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序章 ウタ紡ぎ
五
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◯*◯*◯
《なんでも屋》は、わりと大きな通りにある。緑色のドアが洒落た感じだ。しかしながら周囲に溶け込む店構えで、意識していなければ素通りしてしまうほどである。
カランカラン
入口のドアを開けば、耳に馴染んだベルの音。小ぢんまりとした店舗の奥にカウンターがあり、顔を上げたテオがこちらを向く。
「リュエル、おはよ」
いつも通りに応じようとして、言葉を呑んだ。最近ではおれの特等席となっているソファに、こんな所で会うはずのない先客がいたのだ。
「やぁ、おはよう」
「……なんであんたがいるんだよ」
唖然と立ち尽くす。
「以前会ったとき、テオにお店の場所を聞いたんだ。近くへ来たら寄ろうと思って」
日々忙しなく津々浦々を訪れているであろうアルシャは、「やっと来られた」と言って、ふわりと微笑んだ。
以前アルシャと遭遇したのは花々が咲き誇る頃だった。季節は巡り、近ごろでは夏の訪れを感じている。今日のアルシャは私服なのに、やはりキラキラだ。シンプルな服装でありながら、そこはかとなく漂う貴族感。思わず頬がヒクリと動いた。
「それ、地元の制服? そういう格好も似合うね」
おれは無言で上着を脱いだ。
「これから学問所に行くのかい」
「行かねえ」
「リュエル、いつまで突っ立ってんだよ」
テオが二人前の紅茶を淹れて持って来た。それを見て、アルシャの向かいにあるソファの端に腰を落ち着ける。テオは腰に手を当て、アルシャに言った。
「こいつが制服着て行く場所といったらここさ」
「彼はいつも、ここにいるんだ?」
「依頼がないときは、ここでバイトしてるよ」
テオとアルシャが打ち解けた様子で話していても、違和感はない。テオは誰とでもそうなのだ。
「接客以外は手伝ってくれるよな。けっこう助かってる。うちの店主はぐーたらで、昼まで起きてこないんだから」
店主は店の二階に住んでおり、起きて来ても仕事をするとは限らない。テオの淹れる紅茶や手料理目当てに降りてくるのだと、おれは思っている。
「君が店主かと思ったよ」
「ははっ、よく言われる」
おれは二人の会話を聞きながらティーカップを傾けた。
「あ。リュエル、ちょっと出てくるから留守番よろしく」
「、は」
「すぐ戻る!」
「ちょ、おいっ」
カランカランと鳴るベルの小気味良いこと。
(こんな時に…)
ここにはアルシャがいるのだ。テオがいなくなったら、二人きりになってしまう。どうしていいのかわからず固まっていたところ、アルシャが口許を手で隠すようにして言った。
「君への依頼は、頻繁に来るのかい?」
おれはティーカップの揺れる水面を見詰めて言葉を返す。
「……だんだん増えてて、この頃は、それなりに」
「身体、ツラくない?」
「べつに、平気だ」
緊張を孕んだ声は硬くなる。突き放すような口調になったことに動揺し、おれは慌てて言葉を繋いだ。
「あんたはツラいのか」
「少しね。君はタフだよ」
アルシャは小さく息を吐き、ソファに深く沈みこむ。
「カムナギが紡ぐウタは、言祝ぎや喜びのウタが主なんだ。本来は、そういう想いを伝えるものだから」
おれは息をひそめてアルシャの言葉を聞いていた。
「この頃は、そうでない事もぼちぼちあって…。この間、君がやり遂げてくれた時もそうだった。ああいうのは、多くのカムナギにとってイレギュラーなんだ。慣れていないし、やりたがらない」
だから、なかなかカムナギが来てくれなかったりするのか。単純に人手が足りないのだと思っていた。
「それにね、そういったウタはエネルギーを多く消耗するから、身体に負担がかかるんだ。人によっては、回復までに数日を要する」
「あんたは?」
「わりと平気かな。睡眠と水分と日光浴で、翌日にはけろっとしてる。身体はね。けれど、心は違う」
おれは静かに睫毛を伏せる。
「君も感じているはずだ」
無意識のうちに手が動き、シャツの胸元を握り締めていた。
「カムナギになれば、そんな依頼ばかりじゃない。ずっと多く、喜びを紡ぐ機会がある。だから僕はやっていけてると思うんだ」
ああ、アルシャはそれを伝えるために、ここへ来てくれたのか。何度か瞬きを繰り返し、ようやく声を発することができた。
「おれはカムナギでもないのに、こんな事、やらせてもらってて、」
「君が思っている以上に凄いことだよ。新人の受ける依頼ではないし、玄人でも躊躇する」
「おれにピッタリだ。正式なカムナギでない分、気負わずに済む」
