美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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序章 ウタ紡ぎ

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 晴天の日に青空を見上げると、きらきら煌めく光の粒子がよく見える。耳を澄ませば繊細な煌めきの奏でる音色が聞こえてくるようだ。
 しばらく耳をそばだて、やがて銀色の睫毛を下ろした。
 細く息を吸い込んで、思い浮かんだ音を紡ぐ。
 すると粒子の煌めきは一層華やぎ、セレストの瞳に映る色彩は、鮮やかさを増すようだった。
 

 〇*〇*〇


「ここが例の森だ」
「”いかにも” って感じだな。リュエル、どうだ?」

 大きな灰色の瞳が窺うようにこちらを見上げた。同い年のテオは《なんでも屋》の店員。仲介人としてここにいる。

「そうだな…」

 木々の向こうに意識を集中してみる。なんだか、妙な感じだ。通常、自然の中には精靈せいれいがたくさんいるのだが、この森はその氣配があまりに薄い。
 おそらく、精靈たちはこの森を離れつつある。
 精靈の輝きは生命エネルギーそのもの。それがなくなれば、大地は枯れる。

「あと数日なら」
「それは、数日後には手遅れかもしれないということか?」

 村長が長い三つ編みを揺らしてあわあわと詰め寄ってきた。
 おれはさりげなく後退し、青褪めた顔から目を逸らす。

「そのカムナギは、急いで来てくれるんだろ? それなら、その人に任せれば、」
「手遅れになっては困るのだ! 崩落した山もあると聞く」
「精靈の怒りで火山が爆発したとかな」
「テオ」

 余計なことを言う口を塞ぐように睨むと、テオはおどけて肩をすくめた。短く切られた前髪のおかげで、ひょいと上げられた短い眉毛までよく見える。
 ――小さな村の住人からテオに依頼が来たのは昨日。依頼書によると、村の西側の森の様子がおかしく、至急 “ウタ紡ぎ” を寄越してほしいとのこと。どうやらその村は、人助けのつもりで都会から来た研究者に土地を貸したらしい。近々カムナギが来る予定ではあるが、それまで森が持つのか気が気でないという。
 幸い、おれの予定もなく――まだ学生だが、学問所へ行くことを強制されているわけではない――移動の陣が近くにある村だったので、翌日には現地入りできた。

「すでに装置は止めさせた。皆、この森を大切に思っているんだ。……どうか、精靈たちに伝えておくれ」

 村長からにじり寄られ、後ろ頭をガシガシ掻いてしまう。
 視界に映る光が物言いたげに煌めいた。観念して、大きく息を吐く。

「おれは正式なカムナギじゃない。期待する結果にならないかもしれない。それでもいいなら、」
「いいとも!! 噂に聞きしリュエル殿。君は本物だ!」

 大柄な男が円らな瞳をキラキラさせるので、頬が引きつった。

「っわかったから。ここでじっとしていてくれ」
「頼んだぞ!」

 村長を押しやり、テオに目をやる。小さく頷いたのを見て、静まりかえった森の奥へと足を進ませた。
 森は昼間なのに暗ぼったく、寒々しい。この華やぐ季節に、花はおろか葉のついた木すら見当たらなかった。鳥の声も動物の氣配もなく、薄気味悪い。
 以前、精靈たちが人間の行いに腹を立て、あわや山火事という現場へ赴いたことがあるのだが、ここは真逆の様相だ。いったい、研究者とやらは何をしたのだろう。
 ふと、川のイメージが浮かんだ。魚がぷかぷか浮いている。なるほど、こんな水では生きられない。

「だからみんな、出て行く選択をしたんだな」

 おれは生氣のない木にそっと手を当てる。そうして、ゆっくりと目蓋を閉じた。
 音は閃きのように降ってきて、唇から自然に発せられる。薄い硝子の欠片を拾い集めたような旋律だ。森の隅々までゆっくりと浸透していく。
 ――その声は、入り口付近で帰りを待つ村長たちにまで届いていた。

「おお…! なんと儚い……あぁ…」

 村長からすると、罪悪感に押し潰されそうな音色である。
 研究者らは人々の役に立つ研究をすると言い、内容を説明してきた。小難しい言葉ばかりで、正直に言って理解不能だったのだ。それでも誠実そうに見えたので、住人たちは彼らを受け入れた。
 他所から来た彼らがこの地のことを何も考えていないとわかったのは、森に異変が起きてからだった。

「俺っちは森を大切に思ってきた。その心は、今も変わらねえ」
「そうだよ。あたしらも、この森と生きてきたんだ」

 村人たちは居ても立ってもいられず胸の前で指を組み、森に向かって心を尽くした。
 テオはシャツの胸元を握り締める。
 リュエルの声はあまりに綺麗で、何度聞いても胸が苦しい。最後の音が染み渡り、森に静寂が戻った。


「リュエル殿! どうであろうか、精靈たちは…」

 前のめりの村長が、仄暗い森から出てきたおれを出迎えた。緊張した面持ちだ。おれはかすかに眉尻が下がった。

「ここの精靈たちは、みんなこの森が気に入ってた。誰も、出て行きたいなんて思ってなかったんだ」

 それでも、……いや、だからこそ、見ていられなくなって、ここを去ったのかもしれない。

「あんたらの心を知って、留まることにした精靈も一定数いる。……この森は、回復できる」

 確信を持って言えば、村長の顔がパァーッと明るくなる。
 村長はおもむろに逞しい腕を広げると、突進する勢いでおれを抱き締めた。

「よかっ、よかった! よかったぁ!!  ああありがとうリュエル殿…!」

 なんという腕力。胸板に激突した顔面が痛い。

「っ、ちょ、テオっ、笑ってないで助けろ!」
「ははっ、はいはいっと」

 そこかしこで歓声が上がり、すぐに祭りのような騒ぎとなった。

「兄ちゃんら、ここさ泊まってけ。 今夜はご馳走だ!」
「よし来た! リュエル、一晩くらい良いだろ? あー、家族に伝書飛ばすか?」
「……いい。ちょっと寝てくる」
「おー」

