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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる
十八
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「そんな顔しないでくれよリュエル、なんだか妙な気分になるからっ」
「、うるさいっ!」
よくわからない物を飲まされ、精神的に不安定になっている自分を感じる。普段なら少しくらい顔面を繕えるのに眉尻が下がるのを止められないし、涙が出そうだ。その上、味方という確信のあるランザームに縋りついてしまう。
「勘弁してよ、ドキッとしちゃうだろっ」
――ランザームは理性と闘いながらなんとか控え室へ辿り着いた。
レルヒも転げながらやって来る。
「ここへ通じる通路を封鎖し、アルシャさんを連れてきてください」
「アルシャさん? ラル兄じゃなくて?」
「ラルジュにして! 頼む」
こんな情けない姿はアルシャに見せなくない。おれはランザームに向け、助けを求めるように言った。
「っ君ね、……後が怖いから俺はレルヒさんに従うよ」
「まっ」
見知ったおっとりに似合わない俊敏さでランザームは控え室から消えた。
「レルヒ、なんで…」
軽く絶望感に襲われる。
「アルシャさんを呼べば、ラルジュも来ますよ。二度手間じゃないですか」
レルヒに促され、背中合わせに置かれたソファの一つに並んで座る。そうだ、来てしまうなら、それまでにこの状態をなんとかすればいいのだ。焦って口を開いた。
「ぼ…、おれが飲まされたのってなに? どうしたら治る?」
確固たる自分という感覚が解けていくようで恐怖を覚える。自分とはどういうものだったのか曖昧で、いつもどのような言葉使いで、どのような感じで話していたのかもわからない。
「君は暴露薬を盛られたのでしょう。それを飲まされると、深い部分の本当の自分が現れると聞きます」
「暴露薬…」
『これは本性を暴く薬だよ。君は欲求に逆らえなくなる。その淫らな姿をみんなに見てもらうといいよ!』
朧な意識で聞こえた声を思い出した。サァーッと血の気が引いていく。
「どうしたら…」
「……私も、詳しくは知りません。一定時間が経過すれば勝手に効果が切れるのかもしれませんし、解毒剤のようなものがあるのかもしれません」
「そんな、レルヒもわからないなんて」
レルヒも知らないようなことを、アルシャやラルジュが知っているだろうか。絶望に襲われ、膝を抱えてしまった。
「長引くようでしたら、人目を避けて寮へ戻りましょう」
慰めるように背中を撫でられると涙が出る。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。考えると、悲しくなってしまうのだ。それに、優しい手の感覚にも泣けた。
「っ、ぅっ、」
「リュエル、大丈夫ですよ。私たちには、どんな姿を見せても大丈夫です」
「っいやだ、見られたくないっ」
「大丈夫ですよ、大丈夫です」
――レルヒとて、簡単に涙を見せないリュエルが泣いていることに動揺を覚えないわけではない。しかし、いま一番不安で動揺しているのはリュエルだ。だから、動揺を隠すように細身の身体を抱きしめた。
リュエルは助けを求めるように抱きついてくる。可哀想なのに、それが可愛くて、レルヒは参ってしまった。
(こんな姿は、見せられませんね)
己の判断は正しかった。レルヒは小さく息を吐き、早くアルシャたちが来るよう祈った。
一方その頃、ランザームは必死にアルシャのもとへ向かっていた。
「ごめんねー、ちょっと通して。ああ、すいません」
頭を過る、リュエルの幼気な声と顔。普段のツンからは想像もつかないあの姿は衝撃的だった。……しばらく忘れられそうにない。
「エレミアさまー!!!!!!」
「……ちょっと前通してね」
ランザームが人混みを掻き分けているとき、ラルジュとエレミアは開始の合図を待って闘技場で向かい合っていた。
「今回は、少しはおまえの本気が見られそうだな」
「どうでしょうね」
ふとラルジュの視界に、機敏に動くランザームが映る。ランザームが機敏に動くのは緊急事態の時だけだ。向かう先は――アルシャか。リュエルたちを見守るように、ランザームにこっそりと言い付けておいたのだ。
(リュエルがアルシャさんの手を借りねばならない状態になっている)
指示をしたのはレルヒだろう。それはつまり、襲われたかあるいは――。
「そろそろだな」
教師がエレミアとラルジュに目をやる。決勝戦が始まろうとしていた。
(ここは勝って退く方がスムーズか)
「始め!」
その瞬間、人類とは思えないスピードでラルジュは動いた。体勢を低く保って風のように駆け、下から首へ剣を突きつける。
エレミアすら目を見開いた。
観客も教師も一瞬のうちにエレミアに迫ったラルジュに唖然としている。まったく姿が追えていなかった。
「……参った」
その言葉を聞いた瞬間、ラルジュは剣を収め、今度は風のように闘技場を後にする。
「……勝者、ラルジュ…」
ヒュオー―ー
あれは幻だったのだろうか。すでにどこにもラルジュの姿はない。
あの人、人だよね?
