王の影姫は真実を言えない

柴田はつみ

文字の大きさ
8 / 40

第8章|青石の指輪

しおりを挟む

朝、窓辺のカーテンが風に揺れていた。
白い光が部屋に差し込むのに、私の胸は重いまま沈んでいる。

昨夜の“銀”が、まだ指先に残っている気がした。
王家の紋。欠けた印。
そしてアラン公爵の、焦りを隠しきれない瞳。

(狙われる)

その一言が、眠りを奪った。

私は鏡の前で髪を整えながら、笑みの練習をした。
公爵夫人の微笑み。
痛みを隠すための微笑み。

ミナが静かに扉を開けて入ってくる。
手には、黒い箱。

見た瞬間に、背中が冷えた。

「……奥様。王宮から、使者が」

箱は手のひらほどの大きさで、異様に重々しい。
黒の漆に金の縁取り。
蓋には王家の紋章が刻まれ、封蝋で閉じられている。

そして――その封蝋は完璧だった。
欠けていない。

(欠けていない……)

昨夜見た“欠け”が、余計に際立つ。

「受け取りましょう」

私は声を整え、微笑んだ。
ミナが頷き、箱を私の前へ置く。

封蝋を割る音は、思ったより大きかった。
ぱきん、と乾いた音。
私の胸の中でも同じ音がした気がする。

蓋を開ける。

中にあるのは、指輪。
青石がひとつ、深い海のように沈んで光っていた。

青い。
澄んでいるのに、底が見えない。



「……まさか」

ミナが小さく呟く。

私は指輪を持ち上げた。
銀の台座に細い彫刻――王家の蔓草模様。
それは王宮でしか見ない意匠だった。

「国王陛下から、直に」

使者の声が廊下から聞こえる。
礼儀正しいのに、逃げ場のない声。

私は指輪を見つめたまま、息を吸う。

(また……噂が強くなる)

国王からの贈り物。
それも“指輪”。

社交界の舌が、これをどう味わうか分かりきっている。

――妾の証拠。
――公爵夫人でありながら、国王のもの。
――だから公爵が可哀想。

頭の中で囁きが増殖し、胸が苦しくなる。

「……奥様、お指に」

ミナが震える声で言う。
公の場では、王からの品を拒めない。
それが“礼儀”であり、同時に“鎖”だ。

私は頷き、指輪を嵌めようとして――止まった。

指輪の内側に、細い刻印がある。
青石の陰に隠れて、見えにくい。

私は光にかざし、目を凝らした。

刻まれているのは――
王家の紋。
そして、その下に小さく、数字のような記号。

(これは……)

意味が分からない。
でも、ただの装飾ではないことだけが分かる。
“合図”だ。
誰かに向けた合図。

私は指輪を嵌めた。

冷たい。
指輪が肌に触れた瞬間、血が冷えるような感覚が走った。

まるで、首輪をはめられたみたいに。

その時、扉がノックもなく開いた。

「……何だ、それは」

アラン公爵。

昨夜と同じ外套姿ではない。
いつもの軍装、きっちりと整えた髪、冷たい仮面。
でも目は――昨夜より鋭い。

彼は私の指先を見る。
青石の光が、彼の瞳に刺さる。

「陛下から……贈り物です」

私は微笑んだ。
笑うしかない。
笑わなければ、崩れてしまう。

アランの口元が僅かに硬くなる。
視線が、指輪から私の顔へ上がる。

「……外せ」

低い声。命令。
昨夜の“銀の髪飾り”と同じだ。

私は息を呑む。

「外せません。王からの――」

「外せ」

言葉を遮るように、アランがもう一度言った。
声は大きくないのに、部屋の空気を切り裂く。

ミナが一歩後退する。
私は指輪を見つめた。
青石が、私を見返すみたいに冷たい。

「……公爵様は、私が“国王の妾”だと思っていらっしゃるのですか」

口から、勝手に出た。
言うつもりなんてなかったのに。

言った瞬間、胸が痛い。
この問いは、刃だ。
答えがどちらでも、私は傷つく。

アランの瞳が揺れた。
ほんの一瞬だけ。

けれど彼はすぐに仮面を戻す。

「思っていない」

短い否定。
それなのに、私の胸は晴れない。
“思っていない”のに、なぜ外せと言うの?

アランはゆっくりと近づき、私の手を取る――かと思って、止まる。
触れない。

触れずに、視線だけで指輪を見つめる。
そして、左手を僅かに押さえる癖が出る。

「……その指輪は、贈り物じゃない」

低い声。
怒りというより、確信に近い。

「鎖だ」

私は息を止めた。

鎖。
私が感じたのと同じ言葉。

「……陛下は、あなたを“守る”つもりで鎖をつける」

アランの声が、苦しそうに歪む。

守る。
それは優しい言葉なのに、なぜこんなに痛いのだろう。

「守るために、縛るのですか」

私が呟くと、アランは僅かに目を伏せた。

「……王宮は、そういう場所だ」

それだけ言う。
それ以上は言わない。言えない。

私は笑った。
喉が震えるのを隠すように。

「では、私は“鎖”を付けて公爵家の妻を務めろ、と?」

アランの目が細くなる。
怒ったのではない。
壊れそうなものを見ている目。

「……違う」

彼の声が、少しだけ柔らかくなる。

「お前は、俺の妻だ」

その言葉は、初めて“夫”の温度を帯びた。
なのに次の瞬間、彼は冷たく付け足す。

「だからこそ、外せ」

私は首を振る。

「外したら、陛下を否定することになります」

真実は言えない。
異母妹だと言えない。
だから私は、“王の贈り物”として受け取るしかない。

アランはしばらく黙った。
そして、低く言う。

「……分かった」

その一言に、私の胸が沈む。

(分かった、って……)

分かってしまったのは、何?
私が国王のものだということ?
私が公爵家にとって“厄介”だということ?

