美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる

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「いったい、どこで身に着けたんだ」
「……ネージュさ…、先生に、教わった」
「ああ…、超自然学の新任か。評判は聞いている。以前、貴族の家庭教師をやっていたらしいが、なるほどな」

 ――肩をすくめるデルヴィスに、おれは目を瞬く。

「ネージュさんが家庭教師?」
「ああ。彼が教えていたのは、貴族に相応しい自立した精神だ。それこそが、何より重要な素養と捉える家もある」

 おれは自由になった手首を回しながら、「古書店を開くのが夢だった」と語ったネージュを思っていた。

「リュエル、聖紋が書けたら今日の補習は終わりだ」

 頭を切り替え、頷いて取り掛かるおれだった。


 補習を終えて《聖紋研究室》から出ようとドアを開いたところ、ラルジュとレルヒが入ってきた。

「リュエルがお世話になっています、デルヴィス先生」
「お世話になっております、デルヴィス先生」

 ラルジュはいい笑顔だ。レルヒはその後ろで、クワッと目を開いてデルヴィスを捉えていた。

「あ、ああ」

 デルヴィスは二人の圧に身体を引く。

「幼気な少年に、よもや手を出したりしていないでしょうね」
「ま、まさか。断じてありませんよ」

 ラルジュはぬっとデルヴィスに顔を近づけた。

「"次" がありましたら、ただでは済ましませんよ」
「い、言われなくとも。愛しいリュエルを悲しませることはええ、もう致しませんともっ」

 デルヴィスは素晴らしい勢いでラルジュから離れ、こちらへやって来た。そうして胸に手を置き、ゆるりと頭を下げる。

「君に精靈の祝福があらんことを」

 ラルジュとレルヒはにわかに驚いた。それは心からの相手に贈る言葉で、時に「私はあなたに尽くします」と宣言するようなものだからだ。
 おれはきょとんとしてデルヴィスを眺めてしまう。

「君が祭壇に立つ日を、私は楽しみにしています」

 意味を理解したとき、目を見開いた。

「他のテスト勉強もあるでしょう。健闘を祈ります」

 おれは唖然と頷き、ラルジュたちと共に部屋を出た。寮部屋への道すがら、ラルジュが口を開く。

「君はどうやら、敬いと親しみを持たれたようだね。もう、無茶なことは言ってこないだろう」
「……だといいけど」

 何はともあれ、一件落着だ。

「よくやりましたね、リュエル」
「ああ…」

 不思議だ。感情に訴えたわけでも、言葉で言い負かしたわけでも、暴力的なことをしたわけでもない。静かで強い確信は、内なるものだった。それなのに、デルヴィスはおれの言葉を受け入れ、譲歩した。

「どんな手を使ったんだい?」

 ふとラルジュに問われ、ぼんやり答える。

「内側の光を意識して、それを大切にしたいって思って…。要求は呑めないって、普通に言ったら、聞いてくれた」
「なるほど」

 ラルジュはちらとこちらに目をやり、感心したように言う。

「大したものだ」
「……そうか?」
「君はなんでもない事のように言うけれど、普通でいられるような精神状態ではなかっただろう。様々な感情が湧いていたはずだ」
「まぁな」

 あのときは窮地に陥っていた。だからこそ、これしかないと、強く信じられたのかもしれない。

「君は、自分の力を取り戻したんだね」
「力?」
「誰かの言葉で心が乱れるとき、その人の言葉に力を与えているのは自分だ。自分の内側に力を取り戻せば、どんなときでも冷静でいられる」

 その感覚は、少しわかる気がした。あのとき、状況や感じていた感情は関係なかった。自分がどうしたいか。どうありたいか。それだけだった。

『真の強さは、己への信頼から生まれる』

 エレミアが言っていたのも、こういうことかもしれない。それでもデルヴィスに聞き入れてもらえなかったら…、などという疑念は、ほんの少しもなかったから。それはつまり、信頼していたということだ。

