「二年だけの公爵夫人~奪い合う愛と偽りの契約~」二年間の花嫁 パラレルワールド

柴田はつみ

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第2章 貴婦人たちの嘲笑

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 婚礼から数日後。
 私は公爵夫人として、初めて社交界の場に出ることになった。
 行き先は、侯爵夫人主催のお茶会。
 上流社会の女性たちが集まり、流行や噂話を交わす場だと聞く。

「緊張しているのか?」
 出発前、アランが馬車の中で声をかけてきた。
 銀糸の髪に、氷のように澄んだ瞳。
 その表情は相変わらず穏やかだが、どこか遠い。

「少しだけ……」
「気にする必要はない。私の妻だと、堂々としていればいい」

 そう言ってくれたけれど、その声音には温もりよりも義務感が混じっていた。
 胸の奥で小さくため息をつき、窓の外に視線を向ける。



 侯爵邸の庭園は、季節外れの花々が咲き誇っていた。
 白いテントの下、色とりどりのドレスに身を包んだ貴婦人たちが談笑している。
 私が足を踏み入れると、その視線が一斉にこちらへ向いた。

「あら、これが新しい公爵夫人?」
「まあ……可愛らしいこと」
 表面上は褒め言葉だが、目の奥に薄い嘲りが見える。

「二年だけの契約だって噂、本当かしら」
「本命は別にいるって……ねえ?」
 小声で囁き合いながら、わざと聞こえるように笑う。

 胸の奥がきゅっと縮まる。
 けれど、アランの言葉を思い出し、笑顔を崩さぬよう努めた。

「エリシア夫人、こちらへ」
 声をかけてきたのは、深紅のドレスを着た若い令嬢――マリアベルだった。
 彼女は、アランのことを好いていると噂される女性。
 実際、その目は私ではなく、遠くにいるアランを熱っぽく追っていた。

「公爵さまは本当にお優しい方ですわよね。……あなたに、もったいないくらい」
 唇に笑みを浮かべ、わざとらしく言う。
 その瞬間、背後から影が差した。

「妹を侮辱するのは感心しないな、マリアベル嬢」
 振り返ると、そこにはレオニードが立っていた。
 私の腰に手を添え、護るように前へ出る。
 その手の温もりに、会場の視線が集中するのを感じた。

「義兄上……」
 低い声が空気を震わせる。
 アランが、数歩の距離を置いてこちらを見ていた。
 笑顔を浮かべながらも、その瞳は冷たく研ぎ澄まされている。

「兄として当然のことを」
「夫として、それは不要だ」

 二人の視線が交錯し、言葉なき火花が散った。
 私の心臓は、またも早鐘を打つ。

 

 夜、侯爵邸で開かれた舞踏会。
 煌びやかなシャンデリアの下、男女が優雅に踊る。
 私は人混みの中で一人、グラスを手にしていた。

「踊っていただけますか?」
 差し伸べられた手は、レオニードのものだった。
 戸惑いながらも、その手を取る。
 音楽に合わせてステップを踏むと、彼が耳元で囁いた。

「……あの男の隣に立って、辛くはないのか」
「……」
 答えられず、視線を逸らす。

 その瞬間、曲が終わるよりも早く、別の手が私の手を奪った。
 アランだった。
 彼は何も言わず、力強く私を抱き寄せる。
 香水と体温、鼓動までが伝わる距離。

「今夜は、私と踊れ」
 低い声が、耳の奥に響いた。
 周囲からため息のようなざわめきが広がる。

 レオニードはその光景を見つめ、唇を固く結んでいた。
 その瞳に宿る熱は、もはや隠しようもない。

――この社交界デビューの日。
 私ははっきりと悟った。
 アランと義兄の間には、もはやただの牽制ではない――
 私を巡る、激しい奪い合いが始まっているのだと。


 アランの腕の中で踊る私を、レオニードが無言で見つめていた。
 その視線は氷のように冷たくも、内側には熱を孕んでいる。
 曲が終わってもアランは手を離さず、むしろ私の腰を引き寄せた。

「……少し、休憩を」
 私は戸惑いを隠せずにそう告げる。
 けれど、アランは低く囁いた。
「いや、まだ足りない。……君は私の妻だ。誰のものでもない」

 その言葉は甘く響くはずなのに、なぜか胸が締め付けられる。
 彼が言う「誰のものでもない」が、二年の契約という期限付きだから。

「失礼」
 突然、背後からレオニードの声がした。
 彼は私とアランの間に割って入り、私の手を取る。
「義妹を独占するのは感心しないな、アラン」
「独占ではない。……当然の権利だ」

 その瞬間、二人の間に見えない稲光が走ったように感じた。
 周囲の人々も、ただならぬ空気に会話を止め、こちらへ視線を向ける。

「権利? 二年で終わる契約に、そんなものがあるのか」
 レオニードの声音は静かだが、その一言は鋭い刃だった。
 私の心臓が跳ね上がる。彼は――契約のことを知っている?

