美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第一章 いざ、新天地

十九

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 放課後に教室を出るのはきちんとラルジュが来るのを待ってから。放課後に《聖紋研究室》へ通う日々は、まだ終わりそうにない。

「リュエル、もう一度聞かせておくれ」

 教師は写紋するおれのところへ来ては、髪を梳いたり耳許で囁いたりする。

「……集中できねえ」

 おれは毎度、眉根を寄せて教師を追いやった。なかなか進まないのは、この教師のせいでもあるだろう。

「君はつれないなぁ。誰かいい人でもいるのか?」
「いねえですよ」
「それならいいじゃないか。君のかわいい声が聞きたい」
「っあんた、教師だろ!」

 思わず身体を引いて睨みつけた。

「教師はそういうことをしてはいけないなんて、決まりはないぞ」
「生徒に手を出すのもいいのかよ」
「いいに決まっているだろう。周りにバレなければな」

 首筋に顔をうずめようとしてくるので、思わず鳩尾に拳をめり込ませてしまった。

「~~~」

 やっと解放された。おれは短く息を吐く。隣で腹を抱えて踞っていた教師だが、気づくと奥の机に戻っていた。

「そういえば、書庫管理の先生が君に会いたがっていた。なんでも、フラムのウタを教えてほしいとか」
「へえ」

 すでに手許に集中しているため、おれはあまり聞いていない。いちいち教師の世間話に付き合っていたら、それこそ終わらないだろう。

「あの先生はフラム家の聖典を目にしたことがあるらしいぞ。すっかり忘れがちだが、カムナギなんだよなぁ」

 顔を上げたとき、鐘が鳴った。

「お疲れさん。今日はここまでだな」
「……ありがとうございました」

 やれやれ、今日もぜんぜん進まなかった。部屋から出れば、当たり前のようにラルジュがドアのすぐ横の壁に背中を預けていた。

「気に入られているようだね」

 穏やかに落として隣に並ぶ。

「あれ、教師としてダメだろ」

 訪ねてきた生徒をナンパする姿も、何度か目にしている。なかには頬を赤らめ、まんざらでもないような反応をする人もいた。

「味方は多いに越したことはない。君も愛想を尽かされないようにしなさい」
「はあ? 誘いに乗れってか?」
「そうは言っていないよ」

 そこでラルジュはおもむろに足を止め、おれの顎を掴んでグイと上向かせた。

「あれは多分、手に入れたら飽きるタイプだ。君は君らしくあればいい」
「、意味わかんねえ」

 ちょっと威圧的だし、身長差を意識させられて嫌だ。おれはラルジュを押し退けて睨みつける。

「言葉遣い、それで気にしているのかい」

『紡ぎたいウタのように、言葉を発するようにしなさい』

 ――すっかり忘れていた。ムッと眉根を寄せる。

「ちょうどよかったですね」

 そこで用事を済ませてきたらしいレルヒが後ろから来て、三人で図書館へ向かった。

「挨拶運動って、一年はいつもやってるのか?」

 おれは思い出して言う。ものすごくやりたくないが、やらなければまた減点などになるのだろう。

「ええ、やってますよ。科によって雰囲気が異なり、なかなか面白いです」

 レルヒもやったのだろう。しかし楽しそうだ。

「聖武科は部活動の挨拶のように元気がよいのが通例なんですけどね、ラルジュはこのまんまで」

 糸目で穏やかに挨拶している姿が頭に浮かぶ。

「なぜだか恐ろしがっている生徒たちがいて、おかしかったですね」

 糸目の威圧感――おれには身に覚えがある。きっとその生徒たちは、ラルジュに何かしたのだ。くすりと笑うレルヒは実感したことがないのだろうか。チラリとラルジュを窺うと、素知らぬふりで前を向いていた。
 そのとき、ラルジュがふと足を止めた。おれとレルヒも立ち止まる。おもむろに、曲がり角からタイを外した生徒が数人出てきた。

「さすがだなぁラルジュ。俺らの気配を察したか」
「ここで会ったが百年目!」
「今日こそ叩きのめしてやる」

 気づけば背後からも、複数の影がジリジリ迫る。

「ラルジュ、あなた何をしたのです?」
「なんだろうね」

 糸目がマッタリと落とすものだから、相手は殺気立つ。

「貴様ぁ!」

 レルヒを壁際へ下がらせ、ラルジュが戦闘体勢を取った。
 ワァッとかかってきた生徒たち。
 おれも参戦しようとしたが、ラルジュはさせなかった。

「ゲフォッ」
「ガハァッ」

 複数相手に難なく対応している。速すぎて、繰り出す手や足が霞んで見えた。たまに瞬間移動かと思う。

(つよっ)

 以前から感じていたが、やはりラルジュは引くほど強かった。おれはポカンと糸目を眺めてしまう。

「同じ人間とは思えませんね」

 振り返れば、レルヒがのほほんと観戦していた。自分に危害が及ぶとは露ほども思っていないらしい。

「あんたもできんの?」

 腕に覚えがあるが故の余裕かと思いきや。

「いえ、サッパリです」

 ツルッと口にした。それにしても、彼らはどこから湧くのか。まったく減った気がしない。

「両親の運動神経は兄上にすべて授けられたようで、私はてんでダメなのですよ」

 ――レルヒの兄カイトは運動もできる。レルヒはそんな兄を尊敬してやまない。

「ああ兄上っ」

 レルヒが煌めく瞳を空へ向けたとき、

「埒があかない。リュエル、走るぞ」
「、」

 おもむろにこちらへ来たラルジュが拐うようにレルヒを抱き上げ、こちらに糸目を向けた。それでもう、風のように走り出している。

「あ、逃げた!」
「なに!?」

 気づいた奴らが追ってくる。おれも慌てて走った。ラルジュのスピードは人を抱えているとは思えない。

「図書館へ行こう」
「わかった」

 彼らも図書館で騒ぎを起こしたりはしないだろう。

「すみませんね」

 ラルジュの腕に大人しく収まり、レルヒが言った。

「おまえを走らせて何かあったら、大変な目に遇うのは俺だからね」

 どうやら、カイトのことらしい。ラルジュはおれを気にしながら図書館へ駆ける。

「君は運動ができて助かったよ」
「……あんたほどじゃないけどな」

 おれは短距離走は得意だ。それなりに足が速いと自負しているし、瞬発力もある。

「待ちやがれー!」
「ぅわっ」

 ビュンと後ろから飛んできた石を、ラルジュが回転蹴りで弾き返した。

「ぐはっ」

 後ろから聞こえた呻きにギョッとして振り返る。石が頭にクリーンヒットしたのだろう。一人が不恰好に頭から倒れるところだった。

「リュエル、よそ見は危険だよ」
「お、おう」

 見なかったことにして足を動かす。

「もしものときは、遠慮なく捨て置いてください」

 レルヒの言葉に、アクロバティックに動くラルジュは何も返さない。

 カキーン

「うぎゃっ」

 ドシーン

「ふぐっ」

 様々な物が飛び交う中、おれは眉根を寄せる。しかしやっぱり、なんと言ったら良いのかわからなかった。
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