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第5章 悪魔の花嫁
28・愛しくてたまらない(*)
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まっさらな白いシーツの上、絡まり合う銀髪と胡桃色の柔らかい髪。灯りをできるだけ落とした室内に、甘い吐息が艶やかに響く。
静謐の闇に覆われた窓の向こう。漆黒の空に漕ぎ出す細い三日月は、いつもと変わらぬ微弱な光で闇の街ダークベルを照らしている。
もつれ合うようにベッドに倒れ込み、欲望のままに唇を貪り合った。理性をかなぐり捨て、本能の赴くまま、溢れ出す激情に身を委ねた。
呼吸する間さえもどかしい。互いを隔てる衣服すら邪魔で、けれどそれを脱ぎ捨てる暇があるならもっと近くに抱き寄せたい。まるで獣のようなぶつかり合いに、理性も意識も吹き飛んでしまいそうだった。
ベッドに深く埋もれるくらいの口付けを受けながら、ルシェラが無意識にレヴィリウスの胸を押しやるように手を当てた。その手を煩わしげに引き離され、指を絡めてベッドに強く縫い付けられた瞬間に、ルシェラの体を鋭い痛みが走り抜けた。
「……っ!」
呻き声は喉の奥に押し止めたものの、痛みに跳ねた体はレヴィリウスへ敏感に異変を伝えてしまう。はっと濡れた吐息が唇を掠め、ルシェラの上からようやくレヴィリウスが体を退けた。
「……っ、ルシェラ……?」
僅かに呼吸の上がったレヴィリウスが、掠れた声で気遣わしげにルシェラを見下ろした。何事かと問うよりも先に、菫色の瞳がルシェラの左腕を見て苦しそうに細められる。
「すみません。失念していました」
そう呟いて、レヴィリウスがそうっとルシェラの左腕を持ち上げた。白い腕に残る生々しい傷跡からは未だに血が流れ、肘を伝ってこぼれ落ちた鮮血がベッドのシーツを汚していた。
「そう言うなら、私もそうよ。レヴィンだって、傷だらけじゃない」
リトベルへの道を無理矢理こじ開けたレヴィリウスも同じで、体中に受けた傷の幾つかはじわりと血を滲ませている。黒衣に隠れた体も、きっと傷だらけなのだろう。
お互いに治療を必要とするほどに怪我している。なのに治療は二の次で、まるで我慢できない子供のように互いを求め合ってしまった。そんな激しい思いが自分の中にもあったのだと、ルシェラは少し恥ずかしくなってレヴィリウスから目を逸らした。
「ルシェラ」
握られた左手の甲に、湿った吐息が触れる。くすぐったさに思わず顔を向ければ、手の甲に唇を当てたままのレヴィリウスと目が合った。
「君を味見させてもらっても?」
初めて出会った時にも聞いた、レヴィリウスの意味深な台詞。同じ言葉なのに、この状況ではその意味ががらりと変わる。
ほんのりと頬を染めたままのルシェラは、宝石のように美しい菫色の瞳から目を逸らすことができない。あの夜と同じように、銀髪の悪魔に魅了され囚われる。
下唇を噛み締めて、ルシェラが小さく頷いた。それを合図に、口付けた手の甲からレヴィリウスが一気にルシェラの腕の傷を舐め上げた。
「……ぁ」
掴まれた左手の指先が、甘い刺激に痺れていく。わずかに漏れた声が薄暗い部屋にやけにはっきりと響いてしまい、耳まで赤く染めたルシェラがもう耐えきれないと目を瞑った。なのに今度はその赤く熟れた耳朶まで食まれ、必死に抑えていた声が女の響きを纏ってこぼれ落ちてしまった。
「……ゃっ」
「あぁ……いいですよ、ルシェラ。もっと君の声を聞かせて下さい」
「……っん……ぁ、まっ……て。おねが、い……レヴィっ」
耳朶を食んだ唇は首筋を滑り、喘ぐ喉元に吸い付いて、上を向くルシェラの顎から這い上がってくる。最後に軽く擦れるくらいのキスを残して、レヴィリウスが至近距離で艶やかに笑った。
目眩がするほどの色気に当てられながら、落ち着ける距離を保とうと胸の前に手をねじ込んだ所でハッと気付く。
「傷が……。レヴィンが治してくれたの?」
深くざっくりと切り裂かれていた左腕が、いつの間にか綺麗に完治していた。失った血の多さに怠さは残るものの、もう傷跡もなければ痛みも感じない。
