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第十三章 リネアのさらなる誘惑と、揺らぐ沈黙
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午後の回廊は、陽射しに柔らかく満たされていた。
白い壁に反射した光が揺らぎ、床の影を淡く染める。
キャロルは執務室を出たところで一度立ち止まり、胸に手を当てた。
(……噂は広がっている。
それでも、私は立ち止まらない)
視線の先、遠い柱の影に 灰青の瞳 が一瞬見えた。
クリス――
彼は、何かを抱え込むように、静かに回廊を歩いていた。
その進路の先に、柔らかな影が差し込む。
――リネア。
淡い桃色のドレスに身を包み、
両手で抱えた書類箱を胸元に寄せていた。
「殿下……」
かすれるような声で、彼女は呼びかける。
クリスが足を止める。
「義妹殿か。ここで何を」
リネアは小さく微笑んだ。
「慈善の件で……少しでもお役に立てたらと思って。
不慣れですが、書類を運ぶくらいなら――」
そう言って、箱を抱える腕に力を込める。
わざとらしくはない。
だが、さりげない弱さを滲ませる仕草。
「そのようなこと、侍女に任せればいい」
クリスは淡々と告げる。
しかしリネアは、ゆっくりと首を横に振った。
「……お姉さまは、今、とても大変です。
だから――私にできることを、していたいんです」
指先が震える。
か細い声。
潤んだ瞳。
――守られる側の少女。
(……キャロルとは、真逆)
クリスの胸に、一瞬ひやりとした感覚が走る。
リネアは一歩、近づいた。
甘い香りが、ほんのりと漂う。
「殿下……もし、迷われていることがあるなら――
誰にも言えないお悩みなら……」
顔を上げ、そっと囁く。
「どうか、私にだけは……打ち明けてください」
呼吸が近い。
距離が、わずかに詰まる。
指先が、袖口の布に触れそうになる。
「私は、敵ではありません。
殿下が傷つくところを……見たくないんです」
それは、慰めの言葉の形をしていた。
けれどその奥に――
入り込もうとする意志があった。
(踏み込んだ……)
柱の影から様子を見ていたキャロルは、唇を結ぶ。
リネアは「弱者」を演じ――
クリスの保護本能を呼び覚まそうとしている。
(彼女は理解している。
殿下が“守ること”に弱いと)
心が、静かに軋んだ。
沈黙の後、クリスはゆっくりと口を開く。
「……義妹殿」
声は低く、静かだった。
「勘違いしているようだ」
リネアは瞬く。
「え……?」
「私は、迷ってなどいない」
その瞳には、揺らぎよりも――硬質な光があった。
「キャロルを、信じたい。
だからこそ、事実を知ろうとしている」
リネアの指が、わずかに震える。
「ですが……お姉さまは時々、とても遠くて――」
「遠いのではない」
クリスは言葉を遮った。
「――彼女は、戦っている」
リネアの表情が、固まる。
「強く見えるのではなく、強くあろうとしているだけだ。
誰かの代わりなど、いらない」
その言葉は、静かな拒絶だった。
甘い香りが、風に散る。
リネアは俯き、唇を噛む。
「……私は、ただ」
「義妹殿」
クリスの声音が落ちる。
「キャロルの“弱さ”を、君は利用している」
リネアの肩が、震えた。
瞳が揺らぎ――その奥に、傷ついた色が閃く。
「そんなつもりじゃ……」
「それでも、結果は同じだ」
短い沈黙。
噴水の音が、遠くで響く。
(殿下……)
キャロルは胸の奥を強く締めつけられる。
(あなたも――戦っているのね)
その言葉には、怒りも苛立ちもなかった。
ただひとつ、
キャロルを失いたくないという焦りだけがあった。
リネアは、ゆっくり顔を上げる。
微笑――
しかし、その微笑は前よりも 薄く脆い。
「……分かりました。
私は、身を引きます」
けれど――その瞳の奥に、
消えない火が灯っているのを、キャロルは見た。
(まだ――終わっていない)
リネアが去る。
甘い香りだけが、あとに残った。
クリスはしばらく黙り込み――
やがて、小さく呟いた。
「……キャロル」
その名を呼ぶ声は、ほんの少し震えていた。
(あなたの“隙”にも、私の“隙”にも――
もう誰も、入り込ませない)
それは、彼自身への誓いでもあった。
(リネア……
あなたは、殿下を“奪おう”としているのではない)
(――“私を押し出そう”としている)
キャロルは静かに目を閉じた。
(なら、私はもう迷わない)
