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第ニ章 冴ゆ季節、心に積もる
二十三
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おれは後ろ頭を掻いてそっぽを向いた。
「……また来ますよ。自分のウタ思い出すために、たくさん紡がなきゃならないんで。ここでも紡ぎに…、っ」
不意にガバリと抱きしめられる。
「ありがとう。君は優しい子だな」
おおらかな大人の顔で頭を撫でられ耳が熱くなった。そこでふと、シュネーの肩からこぼれ落ちた長い黒髪が目に映る。
「黒髪」
思わず呟いていた。
「うちは昔からそういう家系なのだ。フラム家の一件で少々肩身が狭い思いをしたときもあったようだが、それだけだ」
そりゃ元から黒髪の家系もあるよなぁとぼんやり思う。それで気づけば口を開いていた。
「フラムが黒髪になったのは、神様がフラムを古いしきたりから自由にするためだ、って」
「それがフラム家の見解か」
おれはこくりと頷いた。
「なるほど、聖界を恨むでも神を恨むでもなく。それでフラムの美しいウタは健在だったのだな」
――シュネーは宝物を抱くようにリュエルを抱きしめる。
「おれたちは、決して不幸じゃなかった」
おれはフラム家の人間として、今、それを言わなくてはいけない気がした。振り返る人生は不愉快なことの方が多い。それでも今は、不幸ではないと思う。
聖典を没収されても、ウタについて学べなくても、フラムはウタを忘れなかった。
(忘れられるはずがない)
「ウタを紡いでこれたから」
ウタが好きだから。
「……それがフラムの血なのだろうな」
シュネーはしみじみと落とし、抱擁を解いた。そうして真摯な眼差しをする。
「私は古い家に伝わるリズムを調べ、カムナギの起こりについて知ろうとした。それぞれの家には特徴があるのだが、それは大きく二つの系統に分類できる」
おれの髪に目をやり、改めて視線を合わせた。
「フラムとルーマだよ。そこからカムナギは始まったんだ」
おれは目を瞬いた。どの家にも、どちらかに通じるリズムの特徴があるとシュネーは言う。
「どちらが先ということはなく、同じ頃に二つが始まったのだと私は考えている」
リズムの幅の両極端にあるのがフラムとルーマだ。他の家はその間にある。ちなみに教科書通りのウタとは、ちょうど真ん中の、なんの特徴もない淡々としたウタである。
フラムとルーマはまったく異なる。異なるが故、シュネーには、どちらかがどちらかの影響を受けているというふうには思えなかったらしい。
「そういう意味で、聖界にとってフラムは非常に重要な存在なんだ」
起源の話には驚いたが、それよりも。アルシャと自分のウタは、そもそもそこまで違うのかと。違って当然だったのだと知った。
「どれが一番というものはない。しかし、やはり精靈と同調しやすいウタというのはあるのだろう。その点で言えば、源流であるフラムとルーマが抜きん出ている。私も、君にはカムナギになってもらいたい。フラムの復帰のためにも」
おれは改めて己に流れる血を意識した。
「さて、それでは好きに紡いでくれ」
シュネーはそう言うと、期待のこもった目でこちらをじっと見る。
「……あんまり見られてるとやりにくいんだけど」
頬がヒクリとしてしまった。シュネーから視線を外して、小さく息を吐く。シュネーは真面目な話をしているときは落ち着いた大人の雰囲気なのに、おれが紡ぐとなると、途端に少年のように顔を輝かせるのだ。
「おお、すまない。では、あちらの机で論文を書きながら、さりげなく聞かせてもらうとするよ」
シュネーは聞き分けのいい子どものように頷いて、そそくさと窓際の机へ戻る。ペンを持って下を向いたはいいが、全神経をこちらに集中しているのがヒシヒシと伝わってきた。
おれは深呼吸をして、なんとなく視線を上げた。本棚の上に、絵画が飾られている。緑の中に赤い果実のなる木があり、花の精だろうか、背中に羽のついた小さな少女が楽しげに浮いている。この部屋にはそんなおとぎ話のような絵が幾つかあった。
それらをぼんやり眺め、おれはウタを紡いだ。
〇*〇*〇
その頃、ラルジュはとある教室へ向かっていた。一部では有名な部屋だ。
「失礼」
ノックをしてドアを開く。運良く部屋には聖音科の生徒一人しかいなかった。
「ラルジュ! やっぱりぼくのところへ来てくれた」
気だるげな微笑を浮かべている。ラルジュは彼の言葉をスルーしてスタスタと前を横切ると、空気を入れ替えるべくバーンと窓を開けた。
「俺はリュエルを選んだ」
そうして、すっと彼の方を向く。
「これは俺の意思だ。君がリュエルを攻撃するのはお門違いだよ」
「な、に言ってるのさ。君はあいつに幻想を抱いてるんだ。あいつは君にふさわしくない。誰もがそう思ってる!」
彼はカッと目を開いて言った。