「君は本当に、それで満足?」
シンと静まり返った店内に、チリンチリンと小気味良いベルの音。
「ただいま~。そこでラルジュさんと会ってさ、……なんかあった?」
「僕はそろそろお暇するよ。テオ、美味しい紅茶をありがとう。……それじゃあリュエル、またね」
アルシャと入れ替わりにテオとラルジュが入ってくる。ラルジュとすれ違うとき、アルシャがなんだか微妙な表情をしていたような――。
再び鳴ったベルの音が消える頃、おれはソファにボフリと沈んで深く息を吐きだした。
「なにか言われたのかい?」
アルシャが座っていたところに、今度はラルジュが腰掛ける。ラルジュもすっかりこの店の常連だ。学問所に通っているらしく、休日に訪ねて来ることが多い。依頼を受けたときにテオが同行を頼むのも、毎度のことになっている。
通り様にこちらへ目をやり、テオが続いた。
「また誘われたのか? カムナギにならないか、って」
「……まぁな」
テオはラルジュにも紅茶を用意し、カウンターに肘をつく。
「熱心なこった」
「俺もそれがいいと思うよ」
ラルジュにまで言われ、おれは眉根を寄せた。
「なりたくないのかい?」
「そうじゃないけど…」
「何か、問題でも?」
ムッと口を噤んで、睫毛を伏せる。ラルジュはおれの言葉を待っているようで、振る舞われた紅茶をマッタリ飲んだ。
「……うちには、聖典もないし」
呟くように出た言葉に、ラルジュが首を傾げる。
「聖典がないとカムナギになれないという決まりはないよ」
「っおれは庶民だ。勉強も好きじゃない。もう活動できてるんだから、それでいいだろ」
おれは紅茶を飲み干し、話は済んだとばかりに立ち上がる。
「俺はね、リュエル。君を聖界に利用されたくないんだ」
「……利用?」
「聞いてないのかい。君が引き受けているような依頼は、避けられがちだ。このままでは、みんながやりたがらない事を押し付けられる役目になりかねない」
――リュエルがやればいいだろう。そう思われて、ますますカムナギたちがやらなくなるかもしれない。
「そんなの…、今だって、カムナギがなかなか来ないって言う所があるんだぜ?」
黙って聞いていたテオが大げさに肩をすくめた。ラルジュは頷いてこちらを向く。
「君の存在は聖界を揺るがす。このまま活動を続けても、カムナギを目指しても」
おれはハッとしてラルジュを捉えた。
「あんた、ホントに何者だ? おれの家のこと、……」
なにも語らない糸目に唇を引き結び、《なんでも屋》を飛び出した。
《なんでも屋》は、わりと大きな通りにある。緑色のドアが洒落た感じだ。しかしながら周囲に溶け込む店構えで、意識していなければ素通りしてしまうほどである。
カランカラン
入口のドアを開けば、耳に馴染んだベルの音。小ぢんまりとした店舗の奥にカウンターがあり、顔を上げたテオがこちらを向く。
「リュエル、おはよ」
いつも通りに応じようとして、言葉を呑んだ。最近ではおれの特等席となっているソファに、こんな所で会うはずのない先客がいたのだ。
「やぁ、おはよう」
「……なんであんたがいるんだよ」
唖然と立ち尽くす。
「以前会ったとき、テオにお店の場所を聞いたんだ。近くへ来たら寄ろうと思って」
日々忙しなく津々浦々を訪れているであろうアルシャは、「やっと来られた」と言って、ふわりと微笑んだ。
以前アルシャと遭遇したのは花々が咲き誇る頃だった。季節は巡り、近ごろでは夏の訪れを感じている。今日のアルシャは私服なのに、やはりキラキラだ。シンプルな服装でありながら、そこはかとなく漂う貴族感。思わず頬がヒクリと動いた。
「それ、地元の制服? そういう格好も似合うね」
おれは無言で上着を脱いだ。
「これから学問所に行くのかい」
「行かねえ」
「リュエル、いつまで突っ立ってんだよ」
テオが二人前の紅茶を淹れて持って来た。それを見て、アルシャの向かいにあるソファの端に腰を落ち着ける。テオは腰に手を当て、アルシャに言った。
「こいつが制服着て行く場所といったらここさ」
「彼はいつも、ここにいるんだ?」
「依頼がないときは、ここでバイトしてるよ」
テオとアルシャが打ち解けた様子で話していても、違和感はない。テオは誰とでもそうなのだ。
「接客以外は手伝ってくれるよな。けっこう助かってる。うちの店主はぐーたらで、昼まで起きてこないんだから」
店主は店の二階に住んでおり、起きて来ても仕事をするとは限らない。テオの淹れる紅茶や手料理目当てに降りてくるのだと、おれは思っている。
「君が店主かと思ったよ」
「ははっ、よく言われる」
おれは二人の会話を聞きながらティーカップを傾けた。
「あ。リュエル、ちょっと出てくるから留守番よろしく」
