こうして、世界は再び色を持つ

月咲やまな

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【第8話】

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 草加邸のすぐ隣。広大な敷地を誇る湯川邸の一角にある客間に布団を敷き、葵をそこへを寝かせると、大和が彼女の手をきつく握りながら深いため息をついた。

(僕のせい…… ですよね)

 涙が零れ落ちそうになるのを、グッと堪える。まさか自分がここまで感傷的になるとは思わず、少し驚いてしまう。

(泣きたいのは葵さんだ。僕が泣いても、何も解決はしない…… )

 そう心に言い聞かせ、深呼吸をする。せめて目を覚ますまでの間だけでも隣に居てあげようと思い、葵を見詰めたまま、大和は彼女の目が開くのを待った。


 それから五分もしないうちにゆっくりと葵が瞼を開けた。見慣れぬ天井を見て、疲労感のある彼女の顔に戸惑いの色が浮かぶ。
「…… 気が付いたみたいですね」
 大和が努めて穏やかな声色で葵に声を掛けた。きょとんとした顔で声のする方を向き、葵が驚いた顔をする。
「…… 大和兄さん?何故?えっと、私は、いった…… ぃ——」
 言葉が途中で切れ、葵が黙る。そして布団から腕を出し、自らの赤い跡が大量に残る肌をジッと見詰めた。

(ああ、夢じゃないんだ…… )

 全身の気怠さと肌に残る赤い跡だけじゃなく、手首を摘まれた痕跡もある。体は汗っぽくて少し気持ちが悪い。
 あげた腕を自分の瞼の上にのせて視界を遮る。
「…… すみません、私せいです」
 大和が俯きながら葵に言った。常に冷静で穏やかないつもの声とは違い、少し震えている。だが葵には何に対しての謝罪なのか全く検討が付かず、戸惑うばかりだ。
「何が、ですか?」
「実は、彼らが草加家に入る所を私は見ていたんです。だけど私は、彼らは見るからに学生だし、知り合いなのかもしれないと思って二人を止めなかった。もっと早く様子を見に行っていれば…… 葵は…… こんな…… 」
 葵が瞼の上から腕をよけて大和を見上げると、彼は真っ青な顔をしていた。正座した膝に握った拳を置いているが、握る力が強過ぎて手の色が変わってしまっている。
 その拳の上に、葵がそっと手を乗せた。何があったのか全て知られてしまっている気恥ずかしさよりも、『兄』として慕う彼が苦しんでいる事実の方が葵には辛かった。
「…… 大和兄さんは何も悪くありませんよ」と、葵が穏やかな声で言う。
「私が二人を招き入れたんです、全ては自己責任ですから」
 場違いな笑顔でそう言うと、大和の手をギュッと握った。
 華やかさの有無の差はあれど、自分と顔立ちが似ているせいか彼らに妙な親近感を抱き、一切面識が無いのに家にあげてしまった事を後悔する。だけど…… あんな目にあったのに、葵は不思議と、彼らを恨む気持ちは全く抱いていなかった。

「そんな顔しないで下さい。私は、大和兄さんには…… ずっと、笑っていてもらいたいんですから」

 力なく笑う葵を見て、大和の胸がズキッと痛んだ。
 起きてしまった事を無かった事には出来ない。だけど少しでも心を軽くしてやれないだろうか?と大和が考える。
つかさに、相談しましょうか?彼は警官ですし、きっと力に…… 」
 大和が、警察官である友人の名前を出した。相手は高校生だが、犯罪は犯罪だ。相応の罰を与える事は充分可能だろう。
「いいえ、いいんです。私は彼らを恨んでなんかいませんよ」
 緩く首を横に振り、葵は大和の拳からそっと手を離した。彼には最愛の妻がいる。それなのに自分が長い間触れるのは申し訳ないという気持ちからだ。

 天井をジッと見詰め、葵が息をついた。解放された安堵感と、大和に全てを知られてしまった事への恥ずかしさが、改めて心によぎる。

(一番…… 知られたくない人だったのに。でも、大和兄さんはきっと全てを知ってるんだろうな、私が何をされたのかを。…… でも、私が何を思っているのかまでは知らないよね。間違った事を真実と思い、大和兄さんに重荷を背負わせたくはないなぁ…… )