何度か指先を動かして確かめたあと、その手をそっとレヴィリウスの胸に当ててルシェラが柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、レヴィン」
「君に傷を残すのは私だけでいい」
「えっ? 傷って……」
言い終わらないうちに、レヴィリウスの唇がルシェラのはだけた胸元に落ちる。柔らかな唇の感触に体が震えたその刹那、ピリッとした刺激が肌を伝った。
左胸に咲く赤い薔薇の痣。その横に浮かび上がった鬱血痕を舌で舐められ、敏感になったルシェラの体が面白いくらいにびくんと跳ねた。
「本当に、君はよく煽ってくれる。甘く濃厚な血の味も、欲に濡れるその瞳も、キスに喘いでこぼす涙さえ私の本能を刺激する。ルシェラ……君が愛しい」
あらわになった肩口に、そっと触れるだけのキスが落ちる。そのままゆっくりと後ろへ這った唇が、もどかしそうにシャツを噛んで剥ぎ取っていく。
「愛しくてたまらない」
外気に晒された肌を慈しむように、レヴィリウスの少し冷たい指先がルシェラの脇腹をやわりと撫で上げた。
「……はっ……ぁ、レヴィ……レヴィン、待って」
「もう充分待った。この時代に、君を縛るものは何もない」
背中を撫で上げた手が中途半端に残ったシャツをすべて剥ぎ取り、薄闇の中ルシェラの滑らかな肌が白く浮かび上がる。
「君はもう、私に愛されるだけでいい」
言葉を奪うように口付けられ、呼吸さえ忘れてレヴィリウスにしがみ付いた。
終わらない口付けに息苦しさを感じても。
抱きしめるだけでは足らず、柔肌に歯を立てられても。
その苦しさも痛みもすべて受け止めたいと、ルシェラは広げた腕にしっかりと強くレヴィリウスを抱きしめる。
その熱を忘れないように。
レヴィリウスのすべてを、忘れないように。
たとえ神の怒りに触れ、魂が消滅したとしても――激しく愛された記憶だけは消えないように、強く深く自分の中に刻み込みたいと切に願った。
「……レヴィン。私の悪魔、レヴィリウス」
はっと顔を上げたレヴィリウスに、ルシェラが笑う。記憶に残るなら、愛情溢れる笑顔がいい。
「あなたが大好き」
――やっと見つけられた。
「私を……愛して」
――魂を穢されるなら、あなたがいい。あなたに……穢して欲しい。
微笑むルシェラとは対照的に、レヴィリウスの瞳が困惑に揺れる。彼の唇が音を紡ぐ前にそっと頬を包んだ手を引き寄せて、ルシェラは初めて自分からキスをした。
腕の中で、わずかにレヴィリウスが震えたのが分かった。それでも不慣れながら動かした舌が絡め取られると、薄闇の部屋に再び甘い吐息がこぼれていく。
声を奪う。
吐息を奪う。
思考も理性も、何もかもを奪う。
再度燃え上がる情欲の炎に身を焦がし、狂ったように求め合う体がベッドの上でもつれ合う。
肌を伝う唇に、細い指先に全身を震わせながら、ルシェラが怯えたように身を捩る。滑らかな曲線を描く背中が晒され、引き寄せられるようにレヴィリウスの唇がうなじに落ちた。そのまま一気に腰まで滑り落ちた唇が、今度はひどくゆっくりと上がっていく。
その途中で――ふと、レヴィリウスの唇が不自然に離れた。
「……っ、……レ、ヴィン……?」
掠れすぎた声は乱れた呼吸よりも小さい。けれどルシェラの不安げな声音はしっかりと届いていたようで、少しだけ冷静さを取り戻したレヴィリウスの声がルシェラの名前を静かに呼んだ。
「ルシェラ。……私に隠していることはありませんか?」
唐突に問われ、ルシェラは息を詰まらせた。かすかに震えた背中を指先でなぞられれば、その質問の意図が嫌でも分かってしまう。
レヴィリウスの細い指先がなぞった部分は、肩甲骨の辺り。左右同じ場所に縦に残る古傷は、ちょうど翼のあったところだ。
ルシェラがフォルセリアだった時に、神々によって引き千切られた二枚の翼。先に封印されたレヴィリウスがそれを知るはずはなかったが、背中に残る醜い傷跡に何か思うところがあったのだろうか。
何をどう言うべきか。真実をすべて話すべきなのかどうか。迷っている間にルシェラは体を起こされ、背中からベッドのシーツを掛けられていた。
「……レヴィン」
