認識がないらしい。
結衣は辰輝を振り切って鬼丸らしい男性を強引に回れ右させて室内に押し込んだ。そしてそのまま姿見の前に連れて行き、自分の姿を確認させた。
「は……? なぜ、元の姿に戻っている?」
ふらりとよろめきながら、鬼丸は姿見をがっしり掴んで信じられないとばかりに覗き込んでいる。
「ま、まさか……!?」
そして丈が足りていない浴衣から素早く腕を抜いて、バサリと上半身を露出した。
「きゃっ!」
結衣が慌てて両手で顔を覆う。鬼丸は鏡に映った自分の腹部を震える手でなぞっている。
「封印の紋が、ほとんど消えかけている。どういうことだ?」
「どういうことやあらへんわ。何がどうなっとるんか説明してくれるか?」
結衣たちの後から入室してきた辰輝が、壁にもたれて二人の顔を交互に見ている。
「説明って言われても……そういえば、どうして辰輝くんはここに来たの?」
戸惑う結衣の言葉に、辰輝は盛大なため息をついた。
「あのなあ。こないなとんでもない妖気垂れ流しといて、気付かんわけないやろうが。今頃母屋は大騒ぎや。さっきから黙って聞いとったら、『元の姿』やら、『封印の紋』やら不穏な単語が飛び交っとるし」
辰輝は頭を掻きむしり、ビシッと鬼丸に人差し指を突きつけた。
「お前、ほんまは鬼の中でもかなり高位な鬼やろう。向こうでもそれなりの地位についとったんと違うか? それが、なんで姿を偽ってまで結衣の使い魔に成り下がっとるんや?」
影が長く伸びる夕暮れ時、随分と周囲のものが大きく見える。
自分の手のひらに視線を落とすと、随分と指が短くてぷっくりしている。
これは、幼い頃の記憶の中なのだろうか。
どこか地に足つかないような不思議な感覚に包まれながら、子どもの姿になった結衣は道なりに歩みを進めていく。聳え立つ高い塀は、恐らく宝月家の外壁だろう。幼い頃はよく夕暮れ時に抜け出して、辺りを駆け回っていた。
懐かしさを感じながら辺りを見回していると、前方に誰かが倒れているのを発見した。
結衣は慌てて駆け寄ろうとし、バチン、と何かに弾かれて尻餅をついた。
結衣と、地に伏している誰かとの間には、見えない壁があるようだった。手を伸ばせば、電流が走ったような痛みを感じる。
目の前に苦しんでいる人がいるのに、助けることができないもどかしさに地団駄を踏む。
触れてはいけない。
手を伸ばしてはいけない。
なぜか、そう、本能的に脳が警鐘を鳴らしている。
ドン、と痛みを覚悟して見えない壁を拳で叩いた瞬間、結衣の周りの景色が一転していた。無重力の世界に放り出されたような奇妙な感覚。身体がふわふわ浮いている。夢の中だからか、息はできるようだ。水中を泳ぐように足を交互に動かすと、ゆっくりと身体が前進する。
やがて結衣は、大きな錠前を見つけた。幼い結衣の両手では抱えきれないほど大きい。
錠前には鎖が幾重にも絡み付いており、鍵穴が辛うじて見えるばかりだ。開こうにも鍵を持っていない。鎖も硬くてびくともしない。
何か大切なものが封じられている。
なぜかそんな気がする。
どうすれば開けることができる? 鍵はどこ?
