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第一章 いざ、新天地
八
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聖音科といえど、普通の講義もある。薬草学や文学など、最低限学ばなくてはならないものだ。披露会の当日、午前中はそんな講義で過ぎていった。
「ぼく、緊張してきた…!」
「おれ本番に弱いんだよな…。人人人パクリ」
運命の時間が迫ると、誰もが自分のことで精一杯になっていく。おれを笑っていたクラスメイトたちも、今はもう、それどころではないらしい。
「うー……ドキドキするー…」
メルは胸を抑えて深呼吸していた。
「よろしい。揃ってますね」
とうとうその時がやって来た。聖堂の舞台裏で、聖音科一年担当のダリヌがウタを披露する順番を読み上げる。耳を傾けていたが、おれは一向に呼ばれない。
「最後の取りはリュエル・フラムに任せましょう。アシャムス様の推薦状で入学した、あなたがふさわしい」
途端に周囲がざわめいた。推薦状の件は、公にされていなかったのだ。嫌な笑みを浮かべるダリヌを睨みつける。
「では皆さん、健闘を」
ダリヌは最後におれを見下して、控え室を後にした。
周囲から突き刺さる視線が痛い。そんな中、目を輝かせてテテッとやってきたのがメルだった。
「すごいやリュエル、聖華さまから推薦状をいただけるなんて…!」
この雰囲気のなか、おれに話しかけるメルも相当すごい。邪険にされている者に関われば、己の身も危うくなるのに。
「外の空気吸ってくる」
「あっ、リュエルっ」
すべてを遮断するようにすっと身を翻し、外へ逃れた。
小さく息を吐いたところで、近くの木に背中を預けていたラルジュを発見する。水色の長髪の生徒と一緒だ。――それはそう、入学前の長期休暇に、勉学を教えてくれた家庭教師のレルヒである。
(なんで二人がここに…)
うっかり視線が絡む。ラルジュがよっと身体を起こしてやって来た。
「メルには、君と関わらないよう言ったんだけどね。友だちは自分で決めると言われたよ」
眉根を寄せる。
「もっとキツく言えよ。もう充分、目立っちまってる」
おれを狙う人間から目を付けられたら大変だ。するとラルジュは、ふっと息を溢すように笑った。
「安心するといい。メルは君と違って味方になってくれる人が多い。相手も、人気者に手を出すほど迂闊じゃないだろう」
つい睨みつけてしまったが、ラルジュの微笑は相変わらずで、柳に風だった。
「君はどうなりたいんだい。周りはどうでもいいなんて素振りでいるけど、一番周りを気にしているのは君じゃないかな」
「なに…?」
いきなりの核心をつくような話。にわかに戸惑う。
「シャツのボタンを留めたとはいえ、タイもしていない。そんな着こなしも前髪も、本当の自分を周りに知られたくないからだろう」
「……知ったような口効くな」
睨んでも無駄だと分かっていても、睨みつけずにはいられない。
「自分に自信がないんだね」
その瞬間、アルシャの姿が脳裏に浮かんだ。糸目のまま穏やかに落とされた言葉に胸が痛む。――ふと、近づいてくる数人分の足音。そちらに目をやると、例のお茶会三人組だ。
アルシャが目の前までやって来た。伸ばされた手に身体が固まる。すると前髪を横に流して耳にかけられた。ついでに、整えるように髪を梳かれる。群青色の瞳は、おれの成功を確信していた。
『よかった…よかったね、リューくん…っ』
アルシャにグラン、メル、テオに父や母――。周りのことなど関係ない。おれはただ、ウタを紡ぐのが好きなのだ。そしてここには、カムナギになるために来た。
不意に開かれた扉からメルが姿を現した。おれを見つけて口を開きかけ、お茶会三人組にハッと息を呑んでいる。
「行っておいで」
アルシャに背中を押されて歩きだす。
「リュ、リュエル、アルシャさんと仲良かったんだ。ビックリしたよー…」
胸を撫で下ろすメルの頭を軽く撫で、扉の中へ。キョトンとその後ろ姿を見ていたメルは、ハッとして小走りで追いかけた。
