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第一章 いざ、新天地
二十
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こちら、カーテンの閉められた一室。
「すみません、逃げられました」
タイを外している生徒は、椅子に座っている生徒に深々と頭を下げた。
「おまえたちの間抜けな鬼ごっこはここから見えたよ。ぼくはフラムの坊やを始末するよう命じたはずだけど?」
リュエルを狙うよう言ったのに、彼らはラルジュを標的にしているように見えた。
ノータイの生徒がウッと言葉を呑む。
「、すみません。あの糸目を見るとつい、身体が動いて…」
偉そうに椅子に収まっている生徒は鼻で笑った。そうして、冷酷に落とす。
「使えない」
ノータイの生徒がハッと顔を上げた。
「次っ、次こそは必ず奴を打ちのめします!」
「ぼくは打ちのめせなんて言ってないよ」
「……はい」
聖武科は筋肉馬鹿で困る。この学び舎から奴を追い出す方法はいくらでもありそうなのに、暴力しか頭にないのだ。
――そんな彼、自分の手は汚さない主義である。
「次はもっと賢いやり方をしろ」
「、は!」
ノータイの生徒は軍人のようにビシリと応じ、物欲しそうに椅子の生徒を捉えた。
「しくじったのに、ご褒美なんてあるわけないだろ。さっさとお行き」
「……失礼しました」
しずしずとドアが閉められた後、彼は唇を噛んだ。庶民となった出戻りのフラムが、あのラルジュやレルヒを従えている。
(ぼくを差し置いて)
二人とも、声すらかけてこなかった。首席など眼中にないというのか。忌々しい。なぜあんな奴を選ぶ。
「血が出てるよ」
いつの間にか、幼馴染がそばにいた。長い指に唇をなぞられる。彼は赤く染まった指をペロリと舐めた。
「こわい顔して。綺麗な顔が台無しだよ」
口の端に両の指を置き、うにっと上へ上げられる。
「はにゃしぇ」
「君には笑顔のほうが似合うのに」
聞く耳持たずで、うにーんと口の端を持ち上げてくる。地味に痛い。その手を掴んで顔を解放させる。
「それならあいつをどうにかしろよ。あいつを見てると、イライラして仕方ないんだ」
「ラルジュもレルヒも、君を差し置いて、彼のところへ行ってしまったね」
サラリと言われ、舌打ちした。
「フラムめ…」
「君を目にも留めない人たちのことなんて、忘れちゃいなよ」
「忘れられるものか! フラムがいなくなれば、二人はぼくを見てくれる」
「そういう話じゃないと思うけど」
小さく息を吐いている。何か言ったようだが、まったく耳に入ってこなかった。
「ま、気長に待ってあげるよ」
彼は肩をすくめ、怒りに燃える幼馴染を愛しげに瞳に映した。
〇*〇*〇
おれは豊かな緑の中、一人でのびのびと紡いでいた。
(いい気分)
吹き抜ける風は優しい。
ピールルル~ ルルルル~
合いの手を入れるように鳥が鳴くので、思わず笑みがこぼれた。今ならいくらでも紡げそうだ。
~~ドァスボァエ~リ ディヨ゙~モッ゙ォス~~
ピールルル~~ぱっぽう ぱっぽう
ぱっぽう
「ハッ」
「おはよう、リュエル」
近すぎてピントが合わない距離に鳥型の目覚まし時計。目覚めたとき、日に日に顔に近づいているそれは、今や嘴が鼻に刺さりそうである。
「……はよう」
言葉を返せば、ようやく引っ込めてくれた。
「おはようございます。どのようなゆめを見ていたのです? にこにこしていましたよ」
「、にこにこ?」
寝ながら笑う人。想像すると気味が悪いではないか。
「ええ。あんまり楽しそうなので起こすのが忍びなく思い、しばらくラルジュと凝視してしまいました」
レルヒは穏やかに微笑んでいる。いったいどんなゆめを見ていたのか、おれはさっぱり思い出せない。
「君の初笑顔をまさか寝顔で見ることになるとは、思いませんでしたけどね」