「ちょっと、わかった気がする」

 呟いたおれの視界で、美しい光たちが祝福するように煌めいた。


 さてさて、やって来ましたテスト週間。おれが何より嫌だったのは、

「はよーございます」

 ダリヌに課された朝の挨拶運動である。

「あの子、なんでやってんだ? テスト週間なのに」
「また何かやらかしたのか…?」

 ――テスト週間に一人でしているとあっては、何かの罰だろうと誰もが察する。それがリュエルなものだから、「またあの子か」となるわけである。

「君の知名度は上々ですね」

 レルヒがのほほんと落とす。理由が理由なだけに、おれは眉根を寄せた。

「はよーございます」

 これでもあの一件から、少しはまともにやっている。どうやら評判はダリヌの耳にも入るらしいので、また何か言われたくないからだ。

「おはよう。がんばれよ」

 なかには、そんな言葉をかけてくれる人もいた。

「今日も生意気に綺麗だな。っその目! ああ……今日も一日なんとか乗り越えられそうだ」

 たまに妙なことを言う人もいたが、眉根を寄せてスルーした。

「はよーございます」
「おはよう。糸目野郎とデキてるって本当か? 肩を抱かれて仲睦まじくしてるのを見たってやつがいるんだ。嘘だよな? あの性悪糸目の餌食になったなんて、」

 肩に手が置かれそうになったところで、後ろからぬっと現れた糸目。いい笑顔だ。

「おはよう」
「ひぃっ…、俺は絶対信じないからな!!」

 おれは顔をしかめた。

「だれもそうなんて言ってねえっつの」
「言わせておけばいいよ」
「勘違いされて、あんたはイヤじゃないのかよ?」

 ラルジュはなんだか楽しそうだ。怪訝な顔をしてしまう。

「ところでリュエル、糸目野郎って誰のことだろうね」

 サァーっと体感温度が氷点下まで下がった。

「…………おはようございます」
「お、おはよう」
「……はよう」

 現実逃避で道行く生徒にペコリと挨拶する。あまりの恐ろしさに横を向けない。

「どうしたんだい? リュエル。寒さに震えるのはわかるとして、運動もしていないのに汗をかいているようだけど」
「き、気のせいだろ」

 おれは顔を蒼くしてダラダラと汗を流している。ガクガク震えるのは、寒さのせいだけではない。

「オハヨウゴザイマス」
「おはよう」
「おはようございます」
「おう、はよ」

 視界に映った金髪に思わず顔を上げてしまった。見惚れるほど綺麗な群青色の瞳とかち合う。
 ――アルシャは蒼白い顔のすがるようなセスレトに、うっかり足を止めそうになった。

「テスト週間なのに挨拶運動か?」

 オルキデが自然に言って足を止める。それでアルシャとカイトも立ち止まった。道行く生徒たちがこちらを見ている。
 おれは睫毛を伏せて口を開いた。

「廊下で先生にぶつかって。……おれの、不注意だったんで」

 頭にはブリランテの一件が浮かんでいた。悪気はなくても、あんなふうに惨事になりかけることもあるのだと。

「へえ。ま、ドンマイ」

 オルキデは細い肩にポンと手を置く。それだけのことでこんな罰をと、聞いていた多くの生徒が思ったに違いない。オルキデだって思った。だからこそ、オルキデたちが余計な言葉をかける必要はないだろう。


 ――歩みを再開させたアルシャがボソリと言う。

「オルキ、ありがとう」
「頼りになる侍衛だろ?」
「まったくね」

 アルシャが反応をしてリュエルを贔屓にしていると周りに思われたら、リュエルによくない影響を及ぼす可能性がある。先ほどはオルキデが話しかけたことで、いらぬ疑念を生まずに済んだ。それだけでなく、

「あの子の印象をよくする効果もあったでしょうね」

 カイトが口角を上げた。リュエルに同情する生徒も出てくるだろう。それが親しみに変わり、応援したいと思われたら万々歳である。

「あいつは最初の印象が最悪だったからな。あとは上がるだけだろうさ」

 オルキデは頭の後ろで手を組み、ふっと笑った。
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