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序章 ウタ紡ぎ
六
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アルシャは人通りの増えてきた通りをぼんやり歩く。
「アルシャ。どうです? 彼は」
「うーん、やっぱり乗り気じゃないね」
自然に並んだカイトに、肩をすくめた。
「まぁな、あいつはすでに依頼を受けてるし。わざわざ正式なのになる必要なんかねえって、思うよな」
反対側にオルキデが来て、いつもの三人となった。
「とれたて新鮮だよー!」
「今年は豊作だってね。あら、大きい」
「甘くて美味しいよ。試食してみるかい?」
アルシャは朝市の溌剌とした雰囲気を横目に黙々と歩く。見晴らしの良い静かな場所まで来ると、ようやく足を止めた。
「彼を都合良く捉える輩が出てきたらと思うと、嫌なんだ」
風が煌めく金髪を浚う。前髪に隠れて、目許は見えない。
「多くのカムナギがやりたがらない仕事を、彼に押し付ける。……あり得ないとは言いきれませんね」
「あいつなら、そこらのカムナギより上手くこなしてしまいそうだしな」
淡々と語ったカイトの反対側で、オルキデは渋い顔をした。
「カムナギは本来、そういうものじゃない。リュエルは知らないんだ」
あの美しいセレストの瞳。あの瞳に映る世界が悲しみに溢れていると思うと、アルシャはどうしようもない気持ちになる。それに――。
「では、知ってもらいましょうか?」
カイトはおもむろに内ポケットから一通の書簡を取り出し、アルシャに手渡した。オルキデが目をパチクリしている。
「……そうだね」
書かれた内容に目を通したアルシャは、かすかに笑みを浮かべた。
◯*◯*◯
よく晴れたその日、小さな田舎町で、夏の訪れを祝福する祭典が執り行われていた。ゲストに由緒正しい家柄のカムナギが来るというので、盛り上がっている。
「にーに、カムナギって?」
「聖職の一つだよ。精靈に祝詞を捧げるのが一番の仕事だな」
「せーしょく……のりと…?」
「ありがたいウタを紡いでくれる、スゴい人ってこと」
カムナギの紡ぐ祝詞は独特で、簡単には会得できない。そのようなこともあり、彼の役職に就ける者はごく僅かしかいなかった。
「まだ学生さんなんですってよ」
「ルーマ家の人だろ? きっと美しいんだろうねぇ」
何日も前から、町はアルシャに関する噂で持ちきりだった。
――まさか、アルシャが来るなんて。
スゴいカムナギであることは知っていたが、肝心の仕事ぶりは見たことがない。そこでこの機会にと、おれは町外れの古びた聖堂まで足を運んだ。
「うわ…」
想像以上の人だかりに尻込みする。人混みは苦手だ。この様子では、近隣の町から来ている人もいるのだろう。今すぐ帰りたいが、せっかく来たのだから、やっぱり見ておきたいと思った。
そう思っているのは、おれだけではないかもしれない。あちらこちらに舞う光も、いつになく輝いている。精靈たちのワクワクが伝わってくるようだ。
期待に満ちた人々の落ち着かない雰囲気とは裏腹に、祭典は粛々と進む。
「それでは、カムナギのアルシャ・ルーマ様より、言祝ぎを頂戴しましょう」
