孤独の水底にて心を知る

あおかりむん

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これまでのこと

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「サミュエルこっち」

「おー」


 王都にあるベーヴェルシュタム家の屋敷の広大な庭園をサミュエルはミオの後ろについて歩いていた。片手にはバケツを持ち、足元はサンダルだ。長い年月の間に角が削れて丸くなった敷石が並ぶ小径を外れて鬱蒼とした林へとミオは進んでいった。


「まだ進むのかよ?」

「もうすぐ着く」


 サミュエルの問いかけにミオが肩越しに返事をする。その言葉を信じて下草の生い茂る林の中を進んでゆくとパッと視界が開けた。


「到着」

「……王都のど真ん中でこんなでかい池が見れるとはな」


 感心したようにつぶやくサミュエルをよそにミオは手に持っていたバケツの中から細いロープを取り出している。サミュエルもその近くにバケツを置いて自分の分のロープをほどきながら目の前の池を見渡す。

 徒歩なら周囲をぐるりと巡るのにゆうに5分はかかりそうな広さだ。普通の貴族なら己の富と権勢を誇示するために殊更念入りに手入れをして見せびらかしそうなものだが、目の前にある池はひっそりとただ静かにそこにあるだけだった。

 何の気負いもなく当たり前のように広がる光景にベーヴェルシュタム家の貴族としての格の高さを感じざるを得ない。少しだけ居住まいを正したサミュエルに淡々としたミオの声が届く。


「目標は1人100匹だから」

「ひゃっ……、こんなん庭師の仕事じゃねェのかよ……」


 ロープの先にいくつも輪を作るように器用に結んでいたミオは小首を傾げる。


「そうだけど、魔法が使える奴がやった方が早いだろ」


 そう言うとバケツと一緒に持ってきていた折り畳み式の椅子を池の傍に並べ、サミュエルを手招きする。サミュエルが椅子に座るのを待たずに、ミオはロープを池へ放り込んだ。


「ザリガニ釣りなんて生まれて初めてだわ。ほんとに魔力に寄ってくるわけ?」

「うん。普通の餌とは比べ物にならないくらい。なんていうんだっけ、なんとかグミみたいな……ひ、ひ、ヒレグミ?」

「入れ食い?」

「あ、それだ」


 ミオのわけのわからない記憶違いに笑いながら、サミュエルも見よう見まねでロープを池に向かって投げた。握ったロープの端からこれまた加減がわからないので適当に魔力を流し始める。

 リスタット王国に広く分布するザリガニは雑食性でなんでもよく食べるが、魔力を帯びたものとなればそれが食べられるかどうかに関わらず、異常に食いつくという変わった特性を持っている。

 それゆえに自然魔力の濃い場所では夏に大量発生することがある。ザリガニの持つ雑食性が原因で周辺生態系を乱す恐れがあるため、駆除対象となるのだ。


「サミュエル、引き上げていいよ」


 しばらくしてからミオに促されてロープを引き寄せると、ゆうに10匹以上のザリガニが何の餌もつけていないロープにしがみついていた。うぞうぞと蠢くその姿に自然と腕のあたりにぷつぷつと鳥肌が立つ。


「きっ……もちわりィ……。うげェ……」

「初めてにしては大漁だな」


 一歩下がって完全に引いているサミュエルをよそに、ミオはひょいひょいとザリガニを鷲掴みにしてバケツに放り込んでゆく。見た目は繊細そうなくせにこういうところは大雑把というか、肝が据わっているというか。

 思わず乾いた笑いをこぼすサミュエルを振り仰いで何も気にしたふうもなくミオが言う。


「これなら100匹くらい簡単だと思わないか?」

「その前に俺のメンタルが挫けなきゃな」


 そう答えたサミュエルにミオは不思議そうに首を傾げるのだった。





 それから何回か同じようにザリガニを釣りあげるのを繰り返して、サミュエルもだいぶザリガニに慣れてきた。それでもバケツの方から聞こえるガサガサという不気味な音には気づかないふりをした。

 ずっと隣に座っていたミオがしばらく姿を消したかと思うと、大きめの石をいくつか抱えて戻ってきた。


「なんだよそれ?」

「これでザリガニを一網打尽にする」


 ザリガニ釣りに使っていたロープを今度は持ってきた石にぐるぐる巻きにし始める。サミュエルはミオが何を始めたのか分からず、ただ手際よく動く手元を見つめていた。

 ミオはロープを巻き終えた石に魔力で撚った糸を結び付けると、魔法で池の真ん中あたりに沈めた。「しばらく待ちます」という料理本にでも出てきそうなフレーズを呟いて、すとんと椅子に腰かけた。