 アランの瞳が、ほんの一瞬だけ揺らぐ。
「……君は、私の立場に口を挟むべきではない」
「では聞くが、二年後に彼女を手放す覚悟があるのか?」
「……」

 答えは返ってこない。
 ただ、アランの指が私の腰を離さず、強く握りしめる。
 まるで「絶対に渡さない」と言っているかのように。

 

 その後も舞踏会では、二人が代わる代わる私をエスコートした。
 一曲ごとに、アランとレオニードの間で引き渡されるように踊らされる。
 それはまるで、私が二人の間で争奪される品のようだった。

 ダンスの合間、マリアベルが笑みを浮かべて近づく。
「まあ、人気者ですこと、エリシア様。……お二人の殿方に取り合われるなんて」
 わざと大きな声で言い、周囲の耳目を集める。
 私は笑みを返すしかなかったが、胸の奥はざわめいていた。

 最後の曲が終わる頃、私は足元がふらつき、軽くバランスを崩した。
 支えたのは――アラン。
 彼は人前だというのに、私を抱き上げるようにして出口へと歩き出す。

「もう十分だ。……君をこれ以上、誰にも触れさせない」
 その背中越しに、レオニードの視線が突き刺さってくる。
 その眼差しは、まるで「まだ終わらせない」と言っているようだった。

――今夜、確信した。
 私を巡る二人の争いは、もう後戻りできないところまで来ている。



 庭園の片隅でマリアベルとのやり取りを終えた私は、軽く息をついた。
 人混みを避けるように歩いていると、アランの姿を見つけた。
 白亜のアーチの下、月明かりを背に立つ彼の隣には、一人の女性がいる。

 黒髪を緩やかにまとめ、深紅のドレスを纏った――クラリッサ夫人。
 アランの親友の妻でありながら、彼を狙っていると噂される未亡人だ。

「……お久しぶりですわね、アラン様」
「久しいな、クラリッサ」
 アランは表情を変えず、礼儀正しく頭を下げた。
 けれど、その距離は近く、二人だけの世界が出来上がっているように見えた。

「今夜もとてもお似合いですわ。……あの方も、お幸せでしょうね」
 視線が私の方へ向けられ、微笑むクラリッサ。
 だが、その笑みの奥には、私を値踏みするような光が潜んでいる。

「彼女は……私の大切な妻だ」
「まあ。では、きっと誰にも渡したくないのでしょう?」
 艶のある声。
 クラリッサはゆっくりとアランの腕に手を置き、爪先で袖口をなぞった。
 まるで、周囲の視線さえ意識していないように。

 胸の奥に、冷たい痛みが広がる。
 足を踏み出そうとした瞬間――。

「……失礼、クラリッサ夫人」
 低く響く声が私の背後から聞こえた。
 振り向けば、レオニードが立っている。
 その視線はアランへ向けられ、まるで「今の距離は何だ」と問い詰めているかのようだった。

「義妹を探していたんだ。……今夜はあなたではなく、彼女と時間を過ごすべきだと思うが?」
「……忠告は受け取っておく」
 アランは短く答え、私の方へ歩み寄る。
 だが、その表情からは感情が読み取れなかった。

 私の胸には、言いようのないざわめきだけが残る。
 彼は本当に、クラリッサを何とも思っていないのだろうか――。




 侯爵邸の舞踏会場は、煌びやかな光に包まれていた。
 天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、数百本の蝋燭の炎を揺らめかせ、
 磨き上げられた大理石の床に金色の光を落としている。
 壁際には豪奢なソファと長卓が並び、貴族たちがワインや菓子を手に談笑していた。

 私は壁際の席に座り、賑やかな場を見つめていた。
 先ほどの光景――アランとクラリッサが親しげに立ち話していた姿が、
 何度も脳裏に蘇ってくる。
 距離の近さ、袖をなぞる仕草、そして彼の無表情。

(……本当に、何もないの?)

 そんな時、背後から影が差した。
「エリシア、踊っていただけますか?」
 振り返れば、レオニードが微笑んで手を差し伸べている。
 その表情は柔らかいが、瞳の奥には何か決意のような色があった。

「……ええ」
 私は戸惑いながらも、その手を取った。
 レオニードの手は温かく、指先に力がこもっている。
 音楽が始まり、彼は私をリードして滑らかにステップを踏んだ。

「……あの男と未亡人の噂、聞いたことがあるだろう」
 耳元で囁く声が、心を揺らす。
「……ええ」
「もし、君を泣かせるようなことがあれば、俺が――」

 その言葉の途中で、横から別の手が私の腰をつかんだ。
 強く、逃がさないように。
「この曲、私にも譲ってもらおう、義兄上」
 低く響くアランの声。
 視線はレオニードに向けられ、笑みの形をしていながら、その奥は冷たい炎で燃えている。

「……踊りの途中だ」
「妻とのダンスを途中で譲る気はない」
 二人の視線が交錯し、空気が一瞬で張り詰める。
 周囲の視線も集まり始めていた。

 結局、アランが私の手を引き、ダンスの輪へと導く。
 その手は固く、私の指を離そうとしない。
 彼の腕の中でステップを踏みながら、心臓の鼓動が速まるのを感じた。

「君は私の妻だ。他の男と長く踊る必要はない」
「……義兄さまは兄として心配してくれただけよ」
「……兄として、か」
 短くそう返したアランの声には、押し殺した感情が混じっていた。

 曲が終わっても、アランは私を手放さない。
 視線の先には、壁際でこちらを見つめるレオニードの姿。
 その瞳は氷のように冷たいが、奥底に炎が宿っている。

 アランは私を引き寄せ、周囲に聞こえない声で言った。
「……あいつには渡さない」

 けれど、その「渡さない」という言葉が、
 二年後の契約終了を前提としているのか、それとも――。
 答えのない疑問だけが、胸の奥でくすぶり続けていた。
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