真っ暗な世界をキョロキョロ見回すも、辺りには何も無い。
やがて、一筋の光が差し、結衣は眩しくて目を眇めた。光は段々と大きくなり、やがて結衣を飲み込んでしまった。
「う……夢?」
窓から差し込む朝日の眩さにより、結衣は眠りの世界から意識を浮上させた。
分厚い羽毛布団を身体に巻きつけるようにして、のそりと上体を起こす。
随分と不思議な夢だった。
道端で倒れていた人は誰だったのだろうか。遠い遠い昔、結衣は誰かを助けたことがあった気がする。それに、あの錠前はいったい何を封じているというのだろう。
「考えても仕方がないか。鬼丸を起こしに行こう」
布団から出ると、途端にブルリと身震いをしてしまう。年の瀬の朝はかなり冷え込む。結衣はしっかりと肌着を着込んで身支度を整える。今日も今日とて依頼が入っている。納屋の片付けに雪掻き、粗大ゴミの運搬などなど。大晦日まで依頼がびっしり詰まっているのだ。
「鬼丸、朝だよ。起きて」
冬の日の朝、鬼丸はほとんど結衣よりも起床が遅い。夏はそんなことはないので、かなり寒さに弱いのだろう。秋を過ぎたあたりから、眠っている時間が増えているように思う。
そんな鬼丸を起こすのが、すっかり日課となってしまった。
「体調はどう? 元気になった?」
鬼丸の部屋の前に立ち、扉に手をかけようとした時、慌てた時子の声が耳に入った。
「い、いけません! そんな、勝手に入られては困ります」
「やかましい。緊急事態や。結衣はどこや!?」
「御影の坊っちゃま!」
離れの廊下をドシドシと荒々しく踏みしめているのは、どうやら辰輝らしい。離れは結衣の寝所があるので、時子があれほど慌てているのだろう。
辰輝が廊下の角を曲がって姿を現したところで、バチンと視線が交差した。
「おはよう、こんなところに来るなんて珍しいね。どうかした?」
「どうかした? やあらへんわ! どないなっとんねん!」
「え? な、何が?」
結衣を確認した辰輝は、すごい剣幕で近づいてくる。その余りの勢いに、結衣は思わず後ずさる。
「……なんだ、朝から騒々しい」
「あ、鬼丸。おは……よ、う?」
鬼丸の部屋の前で騒いでいたため、部屋の主人である鬼丸がガラリと扉を開けた。不機嫌そうな声が、頭上から降ってきて、思わず朝の挨拶が疑問形になってしまった。いつも鬼丸の頭がある位置には、緩んだ浴衣で辛うじて隠れている男性の腰がある。結衣は恐る恐る顔を上げた。
気だるそうに眉間に皺を寄せた美丈夫がそこにいた。
漆黒の艶やかな黒髪が、サラリと肩に流れている。腰ほどの長さがありそうだ。キリッとした眉に、すらりと高い鼻梁。切長の瞳は燃えるように真っ赤だ。そして頭の上には、艶感のある立派な二本の角が生えている。
「ど、どちら様でしょうか? えっと、その……この部屋は私の使い魔の鬼の子が使用しているはずなのですが……」
突如現れた見知らぬ男に、結衣はジリ、と後退する。
「は? 何を言っている。寝ぼけているのか? それとも、熱でもあるのか?」
黒髪の男は、怪訝な顔をしながら結衣の額に手を伸ばそうとし――
「ド阿呆! お前の使い魔やろうが! 現実を見ろ!」
辰輝が結衣を背中に隠すようにして二人の間に割り入った。
「え……鬼丸? だって、そんな……」
鬼丸は可愛い鬼の子で、人間でいう十歳にも満たない少年の風貌をしている。今目の前に立っているのはどう見ても成人男性だ。一晩での成長にしては早すぎる。
「全く、何を馬鹿なことを言って……ん? 結衣、お前、小さくなったな」
「お、鬼丸が大きくなったんでしょう!?」
「は?」
どうやら当の本人は姿が変わっている認識がないらしい。
結衣は辰輝を振り切って鬼丸らしい男性を強引に回れ右させて室内に押し込んだ。そしてそのまま姿見の前に連れて行き、自分の姿を確認させた。
「は……? なぜ、元の姿に戻っている?」
ふらりとよろめきながら、鬼丸は姿見をがっしり掴んで信じられないとばかりに覗き込んでいる。
「ま、まさか……!?」
そして丈が足りていない浴衣から素早く腕を抜いて、バサリと上半身を露出した。
「きゃっ!」
結衣が慌てて両手で顔を覆う。鬼丸は鏡に映った自分の腹部を震える手でなぞっている。
「封印の紋が、ほとんど消えかけている。どういうことだ?」
「どういうことやあらへんわ。何がどうなっとるんか説明してくれるか?」
結衣たちの後から入室してきた辰輝が、壁にもたれて二人の顔を交互に見ている。
「説明って言われても……そういえば、どうして辰輝くんはここに来たの?」
戸惑う結衣の言葉に、辰輝は盛大なため息をついた。
「あのなあ。こないなとんでもない妖気垂れ流しといて、気付かんわけないやろうが。今頃母屋は大騒ぎや。さっきから黙って聞いとったら、『元の姿』やら、『封印の紋』やら不穏な単語が飛び交っとるし」
辰輝は頭を掻きむしり、ビシッと鬼丸に人差し指を突きつけた。
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