「思わずデコピンしたくなるくらいには可愛かったよ」
思わずデコピンしたくなる可愛さってなんだ。ラルジュにデコピンされたら額が陥没しそうだ。というか、
「早く起こせよ」
ジリジリとラルジュから距離を取り、おれは眉根を寄せる。するとラルジュはにこやかに口を開いた。
「早く起こしてよかったのかい? それなら、明日から早朝勉強でもしようか。君の苦手科目をみ、っ、ち、り、やろう」
みっちりの重み。
「っそういう話じゃねえ!」
朝から嫌いな勉強をやるなんて最悪だ。おれは全力で叫んで、キッとラルジュを睨みつけた。
木枯らしの吹くその日、朝の学舎までの小路は、まるで運動部に迷い込んだようだった。
「おはようございます!」
等間隔に沿道に立った聖武科の生徒が、寒風にも負けず応援団のごとく挨拶してくる。
「おはよう」
「おはようございます」
「……はよう」
糸目の威圧感に負け、おれもいちいち挨拶を返した。ずっとこの調子で声を張り上げている彼らもすごいが、ずっと変わらぬ微笑を浮かべて挨拶を返すラルジュがこわい。
「懐かしいですねぇ」
レルヒなどはしみじみと呟いていた。それが翌週にはガラリと雰囲気が異なり、
「おはようございます。行ってらっしゃいませ」
ちょうど人通りの少ない時間帯だったからか、沿道の生徒からいちいち丁寧に頭を下げられた。思わずギョッと身を引く。
「聖文科生はさながら執事のようだね」
「文官に求められるのは、頭脳を除けば礼儀作法や誠実さですから」
こういった雰囲気は苦手だ。風のように走り去ってしまいたい。
「おはよう」
「おはようございます」
隣の二人はまったく動じず、挨拶を返している。
「リュエル、どうかしましたか?」
遠巻きに通りすぎようとしたところ、レルヒが不思議そうに小首を傾げた。
「……べつに」
「リュエルはこういうのが苦手なんだね」
糸目が言うと、なにか企みがありそうだ。あからさまに嫌そうな顔をしてしまう。
「こういうのって、なんです?」
ますます首を傾げたレルヒ。彼はまさにその世界の住人だった。
「すみません、逃げられました」
タイを外している生徒は、椅子に座っている生徒に深々と頭を下げた。
「おまえたちの間抜けな鬼ごっこはここから見えたよ。ぼくはフラムの坊やを始末するよう命じたはずだけど?」
リュエルを狙うよう言ったのに、彼らはラルジュを標的にしているように見えた。
ノータイの生徒がウッと言葉を呑む。
「、すみません。あの糸目を見るとつい、身体が動いて…」
偉そうに椅子に収まっている生徒は鼻で笑った。そうして、冷酷に落とす。
「使えない」
ノータイの生徒がハッと顔を上げた。
「次っ、次こそは必ず奴を打ちのめします!」
「ぼくは打ちのめせなんて言ってないよ」
「……はい」
聖武科は筋肉馬鹿で困る。この学び舎から奴を追い出す方法はいくらでもありそうなのに、暴力しか頭にないのだ。
――そんな彼、自分の手は汚さない主義である。
「次はもっと賢いやり方をしろ」
「、は!」
ノータイの生徒は軍人のようにビシリと応じ、物欲しそうに椅子の生徒を捉えた。
「しくじったのに、ご褒美なんてあるわけないだろ。さっさとお行き」
「……失礼しました」
しずしずとドアが閉められた後、彼は唇を噛んだ。庶民となった出戻りのフラムが、あのラルジュやレルヒを従えている。
(ぼくを差し置いて)
二人とも、声すらかけてこなかった。首席など眼中にないというのか。忌々しい。なぜあんな奴を選ぶ。
「血が出てるよ」
いつの間にか、幼馴染がそばにいた。長い指に唇をなぞられる。彼は赤く染まった指をペロリと舐めた。
「こわい顔して。綺麗な顔が台無しだよ」
口の端に両の指を置き、うにっと上へ上げられる。
「はにゃしぇ」
「君には笑顔のほうが似合うのに」
聞く耳持たずで、うにーんと口の端を持ち上げてくる。地味に痛い。その手を掴んで顔を解放させる。