向かい合う形でベッドに座る。束の間の沈黙に居たたまれなくなったルシェラが恐る恐る顔を上げると、訝しむでもなく非難するでもない、ただただ不安に揺れる菫色の瞳がルシェラをじっと見つめていた。
静謐の闇に覆われた窓の向こう。漆黒の空に漕ぎ出す細い三日月は、いつもと変わらぬ微弱な光で闇の街ダークベルを照らしている。
もつれ合うようにベッドに倒れ込み、欲望のままに唇を貪り合った。理性をかなぐり捨て、本能の赴くまま、溢れ出す激情に身を委ねた。
呼吸する間さえもどかしい。互いを隔てる衣服すら邪魔で、けれどそれを脱ぎ捨てる暇があるならもっと近くに抱き寄せたい。まるで獣のようなぶつかり合いに、理性も意識も吹き飛んでしまいそうだった。
ベッドに深く埋もれるくらいの口付けを受けながら、ルシェラが無意識にレヴィリウスの胸を押しやるように手を当てた。その手を煩わしげに引き離され、指を絡めてベッドに強く縫い付けられた瞬間に、ルシェラの体を鋭い痛みが走り抜けた。
「……っ!」
呻き声は喉の奥に押し止めたものの、痛みに跳ねた体はレヴィリウスへ敏感に異変を伝えてしまう。はっと濡れた吐息が唇を掠め、ルシェラの上からようやくレヴィリウスが体を退けた。
「……っ、ルシェラ……?」
僅かに呼吸の上がったレヴィリウスが、掠れた声で気遣わしげにルシェラを見下ろした。何事かと問うよりも先に、菫色の瞳がルシェラの左腕を見て苦しそうに細められる。
「すみません。失念していました」
そう呟いて、レヴィリウスがそうっとルシェラの左腕を持ち上げた。白い腕に残る生々しい傷跡からは未だに血が流れ、肘を伝ってこぼれ落ちた鮮血がベッドのシーツを汚していた。
「そう言うなら、私もそうよ。レヴィンだって、傷だらけじゃない」
リトベルへの道を無理矢理こじ開けたレヴィリウスも同じで、体中に受けた傷の幾つかはじわりと血を滲ませている。黒衣に隠れた体も、きっと傷だらけなのだろう。
お互いに治療を必要とするほどに怪我している。なのに治療は二の次で、まるで我慢できない子供のように互いを求め合ってしまった。そんな激しい思いが自分の中にもあったのだと、ルシェラは少し恥ずかしくなってレヴィリウスから目を逸らした。
「ルシェラ」
握られた左手の甲に、湿った吐息が触れる。くすぐったさに思わず顔を向ければ、手の甲に唇を当てたままのレヴィリウスと目が合った。
「君を味見させてもらっても?」
初めて出会った時にも聞いた、レヴィリウスの意味深な台詞。同じ言葉なのに、この状況ではその意味ががらりと変わる。
ほんのりと頬を染めたままのルシェラは、宝石のように美しい菫色の瞳から目を逸らすことができない。あの夜と同じように、銀髪の悪魔に魅了され囚われる。
下唇を噛み締めて、ルシェラが小さく頷いた。それを合図に、口付けた手の甲からレヴィリウスが一気にルシェラの腕の傷を舐め上げた。
「……ぁ」
掴まれた左手の指先が、甘い刺激に痺れていく。わずかに漏れた声が薄暗い部屋にやけにはっきりと響いてしまい、耳まで赤く染めたルシェラがもう耐えきれないと目を瞑った。なのに今度はその赤く熟れた耳朶まで食まれ、必死に抑えていた声が女の響きを纏ってこぼれ落ちてしまった。
「……ゃっ」
「あぁ……いいですよ、ルシェラ。もっと君の声を聞かせて下さい」
「……っん……ぁ、まっ……て。おねが、い……レヴィっ」
耳朶を食んだ唇は首筋を滑り、喘ぐ喉元に吸い付いて、上を向くルシェラの顎から這い上がってくる。最後に軽く擦れるくらいのキスを残して、レヴィリウスが至近距離で艶やかに笑った。
目眩がするほどの色気に当てられながら、落ち着ける距離を保とうと胸の前に手をねじ込んだ所でハッと気付く。
「傷が……。レヴィンが治してくれたの?」
深くざっくりと切り裂かれていた左腕が、いつの間にか綺麗に完治していた。失った血の多さに怠さは残るものの、もう傷跡もなければ痛みも感じない。
何度か指先を動かして確かめたあと、その手をそっとレヴィリウスの胸に当ててルシェラが柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、レヴィン」
「君に傷を残すのは私だけでいい」
「えっ? 傷って……」