困惑の場内。消えた優勝者。教師は途方に暮れた。ただ一名、事態を察したエレミアも、ラルジュを追うように走り出す。
「、待て、君までいなくなられては、」
「緊急事態です。御免」
教師顔負けの渋さで口にし、行ってしまった。
「……あー、ということで、今大会の優勝者は二年のラルジュ・フリューゲルでした!」
いまいち盛り上がりに欠ける中、司会進行の生徒は必死に声を張り上げた。
「リュエルが…」
機敏なランザームとその言葉にアルシャは目を見開く。
「こっちです」
お茶会三人組でランザームを追った。そこにいつの間にかラルジュが加わる。
「ラル兄、試合は?」
「もう終わったよ。何があったんだい」
盛り上がりに欠けたためまったく気づかなかった。リュエルのことで頭がいっぱいだったランザームは驚いたような顔をする。そうして、道すがらに経緯を語った。
「俺もトイレ行きたくてさ、ちょうどよかったと思ったんだ。だけど出たら見失っちゃって…」
倒れたレルヒを見つけたときは肝が冷えた。二人ともわりと人目がある所にいてよかった。特に、リュエルはあれで他の人に先に見つけられていたら、大変な目に遭ったかもしれない。
「ランザーム、ラルジュ、何があった」
ほどなくして追いついたエレミアに簡潔に説明したのはラルジュだ。
「私はここで人が入らぬよう見張っている」
「オレもここにいるな」
「頼みます」
控え室へ続く通路の入り口に立つエレミアとオルキデ。
「私は薬草学の先生に伺ってみます」
「よろしくお願いします」
カイトが走り去る。ランザームが控え室のドアを開いた。
「リュエル、」
リュエルはソファに膝を立てて座り、レルヒに抱きしめられていた。
「リュエル、アルシャさんが来ましたよ」
「やだっ、レルヒ、行かないで」
レルヒが立ち上がって去ろうとすると、追い縋るように腕が伸ばされる。
「リュエル…」
「リュエル、僕といるのはイヤ?」
「っ、こっち見るな!」
リュエルは泣き腫らした顔を隠すように立てた膝に額をつけた。
「わかった、見ないよ。隣に座るだけならいいだろ?」
綺麗な銀髪が小さく頷くように揺れる。それを了解とみて、アルシャはリュエルの隣に腰を下ろした。ラルジュとレルヒは目を合わせ、ランザームを連れて静かに部屋を出る。
「俺、もう用済みだろ? それじゃ」
ランザームは早々と去った。行き先はそう、みんな大好きトイレット。
「、うるさいっ!」
よくわからない物を飲まされ、精神的に不安定になっている自分を感じる。普段なら少しくらい顔面を繕えるのに眉尻が下がるのを止められないし、涙が出そうだ。その上、味方という確信のあるランザームに縋りついてしまう。
「勘弁してよ、ドキッとしちゃうだろっ」
――ランザームは理性と闘いながらなんとか控え室へ辿り着いた。
レルヒも転げながらやって来る。
「ここへ通じる通路を封鎖し、アルシャさんを連れてきてください」
「アルシャさん? ラル兄じゃなくて?」
「ラルジュにして! 頼む」
こんな情けない姿はアルシャに見せなくない。おれはランザームに向け、助けを求めるように言った。
「っ君ね、……後が怖いから俺はレルヒさんに従うよ」
「まっ」
見知ったおっとりに似合わない俊敏さでランザームは控え室から消えた。
「レルヒ、なんで…」
軽く絶望感に襲われる。
「アルシャさんを呼べば、ラルジュも来ますよ。二度手間じゃないですか」
レルヒに促され、背中合わせに置かれたソファの一つに並んで座る。そうだ、来てしまうなら、それまでにこの状態をなんとかすればいいのだ。焦って口を開いた。
「ぼ…、おれが飲まされたのってなに? どうしたら治る?」
確固たる自分という感覚が解けていくようで恐怖を覚える。自分とはどういうものだったのか曖昧で、いつもどのような言葉使いで、どのような感じで話していたのかもわからない。
「君は暴露薬を盛られたのでしょう。それを飲まされると、深い部分の本当の自分が現れると聞きます」
「暴露薬…」
『これは本性を暴く薬だよ。君は欲求に逆らえなくなる。その淫らな姿をみんなに見てもらうといいよ!』
朧な意識で聞こえた声を思い出した。サァーッと血の気が引いていく。
「どうしたら…」
「……私も、詳しくは知りません。一定時間が経過すれば勝手に効果が切れるのかもしれませんし、解毒剤のようなものがあるのかもしれません」
「そんな、レルヒもわからないなんて」
レルヒも知らないようなことを、アルシャやラルジュが知っているだろうか。絶望に襲われ、膝を抱えてしまった。
