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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる
十九
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様々な感情が渦巻いている。半ばパニックだ。隣にはこんな姿を見られたくないと一番に思う相手――アルシャがいる。
(見られたくないけど、隣にいられるのはイヤじゃない)
矛盾した思考をまとめられない。口を開けば、おかしなことを言ってしまうかもしれない。それが怖くて、唇を引き結んでいた。
「リュエル、フィーデルへ来てよかったって、思ってる?」
落ち着いた声にぽつりと問われ、こくりと頷く。
「……よかった。君の立場をわかっていながら、僕は君に推薦状を渡した。君は大変な目に遭うかもしれない。そう思ったけれど、それでも君に、ここへ来てほしかったんだ」
「聖界に、必要だから?」
以前、アルシャはそう言ったのだ。
「それもあるけれど…。本当は、個人的な思いのほうが強かったよ。君には、カムナギが似合うと思った。この素晴らしい世界こそ、その目に映してほしかったんだ」
そうしてアルシャは、小さく「ごめんね」と落とした。
「……なんで?」
「危惧したように、君は大変な体験をしてしまった。それでも僕は、君を誘ったことを後悔していない」
静かな声に、迷いはない。その強さに惹きつけられるように顔を上げた。
アルシャはひたすら前を向いている。美しい横顔をじっと見てしまったが、こちらを向くことはなかった。
「そんなに見られたら、恥ずかしいよ」
小さく苦笑している。
「っごめん、」
「ううん。僕も、君の方を向いていいかな」
そこで自分がアルシャに「見るな」と言ったことを思い出した。前を向いて、抱えた膝の上に顎を乗せる。
「……ちょっとだけなら」
「ありがとう」
視線を感じて耳が熱くなる。たくさん泣いてしまって、まだ目蓋が重たいくらいだ。
「もういいだろ」
「僕だって、もっと見ていたいんだよ?」
アルシャは肩をすくめて視線を正面に戻した。そうして、独り言のように話し出す。
「幼い頃、君に会ったのを覚えてる。かすかに聞こえたウタが綺麗で、気付けば足が向いていた。君を見つけたときは、舞い上がるようは心地だったよ。まるで精靈に会ったような感覚だった」
「、精靈?」
「そう思うくらい小さな君は…、そのウタも、素敵だった。その輝かしい存在が、緑の中に溶け込むようにいたんだ。そんなふうに思っても、おかしくないだろ?」
そう言われても。誰かに見つかって茶化されたりしないように、こっそり隠れて紡いでいただけだ。
「ウタを紡ぐとき、いつも君を思ったよ。いつかまた会えると思ってた。君もカムナギになるに違いないって」
「……ウタを紡ぐのは、ずっと好きだったけど。カムナギはあんまり遠くて…」
「君が “ウタ紡ぎ” として活動しているのを知って、なんだか衝撃だったな」
ぎゅっと膝を抱える。
「やっぱり、よくない事だと思ってる?」
「そうじゃない。輝かしい世界にばかり目を向けていた自分が情けなくてね。それに、君が悲しい世界や辛い世界ばかりを見ていると思うと悔しくて。……君が遠く感じた」
その言葉が不思議で、アルシャの方を向いた。
「それはこっちのセリフだ。アルシャはカムナギで、輝いてる。なんでアルシャが遠く感じる?」
「君がすでに自分の道を歩いていたからさ。僕とは異なる、もっとハードな道をね」
「ぼくはただ、できることをやってただけだ」
するとアルシャはかすかに目を丸くして、群青色の瞳を優しく細めた。
「どうして、ああいう依頼を受けることになったの?」
「えっと…、街の外れに、観光スポットになってる鍾乳洞があって、行ってみたらスゴく雰囲気がわるかった。観光客のマナーがわるくて、精靈たちが怒ってたんだ」
あのときは危機感を覚えた。このまま放っておいたら、大変なことが起こりそうな気がした。けれども、どうしていいかわからず、何もしなかった。後日、再び訪れてみたら、鍾乳洞の入り口は崩れて埋まっていた。巻き込まれて怪我をした人も出たらしい。
「ぼく、ショックで…。そのとき、頭の中に音が降ってきたんだ。気付いたら紡いでて、いつの間にか周りにいた人たちに感謝された。テオと会ったのも、そのとき」
「……なるほどね」
「成り行きで “ウタ紡ぎ” になったけど、やる必要があるって思うし、ウタも精靈も好きだから、ぼくに合ってると思ってた」
聖界からよく思われていないであろうことは、薄々感じていた。自分はフラム家の、末裔だから。
「アルシャは聖界の人なのに、フラムの人間が戻るのがイヤじゃなかったの?」
「むしろ、戻ってきてほしいと思っていたよ。僕も、父もね。フラムのウタも、とても重要なものだから」
その瞳に嘘がないのを感じ、ホッとした。そこでおもむろに、アルシャが首を傾げる。
「ねぇ、リュエル。この間、僕にキスしてくれただろ」
「っ、」
いきなりの方向転換にギョッとした。内容が内容で、再び顔を隠してしまう。
「僕は君のことが好きだから嬉しかったんだけど、君は僕のこと、どう思ってるの?」
(アルシャがぼくを好き!?)
