「二年だけの公爵夫人~奪い合う愛と偽りの契約~」二年間の花嫁 パラレルワールド

柴田はつみ

文字の大きさ
9 / 13

第8章 秘密の真実

しおりを挟む

 クラリッサ夫人の言葉を信じ、私に距離を置くと言い放ったあの日から、一週間。
 屋敷の中でアランと顔を合わせることはほとんどなくなった。
 同じ空間にいても、互いに言葉を交わすことはない。
 ただ視線がすれ違うだけ――それすらも、胸が痛んだ。

(……これが、契約結婚の終わり方なのかもしれない)

 そう思いながら、私は一人で庭を歩いていた。
 冬の空気は冷たく、吐く息が白くほどける。
 足音に気づき振り返ると、若い侍女のマリアが立っていた。

「奥様……お耳に入れてよいことか分かりませんが……」
 俯いたまま、小さく息を吸う。
「実は……あの夜会の後、クラリッサ様とマリアベル様が……」
「……何?」
「廊下で、こうお話していました。『あの方(アラン様)はこれで奥方を疑い、距離を置くでしょう』『これで私の出番ですわ』と……」

 心臓が強く脈打った。
 彼女はさらに続けた。
「その後、お二人は笑い合って……。私は怖くなって、誰にも言えずに……」

 頭の中で、クラリッサの笑みとマリアベルの嘲るような瞳が重なった。
 あれは――最初から仕組まれた罠。

 

 その頃、執務室ではレオニードがアランと対峙していた。
「……もう気づいているんじゃないのか? お前が見たものは、作られた光景だ」
「何の証拠がある」
「侍女の証言だ。しかも一人ではない」

 アランの眉がわずかに動く。
「……クラリッサが、そんな真似を?」
「信じたくないなら、それでもいい。だが、このまま何もせずにいれば……お前は本当に彼女を失う」

 レオニードの言葉は低く鋭く、アランの胸に突き刺さった。
 頭の中で、エリシアが必死に「誤解です」と訴えていた姿がよみがえる。
 そして、自分がその声を冷たく遮った瞬間も――。

 

 夕暮れの回廊で、私はマリアの言葉を反芻していた。
 すると、不意に影が差し、顔を上げるとアランが立っていた。
 彼の表情は硬く、瞳の奥に迷いと後悔が入り混じっている。

「……話がある」
 その声は、どこか掠れていた。
「君に、謝らなければならない」

 胸が強く脈打つ。
 でも、その続きを聞くのが怖い。
 私の沈黙を見て、アランは一歩近づいた。

「俺は……間違っていた。君を疑ったことも、距離を置いたことも、全部……」
 言葉が途切れ、短く息を吐く。
「クラリッサとマリアベルの策略だった。……証拠もある」

 耳に届いたはずのその言葉は、現実感を伴わなかった。
 ただ、胸の奥の氷が少しずつ溶け始めていくのを感じた。

「信じてほしい。……いや、信じてもらえるよう、これから償う」
 その瞳は真剣で、揺らぎがなかった。

 けれど――。
(……二年の契約が終わる時、私はどうするの?)

 心の奥では、まだ答えを出せずにいた。



 レオニードが去った後も、アランは執務室の中央で立ち尽くしていた。
 胸の奥に渦巻く感情は、怒りよりも、深い自己嫌悪だった。

(……俺は、彼女を守ると誓ったはずだ)
(それなのに、他人の言葉を信じ、疑って……)

 机の上には、侍女二人からの証言をまとめた書簡が置かれている。
 クラリッサとマリアベルが意図的にエリシアとレオニードの関係を誤解させるよう動いていたこと――
 それは、誰の目にも明らかな事実だった。

 拳を握りしめる。
 胸の奥から、取り返しのつかないことをしてしまった恐怖がせり上がってくる。

 

