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第8章 秘密の真実
しおりを挟むクラリッサ夫人の言葉を信じ、私に距離を置くと言い放ったあの日から、一週間。
屋敷の中でアランと顔を合わせることはほとんどなくなった。
同じ空間にいても、互いに言葉を交わすことはない。
ただ視線がすれ違うだけ――それすらも、胸が痛んだ。
(……これが、契約結婚の終わり方なのかもしれない)
そう思いながら、私は一人で庭を歩いていた。
冬の空気は冷たく、吐く息が白くほどける。
足音に気づき振り返ると、若い侍女のマリアが立っていた。
「奥様……お耳に入れてよいことか分かりませんが……」
俯いたまま、小さく息を吸う。
「実は……あの夜会の後、クラリッサ様とマリアベル様が……」
「……何?」
「廊下で、こうお話していました。『あの方(アラン様)はこれで奥方を疑い、距離を置くでしょう』『これで私の出番ですわ』と……」
心臓が強く脈打った。
彼女はさらに続けた。
「その後、お二人は笑い合って……。私は怖くなって、誰にも言えずに……」
頭の中で、クラリッサの笑みとマリアベルの嘲るような瞳が重なった。
あれは――最初から仕組まれた罠。
その頃、執務室ではレオニードがアランと対峙していた。
「……もう気づいているんじゃないのか? お前が見たものは、作られた光景だ」
「何の証拠がある」
「侍女の証言だ。しかも一人ではない」
アランの眉がわずかに動く。
「……クラリッサが、そんな真似を?」
「信じたくないなら、それでもいい。だが、このまま何もせずにいれば……お前は本当に彼女を失う」
レオニードの言葉は低く鋭く、アランの胸に突き刺さった。
頭の中で、エリシアが必死に「誤解です」と訴えていた姿がよみがえる。
そして、自分がその声を冷たく遮った瞬間も――。
夕暮れの回廊で、私はマリアの言葉を反芻していた。
すると、不意に影が差し、顔を上げるとアランが立っていた。
彼の表情は硬く、瞳の奥に迷いと後悔が入り混じっている。
「……話がある」
その声は、どこか掠れていた。
「君に、謝らなければならない」
胸が強く脈打つ。
でも、その続きを聞くのが怖い。
私の沈黙を見て、アランは一歩近づいた。
「俺は……間違っていた。君を疑ったことも、距離を置いたことも、全部……」
言葉が途切れ、短く息を吐く。
「クラリッサとマリアベルの策略だった。……証拠もある」
耳に届いたはずのその言葉は、現実感を伴わなかった。
ただ、胸の奥の氷が少しずつ溶け始めていくのを感じた。
「信じてほしい。……いや、信じてもらえるよう、これから償う」
その瞳は真剣で、揺らぎがなかった。
けれど――。
(……二年の契約が終わる時、私はどうするの?)
心の奥では、まだ答えを出せずにいた。
レオニードが去った後も、アランは執務室の中央で立ち尽くしていた。
胸の奥に渦巻く感情は、怒りよりも、深い自己嫌悪だった。
(……俺は、彼女を守ると誓ったはずだ)
(それなのに、他人の言葉を信じ、疑って……)
机の上には、侍女二人からの証言をまとめた書簡が置かれている。
クラリッサとマリアベルが意図的にエリシアとレオニードの関係を誤解させるよう動いていたこと――
それは、誰の目にも明らかな事実だった。
拳を握りしめる。
胸の奥から、取り返しのつかないことをしてしまった恐怖がせり上がってくる。
夕暮れの中庭。
冬の風が木々を揺らし、枯葉が舞っている。
アランは足早にその中を進み、視線の先に立つ女性を見つけた。
「……エリシア」
名を呼ぶ声は、いつもより低く掠れている。
振り向いた彼女の瞳に、警戒と戸惑いが同時に浮かんでいた。
「話がある。少しだけでいい」
「……何でしょう」
距離は数歩。しかし、その間にあるのは冷たい空気。
アランは深く息を吸い込み、視線を逸らさずに言った。
「君を疑ったこと……すべて、俺の間違いだった」
彼女の瞳が揺れる。
「クラリッサとマリアベルが仕組んだ罠だった。……証拠もある」
「……どうして、今になって」
「今になってしまったことも、俺の罪だ」
アランは一歩近づき、声を低く落とす。
「君が必死に誤解だと訴えた時、俺は耳を貸さなかった。それを悔やんでいる」
その言葉に、胸の奥が温かくなりかけた。
けれど、私は首を横に振った。
「……信じたい気持ちはあります。でも、まだ……」
言葉を濁す私に、アランは一瞬だけ目を伏せ、それからまっすぐに見つめ返した。
「なら、信じてもらえるまで何度でも言う。……俺は、君を失いたくない」
その会話を、回廊の影からレオニードが静かに見守っていた。
彼の表情は読めない。
けれど、わずかに握り締められた拳が、胸の奥の葛藤を物語っていた。
(……結局、俺は彼女の笑顔を守りたいだけだ)
冬の空が藍色に染まり始め、邸内の灯りが一つ、また一つと灯っていった。
それは、まるで嵐の前の静けさのようだった。
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