転生王妃はもう二度と愛さない ―処刑の夜に誓った復讐―

柴田はつみ

文字の大きさ
26 / 30

第二十六章 「届かない距離 ― リネア、王太子の“空白”に手を伸ばす」

しおりを挟む
 夜の執務室には、灯りが一つだけ残されていた。
 書類の山は片づけられているのに、クリスは席を立たない。

 何かを考えている――
 いや、考えようとして、できずにいる背中だった。

「……殿下」

 静かな声が、その沈黙に触れた。

 振り返らなくても、誰かは分かる。

「リネアか」

「はい。お疲れではありませんか?」

 柔らかな足音。
 ためらいがちに近づく距離。

 いつもなら、クリスはそれを自然に受け入れていた。
 だが今夜は――違った。

「……何か用か」

 声が、どこか遠い。

 リネアは一瞬だけ唇を噛み、すぐに微笑を作った。

「いいえ。ただ……最近、殿下がおひとりで抱え込んでいらっしゃるように見えて」

 そっと、机の端に手を置く。

 その仕草は、これまで何度も“受け入れられてきた形”だった。

「私でよろしければ……」

 言葉を切り、間を作る。

「殿下の力になりたいのです」

 その瞬間。

 クリスの胸の奥に浮かんだのは、
 キャロルの沈黙だった。

 責めず、縋らず、
 ただ距離を引いた、あの背中。

(……違う)

 リネアの声は優しい。
 だが、今の彼の心には――届かない。

「リネア」

 名を呼ぶ声が、低く落ちる。

「今は……誰とも話す気がしない」

 リネアの指が、わずかに震えた。

「……私とも、ですか?」

 問いは小さく、慎重だった。

 だが、その奥にある焦りを、クリスは感じ取ってしまった。

「君が悪いわけじゃない」

「では……」

「ただ――」

 言葉が途切れる。

 “キャロルの代わりにはならない”
 その一文を、彼は言えなかった。

 リネアは沈黙を、肯定として受け取ろうとする。

「殿下。私は、殿下がどんな選択をなさっても……」

 一歩、近づく。

「お傍にいます」

 その距離に、クリスの肩がわずかに強張った。

(……近い)

(だが――埋まらない)

 キャロルが残した“空白”は、
 誰かが入り込める隙ではなかった。

 自分自身が向き合わなければならない空洞だった。

「リネア」

 クリスは、静かに一歩下がる。

 ほんの僅かな距離。
 だが、それは明確な線だった。

「今日は、下がってくれ」

 その言葉に、リネアの瞳が揺れる。

「……私が、邪魔だと?」

「そういう意味じゃない」

「では、どういう意味ですか?」

 問いは、初めて少しだけ強かった。

 クリスは答えない。

 答えられない。

 沈黙が、二人の間に落ちる。

 やがて、リネアは静かに頭を下げた。

「……承知いたしました」

 微笑は、完璧だった。

 けれど、その裏で、胸の奥が冷えていく。

(殿下の“空白”は……私のものになるはずだった)

(なのに)

 扉の前で、彼女は一度だけ立ち止まる。

 振り返らない。

 振り返れば、何かが壊れると知っているからだ。

「おやすみなさいませ、殿下」

 扉が閉まる。

 残された執務室で、クリスは長く息を吐いた。

(……俺は)

(誰を、遠ざけた?)

(そして、誰を――)

 その答えは、
 すでに“手放してしまった存在”の中にしかなかった。



 廊下を歩きながら、リネアは微笑を消した。

 指先が、ゆっくりと握られる。

(……空白は、埋めるものじゃない)

(奪うものよ)

 その瞳に、静かな執念が灯る。

 王太子の心にできた空白は、
 いずれ――血で埋められる。

 それが、彼女の選んだ答えだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

元婚約者からの嫌がらせでわたくしと結婚させられた彼が、ざまぁしたら優しくなりました。ですが新婚時代に受けた扱いを忘れてはおりませんよ?

3333(トリささみ)
恋愛
貴族令嬢だが自他ともに認める醜女のマルフィナは、あるとき王命により結婚することになった。 相手は王女エンジェに婚約破棄をされたことで有名な、若き公爵テオバルト。 あまりにも不釣り合いなその結婚は、エンジェによるテオバルトへの嫌がらせだった。 それを知ったマルフィナはテオバルトに同情し、少しでも彼が報われるよう努力する。 だがテオバルトはそんなマルフィナを、徹底的に冷たくあしらった。 その後あるキッカケで美しくなったマルフィナによりエンジェは自滅。 その日からテオバルトは手のひらを返したように優しくなる。 だがマルフィナが新婚時代に受けた仕打ちを、忘れることはなかった。

悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。

ねーさん
恋愛
 あ、私、悪役令嬢だ。  クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。  気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

戦場から帰らぬ夫は、隣国の姫君に恋文を送っていました

Mag_Mel
恋愛
しばらく床に臥せていたエルマが久方ぶりに参加した祝宴で、隣国の姫君ルーシアは戦地にいるはずの夫ジェイミーの名を口にした。 「彼から恋文をもらっていますの」。 二年もの間、自分には便りひとつ届かなかったのに? 真実を確かめるため、エルマは姫君の茶会へと足を運ぶ。 そこで待っていたのは「身を引いて欲しい」と別れを迫る、ルーシアの取り巻きたちだった。 ※小説家になろう様にも投稿しています

夫は私を愛していないらしい

にゃみ3
恋愛
侯爵夫人ヴィオレッタは、夫から愛されていない哀れな女として社交界で有名だった。 若くして侯爵となった夫エリオットは、冷静で寡黙な性格。妻に甘い言葉をかけることも、優しく微笑むこともない。 どれだけ人々に噂されようが、ヴィオレッタは気にすることなく平穏な毎日を送っていた。 「侯爵様から愛されていないヴィオレッタ様が、お可哀想でなりませんの」 そんなある日、一人の貴婦人が声をかけてきて……。

処理中です...