という驚きもさることながら、そのような事を普段あまり思考しないため言い淀んでしまう。
「あ、憧れ……尊敬してる、先輩」
ネージュとの会話や毎朝「カムナギになる」と言わされていることを思い出し、もう憧れているばかりではいられないのだと思い直した。
「それだけ?」
「あのときは、衝動で、」
「君も好きって思ってくれてると思ってた」
「っす、好きだけど、」
どういう意味で好きだと言ってくれるのだろう。自分の好きもわからずに思う。
少しだけ顔を上げて伺うと、アルシャは真剣な眼差しをしていた。
「僕の好きは、この世界で君だけに感じる “好き” だよ」
(それって…)
そのとき、性急なノックが鳴った。アルシャが舌打ちしてドアへ向かう。
そんなアルシャにギョッとして、ぎゅっと膝を抱えてしまった。
「アルシャ、薬草学の先生が解毒薬を処方してくださいました」
ドアの向こうから聞こえたのは、カイトの声だ。アルシャはガチャリとドアを開け、それを受け取ったようだった。
「迅速な対応をありがとう」
「…………いえ」
何かを察したらしいカイトの頬がひくりと動く。
戻ってきたアルシャは心なし肩を落として、解毒薬を渡してくれた。
「……ありがとう」
おずおずと受け取り、小瓶の中身を飲み干す。
ガツンとくる味に盛大に歪む顔。それから、今しがたアルシャと話していた内容を思い出した。おれが自分の深層を晒してしまう状態であることを知りながら、好きだのなんだの、とってもデリケートなことをサラリと尋ねてきたアルシャ。
(こいつ…)
うっかり敬いを忘れ、怒りすら覚えてしまう。
真っ赤な顔で睨みつけたおれに、アルシャがボソッと溢した。
「覚えてるんだ」
「~~ッ、あんたなぁっ!!」
「ごめんね。気になって、聞かずにはいられなかった」
降参ポーズのアルシャは開き直ったらしく、苦笑している。
「これは…、軽蔑したよね」
おれはツンとそっぽを向く。しかしながら、こうして聞かれでもしなければ、考えることもなかったかもしれないと思うと、聞かれてよかったような気もした。
(アルシャがどう思ってるのか、知っちまったし)
その言葉を思い出し、ますます顔が熱くなる。
「まぁ、そういうことだから。もし許してくれるなら、またね」
(……は?)
前を向いたときには、アルシャはドアに向かって歩いていた。
「っべつに、また会うし」
思わず去りゆく背中に言葉を投げる。ハッとしたように振り返った美麗な顔を見て、カムナギとしても活躍している忙しいアルシャが、薬を盛られた自分のためにわざわざ来てくれたことを思った。
思うことは色々あるし、諸々の感情は渦巻いているが。
「……世話になった」
それはそれ、これはこれである。
「ありがとう、リュエル」
美しい笑みを浮かべてアルシャは言った。そうして、部屋を出て行った。
(見られたくないけど、隣にいられるのはイヤじゃない)
矛盾した思考をまとめられない。口を開けば、おかしなことを言ってしまうかもしれない。それが怖くて、唇を引き結んでいた。
「リュエル、フィーデルへ来てよかったって、思ってる?」
落ち着いた声にぽつりと問われ、こくりと頷く。
「……よかった。君の立場をわかっていながら、僕は君に推薦状を渡した。君は大変な目に遭うかもしれない。そう思ったけれど、それでも君に、ここへ来てほしかったんだ」
「聖界に、必要だから?」
以前、アルシャはそう言ったのだ。
「それもあるけれど…。本当は、個人的な思いのほうが強かったよ。君には、カムナギが似合うと思った。この素晴らしい世界こそ、その目に映してほしかったんだ」
そうしてアルシャは、小さく「ごめんね」と落とした。
「……なんで?」
「危惧したように、君は大変な体験をしてしまった。それでも僕は、君を誘ったことを後悔していない」
静かな声に、迷いはない。その強さに惹きつけられるように顔を上げた。
アルシャはひたすら前を向いている。美しい横顔をじっと見てしまったが、こちらを向くことはなかった。
「そんなに見られたら、恥ずかしいよ」
小さく苦笑している。
「っごめん、」
「ううん。僕も、君の方を向いていいかな」
そこで自分がアルシャに「見るな」と言ったことを思い出した。前を向いて、抱えた膝の上に顎を乗せる。
「……ちょっとだけなら」
「ありがとう」
視線を感じて耳が熱くなる。たくさん泣いてしまって、まだ目蓋が重たいくらいだ。
「もういいだろ」
「僕だって、もっと見ていたいんだよ?」
アルシャは肩をすくめて視線を正面に戻した。そうして、独り言のように話し出す。
「幼い頃、君に会ったのを覚えてる。かすかに聞こえたウタが綺麗で、気付けば足が向いていた。君を見つけたときは、舞い上がるようは心地だったよ。まるで精靈に会ったような感覚だった」
「、精靈?」