 だって、私は——

「…… 私ね、大和兄さんがとても好きんです」
 天井を見上げながら、葵が呟くように言った。すぐにでも消えてしまいそうな程に小さな声だ。
 急に何を?と思うも、その言葉は言わずに「私もですよ」と大和は答えた。
「大和兄さんの好きと、私の好きは違いますよ」
 ニコッと葵が苦笑いを浮かべる。すると大和は困った顔をしながら、「なら、その想いに私は応える事は出来ません」とキッパリ言い放った。

「私は、那緒なお以外愛せない」

 “那緒”とは大和の妻の名前だ。彼らはまだ新婚で、実は彼女も、葵と同じく大和とは兄妹の様な立場で育ってきた。彼女は湯川邸で暮らし、葵は実家である草加邸で一人きり。『その差のせいで、自分は大和に愛してもらえなかったのかも』と考えた時期もあったが、今はちゃんとそれは違うとわかっている。
「大丈夫、わかっています」
 そうは言うも、やはりまだ少し心が痛む。物心ついた時には既に想いを寄せていた相手にキッパリと拒否されてしまうのは、恋愛感情がもう随分と薄れたとはいえ、それでも辛い事には変わりがない。

 一呼吸おき、葵が再び口を開く。
「その…… 気になる人が、出来たんです。でも、貴方を好きだった自分は確かにいたから、気持ちは確かに本物だっだから…… そう事を知っていてもらいたくって」
「気に…… なる人…… ?」

(そんな相手がいるというのに、葵さんは蹂躙されてしまったというのですか…… )

 大和の顔に再び苦痛に満ちた表情が浮かんだ。悔やんでも悔み切れぬ思いが心に重くのしかかる。力の入る拳に更に力が入り、掌に爪が刺さって少し血が出てきた。
「まぁ今回も、私の事は…… やっぱり見てはもらえていませんけどね」
 苦笑しながらそう囁き、葵が瞼を閉じた。誰に心を寄せようが、『自分は選ばれない子なのだ』という考えが常に付き纏い、頭から離れない。そう言えば大和友人の中には『片思いこそが至高の愛だ』とよく言っていた人がいたなと不意に思い出したが、自分には無理そうだと葵は心の中で否定した。

「私はきっと、誰にも愛してはもらえないんでしょうね」

「そんな事はありませんよ。葵さんはとても素敵な女性ですから」
 自分を選んではくれなかった人に言われても、正直なところ何の気休めにもならない。だけど葵は胸の内をそんな気持ちをそっと隠した。
「…… 両親が死んだあの日、私も一緒に死んだんです。だから私は誰の視界にも入らない。誰の世界にも入れない…… 誰にも、見てはもらえない…… 」
 消え入るような声で葵が言う。
 気に掛けてくれる人は沢山いる。でもそれは全て、『この地域の有力者である湯川のお爺さまに頼まれたからだ』と葵は考えている。だから彼女は、誰も“自分自身”を見てはくれていないのだと常々思っていた。

「ずっと誰かに片想いをして、誰にも想われる事無く、消えていくんだろうなぁ」

「…… 葵さん」
「自分しか居ない世界で…… 」
「君の世界には、僕達の存在は無いのですか?」
 大和がぽつりと呟いた。自分だけじゃない、花屋の美鈴も喫茶店の鈴音も、彼の妻である那緒だって葵を妹の様に思い、気に掛けているのに、彼女には届いていなかったのかと思うと不甲斐なさで胸が痛む。

「だって…… 所詮、他人じゃないですか。ずっと一緒には居られない。私の世界には、私しか居ないんですよ」

「そんな事言わないで下さい…… 葵を気に掛けている人達は多くいるのですから」
 悲しげな表情で、大和が言った。
「わかっていますよ、すみません…… 。でも、私が恋人として愛してはもらえない事は事実でしょう?」
 一切の言葉の返せぬ大和は、黙って瞳を閉じた。
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