待ち望んだ瞬間に、周囲が一際ざわめいた。祭壇脇にある小ぶりの扉から、アルシャがゆったりと歩みでる。明かり窓から差し込む光を浴びて、煌めく金髪と白い礼服。光の当たる角度によって、七色に色を変える彩糸の紋様が美しい。その眩さときたら、まるで彼そのものが輝いているようだ。
祭壇に立ったアルシャは一礼すると、一同を見渡し、微笑を浮かべる。
「なんて素敵なの…」
よろめき倒れる女性たち。男ですら、彼に夢中だ。おれも光の化身のようなアルシャを唖然と眺めていた。
おもむろにアルシャが目を閉じる。
一気に神聖な雰囲気になった。
静寂のなか息を吸い、紡がれる、音――。甘く柔らかに、えも言われぬ美しい調べが鼓膜を震わす。不意に広々とした緑の大地のイメージが浮かんだ。光る風が頬を撫でるように、アルシャの声が心に触れる。
「……っ、」
それはとても温かく、じわじわと身体中に浸透した。
アルシャの唇は絶えず形を変え、音を紡ぎだしている。伏せられた金色の睫毛。祝福するような光のなか、きらきら煌めく音の粒子たち。精靈たちの輝きも、目に眩しいほどである。
響きは徐々に大きくなり、やがて溶けるように消えてゆく。その音が完全に消えてしまうまで、おれは息をするのも忘れていた。
わぁっと喝采が湧く。
ハッとして我に返った。どわどわ、どわどわ。身体の奥深くから歓喜を帯びて振動しているようだ。心臓がドクドクいっている。胸元を抑えて息を吐き、顔を上げれば、
「っ」
思いがけず群青色の瞳とぶつかる視線――。アルシャは美しい微笑を残して扉の向こうへ消えた。
人々は興奮冷めやらず、聖堂内は熱気とざわめきに満ちている。別天地を垣間見た衝撃を、話さずにはいられないのだろう。高揚しているのは、精靈たちも同じらしい。きらきら舞いながら輝く光の美しさといったら。
そんな彼らに背を向け、おれは人混みから離脱した。
衝動のまま、足を進ませる。
背の高い木々を越えた向こうにちょっとした野原があるのだ。ひっそり静かで、お気に入りの場所である。
木陰から出ると強い日差しに視界を奪われ、思わず手をかざす。
ゆっくりと手を下ろしたとき、目に飛び込んできた人物に息を呑んだ。鮮やかに脳裏へ焼きついた彼が――先ほどまで人々の頭の向こう、遠く祭壇にいたアルシャが、そこにいた。
「どうだった?」
アルシャはふわりと笑みを浮かべる。カムナギのウタを目の当たりにしたおれは、“ウタ紡ぎ” として立つ現場との違いをまざまざと実感させられた。湧き上がる感情に耐え切れず、踵を返す。
足を踏み出そうとしたとき、草を踏みしめる音が近づいて、顔を上げる頃には目の前にアルシャの姿が。思わず後退しかけた身体は、柔らかな声に引き留められた。
「君は今でもウタが好きだね」
群青色の瞳が美しく煌めく。
『ウタが好きなんだ?』
ふいに浮かび上がった遠い記憶。幼い日、おれはいつものようにお気に入りの場所で座って紡いでいた。木々の向こうからひょっこり現れた見知らぬ子は、ツバの広い帽子のせいで顔がよく見えない。
『ウタが好きなんだ?』
可憐な声は遊ぶよう。
『……べつに』
おれはツンとそっぽを向いた。ウタを聞かれたのが恥ずかしいのもあったが、ウタが好きなんて言ったら、きっと笑われる。周りの子はみんな、口をそろえて剣士になりたいと言うのだ。
見知らぬ子が草を踏む音が近づいても、素知らぬフリで、近くの茂みを意味もなく睨みつけていた。
『ぼくは好きだよ』
ハッとして、声の方を向く。
(お、……とこ?)