「1カ月くらい西部に行ってたんだよ」


 ロープをミオの仕掛けに使ってしまったので、手持ち無沙汰になったサミュエルはなんとなく夏休み前半の話を始める。


「毎年行ってるところ? 親戚の人のところだっけ?」

「そう。さっきセバスチャンさんにお土産渡しといたから後で受け取って」

「あっ、そっか!」


 急に思い出したように声を上げたミオにパッと視線を向ける。ミオは少しだけ苦々しい顔で口元に手を当ててこちらを見ていた。


「旅行に行ったらお土産を買うんだよな」

「は? まあ、絶対って訳じゃねェけど大体はそうなんじゃねェの?」


 サミュエルの返答を聞いてミオは正面に向き直って唸り始める。その様子におやと思い質問をぶつける。


「なに? どっか旅行してきたのか?」

「えと、海、に行った」

「へえ。いいじゃん。どこの?」

「南部の有名なところ?」

「たしかベーヴェルシュタム家はそっちに別邸は持ってねェよな。よく宿とれたな」


 ミオが旅行に行ったなんて話は初めて聞いた。サミュエルの知る限りでは侯爵家の別邸に一度だけ避暑に行った程度ではなかったか。親友の休暇らしいイベントに興味を惹かれて質問を重ねると、ミオはどこか言いづらそうに口をもにょもにょさせた後、池の方を向いたままぽつりと言った。


「宿には泊まってない。先輩のとこにお邪魔した」


 ──先輩って誰? 先輩ってあの、白寮ホワイト・ハウスの、公爵家の、先輩?

 ミオの言葉を聞いた時にサミュエルを襲った衝撃たるや。頭を思い切り殴られたかと錯覚するほどだった。


「聞いてねェ!」

「言ってないもん」


 思わず大きな声を上げて立ち上がったサミュエルをミオは耳を押さえて見上げてくる。

 ミオに特別関心を寄せていて、ただの後輩以上に想っていて、牽制をかけてくる連中を手ずから排除するような人と? 真夏のリゾートで? 初めての旅行で? そんなのは……まるで……


「聞いてねェ!」

「だって、サミュエルは先輩の話聞きたくなさそうにする」


 同じ言葉を繰り返したサミュエルにミオはちょっと唇を突き出してそう言った。その内容には心当たりしかなくてサミュエルは閉口することになった。


「そんなこと……なくはないけど……」


 大人しくミオの言い分を認めると、彼はちょっと小首を傾げて立ち上がった。確認するように池の水面に目を走らせ、石に結び付けてあった魔力の糸を勢いよく手繰った。巻き上げられた石が凪いだ水面から勢いよく飛び出してくる。そこには遠目から見てもわかるほどに大量のザリガニが食いついていた。

 引き上げられたザリガニ達はミオの浮遊魔法で受け止められ、空中できれいに整列してバケツに入っていった。

 ミオはこんなにも精密に魔法を使えただろうか。そんな疑問も浮かんでは来るが、それよりももっと確認したいことが山ほどあった。たとえば、その先輩には無理に迫られたりはしなかったのか、とか。

 呆然と立ち尽くしていると、ザリガニをすべてバケツに入れ終えたミオがちらちらとこちらを窺いみていることに気が付いた。その真っ黒な瞳はまるで悪いことでもしてしまったかのような申し訳なさが浮かんでいる。

 それを見てサミュエルはハッと正気を取り戻した。取り乱してしまったことをばつが悪く思いつつ頭を搔いてミオと目を合わせる。


「いいよ、おまえが楽しかったんならさ」

「……うん」


 サミュエルの言葉を聞いてミオはようやく安心したように表情を緩めた。


「サミュエル、ザリガニ持って帰る? 食べる餌で青くなるらしいよ。面白そうじゃない?」

「俺の探究心はザリガニは専門外なんだよ」


 素っ頓狂なことを言うミオをあしらいつつ、サミュエルはリヒト・ベレスフォードと一度だけ面と向かって話したことを思い出す。相対する者に畏れを抱かせる、生まれながらの大貴族。

 あの時の緊張が蘇って少しだけ震えそうになる。それでも、ミオは彼のことを信用していて、そして彼もミオのことを守ることはすれども、傷つけはしないのだ。

 ──だから、大丈夫。

 きっとあの時みたいにはならない。サミュエルはどうしても床でうずくまって弱々しく震えるミオがちらついてしまう己にそうやって言い聞かせるのだった。

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