「そう思うくらい小さな君は…、そのウタも、素敵だった。その輝かしい存在が、緑の中に溶け込むようにいたんだ。そんなふうに思っても、おかしくないだろ?」
そう言われても。誰かに見つかって茶化されたりしないように、こっそり隠れて紡いでいただけだ。
「ウタを紡ぐとき、いつも君を思ったよ。いつかまた会えると思ってた。君もカムナギになるに違いないって」
「……ウタを紡ぐのは、ずっと好きだったけど。カムナギはあんまり遠くて…」
「君が “ウタ紡ぎ” として活動しているのを知って、なんだか衝撃だったな」
ぎゅっと膝を抱える。
「やっぱり、よくない事だと思ってる?」
「そうじゃない。輝かしい世界にばかり目を向けていた自分が情けなくてね。それに、君が悲しい世界や辛い世界ばかりを見ていると思うと悔しくて。……君が遠く感じた」
その言葉が不思議で、アルシャの方を向いた。
「それはこっちのセリフだ。アルシャはカムナギで、輝いてる。なんでアルシャが遠く感じる?」
「君がすでに自分の道を歩いていたからさ。僕とは異なる、もっとハードな道をね」
「ぼくはただ、できることをやってただけだ」
するとアルシャはかすかに目を丸くして、群青色の瞳を優しく細めた。
「どうして、ああいう依頼を受けることになったの?」
「えっと…、街の外れに、観光スポットになってる鍾乳洞があって、行ってみたらスゴく雰囲気がわるかった。観光客のマナーがわるくて、精靈たちが怒ってたんだ」
あのときは危機感を覚えた。このまま放っておいたら、大変なことが起こりそうな気がした。けれども、どうしていいかわからず、何もしなかった。後日、再び訪れてみたら、鍾乳洞の入り口は崩れて埋まっていた。巻き込まれて怪我をした人も出たらしい。
「ぼく、ショックで…。そのとき、頭の中に音が降ってきたんだ。気付いたら紡いでて、いつの間にか周りにいた人たちに感謝された。テオと会ったのも、そのとき」
「……なるほどね」
「成り行きで “ウタ紡ぎ” になったけど、やる必要があるって思うし、ウタも精靈も好きだから、ぼくに合ってると思ってた」
聖界からよく思われていないであろうことは、薄々感じていた。自分はフラム家の、末裔だから。
「アルシャは聖界の人なのに、フラムの人間が戻るのがイヤじゃなかったの?」
「むしろ、戻ってきてほしいと思っていたよ。僕も、父もね。フラムのウタも、とても重要なものだから」
その瞳に嘘がないのを感じ、ホッとした。そこでおもむろに、アルシャが首を傾げる。
「ねぇ、リュエル。この間、僕にキスしてくれただろ」
「っ、」
いきなりの方向転換にギョッとした。内容が内容で、再び顔を隠してしまう。
「僕は君のことが好きだから嬉しかったんだけど、君は僕のこと、どう思ってるの?」
(アルシャがぼくを好き!?)
という驚きもさることながら、そのような事を普段あまり思考しないため言い淀んでしまう。
「あ、憧れ……尊敬してる、先輩」
ネージュとの会話や毎朝「カムナギになる」と言わされていることを思い出し、もう憧れているばかりではいられないのだと思い直した。
「それだけ?」
「あのときは、衝動で、」
「君も好きって思ってくれてると思ってた」
「っす、好きだけど、」
どういう意味で好きだと言ってくれるのだろう。自分の好きもわからずに思う。
少しだけ顔を上げて伺うと、アルシャは真剣な眼差しをしていた。
「僕の好きは、この世界で君だけに感じる “好き” だよ」
(それって…)
そのとき、性急なノックが鳴った。アルシャが舌打ちしてドアへ向かう。
そんなアルシャにギョッとして、ぎゅっと膝を抱えてしまった。
「アルシャ、薬草学の先生が解毒薬を処方してくださいました」
ドアの向こうから聞こえたのは、カイトの声だ。アルシャはガチャリとドアを開け、それを受け取ったようだった。
「迅速な対応をありがとう」
「…………いえ」
何かを察したらしいカイトの頬がひくりと動く。
戻ってきたアルシャは心なし肩を落として、解毒薬を渡してくれた。
「……ありがとう」
おずおずと受け取り、小瓶の中身を飲み干す。
ガツンとくる味に盛大に歪む顔。それから、今しがたアルシャと話していた内容を思い出した。おれが自分の深層を晒してしまう状態であることを知りながら、好きだのなんだの、とってもデリケートなことをサラリと尋ねてきたアルシャ。
(こいつ…)
うっかり敬いを忘れ、怒りすら覚えてしまう。
真っ赤な顔で睨みつけたおれに、アルシャがボソッと溢した。
「覚えてるんだ」
「~~ッ、あんたなぁっ!!」
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思うことは色々あるし、諸々の感情は渦巻いているが。
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