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03 アリス、爆誕
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ご丁寧な事に、生地のしっかりした貴族の女性が街に出る時に着るようなお綺麗な衣装も化粧美人は置いていったから、そりゃ着るよね。そしてもう一度鏡の前に行くよね。そりゃあもうどこから見ても良いところのお家のお嬢様の出来上がりだった。
鏡の中が異世界のようだ。自分とは思えない完成された美。俺は鏡の前でくるくると回って、どの角度からも完璧な美少女ぶりに酔いしれた。酔いしれて酔った俺はハイのまま外にふらりと出てしまった。女の靴などない。うん。履き古したヨレヨレの靴を履こうともスカートの中で隠れるから問題ないな。謎のポジティブを発揮して、フラリと外に出た俺は、早速近所の八百屋の親父から話かけられ我に返った。
俺は一体何を? 30才童貞男が女装して街をぶらついてるなんて、なんて高リスクおかしちゃったんだ。
「お嬢様。こちらリンゴの名産地のポーチ地方で取れた美味しいリンゴです」
俺は渡されたリンゴを手に取ると、シャクリと噛んだ。
「……美味しい」
1オクターブ高い声で呟いた俺はお金を持ってきていない事に気がついた。
「あの。代金ーー」
「いいんです! いいんです! お嬢様のような高貴なお方からお代なんていただけません! このリンゴもお美しいお嬢様に食べてもらえて喜んでます」
人好きのする笑顔で俺に笑いかける店主に、俺はポカンと口を開けた。
何か悪い物でも食べたんだろうか? いつもはしおたれた人参とか平気で俺に売り付けてくる男が。頬を染めてタダで高級なリンゴをくれるなんて。
「あ、ありがとう」
「喜んでっ」
何が?
その一件で我に返った俺は急いで家に帰った。
バクバク……
心臓が飛び出しそうだ。俺だとバレるかもしれない恐怖なんかじゃない。もっと別の、ワクワクするような高揚感。
それにしても八百屋の親父のリンゴみたいな真っ赤な顔ったら傑作だった。いつもは適当にあしらう俺相手に、まるで恋する男の顔をして。まるであれはーー
「ーー下僕じゃないか」
ああ、気持ちいい。
腹の底から湧き上がってくるゾクゾクしたものに俺は夢中になっていた。
家に着くと洗面所へ直行した俺は鏡の中前へ立つと、美少女に向って笑った。
俺が笑うと美少女も笑う。
「ーーこれ、普通に顔洗うだけで落ちるのか?」
突然、現実に戻った俺はそれから石鹸で何度も顔を洗うことになった。
だってこの化粧、全然落ちやしないんだ。
「ーー顔が赤いな。熱でもあるんじゃないのか」
形の良い整った口を手で覆いながら、うつすなよと俺を睨みつける上司に俺は思いっ切り顔を振って否定した。
「いいえ。違いますっ。ちょっと顔を洗い過ぎてしまって」
「顔を洗い過ぎるとは? そんなに汚れたのか? すす掃除でもしたのか?」
生憎俺は安アパート住いで暖炉のついた煙突なんてついてやしない。
「いえ。そういう訳では……」
「まぁ、いい。こちらへ来るんだ」
上司は来いと言いながら俺に強引に近付くと、ヒリヒリする顔を手で覆った。
ひんやりとした上司の手が触れ、気持ちいいと思ってしまった次にはじんわりと暖かいものに包まれた。
「あっ、どうもありがとうございます」
最近、癒やしの力を大盤振る舞い過ぎやしないか。うちのパワハラ上司は聖人の地位でも狙っているのだろうか。人にパワハラしまくっといて絶対ないからザマミロ。
「ーーちっ。だから君は駄目なんだ」
急に不機嫌なオーラを纏い出した上司に謎のダメ出しをされる。何事? 意味が分からない。ああ、理不尽。
「本来、癒やしの力は君のような者が受ける事など一生出来ないものなんだ。それを当たり前のように思って貰っては不愉快だ」
はー!? だったらしなくて結構なんだよっ。おととい来やがれっ。クソ上司っ。
「申し訳ありません。私のような者が尊いお力を当然のように受けてしまって。あはは。光栄だなぁ。明日からも頑張れるなぁ」
くぅっ。社畜っ。自分が情けない。
「だからいつも笑うなと言っている。こちらは真剣に指導しているんだ。君は私を馬鹿にしているのか」
「そうですよね。申し訳ありません」
「そうですよね。とは何だ。君はいつもその言葉を言うが、分かっているならしないだろう」
「申し訳ありません」
しゅん。と顔を下げれば上司はプイと行ってしまった。今日は機嫌が悪い。触らぬ上司に祟りなしだ。それにしても細い事をネチネチと小さすぎる。ああ、ストレスがたまる。その日俺は家に帰って、簡単な料理を作って食べて、風呂に入って、そして化粧をした。
「ーーなんでこうなった?」
鏡の中には化粧の濃い女装した平凡な男がいた。
こんなはずじゃない。俺は化粧映えする平凡な男のはずだ。自信は「美少女メイク。これであなたも美少女に」という分厚い化粧の本を買いに行く方向に暴走した。それからの俺は家に帰っては化粧をしてどんどん腕を磨いていった。上司に理不尽なパワハラを受けた日には特に頑張れた。
「ーー俺はまだ、こんなもんじゃない」
あの日会った鏡の中の美少女に会うべく俺は寝る間も惜しんで化粧に没頭した。
「ーー久しぶり」
1ヶ月ぶりに会った鏡の中の美少女に俺は笑いかけた。俺が笑えば美少女も笑う。
「会いたかった」
くしゃりと美少女が泣き笑いをした。
美少女は泣いても美少女だった。
「アリス。君の名はアリスだ」
その日、愛されアリスが誕生した。
鏡の中が異世界のようだ。自分とは思えない完成された美。俺は鏡の前でくるくると回って、どの角度からも完璧な美少女ぶりに酔いしれた。酔いしれて酔った俺はハイのまま外にふらりと出てしまった。女の靴などない。うん。履き古したヨレヨレの靴を履こうともスカートの中で隠れるから問題ないな。謎のポジティブを発揮して、フラリと外に出た俺は、早速近所の八百屋の親父から話かけられ我に返った。
俺は一体何を? 30才童貞男が女装して街をぶらついてるなんて、なんて高リスクおかしちゃったんだ。
「お嬢様。こちらリンゴの名産地のポーチ地方で取れた美味しいリンゴです」
俺は渡されたリンゴを手に取ると、シャクリと噛んだ。
「……美味しい」
1オクターブ高い声で呟いた俺はお金を持ってきていない事に気がついた。
「あの。代金ーー」
「いいんです! いいんです! お嬢様のような高貴なお方からお代なんていただけません! このリンゴもお美しいお嬢様に食べてもらえて喜んでます」
人好きのする笑顔で俺に笑いかける店主に、俺はポカンと口を開けた。
何か悪い物でも食べたんだろうか? いつもはしおたれた人参とか平気で俺に売り付けてくる男が。頬を染めてタダで高級なリンゴをくれるなんて。
「あ、ありがとう」
「喜んでっ」
何が?