アランは踵を返す。

「今日の予定は取り消す。外に出るな」

命令。
また命令。

私は微笑む。
微笑むしかない。

「承知しました、公爵様」

扉が閉まる。

私は指輪を見つめた。
青石が、淡く光る。

――“国王の証”。

そう誤解される恐怖が、喉を締めつける。
そして同時に、アランが私を“疑っていない”と言ったことだけが、なぜか余計に痛かった。

(疑っていないのに、触れない)

(妻だと言ったのに、遠ざける)

鎖は指にあるのではない。
私たちの間に、見えない鎖が増えていく。

青石の冷たさが、今日も私の心を静かに縛っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

第二王女と次期公爵の仲は冷え切っている

山法師
恋愛
 グレイフォアガウス王国の第二王女、シャーロット。  フォーサイス公爵家の次期公爵、セオドア。  二人は婚約者であるけれど、婚約者であるだけだった。  形だけの婚約者。二人の仲は冷め切っているし冷え切っている。  そもそも温度など、最初から存在していない。愛も恋も、友情も親しみも、二人の間には存在しない。  周知の事実のようなそれを、シャーロットもセオドアも否定しない。  お互いにほとんど関わりを持とうとしない、交流しようとしない、シャーロットとセオドアは。  婚約者としての親睦を深める茶会でだけ、顔を合わせる。  親睦を深める茶会だというのに、親睦は全く深まらない。親睦を深めるつもりも深める意味も、二人にはない。  形だけの婚約者との、形だけの親睦を深める茶会。  今日もまた、同じように。 「久しぶりに見る君が、いつにも増して愛らしく見えるし愛おしく思えて、僕は今にも天に召されそうなほどの幸福を味わっている。──?!」 「あたしのほうこそセオ様とお顔を合わせること、夢みたいに思ってるんですからね。大好きなセオ様を独り占めしているみたいに思えるんですよ。はっ?!」  顔を合わせて確認事項を本当に『確認』するだけの茶会が始まるはずが、それどころじゃない事態に陥った。  

お認めください、あなたは彼に選ばれなかったのです

・めぐめぐ・
恋愛
騎士である夫アルバートは、幼馴染みであり上官であるレナータにいつも呼び出され、妻であるナディアはあまり夫婦の時間がとれていなかった。 さらにレナータは、王命で結婚したナディアとアルバートを可哀想だと言い、自分と夫がどれだけ一緒にいたか、ナディアの知らない小さい頃の彼を知っているかなどを自慢げに話してくる。 しかしナディアは全く気にしていなかった。 何故なら、どれだけアルバートがレナータに呼び出されても、必ず彼はナディアの元に戻ってくるのだから―― 偽物サバサバ女が、ちょっと天然な本物のサバサバ女にやられる話。 ※頭からっぽで ※思いつきで書き始めたので、つたない設定等はご容赦ください。 ※夫婦仲は良いです ※私がイメージするサバ女子です(笑) ※第18回恋愛小説大賞で奨励賞頂きました! 応援いただいた皆さま、お読みいただいた皆さま、ありがとうございました♪

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

冷遇夫がお探しの私は、隣にいます

終日ひもの干す紐
恋愛
愛人がいるなら、さっさと言ってくれればいいのに! 妻に駆け落ちされた、傷心の辺境伯ロシェのもとへ嫁いでほしい。 シャノンが王命を受け、嫁いでから一年……とんでもない場面に立ち会ってしまう。 「サフィール……またそんなふうに僕を見つめて、かわいいね」 シャノンには冷たいの夫の、甘ったるい囁き。 扉の向こうの、不貞行為。 これまでの我慢も苦労も全て無駄になり、沸々と湧き上がる怒りを、ロシェの愛猫『アンブル』に愚痴った。 まさかそれが、こんなことになるなんて! 目が覚めると『アンブル』になっていたシャノン。 猫の姿に向けられる夫からの愛情。 夫ロシェの“本当の姿”を垣間見たシャノンは……? * * * 他のサイトにも投稿しています。

【完結】嘘が匂いますね、公爵様〜愛を騙る夫の後悔〜

終日ひもの干す紐
恋愛
一目惚れ──その言葉に偽りはないのに、彼の愛の囁きは嘘に塗れている。 貧乏伯爵家の娘ウィステルのもとへ、突然縁談が舞い込む。 相手はキャスバート公爵家当主フィセリオ。彼は婚姻を条件に援助を申し出る。 「一目惚れとはいえ、私はウィステル嬢を心から愛している。必ず大切にすると、キャスバートの名に誓いましょう」 けれど、ウィステルには『嘘を匂いで感じ取る』秘密の力があった。 あまりにもフィセリオに得のない縁談。愛もなく、真意は謎に包まれたまま、互いに秘密を抱えて時間を重ねる。全ては信頼される妻になるために。 甘い嘘で“妻を愛する夫”を演じきる公爵と、夫の嘘を見抜き、共犯者になると決めた令嬢の恋愛物語。 * * * ※主人公ウィステル以外の視点の話は【】にそのキャラを表記しています。同じ話の別視点ではなく、基本的に物語は進行していきます。 他のサイトでも投稿しています。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...