彼はすぐ近くに佇んでいた。草原に座っていたため、おれにはその顔が見えたのだ。
『ぼくはウタが好き。しょうらいはね、カムナギになるんだ』
彼は臆面もなく言い、ふわりと微笑む。群青色の瞳があんまり綺麗で、胸がキュッとした。そっと伸ばされた白い手が、新雪を掬うように髪に触れてくる。
『こんど、きみのウタをぼくに聞かせて。またね』
きらきら光る木漏れ日のなか、彼は美しい笑みを残して木々の向こうへ去った。
すっかり忘れていた。彼の言葉も、あのとき感じた気持ちも全て。思い出した今、胸が痛い。
「リュエル、君がカムナギになってくれたらって、僕は思うよ」
「、なんで」
「……君は聖界に必要な存在だから」
鼻で笑ってしまう。
「聖界に?」
疎まれることはあれど、必要とされるなんて考え難い。そのはずなのに、アルシャが曇りない眼で見詰めてくるので言葉をなくした。まっすぐな視線に耐えきれず、睫毛を伏せる。
「でも、おれは…」
「君の家のことは、聖職関係者ならだいたい知ってる」
おれは目を丸くして、今度こそ顔を背けてしまった。
不意に右手を取られ、何やら封書を握らされる。こっそりと目をやると、”リュエル・フラム” ――達筆な字で、自分の名前が書かれているではないか。驚く間もなく、アルシャの方へ向けていた横髪をさらりと耳にかけられた。耳許で、甘やかな声がそっと囁く。
「フィーデルへおいで。待ってるよ」
おれは耳を抑えて後ろへ下がった。顔が熱い。前髪越しに睨みつけると、アルシャはくつくつ笑った。嘲笑でも皮肉でもない。自然で、温かみすら感じるような雰囲気だ。
かつて睨みつけた相手に、このように笑われたことがあっただろうか。いや、ない。
おれは動揺を悟られないよう、眼力を強めて牽制した。それなのにアルシャときたら、まったく気にせずスタスタとやって来る。
「ほら、綺麗な顔が台無しだよ」
その上、人差し指の腹で眉間をクリクリ押してきた。おれは思わずその指を掴み取る。
「誰のせいだ…ッ」
勢いづいて口を開いたところで、はたと我に返った。近距離に、優しい雰囲気の端麗な顔がある。そんな相手の爪先まで美しい指を、むんずと掴んでいる自分――。
「ぅわっ」
パッと手を離し、仰け反った。
「その反応は傷つくなぁ…」
苦笑したアルシャが、こんな反応をされたのは初めてだとボヤく。冗談めいた言い方だったが、明らかにしょんぼりして見え、目が泳ぐ。
「あー…、あんた、こんな所にいていいのかよ?」
うっかり失念していたが、アルシャはカムナギという貴重な存在なのだ。
「大丈夫さ。僕が好きに動くのは、今に始まったことじゃないから。……ああでも、そろそろ行かないとな」
アルシャは木々の向こうへ目をやり呟くと、美しい瞳をこちらへ戻した。
「またね」
あのときと同じ、美しい微笑み。去りゆく後ろ姿を目で追う。封書を持つ手に、力がこもった。
「アルシャ。どうです? 彼は」
「うーん、やっぱり乗り気じゃないね」
自然に並んだカイトに、肩をすくめた。
「まぁな、あいつはすでに依頼を受けてるし。わざわざ正式なのになる必要なんかねえって、思うよな」
反対側にオルキデが来て、いつもの三人となった。
「とれたて新鮮だよー!」
「今年は豊作だってね。あら、大きい」
「甘くて美味しいよ。試食してみるかい?」
アルシャは朝市の溌剌とした雰囲気を横目に黙々と歩く。見晴らしの良い静かな場所まで来ると、ようやく足を止めた。
「彼を都合良く捉える輩が出てきたらと思うと、嫌なんだ」
風が煌めく金髪を浚う。前髪に隠れて、目許は見えない。
「多くのカムナギがやりたがらない仕事を、彼に押し付ける。……あり得ないとは言いきれませんね」
「あいつなら、そこらのカムナギより上手くこなしてしまいそうだしな」
淡々と語ったカイトの反対側で、オルキデは渋い顔をした。
「カムナギは本来、そういうものじゃない。リュエルは知らないんだ」
あの美しいセレストの瞳。あの瞳に映る世界が悲しみに溢れていると思うと、アルシャはどうしようもない気持ちになる。それに――。
「では、知ってもらいましょうか?」
カイトはおもむろに内ポケットから一通の書簡を取り出し、アルシャに手渡した。オルキデが目をパチクリしている。
「……そうだね」
書かれた内容に目を通したアルシャは、かすかに笑みを浮かべた。
◯*◯*◯
よく晴れたその日、小さな田舎町で、夏の訪れを祝福する祭典が執り行われていた。ゲストに由緒正しい家柄のカムナギが来るというので、盛り上がっている。
「にーに、カムナギって?」
「聖職の一つだよ。精靈に祝詞を捧げるのが一番の仕事だな」
「せーしょく……のりと…?」