「周りの言葉なんて関係ないよ。俺は、俺を信じているからね」
ラルジュは冷めた雰囲気で淡々と返す。すると相手は、唇を震わせた。
「なぜあいつなんだ。あんな猫かぶりの淫乱…。ウタだって本当は大したことないんだろう」
「リュエルは素直ではないけれど、猫かぶりではないよ。身も心も繊細で感じやすいが、純真だ。それから、いいウタを紡ぐ」
いちいち回答するのは嫌みに違いない。リュエルがいたら耳を赤くして怒るだろう。
「、淫乱じゃないって、なんで言いきれるんだ! あいつはそうやって教師に取り入ってッ」
そこでラルジュが動いた。目で追えない速さで彼の傍らに立ち、片手で細い首を握る。
「ずっと近くで見てきたからね。それにしても耳障りな声だ。これ以上いい加減なことを言わないように、首を絞めてしまおうか」
「な、」
彼は信じられないというふうに目を見開いた。
「たとえリュエルと出会わなかったとしても、俺やレルヒが君を選ぶことは絶対にない。何故だかわかるかい」
「、ぼくは首席だぞ。人気だって、ある」
「二学年は有力なカムナギ候補に恵まれなかったとしか言いようがないね」
こんな彼が首席だなんて。ラルジュはやれやれと息を吐く。
「な、なんだと!?」
「君が身体を売るかわりに支持を得ていることに関して、何か言うつもりはないよ」
まったく、リュエルも自分と同じだなんて思わないでもらいたい。
「単に、君のウタに惹かれないだけさ」
「そ、」
「他人に目を向ける前に、自分を顧みたらどうだい」
自分をないがしろにする者が、カムナギになれるはずがない。
「いまの君がカムナギになれるとは、到底思えないね」
リュエルは気づいていないだけで、フィリァをきちんと知っている。いや、誰もがそうなのだろう。フィリァを知るとは、それに気づき実感することだ。この勘違い坊やは、それがすっかり頭から抜けているようだった。
ラルジュは細い首からゆっくりと手を放す。
「リュエルはちんけな君の策にやられるほど弱くない。それどころか、逆境を踏み台にしてどんどんカムナギに近づいている」
根が素直なリュエルは、あれでけっこう冷静なのかもしれない。嫌なことがあっても、そこから気づきを得て成長してゆく。重要なのは、体験から得る気づきだ。リュエルはいつもそれを逃さない。
「繊細なのにタフなんだ。柔軟ということかもしれないね」
リュエルについて語るラルジュは実に楽しげだ。彼は唇を噛む。どんな言葉より、それがリュエルとの親和を思わせた。簡単になくなる繋がりではないのだと。
「リュエルはいいカムナギになるよ」
朝の目覚めもよくなってきているとか、ちゃんと挨拶ができるようになったとか、所作まで美しくなってきているとか。ラルジュの話は、まるで子どもの成長を喜ぶ親のようである。
「……また来ますよ。自分のウタ思い出すために、たくさん紡がなきゃならないんで。ここでも紡ぎに…、っ」
不意にガバリと抱きしめられる。
「ありがとう。君は優しい子だな」
おおらかな大人の顔で頭を撫でられ耳が熱くなった。そこでふと、シュネーの肩からこぼれ落ちた長い黒髪が目に映る。
「黒髪」
思わず呟いていた。
「うちは昔からそういう家系なのだ。フラム家の一件で少々肩身が狭い思いをしたときもあったようだが、それだけだ」
そりゃ元から黒髪の家系もあるよなぁとぼんやり思う。それで気づけば口を開いていた。
「フラムが黒髪になったのは、神様がフラムを古いしきたりから自由にするためだ、って」
「それがフラム家の見解か」
おれはこくりと頷いた。
「なるほど、聖界を恨むでも神を恨むでもなく。それでフラムの美しいウタは健在だったのだな」
――シュネーは宝物を抱くようにリュエルを抱きしめる。
「おれたちは、決して不幸じゃなかった」
おれはフラム家の人間として、今、それを言わなくてはいけない気がした。振り返る人生は不愉快なことの方が多い。それでも今は、不幸ではないと思う。
聖典を没収されても、ウタについて学べなくても、フラムはウタを忘れなかった。
(忘れられるはずがない)
「ウタを紡いでこれたから」
ウタが好きだから。
「……それがフラムの血なのだろうな」
シュネーはしみじみと落とし、抱擁を解いた。そうして真摯な眼差しをする。
「私は古い家に伝わるリズムを調べ、カムナギの起こりについて知ろうとした。それぞれの家には特徴があるのだが、それは大きく二つの系統に分類できる」
おれの髪に目をやり、改めて視線を合わせた。
「フラムとルーマだよ。そこからカムナギは始まったんだ」
おれは目を瞬いた。どの家にも、どちらかに通じるリズムの特徴があるとシュネーは言う。
「どちらが先ということはなく、同じ頃に二つが始まったのだと私は考えている」
リズムの幅の両極端にあるのがフラムとルーマだ。他の家はその間にある。ちなみに教科書通りのウタとは、ちょうど真ん中の、なんの特徴もない淡々としたウタである。
