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これまでのこと
01
しおりを挟む夏の盛りを過ぎても未だにその勢いを失わない強い日差しがじりじりと頭や首筋に降りかかる。その熱をため込んだ足元の石畳からも容赦なく熱気を立ち上ってくる。うんざりとするような暑さのなか、こめかみから顎を伝って流れ落ちた汗の粒を手の甲でぞんざいに拭った。
王都のほぼ中心部に位置する聖フロストナイト駅。そのホームにミオ・ヘイノラはいた。目の前には偉大なる王国国民の不断の努力によって得られた技術の結晶の名を冠する鉄の塊があった。
──魔術機関。
そう総称される技術は、魔力を内包した鉱石である『魔石』を利用して魔法を駆動させる装置全般を指す。軍事兵器への利用を目的として国を挙げて盛んに研究された魔術機関技術は、現在では単に『魔道具』と呼ばれ、魔力が弱く魔法を扱えない多くの一般市民の豊かな生活に欠かせないものとなっていた。
その最たる魔術機関車は魔石から放出される魔力をエネルギー源として得られる浮力と推進力を利用し、あらかじめ敷設されたガイドの上を滑るように走ることができる。1両の魔術機関車に10両以上もの車両を牽引する能力があり、従来の輸送技術に大きな革新をもたらした。
そんな夢の乗り物を無感動に眺めていた目線を外し、ミオはホーム見渡す。いつ来ても人で溢れている場所だ。そう思った。先の戦争で大勢の、本当に大勢の人が死に、いくつもの街が焦土となった。そんな過去はまるで無かったみたいに活気に満ちている。そのことが妙に落ち着かないような気がする。
「おいミオ。よそ見すんなよ」
「ごめん」
友人のサミュエルに背中を叩かれ、ミオは没入しそうになっていた思考を中断させる。
「人が多くて。目が回りそうだ」
「ああ、今日は特に多いかもな。ポアリの日だし」
ミオの言葉にそう答えると、少し長い赤色の髪を揺らしながらサミュエルは前を歩く2人に声をかける。ゆっくり歩くように伝えてくれたようだ。
ミオとサミュエルの手には小さな子どもなら簡単に収まってしまいそうなほど大きなトランクが握られていた。魔法でさほど重さを感じないとはいえ、この人波の中でスムーズに歩くのは難しい。
「すまんすまん。いつもの調子で歩いてしまった」
「俺ら、お二人さんみたく足が長くないもんで」
快活に笑う魔導騎士団長に、サミュエルがへらりと笑って言葉を返す。ウィルフリッドの隣に並んでいたケイの荷物を持つという申し出をミオは首を横に振るだけで答える。その様子を横目に見ていたサミュエルが目的の車両までたどり着いたことを告げる。
発車までもう幾ばくの時間も無かった。
「ミオ。健康には気を付けて。食べ過ぎは禁物ですよ。寒くなったらきちんと上着を羽織るのを忘れないこと。勉学に勤しむことも大事ですが、きちんと息抜きもするんですよ。その辺はサミュエルに聞きなさい。多少の問題なら団長と私で何とかしますから、のびのびと過ごしなさい」
「いや今、聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ」
「黙っていてください。もし何かあったら、いや何もなくてもいつでも帰ってきていいですから。あなたが健やかであるように」
ケイはそう言ってミオを抱き寄せる。ケイの肩越しに見えるミオの顔は残暑の高い気温だけでは説明できない程に真っ赤だった。ぎゅうぎゅうと抱きしめられているミオの困ったような視線を受けてウィルフリッドがケイの肩を叩く。
「ケイ、そのままではミオが窒息するぞ」
ようやくケイの腕から解放されミオは息をつく。そのとき、ホームに発車時刻を知らせるベルが鳴り響いた。同じように別れを惜しんでいた周囲の人々が車両の乗降口に殺到する。
「2人とも! 早く乗り込め!」
「ミオ! これを! 車内で食べなさい。ああ、どうか元気で」
「はい! て、手紙! 手紙書きます!」
「おいミオ! 急げ!」
「サミュエル! ミオのこと、頼みましたよ!」
「精一杯つとめますよ!」
名残惜し気に頬に添えられたケイの手のひらをすり抜けてサミュエルに追い立てられるように列車に乗り込む。ゆっくりと動き出した車両はみるみるうちにホームに立つ2人との距離を空けていく。黒色の癖のない髪が風にさらされるのも意に介さず、ケイとウィルフリッドの姿が見えなくなるまで、ミオは乗降口から身を乗り出していた。
「もういいだろ。行こうぜ」
「うん」