「それならあいつをどうにかしろよ。あいつを見てると、イライラして仕方ないんだ」
「ラルジュもレルヒも、君を差し置いて、彼のところへ行ってしまったね」
サラリと言われ、舌打ちした。
「フラムめ…」
「君を目にも留めない人たちのことなんて、忘れちゃいなよ」
「忘れられるものか! フラムがいなくなれば、二人はぼくを見てくれる」
「そういう話じゃないと思うけど」
小さく息を吐いている。何か言ったようだが、まったく耳に入ってこなかった。
「ま、気長に待ってあげるよ」
彼は肩をすくめ、怒りに燃える幼馴染を愛しげに瞳に映した。
〇*〇*〇
おれは豊かな緑の中、一人でのびのびと紡いでいた。
(いい気分)
吹き抜ける風は優しい。
ピールルル~ ルルルル~
合いの手を入れるように鳥が鳴くので、思わず笑みがこぼれた。今ならいくらでも紡げそうだ。
~~ドァスボァエ~リ ディヨ゙~モッ゙ォス~~
ピールルル~~ぱっぽう ぱっぽう
ぱっぽう
「ハッ」
「おはよう、リュエル」
近すぎてピントが合わない距離に鳥型の目覚まし時計。目覚めたとき、日に日に顔に近づいているそれは、今や嘴が鼻に刺さりそうである。
「……はよう」
言葉を返せば、ようやく引っ込めてくれた。
「おはようございます。どのようなゆめを見ていたのです? にこにこしていましたよ」
「、にこにこ?」
寝ながら笑う人。想像すると気味が悪いではないか。
「ええ。あんまり楽しそうなので起こすのが忍びなく思い、しばらくラルジュと凝視してしまいました」
レルヒは穏やかに微笑んでいる。いったいどんなゆめを見ていたのか、おれはさっぱり思い出せない。
「君の初笑顔をまさか寝顔で見ることになるとは、思いませんでしたけどね」
「思わずデコピンしたくなるくらいには可愛かったよ」
思わずデコピンしたくなる可愛さってなんだ。ラルジュにデコピンされたら額が陥没しそうだ。というか、
「早く起こせよ」
ジリジリとラルジュから距離を取り、おれは眉根を寄せる。するとラルジュはにこやかに口を開いた。
「早く起こしてよかったのかい? それなら、明日から早朝勉強でもしようか。君の苦手科目をみ、っ、ち、り、やろう」
みっちりの重み。
「っそういう話じゃねえ!」
朝から嫌いな勉強をやるなんて最悪だ。おれは全力で叫んで、キッとラルジュを睨みつけた。
木枯らしの吹くその日、朝の学舎までの小路は、まるで運動部に迷い込んだようだった。
「おはようございます!」
等間隔に沿道に立った聖武科の生徒が、寒風にも負けず応援団のごとく挨拶してくる。
「おはよう」
「おはようございます」
「……はよう」
糸目の威圧感に負け、おれもいちいち挨拶を返した。ずっとこの調子で声を張り上げている彼らもすごいが、ずっと変わらぬ微笑を浮かべて挨拶を返すラルジュがこわい。
「懐かしいですねぇ」
レルヒなどはしみじみと呟いていた。それが翌週にはガラリと雰囲気が異なり、
「おはようございます。行ってらっしゃいませ」
ちょうど人通りの少ない時間帯だったからか、沿道の生徒からいちいち丁寧に頭を下げられた。思わずギョッと身を引く。
「聖文科生はさながら執事のようだね」
「文官に求められるのは、頭脳を除けば礼儀作法や誠実さですから」
こういった雰囲気は苦手だ。風のように走り去ってしまいたい。
「おはよう」
「おはようございます」
隣の二人はまったく動じず、挨拶を返している。
「リュエル、どうかしましたか?」
遠巻きに通りすぎようとしたところ、レルヒが不思議そうに小首を傾げた。
「……べつに」
「リュエルはこういうのが苦手なんだね」
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ますます首を傾げたレルヒ。彼はまさにその世界の住人だった。
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