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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる
八
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テスト週間にも関わらず、毎日一人で朝の挨拶運動をするリュエルの話題はすぐに学び舎中に広まった。
「この寒いなか、健気だね。優しく抱きしめてあげたいよ」
そんなことを言う生徒も少なくない。リュエルに対する認識は、明らかに変わりつつあった。
「リュエル、おつかれ」
――教室に入れば、メルがテテテッとやって来る。おれは煌めく眩しい海色の瞳に目を細め、冷えた手で檸檬色の髪を撫でた。これぞ朝の癒し。
テストの方は、それなりに回答が書けている。レルヒお手製の模擬テストとほぼ同じ内容の物もあったりして舌を巻いた。果たして、レルヒの家庭教師の結果はいかに。
「今日は三年生の実技の日だって。リュエル、見に行く?」
昼休憩にやるらしい。アルシャもいるだろうか。
「アルシャさんはもうカムナギだから、やらないらしいんだけど…」
なんとはなしに続けられた言葉に、指がピクリと動いた。
「おれは行かねえ」
「リュエルは他の人のウタ、あんまり興味ないよね」
メルは苦笑する。
「他人のウタ聞いてどうすんだよ」
「え? うーん…。家によってリズムの取り方がちょっと違っていたりして、面白いよ」
「へえ」
――それ以前にメルは、周りの実力が気になってしまう。さもどうでもいいという雰囲気のリュエルが、少し羨ましかった。
放課後にはラルジュが迎えに来て、デルヴィスの執務室へ。
「よろしくお願いします」
始まりは挨拶のキスとハグから。デルヴィスは結局、何もしてこない。おれは次第に、頬へキスすることへの抵抗感がなくなっていた。
「ダリヌ先生はもくろみが外れて、かなりイライラしているぞ」
デルヴィスは隣に椅子を持ってきて座り、肩を抱いてくる。
「そーですかっ」
腕を外してやったが、懲りずにまた巻きつけてきた。
「やめろ」
いたずらに髪を撫でられるたび、その手を叩く。
「君の嫌がることは全てチャラにしたんだ。これくらいいいだろう? かわいい我が君」
「……なんだよ、我が君って」
「君こそ私のカムナギだという意味さ。ちなみに、一番指示されている者が聖華と呼ばれる」
私は本気で君にカムナギになってほしいと思ってるんだと、デルヴィスは続けた。遠慮なくあれやこれやをしてくるくせに、本当にそんなことを思っているのだろうか。
「ああ……この角度から見る君も堪らん゙ッ」
「邪魔だ離れろ」
煩くて集中できやしない。おれは頭突きをかましてやった。デルヴィスは額を抑えて呻いていたが、わりとすぐに復活した。
「明日は私のテストだな。せっかくこうして練習させてるんだ。きちんと応えろよ」
おれは手の届く距離にあった端正な顔面を掴んで離し、デルヴィスを睨みつける。
「ふぐっ」
「おれが応える相手はレルヒだ」
ちゃんとできたなら、それはレルヒのおかげだ。あんたじゃねえよと凄む。
「……いいなぁレルヒ。私も君に、そんなふうに言ってもらいたいものだよ」
素直に落とされた言葉に耳が熱くなった。
さてさてついに、一年聖音科の実技試験がやってきた。試験では出番の前も後も、用意された最前列の席でみんなのウタを聞かなくてはならない。
「こんなに近くから見られたら、緊張しちゃうよ」
採点する教師は発表者の目の前の席にいて、紙に何やら書きつけている。
「では、順番に始めましょう」
振り返って見ると、いつかの披露会さながらの人の入りだ。にわかに緊張が湧き上がる。
「ドキドキしてきた…!」
メルは胸を抑えてぎゅっと目を閉じていた。
~ズァチィノ゙メシ゚~ ホィスォフ~イゾァフォフィ~
皆、紡ぐ聖紋は同じだ。しかし、メルの言っていたようにそれぞれのリズムというものがある。同じウタでも、人によって印象が異なるから面白いものだ。つっかえてしまう人はいたが、今のところ、見ていられないという人はいない。
「次、リュエル・フラム」
「はい、先生」
講義では主に、発声や美しい発音について学んできた。これまであまり意識せずに紡いでいたおれは、発音を意識すればするほど流れるように紡げなくなる。
(綺麗に発音しないと)
余計な思考が、音色や身体を硬くするようだった。
「どうしたんでしょう」
二階席から見守っていたレルヒは眉根を寄せた。リュエルのウタは、こんなに拙いものだっただろうか。
「妙に力が入っているね」
ラルジュもじっとリュエルを観察している。今のリュエルのウタは、心を委ねようという気になるどころか、魅力が感じられない。
「リュエルはここへ来るまでカムナすら知らず、発音も、習ったことはないんだったね」
「ええ、そう話していましたが」
リュエルは聞き覚えたウタを紡いでいた。さぞかし耳がいいのだろう。
「うん…」
だとすれば。これまで無意識にしていたことを意識するようになり、これまでのようにできなくなってしまった。また、教師がお手本に紡ぐ教科書通りのウタを聞き、まったくもってその通りになってしまった、と。
すぐに答えに辿り着いたラルジュは、短く息を吐く。
「もう知らなかった頃には戻れない、か…?」
知ってしまえば、人間、意識してしまうものだ。
「ラルジュ?」
「リュエルが発音について学んだ記憶を、すべて奪ってしまいたいよ」
リュエルのウタは、あとは発声について講義で学ぶだけというくらい完成されたものだったのに。