「ありがたいウタを紡いでくれる、スゴい人ってこと」
カムナギの紡ぐ祝詞は独特で、簡単には会得できない。そのようなこともあり、彼の役職に就ける者はごく僅かしかいなかった。
「まだ学生さんなんですってよ」
「ルーマ家の人だろ? きっと美しいんだろうねぇ」
何日も前から、町はアルシャに関する噂で持ちきりだった。
――まさか、アルシャが来るなんて。
スゴいカムナギであることは知っていたが、肝心の仕事ぶりは見たことがない。そこでこの機会にと、おれは町外れの古びた聖堂まで足を運んだ。
「うわ…」
想像以上の人だかりに尻込みする。人混みは苦手だ。この様子では、近隣の町から来ている人もいるのだろう。今すぐ帰りたいが、せっかく来たのだから、やっぱり見ておきたいと思った。
そう思っているのは、おれだけではないかもしれない。あちらこちらに舞う光も、いつになく輝いている。精靈たちのワクワクが伝わってくるようだ。
期待に満ちた人々の落ち着かない雰囲気とは裏腹に、祭典は粛々と進む。
「それでは、カムナギのアルシャ・ルーマ様より、言祝ぎを頂戴しましょう」
待ち望んだ瞬間に、周囲が一際ざわめいた。祭壇脇にある小ぶりの扉から、アルシャがゆったりと歩みでる。明かり窓から差し込む光を浴びて、煌めく金髪と白い礼服。光の当たる角度によって、七色に色を変える彩糸の紋様が美しい。その眩さときたら、まるで彼そのものが輝いているようだ。
祭壇に立ったアルシャは一礼すると、一同を見渡し、微笑を浮かべる。
「なんて素敵なの…」
よろめき倒れる女性たち。男ですら、彼に夢中だ。おれも光の化身のようなアルシャを唖然と眺めていた。
おもむろにアルシャが目を閉じる。
一気に神聖な雰囲気になった。
静寂のなか息を吸い、紡がれる、音――。甘く柔らかに、えも言われぬ美しい調べが鼓膜を震わす。不意に広々とした緑の大地のイメージが浮かんだ。光る風が頬を撫でるように、アルシャの声が心に触れる。
「……っ、」
それはとても温かく、じわじわと身体中に浸透した。
アルシャの唇は絶えず形を変え、音を紡ぎだしている。伏せられた金色の睫毛。祝福するような光のなか、きらきら煌めく音の粒子たち。精靈たちの輝きも、目に眩しいほどである。
響きは徐々に大きくなり、やがて溶けるように消えてゆく。その音が完全に消えてしまうまで、おれは息をするのも忘れていた。
わぁっと喝采が湧く。
ハッとして我に返った。どわどわ、どわどわ。身体の奥深くから歓喜を帯びて振動しているようだ。心臓がドクドクいっている。胸元を抑えて息を吐き、顔を上げれば、
「っ」
思いがけず群青色の瞳とぶつかる視線――。アルシャは美しい微笑を残して扉の向こうへ消えた。
人々は興奮冷めやらず、聖堂内は熱気とざわめきに満ちている。別天地を垣間見た衝撃を、話さずにはいられないのだろう。高揚しているのは、精靈たちも同じらしい。きらきら舞いながら輝く光の美しさといったら。
そんな彼らに背を向け、おれは人混みから離脱した。
衝動のまま、足を進ませる。
背の高い木々を越えた向こうにちょっとした野原があるのだ。ひっそり静かで、お気に入りの場所である。
木陰から出ると強い日差しに視界を奪われ、思わず手をかざす。
ゆっくりと手を下ろしたとき、目に飛び込んできた人物に息を呑んだ。鮮やかに脳裏へ焼きついた彼が――先ほどまで人々の頭の向こう、遠く祭壇にいたアルシャが、そこにいた。
「どうだった?」
アルシャはふわりと笑みを浮かべる。カムナギのウタを目の当たりにしたおれは、“ウタ紡ぎ” として立つ現場との違いをまざまざと実感させられた。湧き上がる感情に耐え切れず、踵を返す。
足を踏み出そうとしたとき、草を踏みしめる音が近づいて、顔を上げる頃には目の前にアルシャの姿が。思わず後退しかけた身体は、柔らかな声に引き留められた。
「君は今でもウタが好きだね」
群青色の瞳が美しく煌めく。
『ウタが好きなんだ?』
ふいに浮かび上がった遠い記憶。幼い日、おれはいつものようにお気に入りの場所で座って紡いでいた。木々の向こうからひょっこり現れた見知らぬ子は、ツバの広い帽子のせいで顔がよく見えない。
『ウタが好きなんだ?』
可憐な声は遊ぶよう。
『……べつに』
おれはツンとそっぽを向いた。ウタを聞かれたのが恥ずかしいのもあったが、ウタが好きなんて言ったら、きっと笑われる。周りの子はみんな、口をそろえて剣士になりたいと言うのだ。
見知らぬ子が草を踏む音が近づいても、素知らぬフリで、近くの茂みを意味もなく睨みつけていた。
『ぼくは好きだよ』
ハッとして、声の方を向く。
(お、……とこ?)