アルシャは微笑んでリュエルを見送る。その後ろで、赤髪タレ目のオルキデが口を開いた。
「綺麗な顔してんじゃん」
そんな彼も、色気のある綺麗な顔をしている。オルキデの隣には、切り揃えられた前髪の、すっきりとした水色ショートヘアの聖文科生。銀縁眼鏡をカチリと上げて、カイトが続く。
「おせっかいですね、アルシャ」
「僕は一個人として、リュエルを応援してるんだ」
アルシャは肩をすくめた。そこで、静かに成り行きを見守っていた水色長髪――レルヒが前へ出る。
「兄上たちも視察ですか?」
そう、彼はカイトの一個下の弟なのである。顔のパーツは似ているが、髪型のせいか、二人の雰囲気はそこまで似ていない。
「それもあるが、アルシャがリュエルに会いたがったのが一番の理由だ」
弟にだけ、丁寧語を解除するカイトである。
「それにしてもラルジュ、手厳しいこと言うじゃねえか」
オルキデがニッと笑みを浮かべた。ラルジュはレルヒと幼馴染みで、その繋がりから彼らとも親交がある。
「二年の聖武科首席。あなたはリュエルを選ぶのですか」
カイトには、ラルジュの言葉もリュエルのためのお節介に聞こえていた。
「それを今日、決めるつもりです」
ラルジュは糸目で笑みを深める。
「メルはいいのかい? あんなに可愛がっていたのに」
ふと口を開いたのはアルシャだ。ラルジュはそちらを向いて頷く。
「弟のように可愛いですよ。しかしメルは、俺が侍衛になるのを望んでいない」
「あなただって、ずっと迷っていたでしょう。無駄に実力があると厄介ですね」
レルヒが腰に手を当て、さらりと口にした。
弟のように可愛いメルの侍衛をしたい。自分が認めた力ある者の侍衛をしたい。レルヒには、そのように情と己の実力を試したいという欲求の狭間で揺れる、ラルジュの葛藤が丸見えだった。
ラルジュはにわかに驚いたような顔をする。――糸目は変わらない。
「あー、メルは、そうだなぁ…」
オルキデは前髪を掻き上げ、遠い目をした。
微妙な沈黙が流れる。
「君がリュエルの侍衛を務めてくれるなら、安心だな」
アルシャはそんな空気をものともせず、穏やかに落として微笑を浮かべた。
「ぼく、緊張してきた…!」
「おれ本番に弱いんだよな…。人人人パクリ」
運命の時間が迫ると、誰もが自分のことで精一杯になっていく。おれを笑っていたクラスメイトたちも、今はもう、それどころではないらしい。
「うー……ドキドキするー…」
メルは胸を抑えて深呼吸していた。
「よろしい。揃ってますね」
とうとうその時がやって来た。聖堂の舞台裏で、聖音科一年担当のダリヌがウタを披露する順番を読み上げる。耳を傾けていたが、おれは一向に呼ばれない。
「最後の取りはリュエル・フラムに任せましょう。アシャムス様の推薦状で入学した、あなたがふさわしい」
途端に周囲がざわめいた。推薦状の件は、公にされていなかったのだ。嫌な笑みを浮かべるダリヌを睨みつける。
「では皆さん、健闘を」
ダリヌは最後におれを見下して、控え室を後にした。
周囲から突き刺さる視線が痛い。そんな中、目を輝かせてテテッとやってきたのがメルだった。
「すごいやリュエル、聖華さまから推薦状をいただけるなんて…!」
この雰囲気のなか、おれに話しかけるメルも相当すごい。邪険にされている者に関われば、己の身も危うくなるのに。
「外の空気吸ってくる」
「あっ、リュエルっ」
すべてを遮断するようにすっと身を翻し、外へ逃れた。
小さく息を吐いたところで、近くの木に背中を預けていたラルジュを発見する。水色の長髪の生徒と一緒だ。――それはそう、入学前の長期休暇に、勉学を教えてくれた家庭教師のレルヒである。
(なんで二人がここに…)
うっかり視線が絡む。ラルジュがよっと身体を起こしてやって来た。
「メルには、君と関わらないよう言ったんだけどね。友だちは自分で決めると言われたよ」
眉根を寄せる。
「もっとキツく言えよ。もう充分、目立っちまってる」
おれを狙う人間から目を付けられたら大変だ。するとラルジュは、ふっと息を溢すように笑った。
