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第八章 王妃候補の条件と、試される素顔
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王都からの正式な書状は、翌朝の早い時間に届けられた。
金の紋章で封を押された羊皮紙は、重く、冷たい威圧感を帯びている。
書状に目を通した伯爵は、静かに眉をひそめた。
「……王宮より通達が来た。
キャロル、お前には王妃候補として――本格的な王妃教育への参加が命じられた」
その言葉に、部屋の空気がぴんと張り詰める。
キャロルは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
(来た……ここから、すべてが始まる)
前世では――
この教育が、評判と誤解と陰口の温床になった。
その先に待っていたのは、
王妃としての孤独、そして断罪。
「光栄に存じます。……お受けいたしますわ」
静かな声で答えると、伯爵は複雑な表情で娘を見つめた。
「無理はするな。王宮は……綺麗な顔をして、牙を隠している」
柔らかな微笑で、キャロルは首を振る。
「大丈夫です。今回は――迷いません」
その言葉に、胸の奥がひりりと軋いた。
(……今度こそ、同じ轍は踏まない)
数日後。
キャロルは王宮の白大理石の回廊を歩いていた。
高い天井、黄金の装飾、遠く響く靴音。
冷ややかな美しさの中に、人の気配が薄く漂う。
王妃教育を統括する女性が、前を歩きながら淡々と説明を続けている。
「礼儀、舞踏、政治、慈善、宮廷運営――すべて、失敗の許されぬ分野でございます」
「心得ております」
キャロルは穏やかに応じた。
(前世の“罠”は、ここからだった)
教育係。
侍女たち。
そして――陰から情報をねじ曲げる存在。
(今度は見逃さない)
重厚な扉が開けられ、広間へ案内される。
数名の貴婦人と、侍女たちの視線がこちらへ集まった。
その中心にいたのは――
切れ長の瞳を持つ、上品で鋭い貴婦人。
「お初にお目にかかりますわ、キャロル様。
王妃教育責任者、ミレイア・ド・ランベルトにございます」
「よろしくお願いいたします、ミレイア様」
礼を取るキャロルを、ミレイアはじっと見つめた。
数秒――沈黙。
やがて、乾いた笑みが落ちる。
「なるほど。器は悪くありません。ですが……まだ足りないわね」
(……来たわ)
キャロルは微笑みを崩さぬまま、心の奥でつぶやく。
前世で何度も突きつけられた言葉。
「足りない」
「王妃には向かない」
「感情が見えない」
そのたびに、孤独だけが増えていった。
「本日は、素顔を見せていただきたく存じます」
ミレイアが軽く扇子を鳴らす。
「慈善視察の想定訓練を行います。
――あなたは民の母となる方。どのように接するのか、拝見いたしますわ」
彼女の合図で、侍女の一人が、
わざと不格好にトレーを落とした。
陶器が床に転がり、パン屑が散らばる。
室内の空気が、乾いたように凍る。
(試している……)
誰も動かない。
視線だけが――キャロルへ向く。
前世の自分なら、きっと迷った。
何が正解なのか。
どう見られるか。
「王妃らしさ」に縛られて。
だが。
今の彼女は、迷わなかった。
キャロルは、静かにしゃがみ込んだ。
「怪我はありませんか?」
震える侍女の手に触れ、優しく支える。
「す、すみません、私……」
「謝る必要はありません。
人は誰でも、手を滑らせるものです」
微笑みとともに、散らばったパンを拾い集める。
侍女の指が、彼女の手にぎゅっと縋った。
その温もりは――
前世で見落としてしまった“真実”の重みだった。
(王妃とは、形ではなく――心)
立ち上がったキャロルは、ミレイアに向き直る。
「王妃の務めは、民の痛みを見落とさぬこと。
もし誰かが倒れたとき、最初に手を伸ばす者でありたいと、私は思います」
広間に、息を飲む音が落ちた。
ミレイアは扇を静かに閉じる。
その瞳の奥に――
微かに、評価の色が灯る。
「……合格ですわ、キャロル様」
ゆるやかに微笑む。
「前世の王妃候補には無かった強さを、お持ちのようで」
胸の奥が、はっきりと熱を帯びた。
(変えられる――私は、変わり始めている)
その瞬間。
廊下の陰で、
静かに様子を見ていた少年が目を伏せた。
灰青の瞳。
クリス。
「……やはり、君は」