 夕暮れの中庭。
 冬の風が木々を揺らし、枯葉が舞っている。
 アランは足早にその中を進み、視線の先に立つ女性を見つけた。

「……エリシア」
 名を呼ぶ声は、いつもより低く掠れている。
 振り向いた彼女の瞳に、警戒と戸惑いが同時に浮かんでいた。

「話がある。少しだけでいい」
「……何でしょう」
 距離は数歩。しかし、その間にあるのは冷たい空気。

 アランは深く息を吸い込み、視線を逸らさずに言った。
「君を疑ったこと……すべて、俺の間違いだった」
 彼女の瞳が揺れる。
「クラリッサとマリアベルが仕組んだ罠だった。……証拠もある」

「……どうして、今になって」
「今になってしまったことも、俺の罪だ」
 アランは一歩近づき、声を低く落とす。
「君が必死に誤解だと訴えた時、俺は耳を貸さなかった。それを悔やんでいる」

 その言葉に、胸の奥が温かくなりかけた。
 けれど、私は首を横に振った。
「……信じたい気持ちはあります。でも、まだ……」
 言葉を濁す私に、アランは一瞬だけ目を伏せ、それからまっすぐに見つめ返した。

「なら、信じてもらえるまで何度でも言う。……俺は、君を失いたくない」

 

 その会話を、回廊の影からレオニードが静かに見守っていた。
 彼の表情は読めない。
 けれど、わずかに握り締められた拳が、胸の奥の葛藤を物語っていた。

(……結局、俺は彼女の笑顔を守りたいだけだ)

 冬の空が藍色に染まり始め、邸内の灯りが一つ、また一つと灯っていった。
 それは、まるで嵐の前の静けさのようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「無能な妻」と蔑まれた令嬢は、離婚後に隣国の王子に溺愛されました。

腐ったバナナ
恋愛
公爵令嬢アリアンナは、魔力を持たないという理由で、夫である侯爵エドガーから無能な妻と蔑まれる日々を送っていた。 魔力至上主義の貴族社会で価値を見いだされないことに絶望したアリアンナは、ついに離婚を決断。 多額の慰謝料と引き換えに、無能な妻という足枷を捨て、自由な平民として辺境へと旅立つ。

【完結】冷徹公爵、婚約者の思い描く未来に自分がいないことに気づく

22時完結
恋愛
冷徹な公爵アルトゥールは、婚約者セシリアを深く愛していた。しかし、ある日、セシリアが描く未来に自分がいないことに気づき、彼女の心が別の人物に向かっていることを知る。動揺したアルトゥールは、彼女の愛を取り戻すために全力を尽くす決意を固める。

旦那様に「君を愛する気はない」と言い放たれたので、「逃げるのですね?」と言い返したら甘い溺愛が始まりました。

海咲雪
恋愛
結婚式当日、私レシール・リディーアとその夫となるセルト・クルーシアは初めて顔を合わせた。 「君を愛する気はない」 そう旦那様に言い放たれても涙もこぼれなければ、悲しくもなかった。 だからハッキリと私は述べた。たった一文を。 「逃げるのですね?」 誰がどう見ても不敬だが、今は夫と二人きり。 「レシールと向き合って私に何の得がある?」 「可愛い妻がなびくかもしれませんわよ?」 「レシール・リディーア、覚悟していろ」 それは甘い溺愛生活の始まりの言葉。 [登場人物] レシール・リディーア・・・リディーア公爵家長女。  × セルト・クルーシア・・・クルーシア公爵家長男。