「、は」
「すぐ戻る!」
「ちょ、おいっ」
カランカランと鳴るベルの小気味良いこと。
(こんな時に…)
ここにはアルシャがいるのだ。テオがいなくなったら、二人きりになってしまう。どうしていいのかわからず固まっていたところ、アルシャが口許を手で隠すようにして言った。
「君への依頼は、頻繁に来るのかい?」
おれはティーカップの揺れる水面を見詰めて言葉を返す。
「……だんだん増えてて、この頃は、それなりに」
「身体、ツラくない?」
「べつに、平気だ」
緊張を孕んだ声は硬くなる。突き放すような口調になったことに動揺し、おれは慌てて言葉を繋いだ。
「あんたはツラいのか」
「少しね。君はタフだよ」
アルシャは小さく息を吐き、ソファに深く沈みこむ。
「カムナギが紡ぐウタは、言祝ぎや喜びのウタが主なんだ。本来は、そういう想いを伝えるものだから」
おれは息をひそめてアルシャの言葉を聞いていた。
「この頃は、そうでない事もぼちぼちあって…。この間、君がやり遂げてくれた時もそうだった。ああいうのは、多くのカムナギにとってイレギュラーなんだ。慣れていないし、やりたがらない」
だから、なかなかカムナギが来てくれなかったりするのか。単純に人手が足りないのだと思っていた。
「それにね、そういったウタはエネルギーを多く消耗するから、身体に負担がかかるんだ。人によっては、回復までに数日を要する」
「あんたは?」
「わりと平気かな。睡眠と水分と日光浴で、翌日にはけろっとしてる。身体はね。けれど、心は違う」
おれは静かに睫毛を伏せる。
「君も感じているはずだ」
無意識のうちに手が動き、シャツの胸元を握り締めていた。
「カムナギになれば、そんな依頼ばかりじゃない。ずっと多く、喜びを紡ぐ機会がある。だから僕はやっていけてると思うんだ」
ああ、アルシャはそれを伝えるために、ここへ来てくれたのか。何度か瞬きを繰り返し、ようやく声を発することができた。
「おれはカムナギでもないのに、こんな事、やらせてもらってて、」
「君が思っている以上に凄いことだよ。新人の受ける依頼ではないし、玄人でも躊躇する」
「おれにピッタリだ。正式なカムナギでない分、気負わずに済む」
「君は本当に、それで満足?」
シンと静まり返った店内に、チリンチリンと小気味良いベルの音。
「ただいま~。そこでラルジュさんと会ってさ、……なんかあった?」
「僕はそろそろお暇するよ。テオ、美味しい紅茶をありがとう。……それじゃあリュエル、またね」
アルシャと入れ替わりにテオとラルジュが入ってくる。ラルジュとすれ違うとき、アルシャがなんだか微妙な表情をしていたような――。
再び鳴ったベルの音が消える頃、おれはソファにボフリと沈んで深く息を吐きだした。
「なにか言われたのかい?」
アルシャが座っていたところに、今度はラルジュが腰掛ける。ラルジュもすっかりこの店の常連だ。学問所に通っているらしく、休日に訪ねて来ることが多い。依頼を受けたときにテオが同行を頼むのも、毎度のことになっている。
通り様にこちらへ目をやり、テオが続いた。
「また誘われたのか? カムナギにならないか、って」
「……まぁな」
テオはラルジュにも紅茶を用意し、カウンターに肘をつく。
「熱心なこった」
「俺もそれがいいと思うよ」
ラルジュにまで言われ、おれは眉根を寄せた。
「なりたくないのかい?」
「そうじゃないけど…」
「何か、問題でも?」
ムッと口を噤んで、睫毛を伏せる。ラルジュはおれの言葉を待っているようで、振る舞われた紅茶をマッタリ飲んだ。
「……うちには、聖典もないし」
呟くように出た言葉に、ラルジュが首を傾げる。
「聖典がないとカムナギになれないという決まりはないよ」
「っおれは庶民だ。勉強も好きじゃない。もう活動できてるんだから、それでいいだろ」
おれは紅茶を飲み干し、話は済んだとばかりに立ち上がる。
「俺はね、リュエル。君を聖界に利用されたくないんだ」
「……利用?」
「聞いてないのかい。君が引き受けているような依頼は、避けられがちだ。このままでは、みんながやりたがらない事を押し付けられる役目になりかねない」
――リュエルがやればいいだろう。そう思われて、ますますカムナギたちがやらなくなるかもしれない。
「そんなの…、今だって、カムナギがなかなか来ないって言う所があるんだぜ?」
黙って聞いていたテオが大げさに肩をすくめた。ラルジュは頷いてこちらを向く。
「君の存在は聖界を揺るがす。このまま活動を続けても、カムナギを目指しても」
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