転生王妃はもう二度と愛さない ―処刑の夜に誓った復讐―

柴田はつみ

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第十二章 香りの違和感と、義妹の接触

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 夕刻の王宮は、昼とは違う顔を見せる。
 回廊の白大理石は茜に染まり、柱の影が長く伸び、足音さえも静かに吸い込まれていく。

 キャロルは東棟の窓辺に立ち、薄く息を吐いた。

(……香りが、する)

 甘い花と蜜を溶かしたような匂い。
 贈り物の香油と同じ――あの香りが、どこかから漂ってくる。

 香りは、記憶を呼び起こす。
 そして印象を作る。
 印象は、噂になる。

(“可憐な王妃候補”という型に、私を押し込めたいのね)

 胸の奥で冷たいものが広がる。
 怒りではない。
 怒りは、相手に握られる。

(私は、感情では動かない。
 見えるものだけを拾う)

 目を凝らすと、中庭の噴水のそばに二つの影が見えた。

 一人は王太子クリス。
 濃紺の正装に身を包み、茜の光の中でさえ冷ややかに見える横顔。

 そして、もう一人――

「……リネア」

 栗色の髪の少女が、噴水の縁に立っていた。
 桃色のドレスに、同じ色のリボン。
 彼女の周囲にだけ、あの甘い香りがまとわりついている。

(殿下に、接触している)

 心臓が一拍、強く鳴った。

 それでもキャロルは動かなかった。
 今はただ、見る。

 見えない糸の結び目を、見つけるために。



 噴水のそば。
 水音が薄い幕のように二人の会話を包む。

 リネアは両手でスカートの裾を摘み、深く礼をした。

「殿下。突然お時間をいただき、申し訳ございません」

 クリスは短く答えた。

「要件を」

 冷たい声音。
 しかしその冷たさは、壁ではなく刃に近い。
 不用意に近づけば傷つく――そう警告する声音だった。

 リネアは怯んだ様子を見せず、微笑を浮かべた。

「昨夜の夜会……とても素晴らしかったです。
 殿下が、皆さまの前でお姉さまを――」

 言いかけて、少しだけ目を潤ませる。

「……あんなふうに守ってくださったこと。
 家族として、心から感謝しております」

 クリスの瞳がわずかに細まる。

「当然だ。彼女は私の王妃候補だ」

 リネアは嬉しそうに頷き、慎重に言葉を選んだ。

「はい。だからこそ……私は少しだけ、心配で」

「心配?」

「お姉さまは、とても強い方です。
 強すぎて……自分の弱さを見せることができない」

 風が吹き、香りがいっそう強くなる。
 その甘さが、妙に重たい。

(……誘導している)

 キャロルは回廊の影で、指先を握りしめた。

 リネアは続ける。

「殿下。お姉さまは、殿下の前ではいつも完璧でいようとなさいます。
 でも……本当は、怖がりで、時々、眠れない夜も……」

 そこまで言って、ふっと視線を落とす。
 守ってあげたくなる沈黙。
 相手の心に入り込むための“隙”。

 クリスはしばらく黙っていたが、やがて低く問うた。

「君は……キャロルの弱さを、知っているのか」

 リネアは、ためらうように小さく頷く。

「……はい。幼い頃からずっと。
 私の前では、泣いてくださることもありました」

 その言葉が、空気を変えた。

 クリスの瞳に、静かな熱が灯る。

「つまり――君の前では泣けて、私の前では泣けない、と言いたいのか」

 リネアは慌てて首を振った。

「ち、違います! 殿下を責めたいわけでは……」

 けれど、否定の言葉の裏で――
 彼女の表情は、どこか“望んだ方向へ進んでいる”ようにも見えた。

「私はただ……お姉さまが壊れてしまわないか心配で。
 もし殿下の前で無理をしているのなら、わたくしが――」

 クリスの声音が鋭く遮る。

「必要ない」

 一言。
 氷のように冷たい拒絶。

 リネアの肩が小さく震えた。

「……殿下」

「彼女の心を預かるのは、私だ。
 君が踏み込む領域ではない」

 リネアは唇を噛み、無垢な笑顔を貼り直す。

「……はい。ごめんなさい」

 その謝罪は柔らかい。
 だが、香りだけは変わらない。
 甘く、まとわりつき、消えない。

(殿下は拒んだ。けれど、種は蒔かれた)

 キャロルは理解する。

 リネアの狙いは、殿下に受け入れられることではない。
 殿下の心に――**「キャロルは弱い」「殿下に心を開けない」**という影を落とすこと。

 影は、やがて誤解になる。



 キャロルは静かに回廊を離れ、階段を下りた。
 足音は小さく、スカートの布擦れも控えめに。

(ここで割って入れば、私は“嫉妬した姉”になる)

(それでは負ける)

(だから――私は、正面から潰す)

 中庭へ出ると、風が頬を冷やした。
 噴水の水音が近い。

「殿下」

 キャロルは二人の前へ進み出た。

 リネアが目を見開く。

「お姉さま……!」

 クリスの瞳が、瞬間、柔らかく揺れた。
 安心――それに似た色。

「話があるのね」

 クリスが低く言う。

 キャロルは微笑を崩さず、リネアへ向き直った。

「リネア。あなた、殿下に何を話していたの?」

 問いは穏やか。
 だが、逃げ道を与えない。

 リネアは一瞬だけ詰まり、すぐに涙ぐむ。

「……お姉さまが、疲れていらっしゃるから……殿下に、支えて差し上げてほしいと」

「そう」

 キャロルは頷いた。

「ありがとう。
 でも――私の弱さを、他人の口で語らないで」

 リネアの睫毛が震える。

「……どうして? 私は、お姉さまのために……」

「“私のため”なら、私に聞いて。
 私が望む形を、私に確認して」

 甘い声ではなかった。
 だが、冷たい声でもない。
 王妃候補としての、静かな“線引き”だった。

 クリスが、短く息を吐いた。

「キャロルは正しい」

 リネアの顔が、ほんの一瞬だけ硬直した。

 だが次の瞬間、彼女は泣き笑いのように微笑む。

「……ごめんなさい。私、余計なことをしてしまいましたね」

 余計なこと。
 その言葉は自分を傷つけるようでいて、相手の罪悪感を誘う。

(上手い)

 キャロルは微笑みのまま、さらに一歩踏み込んだ。

「余計じゃないわ。
 でも、これからは――“私のことは私に、言ってちょうだい。」

 リネアは息を呑む。
 その瞳の奥に、わずかな暗さが差した。

「……はい、お姉さま」

 返事は従順。
 けれど“糸”はほどけていない。

 キャロルはそれを見て、静かに確信する。

(この子は、諦めない)

(なら、私も――終わるまで止まらない)
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