“妖精なんていない”と笑った王子を捨てた令嬢、幼馴染と婚約する件

大井町 鶴
恋愛
伯爵令嬢アデリナを誕生日嫌いにしたのは、当時恋していたレアンドロ王子。 彼がくれた“妖精のプレゼント”は、少女の心に深い傷を残した。 (ひどいわ……!) それ以来、誕生日は、苦い記憶がよみがえる日となった。 幼馴染のマテオは、そんな彼女を放っておけず、毎年ささやかな贈り物を届け続けている。 心の中ではずっと、アデリナが誕生日を笑って迎えられる日を願って。 そして今、アデリナが見つけたのは──幼い頃に書いた日記。 そこには、祖母から聞いた“妖精の森”の話と、秘密の地図が残されていた。 かつての記憶と、埋もれていた小さな願い。 2人は、妖精の秘密を確かめるため、もう一度“あの場所”へ向かう。 切なさと幸せ、そして、王子へのささやかな反撃も絡めた、癒しのハッピーエンド・ストーリー。

冷徹公爵閣下は、書庫の片隅で私に求婚なさった ~理由不明の政略結婚のはずが、なぜか溺愛されています~

白桃
恋愛
「お前を私の妻にする」――王宮書庫で働く地味な子爵令嬢エレノアは、ある日突然、<氷龍公爵>と恐れられる冷徹なヴァレリウス公爵から理由も告げられず求婚された。政略結婚だと割り切り、孤独と不安を抱えて嫁いだ先は、まるで氷の城のような公爵邸。しかし、彼女が唯一安らぎを見出したのは、埃まみれの広大な書庫だった。ひたすら書物と向き合う彼女の姿が、感情がないはずの公爵の心を少しずつ溶かし始め…? 全7話です。

「君を愛することはない」と言った夫と、夫を買ったつもりの妻の一夜

有沢楓花
恋愛
「これは政略結婚だろう。君がそうであるなら、俺が君を愛することはない」  初夜にそう言った夫・オリヴァーに、妻のアリアは返す。 「愛すること『は』ない、なら、何ならしてくださいます?」  お互い、相手がやけで自分と結婚したと思っていた夫婦の一夜。 ※ふんわり設定です。 ※この話は他サイトにも公開しています。

【完結】氷の公爵様が、離婚しようとした途端に甘々になりました

22時完結
恋愛
冷徹な公爵クラウスと契約結婚したエリザ。彼の冷たい態度に傷つき、離婚を決意するも、クラウスが突然甘く変化し、彼女に愛情を示し始める。エリザは彼の真意を知り、二人の関係は次第に深まっていく。冷徹だった彼が見せる温かな一面に、エリザの心は揺れ動く。

何度時間を戻しても婚約破棄を言い渡す婚約者の愛を諦めて最後に時間を戻したら、何故か溺愛されました

海咲雪
恋愛
「ロイド様、今回も愛しては下さらないのですね」 「聖女」と呼ばれている私の妹リアーナ・フィオールの能力は、「モノの時間を戻せる」というもの。 姉の私ティアナ・フィオールには、何の能力もない・・・そう皆に思われている。 しかし、実際は違う。 私の能力は、「自身の記憶を保持したまま、世界の時間を戻せる」。 つまり、過去にのみタイムリープ出来るのだ。 その能力を振り絞って、最後に10年前に戻った。 今度は婚約者の愛を求めずに、自分自身の幸せを掴むために。 「ティアナ、何度も言うが私は君の妹には興味がない。私が興味があるのは、君だけだ」 「ティアナ、いつまでも愛しているよ」 「君は私の秘密など知らなくていい」 何故、急に私を愛するのですか? 【登場人物】 ティアナ・フィオール・・・フィオール公爵家の長女。リアーナの姉。「自身の記憶を保持したまま、世界の時間を戻せる」能力を持つが六回目のタイムリープで全ての力を使い切る。 ロイド・エルホルム・・・ヴィルナード国の第一王子。能力は「---------------」。 リアーナ・フィオール・・・フィオール公爵家の次女。ティアナの妹。「モノの時間を戻せる」能力を持つが力が弱く、数時間程しか戻せない。 ヴィーク・アルレイド・・・アルレイド公爵家の長男。ティアナに自身の能力を明かす。しかし、実の能力は・・・?

処理中です...