 おれは小さく欠伸し、お祭り騒ぎから抜け出した。
 ふと空に目をやれば、雲間から光が射してキラキラと森を照らしている。美しい光景に目を細め、畑の脇の斜面を登ったところで、雑草が生い茂った一角を発見した。ほどよく木陰になっており、昼寝にちょうどいい。
 睡魔に負けて、ごろんと横になる。依頼を受けてウタを紡ぐといつもこうだ。

「テキトーに紡ぐときは、こんな事ないんだけどな…」

 森で感じた悲しみや怒りがまだ胸に渦巻いている。
 目蓋を下ろせば草の香りに包まれて、身体に入っていた力が抜けた。そうして泥のような眠りに落ちた。

 ふっと目蓋を上げる。
 空が橙色になっていた。月が存在感を放ち始めている。
 何時間も休んだはずだが、あんまり寝た気がしない。おれはのそりと上体を起こし、小さく息を吐きだした。

「さむっ」

 ぶるりと身体が震える。
 辺りはすっかり日陰になって、吹き抜ける風の冷たさが沁みる。よいせと立ち上がり、暖かな光を求めて遠くへ目をやった。

「戻るか」

 そろそろ、テオが探しに来るだろう。
 斜面を降りていると、人の話し声が聞こえてきた。

「いや本当に。こんなに早く到着されるとは、」

 この声は村長か。もしかして、カムナギの一行が到着したのか。数日掛かるという話だったが――。

「アルシャ、どうする。このまま向かうか?」
「一休憩した方が良いのでは」
「大丈夫。そこまで疲れてないよ」
「あー、そのー、急いで来ていただいたのに、申し訳ないのだが…、」

 話し声に集中して無意識に足を動かしていたところ、民家の角を曲がったところで彼らと出くわした。
 金髪の人がこちらを向いて息を呑む。橙色の世界で暖色の輝きを放つその衣装は、青空の下では柔らかな白に違いない。マントの裏生地は黒色で、表の白を際立たせていた。

『アルシャ、どうする』

 アルシャ。アルシャ・ルーマ。その名は知っている。アルシャは巷で有名な、優れたカムナギを輩出する名家の御曹司なのである。

「リュエル…?」

 かすかな声が耳に届いて、目を瞬いた。

「……実は、彼に頼んで、事を納めた次第であって」

 村長は額に浮かんだ大粒の汗を忙しなく拭う。そのとき、アルシャの背後から眼鏡の人が歩み出て、腕を組んだ。

「なるほど。最近噂を耳にするようになった “彼” ですね。道理で、妙だと思いましたよ」
「本当にオレらより年下っぽいな。大したもんだぜ」

 眼鏡の隣でひょっこりと顔を覗かせた赤髪の人が、ニッと笑った。

「ですが聖界では、彼の活動を問題視する声が大きいです。彼はカムナギとして、公認されていないのですから」

 聖界とは、カムナギを中心に発展した貴族社会のようなものだ。
 おれは聞かなかったことにして、その場を立ち去ろうとした。

「っリュエル。リュエル・フラム」

 振り返ってしまったのは、衝動に近い。
 暮れそうな空の下、最後の光を身に纏い、煌めく金髪。アルシャの口から溢れでた声が、まだ辺りを漂っている。逆光で顔が見えない。彼はいま、どのような表情をしているのだろう――。
 沈黙を破ったのは、村長だった。

「リュエル殿、この方はアルシャ・ルーマ殿。いやぁ、お目にかかれて光栄、光栄。アルシャ殿が来られると知っていたら…。いやいや、リュエル殿にはもちろん感謝している!」

 村長は話しながらアルシャへ向いた顔をこちらへ戻し、今度はアルシャの両脇に控えている二人の方を向いた。

「我々には聖界のことはわからんが、彼を責めないでくれ。頼んだのはこちらなのだ」

 すると、眼鏡をカチリと上げて左側の人が言う。

「責めませんよ、我々は。アルシャが彼を肯定的に捉えているので」
「だな」

 右側の赤髪が肩をすくめた。そこで眼鏡の人が真っ直ぐにおれを捉える。

「とはいえ、忠告はしておきます。聖界には、過激な者もいるのです」
「……そりゃどうも」

 おれは顎を引き、撫然と応えた。
 ぎこちない空気の中、ふと、アルシャが口を開く。

「いっそのこと、正式なカムナギになってしまえば?」
「たしかに、リュエル殿は公認されていないのがむしろ不思議であるな…」

 村長が腕を組んでフムと唸る。突然の提案に困惑したのはおれだ。

「おれは、……このままでいい」

 そっぽを向いて、どうにか答えた。

「志があるなら推薦状を渡すよ。それがあれば、フィーデルに入学できる」

 フィーデルは聖界が誇る全寮制の学び舎。カムナギを目指すには、うってつけの場所である。けれどもおれは首を振り、ありがたい申し出を断った。

「ただでさえ学び舎ってやつは、窮屈で仕方ない」

 集団行動は性に合わないし、人との関わりは億劫で、勉強も好きではない。そんなわけで、地元の学問所にもろくに通っていないのだ。

「……例の森とは、あちらに見える?」

 さっさと背中を向けて歩き出したおれの背後で、アルシャが苦笑まじりに話題を切り替えていた。

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