美しい世界を紡ぐウタ

日燈

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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる

十一

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 寮へ向かう道すがら、ふとかすかなウタが耳に届いた。目をやると、ブリランテが木陰で紡いでいる。一人でいるのも珍しいが、なにより柔らかな表情に目を奪われた。憎たらしい顔ばかり見てきたので新鮮だ。
 ふとブリランテが上向いた。偉そうだが、その笑顔は柔らかい。その視線の先、木から飛び降りた人影。ランザームだ。どうやら一人でいたのではなかった。そういえば、彼らは幼馴染みだったか。

「一年聖音科のトップはブリランテだったね」

 ラルジュの声で我に返った。

「ああ」

 総合トップはブリランテだった。どの科目も安定して三位以内にいる。

「あれで彼は努力家らしい。レルヒのようにおかしな頭の持ち主ではないから、君にもトップを取ることは可能だよ」

 そうなのか。努力という言葉のイメージは、ブリランテにはないのだが。

「ラルジュ、私の頭は正常です」

 真顔で言い切るレルヒ。それを見たら、ちょっとその頭が心配になった不思議。

「君も紡ぎたいかい?」

 ふと問われ、いつかのグランの言葉を思い出した。たまにはあの頃のように外で紡ぐのもいいかもしれない。

「いい場所があるよ」

 おれの顔を見て内心を悟ったらしいラルジュが笑みを深めた。

 寮へ向かう道から逸れ、木々の間を進む。生徒は見かけない。心地好い静けさの中、梢が風に揺れる音や鳥の声がどこからか聞こえていた。

「ここならあまり人が来ない」

 ラルジュは「俺たちはそこら辺にいるから」と言ってレルヒを伴い、向こうへ行ってしまった。おれは辺りを見渡す。目についた、ちょっとした丘のような所に向かい、なだらかな斜面に腰かけた。

(一人になるのは久しぶりだ)

 心が落ち着く晩秋の匂いに満たされて。吹き抜ける風は冷たいが、天気が良いのでそこまで寒さを感じない。どこまでも広がる青に清々しさを覚えた。

 ~~ホィスモッ゙ ビェナ~ォイイメシ゚~~

 自然とウタが口をつく。周りに誰もいないと思うと、気持ちも伸びやかになった。
 紡ぎ終わると、目を閉じて一人、余韻に浸る。不意にカサッカサッと草を踏む音が耳につく。ハッとして目蓋を開ければ、アルシャがいた。

「君らしいウタで安心したよ」

 最悪な実技試験はアルシャも聞きに来ていたらしい。あの時は、周りに目をやる余裕もなかった。アルシャは少し離れた所に佇み、風に髪を遊ばせている。

「君は真面目だね。あんなに教科書通りのウタ、僕は紡ごうと思っても紡げないな」

 嫌味だろうか。おれは眉根を寄せてしまったが、群青色の瞳が優しく煌めくので耳が熱くなる。

「ここは気持ちがいいね」

 言いながら、口許に手を当て欠伸するアルシャ。よく見ると疲れた顔をしている。

「寝てないのか?」
「移動中に寝たんだけど」

 いつもはやたらと近くに来るのに、今日はなんだか距離を保っているように感じる。

「あんたも座れば?」

 芝生に座っていたおれはなんとはなしに口にして、自分の言葉に動揺した。疲れているようだから座ったらいいと思った。それだけだ。するとアルシャは目を瞬いて、見惚れるような笑みを浮かべる。しかし次には苦笑した。

「いま君のところへ行ったら、甘えてしまいそうでね」

 キョトンとしてしまう。

「まぁいいか」

 ポカンとしているうちにアルシャが隣に座っていて、その腕に覆い被さるように抱きしめられた。

「!?」
「誘ったのは君だろ」

 アルシャは耳許で囁き、ほぅっと息を吐く。背筋がゾクゾクした。

「君は少し見ないうちに、どんどん綺麗になってしまうね」
「、は?」
「キスしてって言ったら、してくれる?」

 「僕にも」と聞こえた気がしてドキリとした。デルヴィスとの件は知らないだろうと思うけど――。

「冗談だよ」

 アルシャはおれの首筋でクスリと笑った。くすぐったくて、「はなれろ」と言いそうになる。しかし相手は疲れた様子のアルシャだ。おれは耳を赤くしたまま固まって、湧き上がる様々なものに耐えていた。

「あの糸目が羨ましいよ。いつも君の側にいられるんだから…」

 言葉が途切れてからしばらく。動かないアルシャを不審に思い、息を殺して様子を窺ってみたところ。

(寝てる…?)

 アルシャはすやすやと健やかな寝息を立てていた。緊張していたのか、まったく気づかなかったおれである。すぐ近くにある端麗な顔。閉じられた目蓋は蒼白い。金色の睫毛はふさふさだった。
 アルシャが寝ているのをいいことに、思う存分その顔を見てしまう。すっと通った鼻筋。薄く開かれた唇は淡く色付いて――。この唇。ここから、この上なく心を満たす美しいウタが紡がれるのだ。

『キスしてって言ったら、してくれる?』

 ドキリとした。デルヴィスにするのとはわけが違う。この唇に口づけるのを想像したら、胸のドキドキが止まらなくなった。
 薄く開かれた唇から目が離せない。
 おれは高鳴る鼓動に後押しされて吸い寄せられるように顔を寄せ、ついには無防備な唇へ己のそれを重ねてしまった。ジワリと胸に広がる痺れ……って、

(ヤバっ)

 ハッとして目を開け顔を離してみれば、その振動で目が覚めたのか、群青色の瞳とバッチリ絡む視線。その目が驚きに見開かれている。

「いや、その、」

 目が泳ぐ。顔を赤くしたり蒼くしたり。上手い言い訳はないかと考えてみたのだが。ダメだ。何も浮かばない。消沈し、俯いて口を開こうとしたまさにその時。ガバリと抱きしめられて、言葉をなくした。

「ホントにしてくれるなんて思わなかった」

 アルシャの声が震えている。おれはやはり、なんと言っていいのかわからず、

「……ごめん」

 とりあえず、寝込みに勝手にしてしまったことを詫びた。

「君からのキスなら、いつでも大歓迎だよ」

 アルシャはクスリと笑う。それから抱擁を解き、目を合わせて囁くように言った。

「僕もしていいかな」

 勝手にした分際で拒否などできるだろうか。おれは目をそらして口を開く。

「……好きにすればッ、」

 途端に唇が触れ合い、にわかに驚いた。
 何度も、求めて止まないとでもいうように重なる唇。じゅわじゅわと身体中を構成する粒子が振動している。息が苦しくなっても、やめてほしいなんて思えない。

「君は、離れている間に色々と慣れていくね」

 アルシャは呟くように落とした。

「誰が教えてくれたの?」
「そんなの、ないっ」
「一人でエッチなことしてたら、慣れるものかい?」
「してねえよ!」

 おれは半ば口パクで囁くように答える。アルシャは顔を離して続けた。

「ラルジュ…、デルヴィス先生かな。どこまでされたの? リュエル」
「べつに、……」

 思い出したくない記憶だ。それが伝わったのか、アルシャは小さく息を吐く。

「まぁいいや。あんまり僕の知らないところで、手慣れてしまわないでね」

 その微笑はどこか寂しげで、なんだか切なくなった。
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