「安心するといい。メルは君と違って味方になってくれる人が多い。相手も、人気者に手を出すほど迂闊じゃないだろう」
つい睨みつけてしまったが、ラルジュの微笑は相変わらずで、柳に風だった。
「君はどうなりたいんだい。周りはどうでもいいなんて素振りでいるけど、一番周りを気にしているのは君じゃないかな」
「なに…?」
いきなりの核心をつくような話。にわかに戸惑う。
「シャツのボタンを留めたとはいえ、タイもしていない。そんな着こなしも前髪も、本当の自分を周りに知られたくないからだろう」
「……知ったような口効くな」
睨んでも無駄だと分かっていても、睨みつけずにはいられない。
「自分に自信がないんだね」
その瞬間、アルシャの姿が脳裏に浮かんだ。糸目のまま穏やかに落とされた言葉に胸が痛む。――ふと、近づいてくる数人分の足音。そちらに目をやると、例のお茶会三人組だ。
アルシャが目の前までやって来た。伸ばされた手に身体が固まる。すると前髪を横に流して耳にかけられた。ついでに、整えるように髪を梳かれる。群青色の瞳は、おれの成功を確信していた。
『よかった…よかったね、リューくん…っ』
アルシャにグラン、メル、テオに父や母――。周りのことなど関係ない。おれはただ、ウタを紡ぐのが好きなのだ。そしてここには、カムナギになるために来た。
不意に開かれた扉からメルが姿を現した。おれを見つけて口を開きかけ、お茶会三人組にハッと息を呑んでいる。
「行っておいで」
アルシャに背中を押されて歩きだす。
「リュ、リュエル、アルシャさんと仲良かったんだ。ビックリしたよー…」
胸を撫で下ろすメルの頭を軽く撫で、扉の中へ。キョトンとその後ろ姿を見ていたメルは、ハッとして小走りで追いかけた。
アルシャは微笑んでリュエルを見送る。その後ろで、赤髪タレ目のオルキデが口を開いた。
「綺麗な顔してんじゃん」
そんな彼も、色気のある綺麗な顔をしている。オルキデの隣には、切り揃えられた前髪の、すっきりとした水色ショートヘアの聖文科生。銀縁眼鏡をカチリと上げて、カイトが続く。
「おせっかいですね、アルシャ」
「僕は一個人として、リュエルを応援してるんだ」
アルシャは肩をすくめた。そこで、静かに成り行きを見守っていた水色長髪――レルヒが前へ出る。
「兄上たちも視察ですか?」
そう、彼はカイトの一個下の弟なのである。顔のパーツは似ているが、髪型のせいか、二人の雰囲気はそこまで似ていない。
「それもあるが、アルシャがリュエルに会いたがったのが一番の理由だ」
弟にだけ、丁寧語を解除するカイトである。
「それにしてもラルジュ、手厳しいこと言うじゃねえか」
オルキデがニッと笑みを浮かべた。ラルジュはレルヒと幼馴染みで、その繋がりから彼らとも親交がある。
「二年の聖武科首席。あなたはリュエルを選ぶのですか」
カイトには、ラルジュの言葉もリュエルのためのお節介に聞こえていた。
「それを今日、決めるつもりです」
ラルジュは糸目で笑みを深める。
「メルはいいのかい? あんなに可愛がっていたのに」
ふと口を開いたのはアルシャだ。ラルジュはそちらを向いて頷く。
「弟のように可愛いですよ。しかしメルは、俺が侍衛になるのを望んでいない」
「あなただって、ずっと迷っていたでしょう。無駄に実力があると厄介ですね」
レルヒが腰に手を当て、さらりと口にした。
弟のように可愛いメルの侍衛をしたい。自分が認めた力ある者の侍衛をしたい。レルヒには、そのように情と己の実力を試したいという欲求の狭間で揺れる、ラルジュの葛藤が丸見えだった。
ラルジュはにわかに驚いたような顔をする。――糸目は変わらない。
「あー、メルは、そうだなぁ…」
オルキデは前髪を掻き上げ、遠い目をした。
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アルシャはそんな空気をものともせず、穏やかに落として微笑を浮かべた。
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