駅舎が完全に視界から消えた後も何か考え込むように立ち尽くしていたミオの背中にサミュエルが声を掛けた。かさばる荷物をどうにかさばきながら、切符に書かれた個室に入る。
個室の扉を開けると正面に大きな窓がある。個室の左右の壁に座面と背もたれがクッション地になった長椅子が固定されており、向かい合って座れるようになっている。大人2人がゆうに座れるくらいの幅はあるだろうか。窓の上に取り付けられた荷物棚にトランクを乗せると、続いて入ってきたミオの様子を窺う。ミオはいつものような無表情でトランクを個室内に引っ張りこんでいた。
「何か意外だったわ」
乗車直前にケイから渡された大きなバスケットを座席の端に置き、トランクを持ち上げていたミオがサミュエルに目を向ける。
「副団長とおまえ。いつも2人で話しててもなんか他人行儀な感じしてたからさァ。あんな別れ方すると思ってなかった」
「……いや、俺も思ってなかったかも……」
トランクを荷物棚に押し込んだミオが、すとんと向かいの座席に腰かけてそっとバスケットを引き寄せる。心なしか顔が赤い。いつも飄々としてどこか掴みどころのない友人の、珍しく人間味のある様子にサミュエルはひどく愉快な気分になる。
「てか、そのバスケット何が入ってんの? 食いもん? つか、でかくね?」
「たぶん。……ああ、サンドイッチだ」
ミオがバスケットの蓋を開けると、隙間なくサンドイッチが詰め込まれていた。4、5人前といったところだろうか。大量のサンドイッチに紛れて隅の方に所在なさげな小さなポットとコップが2つ肩を寄せ合っている。
「おやつって量じゃねェだろ。ま、ミオ用だな。ポット貸して」
「あ、俺やるよ」
「あほ、ここを水槽にするつもりか」
そこまで下手じゃない、とむくれながらミオはポットを差し出す。サミュエルは笑いながらポットを受け取り、蓋を外す。中には小さな袋に小分けに入れられた茶葉がいくつか入っていた。茶葉を取り出してそのうちの1つをポットの中にあける。
ポットを持っている指先に神経を集中させると、ポットの底から水が湧き出す。水でいっぱいになったポットを窓の桟において再び指先に集中すると注ぎ口から湯気が上がる。それを見てサミュエルはポットの蓋を閉じる。
次は自分にやらせろと主張する友人をあしらいながら、トランクから適当に本を取り出す。目的地のグラントリー校までは片道4時間半の長旅である。ポットの中身を確かめているミオをちらりと見る。まあ、こいつと一緒なら退屈することはないだろうと、サミュエルは口端を少しだけ上げるのであった。
§
「はじめてだった」
列車に乗り込み1時間ほど経ったころ。まるで独り言みたいにミオがつぶやいた。先ほどまで尋常ならざるスピードで大量のサンドイッチを胃に収めていたミオがお茶の入ったカップを両手で持ち、窓の外の景色を眺めている。
行儀悪く片手でサンドイッチを食べながら本を読んでいたサミュエルは顔を上げる。山間部を走っているせいでミオの顔にまだらな形の木漏れ日が次から次へと流れていく。
「なにが?」
「ちゃんとしたお別れみたいなの」
サミュエルは食べかけのサンドイッチを口に放り込み本を閉じる。膝の上にもう片方の足を乗せて少し前かがみになってその上で頬杖をつく。ほとんど吐息みたいな相槌を打って先を促す。
ミオは一瞬だけサミュエルを見てから、再び窓の外に視線を戻す。
「お別れをしてもしなくても、また会えるかどうかには関係ないじゃないか。だから元気で、とか、また会おうって言ってる人を見ても、なんでわざわざそんなことするんだろうって思ってたんだけど」
ミオはそこで言葉を切って大きく息を吸い込んだ。しぼんでしまった肺に空気を満たすように、熾火に新しい空気を送り込むように。山地を抜けた列車は開けた草原の中を滑るように進む。
「離れたくないって思いながら、でもきっとまた会えるはずだからって……そういうふうに思ってたのかも。……自分を待ってる人がいるって、なんか変な感じだ」
「……大げさな奴」
からかい交じりに笑ったサミュエルにパッと視線を向け、じっとり睨む。サミュエルは気にせずに続ける。
「その話、次の休暇の時に副団長にしてやれよ。これからの学校生活で起きる色々も全部。夜通し話せばいい。おまえの話が終わったら、次は副団長の話を聞け。そうやって離れてた間の時間を埋めるまでがお別れの醍醐味だからな」
ミオは大きな瞳をパチパチとさせて笑みを深めたサミュエルを見る。
「寝不足になっちゃうな」
そう言ってミオは全然上達しない下手くそな笑顔で笑った。
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