彼はすぐ近くに佇んでいた。草原に座っていたため、おれにはその顔が見えたのだ。
『ぼくはウタが好き。しょうらいはね、カムナギになるんだ』
彼は臆面もなく言い、ふわりと微笑む。群青色の瞳があんまり綺麗で、胸がキュッとした。そっと伸ばされた白い手が、新雪を掬うように髪に触れてくる。
『こんど、きみのウタをぼくに聞かせて。またね』
きらきら光る木漏れ日のなか、彼は美しい笑みを残して木々の向こうへ去った。
すっかり忘れていた。彼の言葉も、あのとき感じた気持ちも全て。思い出した今、胸が痛い。
「リュエル、君がカムナギになってくれたらって、僕は思うよ」
「、なんで」
「……君は聖界に必要な存在だから」
鼻で笑ってしまう。
「聖界に?」
疎まれることはあれど、必要とされるなんて考え難い。そのはずなのに、アルシャが曇りない眼で見詰めてくるので言葉をなくした。まっすぐな視線に耐えきれず、睫毛を伏せる。
「でも、おれは…」
「君の家のことは、聖職関係者ならだいたい知ってる」
おれは目を丸くして、今度こそ顔を背けてしまった。
不意に右手を取られ、何やら封書を握らされる。こっそりと目をやると、”リュエル・フラム” ――達筆な字で、自分の名前が書かれているではないか。驚く間もなく、アルシャの方へ向けていた横髪をさらりと耳にかけられた。耳許で、甘やかな声がそっと囁く。
「フィーデルへおいで。待ってるよ」
おれは耳を抑えて後ろへ下がった。顔が熱い。前髪越しに睨みつけると、アルシャはくつくつ笑った。嘲笑でも皮肉でもない。自然で、温かみすら感じるような雰囲気だ。
かつて睨みつけた相手に、このように笑われたことがあっただろうか。いや、ない。
おれは動揺を悟られないよう、眼力を強めて牽制した。それなのにアルシャときたら、まったく気にせずスタスタとやって来る。
「ほら、綺麗な顔が台無しだよ」
その上、人差し指の腹で眉間をクリクリ押してきた。おれは思わずその指を掴み取る。
「誰のせいだ…ッ」
勢いづいて口を開いたところで、はたと我に返った。近距離に、優しい雰囲気の端麗な顔がある。そんな相手の爪先まで美しい指を、むんずと掴んでいる自分――。
「ぅわっ」
パッと手を離し、仰け反った。
「その反応は傷つくなぁ…」
苦笑したアルシャが、こんな反応をされたのは初めてだとボヤく。冗談めいた言い方だったが、明らかにしょんぼりして見え、目が泳ぐ。
「あー…、あんた、こんな所にいていいのかよ?」
うっかり失念していたが、アルシャはカムナギという貴重な存在なのだ。
「大丈夫さ。僕が好きに動くのは、今に始まったことじゃないから。……ああでも、そろそろ行かないとな」
アルシャは木々の向こうへ目をやり呟くと、美しい瞳をこちらへ戻した。
「またね」
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