「長引くようでしたら、人目を避けて寮へ戻りましょう」
慰めるように背中を撫でられると涙が出る。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。考えると、悲しくなってしまうのだ。それに、優しい手の感覚にも泣けた。
「っ、ぅっ、」
「リュエル、大丈夫ですよ。私たちには、どんな姿を見せても大丈夫です」
「っいやだ、見られたくないっ」
「大丈夫ですよ、大丈夫です」
――レルヒとて、簡単に涙を見せないリュエルが泣いていることに動揺を覚えないわけではない。しかし、いま一番不安で動揺しているのはリュエルだ。だから、動揺を隠すように細身の身体を抱きしめた。
リュエルは助けを求めるように抱きついてくる。可哀想なのに、それが可愛くて、レルヒは参ってしまった。
(こんな姿は、見せられませんね)
己の判断は正しかった。レルヒは小さく息を吐き、早くアルシャたちが来るよう祈った。
一方その頃、ランザームは必死にアルシャのもとへ向かっていた。
「ごめんねー、ちょっと通して。ああ、すいません」
頭を過る、リュエルの幼気な声と顔。普段のツンからは想像もつかないあの姿は衝撃的だった。……しばらく忘れられそうにない。
「エレミアさまー!!!!!!」
「……ちょっと前通してね」
ランザームが人混みを掻き分けているとき、ラルジュとエレミアは開始の合図を待って闘技場で向かい合っていた。
「今回は、少しはおまえの本気が見られそうだな」
「どうでしょうね」
ふとラルジュの視界に、機敏に動くランザームが映る。ランザームが機敏に動くのは緊急事態の時だけだ。向かう先は――アルシャか。リュエルたちを見守るように、ランザームにこっそりと言い付けておいたのだ。
(リュエルがアルシャさんの手を借りねばならない状態になっている)
指示をしたのはレルヒだろう。それはつまり、襲われたかあるいは――。
「そろそろだな」
教師がエレミアとラルジュに目をやる。決勝戦が始まろうとしていた。
(ここは勝って退く方がスムーズか)
「始め!」
その瞬間、人類とは思えないスピードでラルジュは動いた。体勢を低く保って風のように駆け、下から首へ剣を突きつける。
エレミアすら目を見開いた。
観客も教師も一瞬のうちにエレミアに迫ったラルジュに唖然としている。まったく姿が追えていなかった。
「……参った」
その言葉を聞いた瞬間、ラルジュは剣を収め、今度は風のように闘技場を後にする。
「……勝者、ラルジュ…」
ヒュオー―ー
あれは幻だったのだろうか。すでにどこにもラルジュの姿はない。
あの人、人だよね?
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「、待て、君までいなくなられては、」
「緊急事態です。御免」
教師顔負けの渋さで口にし、行ってしまった。
「……あー、ということで、今大会の優勝者は二年のラルジュ・フリューゲルでした!」
いまいち盛り上がりに欠ける中、司会進行の生徒は必死に声を張り上げた。
「リュエルが…」
機敏なランザームとその言葉にアルシャは目を見開く。
「こっちです」
お茶会三人組でランザームを追った。そこにいつの間にかラルジュが加わる。
「ラル兄、試合は?」
「もう終わったよ。何があったんだい」
盛り上がりに欠けたためまったく気づかなかった。リュエルのことで頭がいっぱいだったランザームは驚いたような顔をする。そうして、道すがらに経緯を語った。
「俺もトイレ行きたくてさ、ちょうどよかったと思ったんだ。だけど出たら見失っちゃって…」
倒れたレルヒを見つけたときは肝が冷えた。二人ともわりと人目がある所にいてよかった。特に、リュエルはあれで他の人に先に見つけられていたら、大変な目に遭ったかもしれない。
「ランザーム、ラルジュ、何があった」
ほどなくして追いついたエレミアに簡潔に説明したのはラルジュだ。
「私はここで人が入らぬよう見張っている」
「オレもここにいるな」
「頼みます」
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「私は薬草学の先生に伺ってみます」
「よろしくお願いします」
カイトが走り去る。ランザームが控え室のドアを開いた。
「リュエル、」
リュエルはソファに膝を立てて座り、レルヒに抱きしめられていた。
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