孤独の水底にて心を知る

あおかりむん

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これまでのこと

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 2か月ぶりの寮の自室に荷物を置くと、ミオは真っ先に庭へ向かうべく居室棟の階段を駆け下りた。

 長かった夏季休暇もついに終わりを告げ、ミオは再びグラントリー校へ戻ってきた。心配された大量の課題もリヒトの協力のおかげですべて終えることが出来た。とりあえずの危機を乗り越えたミオの今のところの懸案事項は紫寮の一画にあるペーターから世話を任されていた花壇のことだった。

 長期休暇の期間中は定期的に庭師が入って庭園の手入れをしていると聞いてはいたものの、期末試験前、厳密にいえば競技大会の後からほとんど庭に顔を出せていなかった。

 ずっと頭の片隅から離れなかった花壇の前へようやく訪れたミオは目の前の光景に呆然と立ち尽くした。最後に見た時にはほころび始めた蕾がいくつも並んでいたはずだ。それなのに今の花壇にはミオが植えた花々とは異なる種類の花が、記憶よりもずっと几帳面に並んで咲いていた。

 ミオはなんだか力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。花壇を視界から外すようにぐっと顔を俯けて地面を見つめた。考えてみれば当たり前だ。3カ月も放っておいた花が今も綺麗に咲いているわけがない。とっくに花は枯れて、庭師によって植え替えられていたとして、礼を言いこそすれ文句なんて言えるはずがない。

 それでも、わけもなく苛立ちに似た感情がぐるぐるとミオの中に渦巻く。自分の落ち度も庭師の役割もわかるけれど、せめて枯れ果てた花が並んでいる方がずっと良かった。

 睨みつけていた地面の上を蟻が這っている。自分の身体ほどもある他の虫の死骸を咥えて行き先をふさぐミオの靴に抗議するように何度かぶつかる。

 ぎゅっと目を瞑って、ミオは勢いよく立ち上がった。その拍子にいつの間にかすぐそばに立っていた人物とぶつかった。


「おっと」

「──ッ!」


 抱き締められるような格好になって咄嗟にその人物の胸を押して身体を離す。どくん、どくんと大きく鼓動する心臓をシャツの上から抑えて警戒をあらわにするミオに、その人物はひらひらと手のひらを振って見せた。


「べつに怪しいモンじゃない。あんたがうずくまってたから具合でも悪いのかと思ったの」

「……」


 ミオは少し間の抜けたような口調で話す男を見上げた。かなり背が高い。しかし、どこか線が細い印象を受ける体つきからか、高い位置から見下ろされてもさほど威圧感は無い。そして、その特徴的な長身には見覚えがあった。


「あ……、もしかして、新しい寮長さん……?」

「そうとも俺が新しい寮長さんのサイモン・ガイラー」


 サイモンはおどけたように肩を竦めて笑うと上げたままだった両手をようやく下ろした。


「す、すみません、俺びっくりして……」

「んー? ああ、いいよ、気にしてない。具合悪いわけじゃないんだな?」


 こくこくと頷いたミオを一瞥したサイモンはおもむろに寮へ向かって歩き始めた。数歩進んだところで振り返ると不思議そうに片眉を吊り上げて呆然と立ち尽くすミオに向かって首を傾げた。

 その仕草が寮へと戻るのを促していることにすぐに気が付いてミオは慌てて彼を追いかけた。


「今日、入寮日でうるさいからさあ、あっちにある四阿でサボってたんだよね。でも、さすがに寮長会議はサボれないよなあ、めんどいなあ……」

「はあ……」


 話しかけられているのか、独り言なのか判断が付かずミオは曖昧に相槌を打った。彼の長い脚に置いていかれないように早足で歩いていると、寮へと近付くにつれて何やら騒がしい声が聞こえてくる。

 庭園から抜け出すと玄関横の広場に数名の寮生が集まっているのが見えた。そのわきをすり抜けざまに様子を窺うと、こんもりと積みあがった土の山の横に不自然な大きな穴がぽっかりと空いていた。


「えっ」


 思わず足を止めたミオに気付いたサイモンも同じ光景を眺めた後、おもむろにそちらへと近付いた。


「あ、サイモン。さっき誰かが探してたよ」

「知らねー、ほっといていいよ。で、なにこれ?」


 サイモンに声を掛けた寮生は面白そうに笑いながら穴の中を顎で示した。穴の縁まで近付いて中を覗き込むサイモンに並んでミオも身を乗り出した。


「ん? げっ、サイモン!」

「はあ? あれ、なんでミオくんが一緒にいんの?」

「まじだ! ミオくーん! そいつから離れてー! きけーん!」


 頭のどこかで予想していた通りの声が穴の底から響いてきた。いつでも元気いっぱいの彼らの声にミオは思わず呆れそうになる。


「お前らちょっと上がってこい」

「うるせえ。命令すんな」

「寮長なんかになっちゃって優等生気取りぃ?」


 穴の中の双子にサイモンがそう言うと、彼らはぶつくさと文句を言いながら持ち込んでいたらしい箒に乗ってゆっくりと地上まで上昇してきた。普段よりも数倍素直に言うことをきいた双子に驚いてミオは思わずサイモンを見上げた。


「なにこの穴」

「明日新入生が入寮すんじゃん」

「歓迎式典的な?」

「厄落とし的な?」


 ミシェルとダニエルは両手の人差し指を頬に当てて小首を傾げて上目遣いでそう言ってのけた。そんな彼らを表情一つ変えずに見ていたサイモンは、ミシェルの手から箒を抜き取る。


「なにい? サイモンも穴の中入ってみたくなった?」

「しょうがねえな、授業いっこ代返で手を打っ……ぎゃあ!!」

「ダニエルーーー!! って、俺もおおお!!」

「えっ! ちょ、ちょっと!」


 なんとサイモンはにやにやと笑うダニエルを何も言わずに穴の中へと蹴り落とした。そして、それにあっけに取られていたミシェルも同じように穴に落とされる。


「や、やりすぎですよ!」

「いいのいいの。あいつらには口で言うより体で覚えさせないと」


 信じられないという声を上げたミオに対してサイモンは呑気に答えた。あまつさえ、穴の横に積み上げられた土を足で穴の中に戻し始めた。


「うわーっ! サイモンてめえ正気か?!!」

「お前らを埋めたらこの寮も静かになんだろ」

「それ死んでるだろうが!」

「来世はもっとましな人間になれよ」

「殺す気だ! まじで殺す気だ!」


 まったく容赦のないサイモンを見兼ねたミオが彼を止めるまで、穴の中から断末魔のような悲鳴が響き続けたのであった。

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