(あなたの糸を――必ず断ち切る)
遠くで鐘が鳴る。
運命の綾は、さらに深く絡み合い始めていた。
白い壁に反射した光が揺らぎ、床の影を淡く染める。
キャロルは執務室を出たところで一度立ち止まり、胸に手を当てた。
(……噂は広がっている。
それでも、私は立ち止まらない)
視線の先、遠い柱の影に 灰青の瞳 が一瞬見えた。
クリス――
彼は、何かを抱え込むように、静かに回廊を歩いていた。
その進路の先に、柔らかな影が差し込む。
――リネア。
淡い桃色のドレスに身を包み、
両手で抱えた書類箱を胸元に寄せていた。
「殿下……」
かすれるような声で、彼女は呼びかける。
クリスが足を止める。
「義妹殿か。ここで何を」
リネアは小さく微笑んだ。
「慈善の件で……少しでもお役に立てたらと思って。
不慣れですが、書類を運ぶくらいなら――」
そう言って、箱を抱える腕に力を込める。
わざとらしくはない。
だが、さりげない弱さを滲ませる仕草。
「そのようなこと、侍女に任せればいい」
クリスは淡々と告げる。
しかしリネアは、ゆっくりと首を横に振った。
「……お姉さまは、今、とても大変です。
だから――私にできることを、していたいんです」
指先が震える。
か細い声。
潤んだ瞳。
――守られる側の少女。
(……キャロルとは、真逆)
クリスの胸に、一瞬ひやりとした感覚が走る。
リネアは一歩、近づいた。
甘い香りが、ほんのりと漂う。
「殿下……もし、迷われていることがあるなら――
誰にも言えないお悩みなら……」
顔を上げ、そっと囁く。
「どうか、私にだけは……打ち明けてください」
呼吸が近い。
距離が、わずかに詰まる。
指先が、袖口の布に触れそうになる。
「私は、敵ではありません。
殿下が傷つくところを……見たくないんです」
それは、慰めの言葉の形をしていた。
けれどその奥に――
入り込もうとする意志があった。
(踏み込んだ……)
柱の影から様子を見ていたキャロルは、唇を結ぶ。
リネアは「弱者」を演じ――
クリスの保護本能を呼び覚まそうとしている。
(彼女は理解している。
殿下が“守ること”に弱いと)
心が、静かに軋んだ。
沈黙の後、クリスはゆっくりと口を開く。
「……義妹殿」
声は低く、静かだった。
「勘違いしているようだ」
リネアは瞬く。
「え……?」
「私は、迷ってなどいない」
その瞳には、揺らぎよりも――硬質な光があった。
「キャロルを、信じたい。
だからこそ、事実を知ろうとしている」
リネアの指が、わずかに震える。
「ですが……お姉さまは時々、とても遠くて――」
「遠いのではない」
クリスは言葉を遮った。
「――彼女は、戦っている」
リネアの表情が、固まる。
「強く見えるのではなく、強くあろうとしているだけだ。
誰かの代わりなど、いらない」
その言葉は、静かな拒絶だった。
甘い香りが、風に散る。
リネアは俯き、唇を噛む。
「……私は、ただ」
「義妹殿」
クリスの声音が落ちる。
「キャロルの“弱さ”を、君は利用している」
リネアの肩が、震えた。
瞳が揺らぎ――その奥に、傷ついた色が閃く。
「そんなつもりじゃ……」
「それでも、結果は同じだ」
短い沈黙。
噴水の音が、遠くで響く。
(殿下……)
キャロルは胸の奥を強く締めつけられる。
(あなたも――戦っているのね)
その言葉には、怒りも苛立ちもなかった。
ただひとつ、
キャロルを失いたくないという焦りだけがあった。
リネアは、ゆっくり顔を上げる。
微笑――
しかし、その微笑は前よりも 薄く脆い。
「……分かりました。
私は、身を引きます」
けれど――その瞳の奥に、
消えない火が灯っているのを、キャロルは見た。
(まだ――終わっていない)
リネアが去る。
甘い香りだけが、あとに残った。
クリスはしばらく黙り込み――
やがて、小さく呟いた。
「……キャロル」
その名を呼ぶ声は、ほんの少し震えていた。
(あなたの“隙”にも、私の“隙”にも――
もう誰も、入り込ませない)
それは、彼自身への誓いでもあった。
(リネア……
あなたは、殿下を“奪おう”としているのではない)
(――“私を押し出そう”としている)
キャロルは静かに目を閉じた。
(なら、私はもう迷わない)
(あなたの糸を――必ず断ち切る)
遠くで鐘が鳴る。
運命の綾は、さらに深く絡み合い始めていた。
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