その一件で我に返った俺は急いで家に帰った。
バクバク……
心臓が飛び出しそうだ。俺だとバレるかもしれない恐怖なんかじゃない。もっと別の、ワクワクするような高揚感。
それにしても八百屋の親父のリンゴみたいな真っ赤な顔ったら傑作だった。いつもは適当にあしらう俺相手に、まるで恋する男の顔をして。まるであれはーー
「ーー下僕じゃないか」
ああ、気持ちいい。
腹の底から湧き上がってくるゾクゾクしたものに俺は夢中になっていた。
家に着くと洗面所へ直行した俺は鏡の中前へ立つと、美少女に向って笑った。
俺が笑うと美少女も笑う。
「ーーこれ、普通に顔洗うだけで落ちるのか?」
突然、現実に戻った俺はそれから石鹸で何度も顔を洗うことになった。
だってこの化粧、全然落ちやしないんだ。
「ーー顔が赤いな。熱でもあるんじゃないのか」
形の良い整った口を手で覆いながら、うつすなよと俺を睨みつける上司に俺は思いっ切り顔を振って否定した。
「いいえ。違いますっ。ちょっと顔を洗い過ぎてしまって」
「顔を洗い過ぎるとは? そんなに汚れたのか? すす掃除でもしたのか?」
生憎俺は安アパート住いで暖炉のついた煙突なんてついてやしない。
「いえ。そういう訳では……」
「まぁ、いい。こちらへ来るんだ」
上司は来いと言いながら俺に強引に近付くと、ヒリヒリする顔を手で覆った。
ひんやりとした上司の手が触れ、気持ちいいと思ってしまった次にはじんわりと暖かいものに包まれた。
「あっ、どうもありがとうございます」
最近、癒やしの力を大盤振る舞い過ぎやしないか。うちのパワハラ上司は聖人の地位でも狙っているのだろうか。人にパワハラしまくっといて絶対ないからザマミロ。
「ーーちっ。だから君は駄目なんだ」
急に不機嫌なオーラを纏い出した上司に謎のダメ出しをされる。何事? 意味が分からない。ああ、理不尽。
「本来、癒やしの力は君のような者が受ける事など一生出来ないものなんだ。それを当たり前のように思って貰っては不愉快だ」
はー!? だったらしなくて結構なんだよっ。おととい来やがれっ。クソ上司っ。
「申し訳ありません。私のような者が尊いお力を当然のように受けてしまって。あはは。光栄だなぁ。明日からも頑張れるなぁ」
くぅっ。社畜っ。自分が情けない。
「だからいつも笑うなと言っている。こちらは真剣に指導しているんだ。君は私を馬鹿にしているのか」
「そうですよね。申し訳ありません」
「そうですよね。とは何だ。君はいつもその言葉を言うが、分かっているならしないだろう」
「申し訳ありません」
しゅん。と顔を下げれば上司はプイと行ってしまった。今日は機嫌が悪い。触らぬ上司に祟りなしだ。それにしても細い事をネチネチと小さすぎる。ああ、ストレスがたまる。その日俺は家に帰って、簡単な料理を作って食べて、風呂に入って、そして化粧をした。
「ーーなんでこうなった?」
鏡の中には化粧の濃い女装した平凡な男がいた。
こんなはずじゃない。俺は化粧映えする平凡な男のはずだ。自信は「美少女メイク。これであなたも美少女に」という分厚い化粧の本を買いに行く方向に暴走した。それからの俺は家に帰っては化粧をしてどんどん腕を磨いていった。上司に理不尽なパワハラを受けた日には特に頑張れた。
「ーー俺はまだ、こんなもんじゃない」
あの日会った鏡の中の美少女に会うべく俺は寝る間も惜しんで化粧に没頭した。
「ーー久しぶり」
1ヶ月ぶりに会った鏡の中の美少女に俺は笑いかけた。俺が笑えば美少女も笑う。
「会いたかった」
くしゃりと美少女が泣き笑いをした。
美少女は泣いても美少女だった。
「アリス。君の名はアリスだ」
その日、愛されアリスが誕生した。
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