言い終わらないうちに、レヴィリウスの唇がルシェラのはだけた胸元に落ちる。柔らかな唇の感触に体が震えたその刹那、ピリッとした刺激が肌を伝った。
左胸に咲く赤い薔薇の痣。その横に浮かび上がった鬱血痕を舌で舐められ、敏感になったルシェラの体が面白いくらいにびくんと跳ねた。
「本当に、君はよく煽ってくれる。甘く濃厚な血の味も、欲に濡れるその瞳も、キスに喘いでこぼす涙さえ私の本能を刺激する。ルシェラ……君が愛しい」
あらわになった肩口に、そっと触れるだけのキスが落ちる。そのままゆっくりと後ろへ這った唇が、もどかしそうにシャツを噛んで剥ぎ取っていく。
「愛しくてたまらない」
外気に晒された肌を慈しむように、レヴィリウスの少し冷たい指先がルシェラの脇腹をやわりと撫で上げた。
「……はっ……ぁ、レヴィ……レヴィン、待って」
「もう充分待った。この時代に、君を縛るものは何もない」
背中を撫で上げた手が中途半端に残ったシャツをすべて剥ぎ取り、薄闇の中ルシェラの滑らかな肌が白く浮かび上がる。
「君はもう、私に愛されるだけでいい」
言葉を奪うように口付けられ、呼吸さえ忘れてレヴィリウスにしがみ付いた。
終わらない口付けに息苦しさを感じても。
抱きしめるだけでは足らず、柔肌に歯を立てられても。
その苦しさも痛みもすべて受け止めたいと、ルシェラは広げた腕にしっかりと強くレヴィリウスを抱きしめる。
その熱を忘れないように。
レヴィリウスのすべてを、忘れないように。
たとえ神の怒りに触れ、魂が消滅したとしても――激しく愛された記憶だけは消えないように、強く深く自分の中に刻み込みたいと切に願った。
「……レヴィン。私の悪魔、レヴィリウス」
はっと顔を上げたレヴィリウスに、ルシェラが笑う。記憶に残るなら、愛情溢れる笑顔がいい。
「あなたが大好き」
――やっと見つけられた。
「私を……愛して」
――魂を穢されるなら、あなたがいい。あなたに……穢して欲しい。
微笑むルシェラとは対照的に、レヴィリウスの瞳が困惑に揺れる。彼の唇が音を紡ぐ前にそっと頬を包んだ手を引き寄せて、ルシェラは初めて自分からキスをした。
腕の中で、わずかにレヴィリウスが震えたのが分かった。それでも不慣れながら動かした舌が絡め取られると、薄闇の部屋に再び甘い吐息がこぼれていく。
声を奪う。
吐息を奪う。
思考も理性も、何もかもを奪う。
再度燃え上がる情欲の炎に身を焦がし、狂ったように求め合う体がベッドの上でもつれ合う。
肌を伝う唇に、細い指先に全身を震わせながら、ルシェラが怯えたように身を捩る。滑らかな曲線を描く背中が晒され、引き寄せられるようにレヴィリウスの唇がうなじに落ちた。そのまま一気に腰まで滑り落ちた唇が、今度はひどくゆっくりと上がっていく。
その途中で――ふと、レヴィリウスの唇が不自然に離れた。
「……っ、……レ、ヴィン……?」
掠れすぎた声は乱れた呼吸よりも小さい。けれどルシェラの不安げな声音はしっかりと届いていたようで、少しだけ冷静さを取り戻したレヴィリウスの声がルシェラの名前を静かに呼んだ。
「ルシェラ。……私に隠していることはありませんか?」
唐突に問われ、ルシェラは息を詰まらせた。かすかに震えた背中を指先でなぞられれば、その質問の意図が嫌でも分かってしまう。
レヴィリウスの細い指先がなぞった部分は、肩甲骨の辺り。左右同じ場所に縦に残る古傷は、ちょうど翼のあったところだ。
ルシェラがフォルセリアだった時に、神々によって引き千切られた二枚の翼。先に封印されたレヴィリウスがそれを知るはずはなかったが、背中に残る醜い傷跡に何か思うところがあったのだろうか。
何をどう言うべきか。真実をすべて話すべきなのかどうか。迷っている間にルシェラは体を起こされ、背中からベッドのシーツを掛けられていた。
「……レヴィン」
向かい合う形でベッドに座る。束の間の沈黙に居たたまれなくなったルシェラが恐る恐る顔を上げると、訝しむでもなく非難するでもない、ただただ不安に揺れる菫色の瞳がルシェラをじっと見つめていた。
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