誰にも聞こえない声で、呟く。
「手放せない」
その声音には、
まだ名前を持たない溺愛の熱が宿り始めていた。
金の紋章で封を押された羊皮紙は、重く、冷たい威圧感を帯びている。
書状に目を通した伯爵は、静かに眉をひそめた。
「……王宮より通達が来た。
キャロル、お前には王妃候補として――本格的な王妃教育への参加が命じられた」
その言葉に、部屋の空気がぴんと張り詰める。
キャロルは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
(来た……ここから、すべてが始まる)
前世では――
この教育が、評判と誤解と陰口の温床になった。
その先に待っていたのは、
王妃としての孤独、そして断罪。
「光栄に存じます。……お受けいたしますわ」
静かな声で答えると、伯爵は複雑な表情で娘を見つめた。
「無理はするな。王宮は……綺麗な顔をして、牙を隠している」
柔らかな微笑で、キャロルは首を振る。
「大丈夫です。今回は――迷いません」
その言葉に、胸の奥がひりりと軋いた。
(……今度こそ、同じ轍は踏まない)
数日後。
キャロルは王宮の白大理石の回廊を歩いていた。
高い天井、黄金の装飾、遠く響く靴音。
冷ややかな美しさの中に、人の気配が薄く漂う。
王妃教育を統括する女性が、前を歩きながら淡々と説明を続けている。
「礼儀、舞踏、政治、慈善、宮廷運営――すべて、失敗の許されぬ分野でございます」
「心得ております」
キャロルは穏やかに応じた。
(前世の“罠”は、ここからだった)
教育係。
侍女たち。
そして――陰から情報をねじ曲げる存在。
(今度は見逃さない)
重厚な扉が開けられ、広間へ案内される。
数名の貴婦人と、侍女たちの視線がこちらへ集まった。
その中心にいたのは――
切れ長の瞳を持つ、上品で鋭い貴婦人。
「お初にお目にかかりますわ、キャロル様。
王妃教育責任者、ミレイア・ド・ランベルトにございます」
「よろしくお願いいたします、ミレイア様」
礼を取るキャロルを、ミレイアはじっと見つめた。
数秒――沈黙。
やがて、乾いた笑みが落ちる。
「なるほど。器は悪くありません。ですが……まだ足りないわね」
(……来たわ)
キャロルは微笑みを崩さぬまま、心の奥でつぶやく。
前世で何度も突きつけられた言葉。
「足りない」
「王妃には向かない」
「感情が見えない」
そのたびに、孤独だけが増えていった。
「本日は、素顔を見せていただきたく存じます」
ミレイアが軽く扇子を鳴らす。
「慈善視察の想定訓練を行います。
――あなたは民の母となる方。どのように接するのか、拝見いたしますわ」
彼女の合図で、侍女の一人が、
わざと不格好にトレーを落とした。
陶器が床に転がり、パン屑が散らばる。
室内の空気が、乾いたように凍る。
(試している……)
誰も動かない。
視線だけが――キャロルへ向く。
前世の自分なら、きっと迷った。
何が正解なのか。
どう見られるか。
「王妃らしさ」に縛られて。
だが。
今の彼女は、迷わなかった。
キャロルは、静かにしゃがみ込んだ。
「怪我はありませんか?」
震える侍女の手に触れ、優しく支える。
「す、すみません、私……」
「謝る必要はありません。
人は誰でも、手を滑らせるものです」
微笑みとともに、散らばったパンを拾い集める。
侍女の指が、彼女の手にぎゅっと縋った。
その温もりは――
前世で見落としてしまった“真実”の重みだった。
(王妃とは、形ではなく――心)
立ち上がったキャロルは、ミレイアに向き直る。
「王妃の務めは、民の痛みを見落とさぬこと。
もし誰かが倒れたとき、最初に手を伸ばす者でありたいと、私は思います」
広間に、息を飲む音が落ちた。
ミレイアは扇を静かに閉じる。
その瞳の奥に――
微かに、評価の色が灯る。
「……合格ですわ、キャロル様」
ゆるやかに微笑む。
「前世の王妃候補には無かった強さを、お持ちのようで」
胸の奥が、はっきりと熱を帯びた。
(変えられる――私は、変わり始めている)
その瞬間。
廊下の陰で、
静かに様子を見ていた少年が目を伏せた。
灰青の瞳。
クリス。
「……やはり、君は」
誰にも聞こえない声で、呟く。
「手放せない」
その声音には、
まだ名前を持たない溺愛の熱が宿り始めていた。
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