「思いっきり頭を殴れば、忘れるかもしれませんよ」
レルヒはさらりと返した。
「……他のことまで忘れたらどうするんだい」
「ああ、そうですね」と目を瞬く彼は、他の追随を許さない二年の聖文科首席である。
「この寒いなか、健気だね。優しく抱きしめてあげたいよ」
そんなことを言う生徒も少なくない。リュエルに対する認識は、明らかに変わりつつあった。
「リュエル、おつかれ」
――教室に入れば、メルがテテテッとやって来る。おれは煌めく眩しい海色の瞳に目を細め、冷えた手で檸檬色の髪を撫でた。これぞ朝の癒し。
テストの方は、それなりに回答が書けている。レルヒお手製の模擬テストとほぼ同じ内容の物もあったりして舌を巻いた。果たして、レルヒの家庭教師の結果はいかに。
「今日は三年生の実技の日だって。リュエル、見に行く?」
昼休憩にやるらしい。アルシャもいるだろうか。
「アルシャさんはもうカムナギだから、やらないらしいんだけど…」
なんとはなしに続けられた言葉に、指がピクリと動いた。
「おれは行かねえ」
「リュエルは他の人のウタ、あんまり興味ないよね」
メルは苦笑する。
「他人のウタ聞いてどうすんだよ」
「え? うーん…。家によってリズムの取り方がちょっと違っていたりして、面白いよ」
「へえ」
――それ以前にメルは、周りの実力が気になってしまう。さもどうでもいいという雰囲気のリュエルが、少し羨ましかった。
放課後にはラルジュが迎えに来て、デルヴィスの執務室へ。
「よろしくお願いします」
始まりは挨拶のキスとハグから。デルヴィスは結局、何もしてこない。おれは次第に、頬へキスすることへの抵抗感がなくなっていた。
「ダリヌ先生はもくろみが外れて、かなりイライラしているぞ」
デルヴィスは隣に椅子を持ってきて座り、肩を抱いてくる。
「そーですかっ」
腕を外してやったが、懲りずにまた巻きつけてきた。
「やめろ」
いたずらに髪を撫でられるたび、その手を叩く。
「君の嫌がることは全てチャラにしたんだ。これくらいいいだろう? かわいい我が君」
「……なんだよ、我が君って」
「君こそ私のカムナギだという意味さ。ちなみに、一番指示されている者が聖華と呼ばれる」
私は本気で君にカムナギになってほしいと思ってるんだと、デルヴィスは続けた。遠慮なくあれやこれやをしてくるくせに、本当にそんなことを思っているのだろうか。
「ああ……この角度から見る君も堪らん゙ッ」
「邪魔だ離れろ」
煩くて集中できやしない。おれは頭突きをかましてやった。デルヴィスは額を抑えて呻いていたが、わりとすぐに復活した。
「明日は私のテストだな。せっかくこうして練習させてるんだ。きちんと応えろよ」
おれは手の届く距離にあった端正な顔面を掴んで離し、デルヴィスを睨みつける。
「ふぐっ」
「おれが応える相手はレルヒだ」
ちゃんとできたなら、それはレルヒのおかげだ。あんたじゃねえよと凄む。
「……いいなぁレルヒ。私も君に、そんなふうに言ってもらいたいものだよ」
素直に落とされた言葉に耳が熱くなった。
さてさてついに、一年聖音科の実技試験がやってきた。試験では出番の前も後も、用意された最前列の席でみんなのウタを聞かなくてはならない。
「こんなに近くから見られたら、緊張しちゃうよ」
採点する教師は発表者の目の前の席にいて、紙に何やら書きつけている。
「では、順番に始めましょう」
振り返って見ると、いつかの披露会さながらの人の入りだ。にわかに緊張が湧き上がる。
「ドキドキしてきた…!」
メルは胸を抑えてぎゅっと目を閉じていた。
~ズァチィノ゙メシ゚~ ホィスォフ~イゾァフォフィ~
皆、紡ぐ聖紋は同じだ。しかし、メルの言っていたようにそれぞれのリズムというものがある。同じウタでも、人によって印象が異なるから面白いものだ。つっかえてしまう人はいたが、今のところ、見ていられないという人はいない。
「次、リュエル・フラム」
「はい、先生」
講義では主に、発声や美しい発音について学んできた。これまであまり意識せずに紡いでいたおれは、発音を意識すればするほど流れるように紡げなくなる。
(綺麗に発音しないと)
余計な思考が、音色や身体を硬くするようだった。
「どうしたんでしょう」
二階席から見守っていたレルヒは眉根を寄せた。リュエルのウタは、こんなに拙いものだっただろうか。
「妙に力が入っているね」
ラルジュもじっとリュエルを観察している。今のリュエルのウタは、心を委ねようという気になるどころか、魅力が感じられない。
「リュエルはここへ来るまでカムナすら知らず、発音も、習ったことはないんだったね」
「ええ、そう話していましたが」
リュエルは聞き覚えたウタを紡いでいた。さぞかし耳がいいのだろう。
「うん…」
だとすれば。これまで無意識にしていたことを意識するようになり、これまでのようにできなくなってしまった。また、教師がお手本に紡ぐ教科書通りのウタを聞き、まったくもってその通りになってしまった、と。
すぐに答えに辿り着いたラルジュは、短く息を吐く。
「もう知らなかった頃には戻れない、か…?」
知ってしまえば、人間、意識してしまうものだ。
「ラルジュ?」
「リュエルが発音について学んだ記憶を、すべて奪ってしまいたいよ」
リュエルのウタは、あとは発声について講義で学ぶだけというくらい完成されたものだったのに。
「思いっきり頭を殴れば、忘れるかもしれませんよ」
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