推しの幸せが私の願い(のはず)! ~勘違い令嬢は、伯爵様の「溺愛」に気づかない~

柴田はつみ

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第十章:銀の楔(くさび)と、月下の宣誓

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 降りしきる雨は、すべてを洗い流すかのように激しく大地を叩いていた。
 古びた教会のステンドグラスが、内側から弾け飛ぶように粉砕される。轟音を背に、漆黒の外套を濡らしたアルフレッド様が、静かに佇んでいた。

「……見つけたよ。――逃げ出した悪い子には、どんな罰が必要かな?」

 その声は驚くほど静謐で、だからこそ胸の奥を冷たく締めつける恐怖を孕んでいた。
 右手に集う魔力が青白い火花を散らし、彼の視線は、私の肩を抱くリュカ王子を、塵と化すまで焼き尽くしかねない憎悪で射抜いている。

「待ってください、アルフレッド様! 殿下は関係ありません、私が勝手に――!」

「……エルセ。そこをどけ」

 一歩踏み出すたび、彼の足元の石畳が凍り付いたように白く変色していく。

「その男は、君を連れ去ろうとした。僕の光を、僕のすべてを、盗人のように奪おうとした。――生かしておけるわけがないだろう?」

「やめろ、エルセ! 下がるんだ!」

 リュカ王子が私を庇おうとする。
 だがこのままでは、本当に王子が殺されてしまう。原作で“軍神”と謳われたアルフレッド様の魔力は、一国の騎士団すら独りで壊滅させるのだ。

 私は王子の腕を振り払い、泥濘を厭わず、アルフレッド様の胸元へ飛び込んだ。

「やめて! お願いです、アルフレッド様、落ち着いてください!」

「……離せ、エルセ。その男を殺さない限り、僕は――気が狂いそうだ」

 抱きついた彼の体は氷のように冷たいのに、溢れ出る魔力は肌を焼くほど熱い。
 私は濡れた胸元に顔を押しつけ、必死に叫んだ。

「殿下を逃がすと約束してください! そうしてくださるなら……私は一生、あなたのそばを離れません! あなたの言うこと、なんでも聞きますから!」

 ――ぴたり、と。
 荒れ狂っていた魔力の波動が止んだ。

「……今、何と言った?」

 アルフレッド様の手が、壊れ物を扱うように私の後頭部を包み込む。

「一生、僕のそばにいると……何でも僕の言うことを聞くと、そう誓うのか」

「ええ、誓いますわ。嘘はつきません、神に懸けて」

(そうよ! 一生推しのそばにいられるなんて、ファンには最高の福利厚生! これで王子が助かるなら、むしろ安い代償ですわ!)

 アルフレッド様は深く息を吐き、私を折れるほど強く抱きしめた。

「……いいだろう。殿下を馬車へ。国境まで送れ。二度と、この国の土を踏ませるな」

 低い命令とともに影から現れた私兵たちが、リュカ王子を連行していく。
 叫びは雨に呑まれ、残されたのは冷えた教会と、密着する二人の体温だけだった。

 ――数時間後。ベルンシュタイン伯爵邸・主寝室。
 暖炉の薪がはぜ、上質な香の匂いが満ちている。

 私は乾いた寝衣に着替えさせられ、豪奢なカウチに座らされていた。
 アルフレッド様は私の足元に跪き、濡れた髪を柔らかなタオルで丁寧に拭っている。

「……冷たくして、悪かったね」

「いいえ。……あの、アルフレッド様。“契約”のこと、覚えていらっしゃいますわよね?」

 私が尋ねると、彼は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
 火影に浮かぶ横顔は恐ろしいほど美しく、どこか歪んでいる。

「忘れるはずがない。――では、最初に従ってもらおうか」

 掌に載っていたのは細い銀のチェーン。
 中央に嵌め込まれた青い魔石が、月光を閉じ込めたように仄暗く光る。

 アルフレッド様の指が私の首筋をなぞる。ひやりとした感触に、思わず肩が震えた。

「……ネックレス、ですか?」

「いいや。これは“誓約の鎖”だ。僕の魔力が込められている。君が嘘をついたり、僕から離れようとすれば、この石が熱を帯びて知らせる。――いわば、僕専用の“首輪”だよ」

(首輪……! 原作で捕虜の首に嵌めていた、あの伝説の魔道具……!)

 本来なら絶望して泣く場面なのだろう。
 けれど私の脳内では――

 「推しの魔力を常に身に着けられるファン限定グッズ」

 に変換されていた。

「素敵ですわ。……これなら、あなたが不安になることもありませんもの」

 私が自ら首を差し出すと、アルフレッド様は息を呑む。
 小さな金属音とともに、銀の鎖が白い肌へ冷ややかに馴染んだ。

「……エルセ。君は、自分が何をされたか分かっているのか」

「ええ。私を誰にも渡さないという、あなたなりの誠意でしょう? カトレア様がいなくて寂しいからって、私をそこまで独占したいなんて……可愛らしいところがおありですのね」

 頬へそっと触れると、彼の瞳に満ちていた暗い情念が、一瞬だけ困惑に揺れた。

「……可愛い、だと? 僕は君のすべてを奪い、自由のない籠の鳥にしようとしているのに……?」

「いいえ。私は、あなたのそばにいたいだけです。――籠の中があなたの隣なら、そこが私の世界のすべてですわ」

 アルフレッド様は、うめくように私の膝へ顔を伏せる。
 その肩がかすかに震えていた。

「……ああ、エルセ。君は聖女か……それとも、僕を破滅させる魔女なのか」

 彼は知らない。
 私が彼を“恋愛対象”ではなく“崇拝対象”として全肯定しているからこそ、この異常な束縛すら歓喜として受け入れていることを。

 そして私も知らない。

 この首輪に込められた魔力が、単なる追跡のためではなく――

 所有者であるアルフレッドの情欲と独占欲を、装着者の肌に刻み続ける、甘美にして悍ましい呪いであることを。
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