フラムとルーマはまったく異なる。異なるが故、シュネーには、どちらかがどちらかの影響を受けているというふうには思えなかったらしい。
「そういう意味で、聖界にとってフラムは非常に重要な存在なんだ」
起源の話には驚いたが、それよりも。アルシャと自分のウタは、そもそもそこまで違うのかと。違って当然だったのだと知った。
「どれが一番というものはない。しかし、やはり精靈と同調しやすいウタというのはあるのだろう。その点で言えば、源流であるフラムとルーマが抜きん出ている。私も、君にはカムナギになってもらいたい。フラムの復帰のためにも」
おれは改めて己に流れる血を意識した。
「さて、それでは好きに紡いでくれ」
シュネーはそう言うと、期待のこもった目でこちらをじっと見る。
「……あんまり見られてるとやりにくいんだけど」
頬がヒクリとしてしまった。シュネーから視線を外して、小さく息を吐く。シュネーは真面目な話をしているときは落ち着いた大人の雰囲気なのに、おれが紡ぐとなると、途端に少年のように顔を輝かせるのだ。
「おお、すまない。では、あちらの机で論文を書きながら、さりげなく聞かせてもらうとするよ」
シュネーは聞き分けのいい子どものように頷いて、そそくさと窓際の机へ戻る。ペンを持って下を向いたはいいが、全神経をこちらに集中しているのがヒシヒシと伝わってきた。
おれは深呼吸をして、なんとなく視線を上げた。本棚の上に、絵画が飾られている。緑の中に赤い果実のなる木があり、花の精だろうか、背中に羽のついた小さな少女が楽しげに浮いている。この部屋にはそんなおとぎ話のような絵が幾つかあった。
それらをぼんやり眺め、おれはウタを紡いだ。
〇*〇*〇
その頃、ラルジュはとある教室へ向かっていた。一部では有名な部屋だ。
「失礼」
ノックをしてドアを開く。運良く部屋には聖音科の生徒一人しかいなかった。
「ラルジュ! やっぱりぼくのところへ来てくれた」
気だるげな微笑を浮かべている。ラルジュは彼の言葉をスルーしてスタスタと前を横切ると、空気を入れ替えるべくバーンと窓を開けた。
「俺はリュエルを選んだ」
そうして、すっと彼の方を向く。
「これは俺の意思だ。君がリュエルを攻撃するのはお門違いだよ」
「な、に言ってるのさ。君はあいつに幻想を抱いてるんだ。あいつは君にふさわしくない。誰もがそう思ってる!」
彼はカッと目を開いて言った。
「周りの言葉なんて関係ないよ。俺は、俺を信じているからね」
ラルジュは冷めた雰囲気で淡々と返す。すると相手は、唇を震わせた。
「なぜあいつなんだ。あんな猫かぶりの淫乱…。ウタだって本当は大したことないんだろう」
「リュエルは素直ではないけれど、猫かぶりではないよ。身も心も繊細で感じやすいが、純真だ。それから、いいウタを紡ぐ」
いちいち回答するのは嫌みに違いない。リュエルがいたら耳を赤くして怒るだろう。
「、淫乱じゃないって、なんで言いきれるんだ! あいつはそうやって教師に取り入ってッ」
そこでラルジュが動いた。目で追えない速さで彼の傍らに立ち、片手で細い首を握る。
「ずっと近くで見てきたからね。それにしても耳障りな声だ。これ以上いい加減なことを言わないように、首を絞めてしまおうか」
「な、」
彼は信じられないというふうに目を見開いた。
「たとえリュエルと出会わなかったとしても、俺やレルヒが君を選ぶことは絶対にない。何故だかわかるかい」
「、ぼくは首席だぞ。人気だって、ある」
「二学年は有力なカムナギ候補に恵まれなかったとしか言いようがないね」
こんな彼が首席だなんて。ラルジュはやれやれと息を吐く。
「な、なんだと!?」
「君が身体を売るかわりに支持を得ていることに関して、何か言うつもりはないよ」
まったく、リュエルも自分と同じだなんて思わないでもらいたい。
「単に、君のウタに惹かれないだけさ」
「そ、」
「他人に目を向ける前に、自分を顧みたらどうだい」
自分をないがしろにする者が、カムナギになれるはずがない。
「いまの君がカムナギになれるとは、到底思えないね」
リュエルは気づいていないだけで、フィリァをきちんと知っている。いや、誰もがそうなのだろう。フィリァを知るとは、それに気づき実感することだ。この勘違い坊やは、それがすっかり頭から抜けているようだった。
ラルジュは細い首からゆっくりと手を放す。
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「繊細なのにタフなんだ。柔軟ということかもしれないね」
リュエルについて語るラルジュは実に楽しげだ。彼は唇を噛む。どんな言葉より、それがリュエルとの親和を思わせた。簡単になくなる繋がりではないのだと。
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